エルンストと鳩に向き合いたい
「っあのさ。エル兄……話があるんだけど」
エルンストがこっちを向いた。何故か白い鳩をそっと膝に抱いて。
エルンストに背中を撫でられた鳩は気持ちよさそうにクルックと鳴く。
出鼻をくじかれたミラは、想定外の鳩を指差した。
「はと……えっとその鳩知り合い?」
流石に今そこを気にするところではないとミラは切に自覚している。
だが、我が物顔でエルンストの膝に鎮座する鳩が気になって仕方がなかった。
「いや。うちのみるくさんはもっとふわふわして、つぶらな瞳をしているし、飛べない。違う鳩だ」
エルンストはこともなげに答える。
鳩がヤキモチを焼いたように、エルンストの指をくちばしでつつく。
情報量が多い。
「みるくさん……じゃないんだね……わかった」
なにもわからない。けれど、この鳩は野良鳩。それだけの情報でも十分だ。
エルンストは動物を引き寄せる体質だから、ミラが考え込んでいるうちに膝に乗ってきたのかも。たぶん。
思い返せば、辺境でもよく動物が乱入した。
感謝祭以来、エルンストと二人で出かけたことはない。すっかりこの珍事を忘れていた。
(うさぎと鶏の大集合よりマシだ! )
鳩が羽音をさせながら4羽もエルンストの足元に集まって来る様子を眺めながらうん、と心の中で頷いた。
ミラは居住まいを正し、エルンストと鳩に向き合った。
「その……鳩たちとお別れして、付いてきてほしいところがあるんだけどいい?」
エルンストはミラの真剣な表情を捉えると、鳩を撫でる手を止めた。
ポケットの中のハンカチをくしゃりと握り、ミラは返事を待つ。
「……わかった」
一瞬、大きく開いた漆黒の瞳は、なにかを決意したように強い光を宿していた。
◇◇◇◇
ミラとエルンストは乗り合い馬車に乗り、王都の城壁まで来ていた。
白鳩たちとは、エルンストがきっちり別れの挨拶をしたので、追いかけられる心配もない。
王都全体をぐるりと囲む城壁の一部は、市民に開放されている。
ミラたちの他にも景色を見に来た人がおり、城壁の上に向かう長い階段前は列になっていた。
「階段いっぱい登るから大丈夫……だね。エル兄だから」
「当たり前だ。お前こそ無理するなよ」
エルンストに手を引かれ、城壁の階段を登っていくと。
「ちょ、ごめん。もう少しゆっくりと」
しばらく登ったミラは、息を乱しながらエルンストの背中へ制止の声をかける。
膝ががくがくと笑っている。対して、振り向くエルンストは息すら乱れていない。
「はぁ。もうこれで良いだろ」
呆れた表情のエルンストは、ミラの両脇に手を差し入れ、抱き上げた。
階段を登る客たちが、ざわめき、視線を集めた。
「え? いや、これ恥ずかしいよ!」
「……あとがつかえるよりマシだろ」
エルンストは後ろのひとに会釈をすると、さっさと階段を登る。
ミラはもう観念して、エルンストの首に掴まった。
「……ああ、着いたぞ」
灰褐色ばかりだった視界が開け、夕暮れの空が広がった。
遮るものはない、群青色と茜色のグラデーション。
その色は、時計台広場の芝生や大通りといった、いつもの街の暮らしを染めている。
「きれい……」
何度も見にきた光景だけれど、感嘆の声が漏れる。
「そうだな……」
「でね、エル兄にはこっちを見てほしかったの……」
エルンストの手を取り、ミラは人気のない、皆を向く方向とは逆に案内する。
城壁に手を置き、指差す。
「こっちが辺境の方角なの……」
ミラが指差した先には地平が広がり、長い街道、その先に高い山々にかかる夕陽が見える。
先程の光景よりも穏やかで、ほんの少し寂しい。
けれど。
「ほら、ちょっと辺境に似てない? 山しかないし、だだっ広い草原とかさ……。私はいつもここを見て、元気をもらってた」
王都で過ごす日々は楽しい。それでも、どうにもうまくいかない日だってあった。
そういう時は、ただぬくもりが恋しくて、両親や弟に会いたくなった。
(でも私のわがままで出てきたし、帰ることでまた両親を傷つけてしまうのも怖かった)
「大切な場所やひとを思い出して……今の自分を好きになろうとしたんだ」
(この夕陽が沈んだあとには月が浮かぶ。ノア様とあの約束をしたときの美しい月が……)
息を呑んだエルンストが、城壁に腕を乗せ、寄りかかった。
「……そうか」
「うん。だからさ……王都は私の大好きな場所なんだよ。最初は逃げてきただけだったけど、こうして好きなものも沢山ある。ねえエル兄……」
エルンストが勢い良くこちらを向く。
漆黒の瞳は今にも泣きそうに揺れている。
その表情が、色とりどりの花に白銀の髪が散った庭園に駆けつけたときと全く同じ。
未だにエルンストは7年前の記憶の中に閉じこもっている。
だからこそ自分との婚約を望み、あの日からやり直そうとしている。
エルンストは優しくて、強い。けれど、その優しさで自分を追い込む不器用さもある。
そんな身動きを拒むように罪悪感に囚われるエルンストを、巻き込んでしまった自分だけが、変えられるのではないか。
もちろん、おこがましいにも程がある。
けれど、自分はこの世界のヒロインなのだ。
リオンくんが、教えてくれた。
この世界は決められたゲーム《運命》であるけど、私の行動で変えられることを。
⸺ハイブリッドヒロインムーブかましてやろうじゃない!
ミラは知らずにスカートのポケット、ノアのハンカチを握る。
「罪悪感なんてもってもらって困るよ」
「……っ」
瞬間、エルンストの拳が、なにかを耐えるように城壁の上で小さく震えた。
でも、やめるわけにいかない。自分をごまかした言葉なんかエルンストへ届くはずがないから。
ありのまま、真摯に、ぶつける。
(ノア様が屋根の上で私に向き合ってくれたように)
5年間王都で過ごした全てが、自分がここで手に入れた、愛おしい“居場所”だ。
「私が手に入れた大切なものや場所に失礼だからさ。辺境に帰れなくてもいいの。私は王都にいたいから、いるんだよ」
夕暮れの風が一度、ふたりの髪を揺らした。
夕闇が、エルンストの瞳に影を落とす。
ミラはまっすぐ見つめ、口を開いた。
「エルンスト・アルドワ辺境伯令息。あなたとの婚約はお断りします」




