追いかける
翌朝。ノア・ラスフィは浮かれていた。
それはもう、誰が見てもわかるように。
「世界が俺を祝福している!!」
起き抜けにそう叫んだだけでない。
鼻歌を歌いながら、朝一番に庭先で花を9本も摘み取ってきたからだ。
あいにくの雨で足元が濡れようが、そんなこと彼には些細なこと。
庭師と相談して選んだ白バラの花束を抱え、婚約者の部屋へ向かう。
(ミラも婚約に頷いてくれたから……もしかして俺のこと……)
へへっとだらしなく頬が緩んだ。だが、背後からかけられた声に笑顔が消える。
「ノア様?! まだミラお嬢様を起こすには早いですよ!」
ミラの専属侍従のマインだ。ワゴンに洗面器や水差しを載せて運んでいる。
折良く、ミラの起床の世話をしにいくところだろう。
「……婚約者の俺がミラを起こしにいこう。代われ」
マインからワゴンを奪いさるノア。
背後から「ええ……」とマインの引き攣った声は聞こえない。
晴れて昨日、ミラ公認の婚約者になったのだ。拗らせた年月が、ノアの行動力に拍車をかける。
鼻歌まじりに花束を抱えながら、ワゴンを押し進めると、ミラの部屋に着いた。
この中に、暫定睡眠中のミラがいる。
ぶわわとノアの頭の中にあらゆるミラの寝姿の想像が駆けめぐる。
(寝顔なんてみたことない! )
それもそのはずだ。ノアを起こすのは専属メイドであるミラの仕事だ。
専属メイドの立場なら、絶対に見られない。けれど、婚約者なら⸺
いくらでもみられる。
むしろ、将来なんて同じベッドで寝ることになる。
「……ぐっ」
ノアは興奮で鼻がムズムズするのを、大きく深呼吸をしてやりすごす。
未だに異常に体が火照っているのは健全な男子の証拠だ。
脳内で言い訳をしていると、背後でマインが大きく咳払いをする。急かすように。
ノアはマインを軽く睨んでから、おずおずと扉をノックした。
「……ミラ? おはよー」
返答がない。
未だに寝ているのか。寝顔拝見のチャンス到来だ。
寝坊しているなんて、朝から可愛いがすぎる。
窓を開け放ち、婚約者の可愛さを叫びたい衝動を押さえ込み、仕切り直すように咳払いをする。
「仕方がないから……俺が起こそう!」
逸る心臓の音を聞きながら、ドアノブに手を掛け、開ける。
室内はしんと静まり返り、寝息すら聞こえない。
人の気配すらない。
「っは?」
シワ1つなく整えられたベッドに違和感を覚え、ノアは喉を鳴らす。
遅れて扉をくぐったマインも、忙しなくクローゼットを開けたり、カーテンを開けたり閉じたりしている。ソファーの下も覗き込んでいる。
くまなく目を走らせたノアは、机においてある封筒に気がついた。
中身を見るのが恐ろしい。
だが、今はこの封筒しか手がかりがない。
ふらふらと封筒を手に取れば、宛名はノアになっている。
「……まさか?」
急いで封筒を開けようとしたが、指先が震えて力が入らない。
だが、ノアは気合を入れるようにぎゅっと強く目を瞑る。
肺から息を吐ききると、なんとか封筒を開けた。
「『ありがとう』とか……くそっ!」
数秒後、手紙を読み終えたノアは、そう吐き捨てる。
手紙を無造作にスラックスのポケットへ突っ込む。
なんで…………俺にミラがいなくても良いと思えるのか。
素早く身を翻そうとするが、机の角へ足をぶつけてしまう。
せっかく詰んだ白バラの花束が、机から滑り落ちる。
バサリと音を立てて床に散らばる9本分の花弁を一瞥もせず、足の痛みすら煩わしいといわんばかりに、ノアは駆け出した。
「ミラがー!! ついに逃げ出しましたー!!」




