ニセモノ、本物、傷もの 3
馴染みの御者が扉を開ける。
すっかり空は夜の色に染まり、満ちた月がかかっていた。
闇に煌々と浮かび上がる玄関前には一糸乱れぬ使用人たちが並び、主人の帰宅を出迎えていた。
ノアがミラの膝裏に腕を差し入れてそっと抱き上げた。
「私、歩け……」
「ごめんね。俺がミラを運びたいから我慢して?」
殊勝にそんなことを言われてしまえば頷くしかない。
出迎える御者はじめとする同僚が眉ひとつ動かさない。
さすが公爵家の使用人たちだと感嘆するのと比例し、いたたまれなさが増す。
「おかえりなさいませ」
恭しく頭を下げる侍女長の声がどことなく揺れているのはなぜか。
そんな使用人らを気にも止めないノアはミラを丁重に運ぶ。
そのまま屋敷に入れば、すれ違った使用人たちに、感無量とばかりに丁寧に頭を下げられる。
そして、背中からグスッと鼻を啜る音が追いかける。
(……それだけ心配させてしまったのか。ごめんなさい)
感動の帰還のような雰囲気に取り囲まれている。
ミラが反省している間に、ノアはスタスタと屋敷の奥へ。
「の、ノアさま……え? ここは……」
「ん。色々あったから、今日はこっちで休んで」
キョロキョロと見慣れた廊下を見回すミラが思わず尋ねる。
専属メイドになってから、ほぼ毎日歩いたここを見間違えるはずがない。
ラスフィ公爵一家しか使用が許されない階。それだけでなく⸺
「……この階はノア様の寝室がある階ですよ!」
「うん。当主の寝室はミラが成人するまで皆に使用禁止されちゃった」
そんなに俺が信用ならないかな、とノアは口を尖らせる。
ご主人様のプライベート空間でなんて恐れ多くて休めるはずがない。
口を開いたり閉じたりしかできないミラ。
抗議も虚しく、ミラはあっという間にノアの寝室の隣に案内された。
部屋の前で侍女長が振り返ると、彼女の目にも涙が溜まっていた。
「……こちらのお部屋を準備させていただきました」
「ああ。やっとミラを連れて来られたな」
ノアの言葉に、侍女長が嬉しそうに頷き、そのたびに涙が落ちている。
気丈な彼女の涙なんて見たことがない。ましてや主人の前で。
言葉を失うミラに、気にするなといわんばかりにノアは扉をさっさとくぐった。
「あれ? かわいい……」
思わず見間違いかとミラは目をこする。
元々空き部屋だったはずなのだが、今はとても可憐な部屋になっている。
桃色を基調とした花柄が可愛い壁紙とカーテン。もちろん家具も、白と金色を使用した清楚でありながら豪奢なものが配置されていた。
ベッドには精緻なレースの天蓋までついている。
「気に入ったみたいで、嬉しいな」
ノアが少し照れたように笑う。
ひっかかる言い方に、もしやと尋ねようとするが、ソファーに優しく降ろされてしまう。
「まずは医師の診察を受けて」
「はい」
「今日はゆっくりと休んで。……婚約の話の続きは明日、正式に話そうね」
そう言うとノアが甘く笑う。それはそれは優しいアメジストの瞳に心臓が大きく跳ねる。
ノアがミラの手をそっと取る。
「の、ノア様……?」
ノアの手の熱さに、余計に心臓の音が暴れ出す。
じっと見つめる瞳から目を逸らすことができない。
「おやすみ。ミラ」
ノアはミラの手の甲に顔を寄せる。
何をしようとしているのか。
うっすらと、いや、はっきりと見当がついたが、完全に動く機会を逃した。
呼吸をするのを忘れて、指先ひとつ動かせない。
(ど、どうしよ……)
全身の神経がノアが持つ手に集められたようになる。
やがて吐息が肌を撫でた。
その熱さと感触に、ビクッと身を竦ませる。
ぱっと手を離したノアは「医者を呼んでくる」とギクシャクとした動きで背中を向けて出ていってしまった。
「…………」
ひとり取り残された部屋で、ミラは手の甲をゆっくりと撫でる。
未だにあの時の熱が残っている気がするのだ。
思い出してしまい、叫びそうになるのをなんとか頭を振って堪えた。
(ほかに気をそらさないと! )
なにかないかと、顔を彷徨わせると、ある置物に視線が吸い寄せられる。
「え?」




