理想のお嬢様
「エリカ・グラジール公女様、大変申し訳ございませんでした」
ミラたちも慌てて廊下の端に避け、エリカに礼を取る。
(国で三家しかない公爵家のご令嬢さまを敵に回すわけにはいかないよ! )
エリカ・グラジール
グラジール公爵家をはじめ公爵家は王家に連なる。
エリカの実母であるグラジール公爵夫人は、先王の妹。
現在、王女は誕生していないため、彼女はこの国で最も高貴な身分の令嬢だ。
「結構よ、顔を上げなさい。あなた方も、はた迷惑な彼に巻き込まれただけなのでしょう?」
寛容な言葉に、ミラたちは恐る恐る顔を上げる。
ミラを目に留めたエリカは大きく目を見開くと、ごくりと喉を鳴らした。
「そ、その白銀髪……あなた様はミラ・オーキッド様であらせられますか?」
震える声で尋ねるエリカの顔色が悪い。
「はい。お初にお目にかかります。オーキッド男爵家長女、ミラ・オーキッドと申します」
ミラは疑問に思いながらも腰を折り、自己紹介をした。
エリカは慌てて制し、自らも丁寧に名乗った。
「ご挨拶いただき光栄です。私はグラジール公爵家長女、エリカ・グラジールと……申します」
エリカから非の打ち所のない最上級の礼をされてしまう。
しかも、頭を下げまま彼女は動かない。
(これは私が声を掛けるまで……この姿勢なのかな……)
常識的にありえない状況だ。
身分の上のものが声かけするまで、面をあげられないというのが、貴族の礼節だ。
この異様な光景に周囲からの視線が突き刺さる。
それに、スカートの裾をつまむエリカの細指が震えている。
「その……どうぞ……楽にしてください」
根負けしたミラはこう言うしかなかった。
「ありがとうございます……」
顔を上げたエリカは心底ほっとしたように、頬を緩めた。
豊かな胸に手をあて、微笑むその姿は、年相応の少女だ。
とびきり可憐な笑みに、甘皮処理も完璧な小さな爪先に、ミラは目が離せない。
朝、鏡台に座るエリカの金髪を丁寧に梳かし、手際よく編み込む自分。
お風呂上がり、彼女の血色の良くなった薄桃色の指先に、くまなく香油を塗りこむ自分。
ミラの脳内を妄想がかけ巡る。
(飢えてるんだよー! お嬢様のお世話したい欲! )
仕え先のラスフィ公爵家に不満は無い。
だが男性しかおらず、メイドとしてお嬢様や女性のお世話をしたかったのだ。
せっかく侍女長に侍女教育で知識と技術を得たのに、なにも活かせていないのだ。
ご主人様がお風呂で髪や体を洗わせてくれなくなったのも寂しい。
今なんて、浴室にすら近づかせてもらえない。
「いえいえ! こちらこそ公女様と出逢えた奇跡に感謝しています」
滾る思いを、良識の範囲内に限りなく薄め、言葉にする。
エリカは口元に手をあて、こてりと首を傾げる。
「ふふっ……あの……では今度お茶にお誘いしてもよろしいですか?」
頬を赤くしながら、じっと見つめられる。
気の強そうな美少女が恥じらいながらも期待が滲む表情。最高か。
「ぜひ! お伺いさせてください!」
(私がお茶を給仕いたします! )
「このエリカ……その日を心待ちにしております」
エリカは伏し目がちにふわりと笑う。
花が綻ぶようなエリカの清楚な笑みに、ミラはきゅん、と胸が高鳴った。
ドMのせいで傷ついたメンタルが、今完全に癒えた。
(気高くて可愛く、そして優しい! エリカ様好きです……)
エリカに忠誠をミラは勝手に誓った。
そんなミラの眼鏡を見やったエリカがなにやら覚悟を決めた表情で口を開いた。
「っあの! ミラ様の素顔……なんですが……」
「は……い」
ずいっと一歩近づくエリカの切羽詰まった表情に、気圧されたミラは一歩後退る。
すると、エリカは少し眉を下げ、くるっと矛先を変えた。今まで一切触れなかったリオンへ。
「そこのあなた! ミラ様の尊い素顔はご存知かしら?」
問われたリオンは瞬時に人形のような美しい笑みを浮かべる。
「はい。紫に金色が溶けた瞳は聡明な輝きに満ちて大きく、きれいに通った鼻筋に、ふっくらした唇が、小さな顔に絶妙なバランスで美しく配置されています」
人が違ったようなリオンの様子にミラは顔をしかめる。
リオンの瞳の焦点が合っておらず、あらかじめ決められた台詞をなぞるような、感情の読めない口調だ。
「まあ! やはり……」
エリカが今日一番、目を見開く。顔だけでなく、体全体、指先まで強張らせる。
次第に水色の瞳が潤み出す。
「……公女様?」
(リオンくんも……エリカ様も……どうしたの? )
言いようもない不安に突き動かされたミラは、不躾だと思いながらも声をかけた。
「あの、すみません。私……失礼いたします」
ミラの声にエリカは我に返ったような顔を浮かべ、礼をする。
それからそっとハンカチで自分の顔を隠すと、後ろに控える生徒と共に教室の中へ入っていく。
礼を返したミラとリオンを何度も振り返りながら。
素顔の話をした途端、泣き出したのはなぜなのか。
公爵令嬢であるエリカが、人前で感情を乱し、泣くようなことなんてありえない。
あれほど非の打ち所のないカーテシーをする彼女が。
ミラのような末端貴族の令嬢すら、そう教育されてきているのだ。
ということは、淑女の仮面が剥げるほど、自分の顔が衝撃的だったのか。
(自覚はないけど、ショックだ……)
今さらながら、ノアが公爵家以外の場所で、頑なに眼鏡をかけさせる理由を理解する。
ご主人様のさりげなさすぎる優しさが沁みて、不安に揺れた心が和らぐ。
⸺やっぱりご主人様はノア様しかありえないよ
ふふ、と笑みを漏らす。
「ミラちゃん……」
顔を上げると、リオンが大きな瞳を潤ませている。
「リオンくん……?」
その表情は感情ダダ漏れであり、普段のリオンの表情だ。
しかし、声に出せないのか、口を引き結んだまま、物言いたげに見つめられている。
現在、何らかの制限がかかっているリオンと自分の関係で、思い至ることはひとつだけ。
「ゲームの『強制力』とかありえます?」
「正解だよぉー。体と口が勝手に動いてた!」
(これはイベントだったってこと? )
ふとエリカの入った教室にミラの視線が止まる。
もう1人異様な行動をしたエリカも、もしや?
「サポキャラさん……どこまで言えますか?」
リオンも意図を察したように教室に目をやる。
しばらく考え込むと、ミラに顔を寄せてきた。
「エリカ・グラジールは……」




