大佐の保証が沈黙した
安全装置が沈黙した瞬間、判断の初手だけが生存率を決める局面。
★フェードアウトしないログアウト
ここから全部、地球側の異常開始。
いつもなら【三時間でタイムアウトします】ってメッセが出て、もうちょっと綺麗にフェードアウトする。
なのに今回は予告もなく、途中で断ち切られた。ブツッ、って、テレビの電源を抜いたみたいに。つまり異常終了だ。
演算処理の重たいことはしてない。たぶん。
たまにあることなので、咄嗟にトレッドミルの手すりに掴まって……
掴まった、はずなのに。
手が空を切る。
警報が頭に響いた。
ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー!
「……非常ベル?」
部屋の空気が薄い。音が脳に釘を打ってくる。肺に入るたび、何かが混じってる気がする。
普通なら「〇階が火災です」とか「スプリンクラーが作動しました」とか放送が流れるのに……警報音だけ? 警備室が死んでるのか? 放送できないのか?
視界が天井。
そうか、背中がべったり柔らかいものについてる。
「……俺、倒れてる?」
背中に布の感触。沈み込み。枕の匂い。
ベッドだ。俺、ベッドにいる。意味が分からない。今日、VRトレッドミルで始めたよな? 寝てやったっけ? …………そうかもしれん……
腕を動かそうとしたが、睡眠不足の腕は鉛だ。
スマホ? 取れるわけがない。枕元テーブルはベッド中央からは手が届かない。
めんどくせぇ……でも警報がうるせぇ。
ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー!
なら、AIコンシェルジュを音声で呼び出せ、俺!
「……ベルスト! 緊急状況、ステータス」
『警報:建物全域、外部要因による避難警告。館内火災検知:該当なし。揺れ検知:規定値未満。外気:煙粒子上昇。外気由来と推定』
「外……由来?」
つまり、ホテルが燃えてるわけじゃない。
じゃあ、外が燃えてる。
とりあえず俺は緊急避難しなくていい……と言い切れないのが嫌だ。
外が燃えてるなら、ここが安全とは限らない。煙粒子上昇ってのは、視界と呼吸を削るタイプの脅威だ。
「俺の避難誘導は必要か?」
『館内放送系統:応答なし。警備室チャンネル:応答なし。自動避難ガイダンス:外部通信障害のため制限。現在位置に留まることは推奨できません。ただし、屋外の危険も増加しています』
……は?
このホテルの売りはフェイルセーフだろ。二重三重のはずだろ。
警備室が応答しない? 放送も死んでる? 外部通信障害?
ホテルサーバーがだめになったら、軍サーバーが統括するはずだぞ。南の海軍工廠の将軍がホテル内全域を統括して安全誘導する、ってシュトラウス大佐がドヤ顔で説明してた。
その軍側も沈黙ってことか?
世界が壊れてる匂いが、やっと理屈として言語化された。
ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー!
スマホは?
サイドテーブルに手を伸ばすために、起き上がろうとして、額に衝撃が走った。
「ぐっ……!」
目に火花が散った。痛みの質がVRじゃない。反射で胃が縮む。
次の瞬間、俺じゃない呻き声。そして、俺の腹から太ももにドスンと何か落ちてきた。なんで!
「ううっ……!」
俺の太もものあたりに、大きな白い丸い……あれ、一番上にあるの、ベルトだ。ズボンのベルトを真上から見てる。
俺の上にいたやつに、俺が頭突きしたのか!
俺の腹筋が見えるのはナゼだろう? パジャマを着ていたはずなのに。状況が雑すぎる。安全設計より先に、俺の服が死んでる。
この赤みがかった巻き毛の襟足は……ジャック・レモン!
口説かれたことがある!
「お前、俺がVRして抵抗しないのをいいことに、ベッドに連れ込んだのか?」
ややあって俺を見た顔は鼻血にまみれてた。鉄のニオイ。レモンの指の間から血が……。
俺がうめきそうになるのを、警報が上書きする。最悪だ。
「……ごめん…………うぷっ!」
うめき声の間に謝罪。
倒れたから運んだとか、もっとマシな言い訳があるだろ。自白すんな。
血がしたたる前に、上のほうにあった枕を掴んで押し付ける。
奴が膝立ちになって後ろにそったので、俺の足がフリーになった!
「どけ!」
膝蹴りが急所に入ったらしい。悶絶して勝手にベッドから落ちた。謝らないぞ。
レモンは転がって、トレッドミルの脚に肩か何かをぶつけて、別の悲鳴を上げた。忙しいやつだ。
「上司に言っとくから、お前クビで、裁判で、人生終わりな」
やつの反論は警報で消える。ちょうどいい。
ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー!
息が詰まる。ベルが思考を削る。
集中を奪うタイプのアラームは、避難の味方にも敵にもなる。今は敵だ。
「うるせーんだよ!」
頭を掻きむしって立ち上がった。
ベッドから床に降りて、窓へ。壁全面ガラス。東向き。左がシスコ。正面の対岸がオークランド。
いつもなら摩天楼の光が規則正しく並ぶだけの景色だ。女子が見たら「綺麗な夜景!」と喜ぶだろう。美人は三日見たら飽きると言うが、この景色も三年見てたら何も思わなくなる。
今日は違う。
オレンジ色の光が点じゃない。揺れている。炎だ!
左のシスコのビルの合間に、はっきりと炎が立っている。さらに湾岸のあちこちが赤い。複数地点だ。
「……街が燃えてる」
ホテルの周りだけの火事ではない。
この距離で見える規模。外気の煙。館内火災は否定。通信障害。警備室無応答。放送無応答。
確定ログが揃った。
判断。
ここに留まる? 逃げる? どこへ?
このホテルは安全だとシュトラウス大佐が豪語していた。だがその前提は「運用が生きている」場合だ。警備室と放送が死んでいるなら、安全設計は“箱”でしかない。
外は炎と煙。中は誘導が死んだ箱。選択肢がどれも減点方式ってのが、いちばん腹が立つ。
逃げるかどうかは別にして、動く準備だ。情報が死んでるなら、まず自分の移動速度と持ち物の自由度を上げる。
身分証、パスポート、現金……と思った瞬間、俺の腹筋と裸足。これで逃げてどうする。
今は拾い集めるより入れ物を作れ。
服を着る。リュックを持つ。必要なものをリュックに入れる。よし。動け。
窓際のトレッドミルとひとかたまりになって、レモンがうごうごしている。放置。今は「外部要因」優先だ。
ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー! ピッ・ピッ・ピッ・ピーーー!
ベルが鳴り止まない。
鳴り止まないのが、今はサインだ。
次に必要なのは「出口の安全度」を確定するログだけだ。
◆――AI副官ログ(AI LOG)――
[T+0000sec] 館内誘導系統が沈黙、ホテルは「安全な箱」から「情報のない箱」へ変質。
[T+0000sec] 屋外は炎と煙で危険上昇、屋内は運用停止で危険不明。優先タスクは出口ルートの確定。
[T+0000sec] 次フェーズ:移動準備完了→「どの出口が生きているか」を実測し、撤退条件を設定せよ。




