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僕は猫になっても、君が好きだから

作者: 菜乃音

「今日のにゃぁにゃはのんびり屋さんだね~」

(こうやって撫でられるのも、悪くはないや)


 一条(いちじょう)結叶(ゆいと)が幼馴染である彼女――星月(ほしづき)妃花(ひめか)との距離が縮まったのは、猫になってからだ。

 結叶は高校生になって早々、大切な人を守ったのを機に、人としては世から離れてしまっている。

 人としては亡くなってしまったものの、白猫へと転生して現代にとどまる形となったのだ。


 結叶としては、猫になったので自由に遊んでもよかった。だが、未練として妃花に引き付けられてしまったのか、拾われたのをきっかけに今は妃花の家で飼い猫として暮らしている。


『いつもマイペースの人には言われたくないな』

「むむむ。にゃぁにゃ、馬鹿にしたな~」


 妃花は猫である結叶の頬を軽くつまんできた。


 そんな幼馴染である妃花だが、学校では美少女と名高いマイペースやさんだ。

 黒髪のロングヘアーは、キューティクルが引き締まった手入れの行き届いた艶のある髪をし、光を反射して天使の輪を作っている。

 澄んだ水色の瞳はまるでお人形さんのようで、雲一つない青く澄んだ空を映し出していた。


 制服姿からチラリと映る白い肌は、肌荒れを知らない赤ちゃん肌のように水分を含んでぷるりとしており、水滴すらも弾く柔らかさがある。

 整った体つきながらも、出るところは出て、引っ込むところが引っ込んでいるのは、誰の目から見ても美少女と言えるだろう。


 結叶自身、そんな妃花の幼馴染でよかったと思う反面、もっと結叶として話したかった、という小さな心残りもあるのだ。


 わざとらしく普通に猫の声で鳴いてみれば、妃花は柔らかく笑みを浮かべていた。


「にゃぁにゃ、可愛いのはズルいよ」

『妃花を守る役目がありますから』

「おませさん、いけない子」


 妃花はこちらの言葉を理解したような話し方をするので、心臓に悪いものだろう。

 ちなみに『にゃぁにゃ』というのは猫である結叶の名前だ。


 今は妃花の部屋に居て、妃花が椅子に座りながら、太ももの上に載せて撫でてくれるのでご好意に甘えている。

 ふと首を伸ばせば、勉強机に置いてあった鏡が結叶の視界に映った。


 短めの白い毛にひげ、特徴的なかぎしっぽ。そして、ピンクの鼻と耳、透き通るような水色の瞳は、自分が本当に猫になったのだと伝えてきている。


(……猫だなぁ)


 むぎゅむぎゅと鼻を押してくる妃花は、ちょっと自慢げに結叶が言葉を発したら、めっ、と言いたげな様子で意地悪をしてくるのだ。


「そんな悪い子にはこうだよ~、ぎゅぅ~」

(妃花に抱きしめられるのは悪くないや……これって、もしかして、恋……)


 結叶はあらぬ考えをしてしまったのもあり、顔がじりじりと熱くなった。

 沸騰しそうになった時、抱きしめすぎたせいで苦しかったの、と妃花に心配させてしまったのは反省だ。


 妃花に『心配は要らないよ』と声をかければ「にゃぁにゃのイジワル」と言ってくるので、妃花は猫の言葉を理解しているのだろうか。




 猫での生活にも慣れ、こっそりと部屋を妃花の家族にバレないで抜け出せる、人の英知を持った猫になりつつある。

 抜け出すと言っても、妃花を守るためなので仕方ないだろう。

 妃花が帰宅する前には部屋に戻っているので、心配をかける事もなければ、本当に妃花の傍にこっそりと居るだけだ。

 傍から見れば、一種の心霊写真みたいなものだろう。


 猫で妃花を守る生活をしていたある日、結叶は先回りをして帰宅し、妃花の帰りを部屋で待っていた。

 猫とはいえ、妃花の帰りの時間を大体は把握できたので、高校の時間に合わせるのは造作もない。と結叶は自信をもって言いたいが、アナログ時計の動く秒針を見ると飛びつきたくなるのは、猫の本能だろうか。


「ただいま~、にゃぁにゃ」


 学校から帰ってきた妃花は、いつものように笑みを浮かべていた。

 高校の同級生でも見られないであろう、妃花の自然の笑みを独占できると言うのは、猫ながら背徳感がある。


 ベッドの上でおとなしく座っていれば、妃花は荷物を置き、クローゼットに手をつけていた。


(ごくりと息を呑んじゃうです)


 なぜ敬語、と結叶は自分に言い聞かせたかったが、それどころではなかった。

 気になるあの子が目の前で、それも猫である自分の前で無防備にも着替えようとしているのだから。

 これは動くものに反応する猫の本能だ、と言い聞かせたいが、恐らく人である結叶の中に眠る好きな子への気持ちと本能である。


 妃花はゆっくりと、制服のボタンに手をつけていた。

 ベッドの方を向かれているのもあり、結叶からすれば特等席である。

 花園を見てはいけない、という紳士としての感情もあるが、小さな好奇心は男としての気持ちを後押ししてきた。


 猫であるおかげか、見る世界は実にスローモーションで、一つ一つの仕草が鮮明に見えている。

 細い指先が外していくボタンの動きから、重なって動く黒い髪、揺れる制服の裾、猫だからこそ味わえる魅力あふれる世界だろう。


『はわわ、ご褒美です』

「ご機嫌だね~」


 猫なのに、結叶は鼻の下が軽く伸びていた。

 妃花が首元のボタンを外し終え、胸元の方に手がおりていた時だ。


「……にゃぁにゃ?」

『な、なんでしょうか』

「ふふ」


 妃花は手を止め、ベッドの上で座っているこちらをにんまりと見てきた。

 明らかに含みのあるその笑みは、悟っている圧を教えてくるようだ。


「おませさんのにゃぁにゃ、回れ~、右」

「にゃぁ」

「言葉のわかるにゃぁにゃは、いい子だね。にゃぁにゃ、悪い子、イケナイ子」


 後ろを向いたのはいいが、結叶は正直鼓動が収まらないでいる。

 妃花の着替えを見ようとしたからではなく、妃花の向けるその水色の瞳が、明らかに冷えた視線だったからだ。

 心は男の子と言え、妃花が何かを理解しているような視線を送ってきたのだから、背筋が冷えない理由は無いだろう。


 妃花はマイペースながらもゆったりとした声色だからこそ、余計に圧があるのだ。

 トーンを一つ上げたり、下げたりするだけで変化を理解できるほどに、妃花の声は心に響くものがある。


 妃花を思うなら、乙女の着替えは今後見ないように心掛けた方が良いだろう。それは、猫であっても魂が人ならだ。


 妃花が着替えを終えてから、いつものように椅子に座る妃花の太ももに座り、結叶は撫でられていた。

 細い指が毛並みを傷つけないようにかき分け、優しく温かな熱を肌に伝えてくる。

 人とはまた違った特別感は、猫だからこそ味わえるものだろう。

 髪の毛を撫でられるのとは違った、全身の毛を撫でてもらえる幸福感。


 ふと気づけば、ポンポン、と妃花は頭を軽く押してきた。

 上を見上げると、水色の瞳は白い猫の姿を鮮明に反射している。

 結叶ではなく、本当ににゃぁにゃになってしまったのだと、常々理解させられるというものだ。


「ねえねえ、にゃぁにゃ」

「にゃぁ」

「ちょっと悩みなの」


 妃花の声は確かに重みがあり、悩みがあると理解出来る。

 水色の瞳は澄んだ空なのに、瞳の奥にあるのは、上も下も分からずに深く吸い込まれる光の差さない深海のようだ。


 悩みを吐き出してくれるのは結叶が猫だからなのかは不明だが、妃花の悩みを聞けるのであれば、心から寄り添うつもりでいる。

 結叶は大切な人を守って肉体から離れた時も、その志だけは失わなかったのだから。とはいえ、結叶としては離れてしまったので、元も子もないわけだが。


 ゆったりと撫でてくれる妃花の手は、どこか震えていた。

 どこか上の空を見ている妃花に、猫であるこちらの声は、言葉は伝わらないのだろう。


「にゃぁにゃに言っても、あの姿で戻ってこないのは知ってるよ。でもね、私ね、自分のせいで失っちゃった……あの人に……謝りたいの……」


 妃花の瞳の下には、薄っすらとだが水が溜まっていた。

 今にでも溢れそうなほどに振るえている声に、かける言葉が見当たらない。

 結叶自身、妃花が示しているあの人を一番よく理解しているからだろう。


「その人はね、私の幼馴染で……結叶、って言うの。普段は真面目で冷静で、ちょっとドジなのに、人目につかないかっこいいところがあったのに……だけど、私のせいで……結叶は……」


 心が締め付けられるような痛みを伝えてくる。

 結叶が守った大切な人は他でもない――妃花なのだ。

 その時に起きた事故は記憶があいまいで具体的には言えないが、結叶は妃花を庇った末に、この世から離れてしまった。


 猫になったのはきっと、妃花に言葉を伝えきれていない、そんな心残りがあったからだろう。

 幼馴染で本当はずっと隣に居てくれた妃花を、美少女だから住む世界が違うと思って離れていた、そんな自分を戒めるように。


『妃花のせいじゃないよ。あれは……あれは……』


 結叶は上手く言葉に出来なかった。

 こちらを見て、今にでも雫がこぼれ落ちてしまいそうな妃花を見て、励ましの言葉をかけるのは心苦しかったのだ。

 普段なら何気なく、元気づけられる言葉を猫だから、を理由で使えたのに今は言葉が出てこない。


 事故を覚えていないから、言葉が出てこないのだろうか。

 こんなにも間近で大切な人が、妃花が悲しんでいるのに、喉奥に詰まる熱い息に心が潰されそうだ。


「ふふ。にゃぁにゃはいつも励ましてくれるよ。分かってるよ」


 そう言って抱きしめてくる妃花だが、その腕は明らかに弱弱しかった。

 猫の力でも振りほどけてしまう、それほどまでに妃花は心に傷を負っている。


(……なにか、なにか猫でもできることは)


 結叶はどうにかして、妃花を元気づけたかった。

 確かに本能の一部は猫に支配されているが、猫でありながら人の知恵を持っているのだ。

 少しの勇気を見出せる、そんな手立てを、妃花に抱きしめられながらも部屋中を探してしまう。

 そんな中、机に転がっているあるものが目に入った。


『あれだ。お願い、気づいて、あれを使わせて』

「……にゃぁにゃ?」


 結叶は妃花の腕の中で、妃花を傷つけないように前足を目的地へ向けてバタバタさせた。


 言葉足らずかと思ったが、妃花は結叶が目指した机の上に体を乗せてくれた。

 猫の言葉では伝わらないと悩んでも、机の上になら表現できるものがある。


 結叶は手始めに、置いてあった白紙の紙を口で引っ張った。

 食べてしまうのかと思ったのか、こらっ、と言いたげな様子で妃花が口から紙を離してくる。


「にゃぁにゃ、紙は食べ物じゃないの、めっ、だよ」

『違う違う』


 どうにか首を振って、猫ながら必死に弁明をした。

 妃花から無事に許されたが、人でやったら完全にお叱りを受けていただろう。


 解放されてから、机に置いてあったもう一つの物、ボールペンをぺしぺしと前足で器用に叩いてみせる。

 叩いてから両前足で持つ仕草をしてみたが、バランスが悪くて結叶は上手く立っていられなかった。


「にゃん。にゃぁあ、にゃっ!」

「ボールペンを握りたいの?」

「にゃあ」


 妃花は先ほどまで暗い顔をしていたが、少し笑ったように見えた。


「猫になったのに……ヘンなのっ。いいよ」


 結叶は頑張って表現するのに精いっぱいだったのもあり、最初の言葉こそ上手く聞き取れなかったが、手伝ってくれる妃花に感謝した。


「ちょっと待ってね」


 妃花は近くにあったメイクケースを引き寄せ、あるものを取り出した。

 取り出されたのは青色のリボンテープで、妃花はこちらの前足を見てから、感覚で伸ばして切っている。


 ちょうどいい長さで切られたリボンテープを、結叶の前右足に妃花がボールペンと一緒にリボン結びで巻いてくれた。

 さりげなく負担なく歩けるようにしてくれるのは、妃花の優しさが垣間見えている証拠だろう。


 括ってくれたボールペンはむず痒く、頼んでおきながらもちょっと自由を奪われるようで嫌なのは内緒だ。


『ありがとう』

「にゃぁにゃのしたいようにしてもいいからね。私の悩みを聞いてくれたから」


 妃花は引きずっているようで、声に明るさが無いのは言われなくても理解出来る。

 猫ながら人の悩みを解決するために動くのは、強欲とでも言うのだろうか。否、張本人だからこそ、妃花の引きずる姿を見たくないエゴだ。


 結叶は不慣れながらも、妃花が固定して置いてくれた紙の上に乗りつつ、ボールペンを括った前足をおぼつかないながらも動かした。


(か、書きづらい……猫で書くの、人間の時のようには上手くいかない……)


 紙に頑張って書く人の言葉は、誰がどう見ても、初めて文字を書いたようにしか見えない。

 下手くそだけど、伝えたい言葉は伝えられるように、猫と人でも文字で繋がれると信じて、微笑みながら見守ってくる妃花を後ろにして結叶は書き綴る。


 人の言葉を書いて数分後、不慣れなよれよれ文字を紙に書くことができた。

 結叶はこの文字なら伝えられると信じて、妃花を左足でぺしぺしと叩いて見てもらえるようにアピールしておく。


「書けたの? にゃぁにゃはどんな落書きをしたのかな~?」

『落書きとは失礼な』


 妃花はさっきの事を忘れるように目を閉じていたのか、閉じられていた瞼は開き、潤んだ水色の瞳を輝かせた。

 水の膜が張られた瞳は紙に書かれた文字を視界に収めたのか、妃花は驚いたように口許を手で隠している。


 ほっそりとした綺麗な手は震えていて、その手には、少し大粒の水がぽたぽたと落ちては跳ねていた。


「下手くそ、下手くそすぎるよ……にゃぁにゃ……」


 最初の一言が罵倒なのか、それとも気持ちを隠しているのかは不明だ。

 妃花が息を吸うようにして涙声を出しているが、震えた声色なのに温かった。

 紙に書いた文字を妃花が読みやすいように、結叶は机の上から妃花の膝へと下りた。


「……『心のこりの心配をかけて、ごめんね。ぼくは、ゆいとは、大切なひめかを守れてよかったよ。だから、かなしい顔はしないで』って……なんで、なんで……私が悪いのに謝るの、ゆいとぉ……」

『……妃花が、大切だから』


 視界が止まるような、自分だけが早く動いているように見える世界だけど、妃花への気持ちは人の時から変わらないままでいる。

 小さい頃に約束した『僕が僕をやめても、妃花は絶対に守る』そんな忘れてしまいそうな、ひと時の思い出の約束を持って。


 妃花に贈るには、ちょっと不器用すぎる文字だったかも知れないけど、伝わったのならそれ以上を望む必要は無いだろう。

 結叶からすれば、妃花が前を向くキッカケになるのであれば悔いはないと思っている。


 手を伝って頭に落ちてくる水滴は、ちょっと塩辛いものだ。


『妃花、僕は猫になったけど、ずっと近くで守っているよ』


 猫での寿命がどれほど持つのか分からないが、猫の頬をそっと、妃花の服にすりすりと擦り付けた。

 泣いている妃花を受け止めるように。


「ひっく。……もう、猫になったくせに、生意気だよ。にゃぁにゃ、いい子なのに、悪い子、ズルい子」


 涙を拭いながら、少し跳ねたような言い方をする妃花は、小さくも笑ってくれていた。

 ずっと感じていたものは、妃花の自然の笑みを見ていたい、そんな小さくも大きなエゴだったのだろう。


 ふと気づけば、妃花はこちらの体を持ち上げて、ぎゅっと顔を埋めるようにして抱きしめてきた。

 涙とかで毛が濡れちゃうのかもしれないが、泣いている妃花を視界的に見えないのは結叶からすれば微笑ましいものだった。

 妃花が落ちつくまで「にゃあ、にゃっ」と小さく喉を鳴らしておいた。



 その夜、妃花に抱え上げられながら、窓辺から一緒に夜空を見ていた。

 少し青くも深い黒に染まる夜空で小さくも鮮明に輝く星々は、抱かれている結叶を見てくすくすと笑っているようで、むず痒さと恥ずかしさがあった。


『大好きな妃花と一緒になれて、守れてよかった』


 小さな口からは大きな気持ちが溢れ出ており、自然と発してしまった言葉を結叶自身も気にしていなかった。

 そんな声を理解したのは、妃花にちょっと強めにぎゅっとされてからだ。

 結叶が驚いて見上げてみると、妃花の白い頬は薄っすらと赤く染まっている。


「……にゃぁにゃ、私ね」

『うん』


 落ちつかない気持ちはあるけど、妃花の声を聞き逃さないように耳を傾ける。


「結叶が猫になって、私の元に来てくれたの……出会った時から知ってたよ」

『……え?』


 にゃっ、と驚いた声を上げずにはいられなかった。

 妃花は猫である結叶の声を人の言葉として認識していた時もあり、不自然では無いのだが、直接言われるのは少し疑問に感じるものだ。


 こちらの表現をなんとなく理解して、適当に相槌を打っていた可能性もあるのだから。

 妃花を疑いたいわけではないが、人と猫という別の生き物である以上、絶対的な確信を持てていたわけではない。


 それなのにマイペースながらもおっとりした声色でありながら、芯のある言葉遣いをしてくる妃花が嘘を言っているとは思えないのだ。

 幼馴染だからではない、猫として妃花と一緒に居た、その時間の全てが真実だと伝えてくれるから。


「むむっ、信じられない、って顔してるよ、にゃぁにゃ」

『じゃあ……妃花』

「うん、名前を呼んでくれてる、分かるよ……結叶」


 妃花は本当に、こちらの言葉を理解していたようだ。

 拾われたあの日から、妃花は言葉を理解していたのだろう。

 初めて妃花の前に猫として現れた時、結叶は思わず妃花の名前を口に出していたのだから。その時に妃花は声のした方、猫である結叶を見ては抱えあげて『結叶、今日からうちの子になろう』と不器用ながらも声をかけてくれたのだ。


 最初の言葉は不慣れな猫になった直後で聞き取れなかったが、今なら鮮明に思い出せる。


 結叶は物思いに更けながらも、吸い込まれるほどに溶けている水色の瞳を、今はただ見つめていた。


「でもね、気づいたの」

『何に?』

「音を聞き分けられるのはね、結叶とこうしてもう一度出会うためにあったんだ、って」


 そう言って満面の笑みを柔く咲かせる妃花が、映る視界の何よりも眩しかった。

 浮かぶ満月、輝く星々、その日常にあるどれよりも、妃花の笑みは愛おしいほどに輝いていたのだ。


「結叶、私を守ってくれて――ありがとう」

『また泣いてる。妃花、僕は僕であれて、妃花にまた会えてよかったよ』


 こちらの体を自身の方に向けて抱えてくれる妃花の頬に、薄っすらと赤い空に一つの星が流れ落ちていた。

 体を伸ばして、舌を出して結叶は涙を舐めていた。

 ちょっと甘辛いけど、自分の前で泣いてしまう妃花の涙を受け止められるのなら悔いはない。


 結叶は結叶だが、動くものに反応してしまう、そんな猫でもある。


「ねえねえ、にゃぁにゃ……いや、結叶。結叶は、私のこと好き? 私は――ずっと一緒に居たいほどに、大好きだよ」


 猫になってしまった結叶にとって、妃花がくれた言葉はとても大きすぎる程に重たいものだ。

 ゆっくりと揺れるしっぽは、気持ちを素直に表しているのだろうか。


『僕も……妃花が大好きだよ。僕の、大切な人だから』

「うん。私も……結叶……」


 にゃぁにゃ、と言わずに、結叶、と言ってくる妃花はズルいものだろう。

 妃花らしい言葉遣いに、結叶は心から息を呑み込んでいた。


 ふと気づけば、妃花は抱え上げながらも、ぎゅっと抱きしめてきた。

 確かな温もりはやってきて、結叶は妃花に抱きしめられているのだと、猫ながら実感を持てている。


 自然とこの短い腕は、妃花に伸びていた。

 妃花を抱きしめられるほど長くは無いけど、自分の元に手繰り寄せようとしている。


『……妃花、大好きだよ』

「結叶……にゃぁにゃ、おませさん、大好きな子」


 月明かりが差し込んだ時、光の粒は結叶の元ある輪郭をして、妃花を抱きしめてくれた気がした。

 ずっと一緒に居られる、そんな予感を感じさせて。

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