灰色の星
スラムの路地はいつも濡れていた。雨が降っても降らなくても、地面は泥と汗と涙でべとついていた。イラーナとアルフレドはそんな場所で生まれ、育った。幼い頃は、壊れた自転車のタイヤを転がして笑い合った。空き缶を並べて「店ごっこ」をした。でも、10歳を過ぎる頃には、そんな無垢な遊びは消えていた。スラムには夢を育てる土壌などなかった。
16歳になったイラーナは、鏡のない部屋で髪をとかし、口紅を塗った。色あせたスカートを履き、夜の街へ出る。客の冷たい視線も、汚れた手も、彼女の心を削る刃だった。でも、生きるためには金が必要だった。アルフレドは彼女を止めようとした。「俺がなんとかする」と拳を握ったが、彼もまた麻薬の売人として闇に足を踏み入れていた。スラムは二人に選択肢など与えなかった。
夜が深まると、二人は廃墟のビルの屋上で落ち合った。星は見えない。空はスラムの煙と埃で灰色に染まっていた。それでも、そこで過ごす時間だけが彼らの救いだった。アルフレドが小さな袋を取り出す。白い粉。イラーナが目を細める。「またこれか」「少しだけだ。楽になれる」二人は麻薬を分け合い、冷たいコンクリートに寝転んだ。体が軽くなり、心がふわっと浮かぶ。イラーナが笑う。「アルフレド、覚えてる? 昔、星を見ようって走り回ったこと」「ああ、でもここじゃ星なんて見えねえよ」彼の声は低く、苦い。
薬の効果が切れると、現実が牙を剥く。イラーナの腕には客の指の痕が残り、アルフレドの目は売人としての恐怖で曇っていた。それでも、彼らはお互いの手を離さなかった。イラーナが囁く。「アルフレド、もし別の世界に生まれたら、私たち、幸せだったかな」「だっただろうな。俺はお前をちゃんと守れたはずだ」彼の言葉は本気だった。イラーナの目から涙がこぼれる。「今だって、守ってくれてるよ。こうやって、そばにいてくれるから」
ある夜、アルフレドはいつもの屋上に現れなかった。イラーナは待った。1時間、2時間。心臓が締め付けられる。スラムの噂は早く、彼女の耳に届いた。アルフレドが取引先のギャングに襲われた。路地裏で血を流し、動かなくなった。イラーナは走った。息が切れ、足が震えても走った。辿り着いた場所で、アルフレドは冷たくなっていた。彼女は彼の体を抱きしめ、声を殺して泣いた。「約束したじゃない、そばにいるって…」
それからイラーナは変わった。娼婦を辞め、麻薬にも手を出さなくなった。スラムの外へ出る方法を探し始めた。アルフレドの死は彼女の心に火をつけた。「お前が守ってくれたように、生きてやる」彼女は彼の分まで生きると誓った。スラムの灰色の空の下で、イラーナの瞳には小さな光が宿っていた。それは、アルフレドが彼女に遺した、愛という名の星だった。