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六、笑うのは、悪魔

 朝日が登り始めていた。


 日本一高い山に、地平線から眩しいほどの光が降り注ぐ。

 クロとまことは、そんな光景を空から静かに見つめていた。


 悪魔として迎える新しい朝に、まことは目を細めた。


 感覚に大きな変化は、無かった。

 しかし、未だかつてないほど頭は冴え渡り、身体からは力が漲っていた。


「どうする」


 クロが制服姿のまことの腰を抱いたまま、問い掛けた。


 重力制御の能力はクロに残ったので、クロの力でふたりは空にいた。


「任せて」


 クロの問いに、まことは力強く応える。

 その表情には、もう諦めも憂いも全く見て取れない。


「クロが私に力をくれたから、思い出したの。前世の記憶も、全部思い出したよ」


 まことはなんとも言えない表情で、クロを見上げた。

 その顔を見つめ返せば、感動と興奮の入り交じる熱の籠もった目をしていた。


 時空を司る能力は、全てまことへと譲渡された。

 おそらく、それにより前世の記憶を手に入れることができたのだろうとクロは理解した。


「しかも、方法を知っただけじゃなくて、今は以前よりも大きな力がある」


 まことは自分の手のひらに視線を落とし、それをぎゅっと握り締める。

 再び上げた視線には、強い自信が現れていた。


「私は、ただ力を奪って持っていただけじゃない。ずっと黄泉で浄化していたの」


 千年もかかっちゃったけど、と言って笑うのも、余裕の現れだ。


「もうこの力は私の力。鬼になんて渡さないし、」


 そして、眼下の富士山へと顔を向けると、


「今度は封印なんてしない」


 まことは悪魔らしい魅惑的な微笑みを浮かべた。


 良い表情をするようになった、とクロは思った。

 こういうまことも悪くない。


 クロも笑みを浮かべると、そのこめかみに口付ける。

 まことはくすぐったそうにしながらも笑みを深めると、今度は自分からクロにキスをした。


 そして唇を離すと、至近距離で囁く。


「消滅させる」


 強い瞳で言い切ったまことは、そのまま上目遣いにクロを見つめ、甘く願いを口にした。


「手伝ってくれる?」

「もちろん」


 僅かに首を傾げてねだられれば、クロがにやりと笑った。




 富士山山頂、火口周辺。

 外周約ニキロ半の、足場の悪い岩の転がる荒れた地に、数十人にも及ぶ人が集まっていた。


「集中しろ!絶対に逃がすなよ!」


 その人々の中で強く激を飛ばして叫ぶのはまことの父、忠義(ただよし)だ。


 山の頂には場違いなスーツ姿は異様でしかないが、今はそれを不審に思うものは一人もいない。

 忠義は、富士山の火口に点在する陰陽課の職員を取り纏めて、指示を出していた。


 職員たちはそれに従い、それぞれ数珠やら錫杖やらを構えて一点に向けている。


 その先に在ったのは、黒い塊。

 影のように形ははっきりせずに、実に妖しく揺らめいていた。


 時折ぎょろっと赤い瞳を覗かせるそれは、まことを攫った鬼の分身体だ。

 職員たちは、汗を流し呼吸を乱しながら力を注ぎ続ける。

 ここで分身体を捕縛し、取り押さえていた。


 忠義は厳しい表情でその様子を見つめる。


 昨夜、その存在が明らかになってから、陰陽課はすぐに動いた。

 まことが攫われ本体の元へ運ばれた直後には、既にここへ辿り着き、対応を始めていた。


 今まで息を潜めていた分身体だったが、一度姿を現してしまえばもうおとなしくしているとは思えない。

 いつ暴れ出すかわからない奴から市街地を守るために、職員総出で捕縛に当たっていた。


 本音を言えば、忠義はすぐにでもまことの救出に向かいたかった。

 最愛の娘なのだから、それが当然の心理だった。


 しかし、鬼の本体の封印はまだいくらか持つという事。

 分身体が思いの外強力で危険であった事から、持ち場を離れる事ができなかった。


 よって、忠義は複雑な心境のまま、一晩中ここで指揮を執っていたのだった。


 しかし、実際に分身体と相対してみれば、本体でも無いのにここに留めておくだけで精一杯。

 力の差は歴然だった。


 むしろ、敢えて捕縛を破らないだけで、本当に抑えられているのかも怪しかった。

 時が経てば経つ程、遊ばれているような感覚は強くなり、絶望が増していく。


 本体が封印を破るまでの暇潰しのようなその態度に、焦りはどんどん募っていた。


 例年であれば山開きも済み登山客で賑わう此処には、今は陰陽課の職員しかいない。

 世間的には軽い噴火の恐れがあるという事になっていた。


 今年の山開きは見送りとなっている為、一般人はいなかった。

 最新のテクノロジーによって、映像も上書きされている。

 飛行機の飛行ルートも回避され、火口の状況は徹底的に隠蔽されていた。


 それも、市民の混乱と不安を防ぎ、安全を守る為。

 様々な機関と連携して事態に当たっていた。


 ここに居るのは、みんな対鬼特殊部隊。

 忠義や政道によって鍛えられ、教育を受けた精鋭だ。


 しかし、彼らは全力を発揮しても尚、手応えを一切感じなかった。


 なんなんだ、この力は。

 手も足も出ない。

 こんなもの、どうやって対処したらいい。


 職員たちの心も折れ始め、隙ができたものから分身体の反撃を喰らい倒れていった。


 黒い霧のようなものに呑まれ、発狂した者。

 鋭い爪に切り裂かれ、倒れた者。


 始めは百人近くいた職員も、たったの一晩でもう半分程しか立っていなかった。


 倒れた者の中には傷を負って引くことも叶わず呻く者や、ぴくりとも動かない者もいる。

 しかし、彼らを救助に行く事すら出来ずに、ただ分身体に全力を注ぎ続けるしかなかった。


 終わりの無い持久戦に、最早限界は近い。

 忠義は部下たちと娘の安否に激しく動揺しながらも、そこに立ち続けていた。


「政道、応援は出せるか?」

『いや、難しいな……』


 忠義が無線で政道に連絡を取るも、良い返事は返ってこない。

 政道の取り仕切る、本体の封印維持部隊の方も厳しく、とても応援は出せる状況ではなかった。


 富士山の頂き近くの隠された洞窟に、政道はいた。

 まことの囚われていた洞窟とは別の、火口により近い洞窟だ。


 そこには、千年前から鬼の本体が封印されていた。


 巫女の一族が施し、その子孫たる政道たちが代々守ってきた、封印。

 それの確認と補強に来ていた。


 政道は、今まで何度も眠る鬼の姿を目の当たりにしていた。

 鬼は、その見た目からして恐ろしく、禍々しく。

 一度見たら忘れる事など出来なかった。


 それが、今は。

 赤い水晶体に包まれたそれが、もぞもぞと動いている。


 政道はその様子を、鳥肌を立てながら凝視していた。


 鬼がもう、起きていた。


『本体の封印も、間もなく破られる……』

「……そうか」


 苦しげに報告する政道に、忠義は小さく応えた。

 そして、舌打ちをして分身体を睨みつけた。


 彼らにはもう、出来る事が無かった。




 空中から眼下の様子を確認したクロは、まことを抱き寄せるとその背に翼を生やした。


 翼はなくとも飛べたが、この方が速く動ける。

 二人は抱き合ったまま、空から富士山山頂に向かった。


 気配を消して上から事態を把握した。

 まことの捕らえられていた洞窟の時間は引き延ばしたままにしてあるので、鬼もまことがいなくなったことにはまだ気付いていないようだ。


 まことの立てた作戦に従って、ふたりは行動を開始した。


 ばさっと大きな羽ばたきをひとつして、すっと岩場に降りる。

 腕を解いてまことを自由にすると、まことは忠義に駆け寄った。


「お父さん!」

「まこと!?」


 がしっと力強く抱き合って、父と娘は再会を喜ぶ。


 忠義は興奮そのままにまことに声を掛けた。


「良かった、まこと……。無事で、良かった」

「うん」


 そのまま暫くお互いの無事を確かめ合い身体を離すと、忠義が口を開いた。


「自力で脱出したのか?」


 忠義は信じられない思いでまことを見た。

 何としてでも自分が救い出さなくてはならないと思っていた娘が、自ら目の前に現れるなど思いもしなかった。


「クロが、助けに来てくれたの」


 まことはそう言うと、振り返って微笑んだ。


 微笑みの先には漆黒の髪と瞳の青年。

 見た目はその翼を除けば人に近いが、気配が異常だった。


 忠義はすぐにそれが、政道の言っていた悪魔だとわかった。


 クロもまことへ微かに笑みを返すと、すぐに後ろを向いた。

 その背中から生やした翼を広げて飛び立つのを、忠義は呆然と見送った。


 話には聞いていても、信じられなかった。


 まことの危機に、神社の御神木が悪魔を召喚した。

 そして、まことを助けた後にまことと契約を結んだ、と。


 始めは冗談かと思った。

 しかし、政道がそんな冗談を言う筈が無い。

 忠義は半信半疑のまま、とりあえず話を聞いたのだった。


 その後も定期的に彼の報告は受けていたが、特段まことに害が生じることも無く、その存在は忠義の中で夢の様に薄れていった。


 しかし、今目の前でその姿を見れば、それが現実だと素直に受け入れざるを得なかった。

 彼自身を取り巻く異様な気配や存在感が、只者ではないと忠義の本能に警鐘を鳴らしていた。


「お父さん」


 呼びかけられて視線を向けると、まことが忠義を見上げていた。

 その目はどこか自身に溢れていて、一瞬別人かと思う程に強い光を宿している。


 忠義は、なぜかまことにも彼と同じ気配を感じ、焦りを覚えた。


「どうした、まこと」


 それを表に出さず、優しく問い返す。

 まことに悪魔と同じ気配を感じたなど、酷い気のせいだと、己に言い聞かせた。


「鬼の封印を解くよ」

「……え?」


 しかし、忠義はその希望に裏切られる事になる。

 一瞬娘の言った言葉が理解できなかった。

 一体、何を言っている。


 封印を、解く?

 解いて、どうする。


 そう言葉にしようとすると、


「そして、今度こそ倒すの」


 そう言い切り不敵に笑うまことを、忠義はただ見つめ返す事しかでかなかった。


 クロはまことの元を飛び立つとすぐに、分身体の相手をしに向かった。


 どん、というエネルギーのぶつかり合う衝撃が周りの空気を大きく震わせる。

 陰陽課の職員は、衝撃を受け止めきれずによろめいた。


 分身体の捕縛が解けてしまう、と慌てたのも束の間。

 そこへ目を向ければ、信じられない光景があった。


 背中から黒い翼を生やした男が、分身体の影を切り裂いていた。


 分身体はダメージを受けたらしく、初めてぎゃあああと悲鳴を上げる。

 それを見て、職員は助かったとばかりに退避し、怪我人の救助と治療に当たり出した。


 手早く倒れた者たちを引き摺り、離れる。

 そして呆然とその戦いを見つめる忠義の元へと、集まっていった。


 指揮官である忠義は、自分の仕事も忘れてクロと分身体を凝視していた。

 職員たちも救助を終えて視線を向ければ、同じ様に言葉を失った。


 右手をまるで剣のような形に変えて、斬りつける。

 左手は人の手と変わらない形だが、その手のままダイレクトに身体の一部を毟り取っていた。

 そしてその手が動く時は、あまりに早すぎてよく見えない程だった。


 クロは自分の劇的な変化に笑みを浮かべていた。


 出力が全然違う。

 パワーも強度もスピードも、桁違いに跳ね上がっていた。

 あの時、手も足も出なかった相手とはとても思えない。


 これまでの自分でも己の力に自信はあったが、こうして実際に体感すれば次元が違っていた。


 これが、まことの力か。

 マリーに悪魔級と称されていたが、それを遥かに凌ぐ質量に、クロは敬意すら抱いていた。


 これは悪魔なんてものでは無い。

 もっと、遥かに上の次元の力だと思った。


 進化する前までは、まるで水中で動いていたのではないかというくらい動きが悪かったと今では思える。


 今は、思考と同時に身体が動く。


 その身体の動きは、超高速。

 そして思考は、光速。


 反撃としてなんとか繰り出される爪の攻撃は、指先でぴんと弾き返した。

 そして腕ごとざっくりと切り落とし、そのまま吸収した。


 その圧倒的な攻撃力に、分身体はそれ以上の反撃も出来ずに暴れ狂う。

 時折飛び回るクロを叩き落とそうと黒い靄の塊が膨れ上がるが、それも為す術無く八つ裂きにされ、一瞬の内にクロの中へと吸い込まれていった。


「な、なんだ、あいつ!」

「……すげぇ」


 そんな呟きが漏れ聞こえ始めた頃、漸く忠義も頭が追いついてきた。


 あれが、政道が信じた悪魔か。

 胡散臭いが、確かに凄い。

 あれなら、奴をどうにかできるかもしれない。


 僅かに見え始めた希望の光に、忠義の口元に微かに笑みが浮かんでいた。


 と。 


「政道おじさん、聞こえる?」

『は?ま、まこと!? 』


 不意に聞こえた声に、忠義はまことを振り返った。

 今、確かに政道と会話をしていたようだが、まことは無線を持っていない筈では。


 そう思って見ていると、


「封印を解くから、そこから退避して」


 まるで独り言のように、普通に空に話しかけていた。


 政道の声は自分のイヤホンから聞こえてくるが、まことには聞こえない筈。

 これは、


『は!?な、なにを……』

「大丈夫。鬼は、私が倒す」


 それでもまことは普通に会話を交わし、政道にお願いね、というと歩き出した。


 まさか、言葉を思念で飛ばしたのかと思い至り、驚愕の表情でまことを見つめた。

 しかも今、政道になんと言った?


 鬼を、倒す。

 さっきも今も、そう言ったように聞こえたが。

 今、自分が倒すと言っていなかったか?


 いや、まさか。


 まことはゆっくりと火口の中心部へ向かって歩いていく。

 忠義は、引き留めることも忘れてその背中に釘付けになっていた。


 ふわっと、まことの制服が揺らぐ。

 そういえばどうして制服姿なんだと思っていると、揺らいだ服はそのまま形を変えて巫女装束へと変わっていった。


「……は?」


 何が起こっているのか分からない忠義は、最早思考を停止してまことを見送った。




 まことは火口の中央へと辿り着いた。

 そこで目を閉じて、手を合わせる。


 祈りを捧げるように傅くと、動きを止めた。

 しん、と静寂が辺りを包む。

 しかし、空気はびりびりと痺れる様に震えていた。


 言葉を発する事も、瞬きをすることさえ憚られるほどのプレッシャーに、その場にいたものは皆固唾をのんで見守っていた。


 暫くすると、地面から禍々しい赤い光が漏れ出した。

 その光はぎらぎらと脈動の様な明暗を繰り返し、辺りを不気味に照らす。

 まるで、不安を掻き立てるような色だった。


 まことの目の前の大地から、赤い透明な結晶が出現した。


 植物が芽を出すようにゆっくりと、少しずつ。

 初めに出てきたのは、まさに氷山の一角だった。


 それはどんどん質量を増し、次第に姿を現していく。

 最後には大樹ほどの大きな塊が姿を現していた。


 ルビーの様な透明な赤い結晶の中に、蠢く影。

 すっかり覚醒した鬼が、封印を破ろうともがいていた。


 鬼がまことを睨み付けながら手を伸ばしたが、それは結晶に阻まれて届かなかった。


 目の前にかつての自分の力があるのに、届かない。

 鬼は自ら閉じ籠もった結晶に封印を施されて、相当に苛立っていた。


「護法結界を」

「え、」


 不意に掛けられたまことの言葉に、職員たちが裏返った声を上げた。

 それに対し、涼し気な声ではっきりと指示を送る。


「自分たちの身を守って下さい」

「あ、はい!」


 まことの言葉に、おとな達が素直に従った。

 有無を言わさぬ言葉の強さに、誰も異を唱える事は無い。


 ただ一人、忠義だけが呆然と佇んでいた。


 一体、どういうことだ?

 まことは資質はあっても能力を使えなかった筈だ。

 それが、なんとも頼もしく指示を飛ばしている。


 しかも、政道と思念で会話をし、鬼を結晶ごと引きずり出した。


 これは、本当に自分の娘なのだろうか。

 忠義は身震いしながら愛娘を見つめていた。


「兄さん!」


 洞窟から撤退した政道らが合流した。

 まことはそれをちらっと見て確認すると、鬼の本体に向き直る。


 そして、一度、柏手を打った。


 ぴん、と。

 一本糸が張ったような感覚が辺りを駆け抜ける。


 そして、その糸がぷつりと切れると同時に。

 ぱりん、と、いとも容易く結晶は砕け散った。


「あっ!」


 忠義と政道が声を上げる。

 職員たちは、全力で結界を展開した。


 結晶から、そして結界から、

 鬼が解き放たれた。


 それは、赤黒い肉塊。

 その肉から直に、鬣のような髪や角、牙が生えていた。


 目は分身体と同じく赤くぎらぎらとした光を宿し、不安を煽る。

 そしてその身体からは、鼻が曲がりそうな程の異臭が漂っていた。


「クロ!」

「ここにいる」


 まことが呼びかけると、クロは分身体を喰らい尽くしてまことの横に降り立った。


「あ、あいつ、分身体を、」

「み、見た……喰いやがった」


 数人の職員が、腰を抜かしてその場へ座り込んだ。


 クロは面倒だったので、攻撃してある程度削ってから、文字通り口から分身体を吸い込み飲み込んだのだが。

 どうやらそれは、人間には刺激が強すぎたようだ。


 その様子を目撃したらしい職員が、身体をぶるぶる震わせながら口にした言葉に、忠義は冷や汗を流した。


 最早声を出すことも、何か考えることも、うまくできそうになかった。


「お願い」

「ああ」


 まことが言えば、クロは今度は本体に向かって突撃する。


 どん、と再び衝撃が飛んだ。

 職員たちと一緒に、忠義と政道も咄嗟に結界を張り、なんとか耐えた。


 さっきの比ではない衝撃だった。

 忠義が心配してまことに目をやるが、まことはなんて事無くそこに立っていた。


 髪を乱してもいない。

 微風に揺れる様に、ふわりと軽く舞っただけだった。


 ばちばちと激しい衝撃が立て続けに飛んできて、忠義たちはそれから身を守るのに必死だった。

 そちらに視線を移せば、手当たり次第に鬼本体へ攻撃を加える悪魔。

 どうやら今度も、攻撃で付けた傷からエネルギーを吸い取っているようだった。


 クロの攻撃は至極単純なものだった。


 やり方は分身体にしたのと同じ。

 鬼の腕を切り落とし、脚を毟り取り、腹には穴をあける。

 そしてそこから溢れ出たエネルギーを、根こそぎ手のひらから吸収していった。


 お前も喰らい尽くしてやる。

 クロはそんな想いのまま、鬼に対していた。


 これは、タンクが莫大になったからこそできる荒業だ。

 鬼本体の力は美味くもなんともないが、エネルギー量だけは物凄い。

 失って即座に再生していく鬼の腕や脚を、千切っては投げを繰り返しながら喰らっていった。


 しかし、鬼の方も唯ではやられない。

 さすがに分身体とは訳が違った。


 再生速度が尋常でなく早い。

 そしてパワーも、比較にならない程強かった。


 ずどん、と飛んできた一撃を腕で受け止めれば、クロの腕は一瞬であらぬ方向へとひしゃげていた。

 すぐさま治癒を施し再生するも、クロにもダメージは確実にあった。


 しかも、鬼本体のエネルギーはいつまで経っても底が見えない。

 奪っても奪っても、減っている気がしなかった。


 クロは、まことの力を借りずとも倒せるのではと、少しでも思った自分を恥じた。


 これは、きりがない。

 当初の予定通り術に必要な力を吸ったら、後はまことに任せよう。

 クロはそれを決めて、鬼に改めて対峙した。


 鬼の力は、とてつもなかった。


 クロは重い攻撃を受けながら、自分も鋭い攻撃を繰り出す。

 人外のもの同士の激しい戦いは、いつしか消耗戦となっていた。


 鬼が不揃いな牙を開いて、口にエネルギーを集める。

 そこから放出された凶悪な一撃を、紙一重でかわした。

 掠った部分の翼は溶けていた。


 これが、鬼か。

 クロはその認識を改めた。


 これは強敵だ。


 前世のまことは、この鬼を相手にたったひとりで立ち向かったのか。

 そう想いを馳せれば、胸が苦しくなった。


 ひとりで立ち向かい、ひとりで力を奪い取って、ひとりで千年かけてそれを浄化した。

 クロはまことへの愛しさを募らせながら、自分も鬼の力を奪っていった。


 だけど、今度はひとりではない。

 自分が傍にいるのだ。


 ふたりで、お前を倒す。


 クロは改めて強く想うと、右手の剣にまことの力を上乗せする。

 剣は白い光を纏って、淡く輝き出した。


 そして、それと同時に。

 まことは滅鬼の術式を展開していく。


 クロが鬼の力を大分吸い取ったところで、手を大きく振り空へ指で何かを描くように動き出した。


 鈴の音が、聞こえる気がする。


 それはまるで、舞を舞っているかのようなしなやかで軽やかな動きで。

 忠義も、政道も、職員たちも見入っていた。


 まことの指先から清浄な風が流れていく。

 クロの剣にも纏わせたそれは、富士山の頂を一巡りすると、裾野へ向けて広がっていった。


 霊峰の地脈が清められていく。

 清浄なる大地は、それだけで結界となった。


 それによって、鬼は苦しみ出した。


 鬼の再生能力が明らかに落ちていた。

 絶えず世に満ち溢れる悪意を吸収して肥大した鬼の力だったが、その外部と断絶すればもう補給は叶わない。

 しかも、この一帯を浄化した事により、鬼にとってはまるで毒でも盛られたような苦しみに見舞われているようだった。


 クロは絶え間なく攻撃を続ける。

 その奪い取った力を、まことが随時利用していた。


 まことの立てた作戦とは、鬼を鬼自身のエネルギーにより滅ぼすというものだった。

 それは、魂の繋がったふたりだからこそできる、富士山全体を使った大技。

 ふたりにしかできない必殺技だった。


 忠義たちはその様子を、ただ見守り続けていた。


 ぎゃあああと、鬼が咆哮を上げる。

 耳を劈く不快なそれに、職員たちは耳を覆った。


 鬼から溢れ出す血のような黒いものが、どんどんクロに吸い込まれていく。


「す、すごい……」


 政道は目の当たりにしたクロの力に、ぽろりと呟きをこぼした。

 その表情には、いつしか笑みが浮かんでいた。


 かなりの量の纏まった力を奪い取ったところで、クロがまことに目配せした。


「うん」


 まことは頷き、クロは鬼から距離を取る。

 まことは小声でマントラを唱えながら、空中に指で何やら形を力強く描いていった。


 美しい。

 と、場違いな感想が至るところで湧き上がる。


 まことは天女のように軽やかに舞っていた。

 人々が魅了されたように見つめる中、いつしか空には富士山一体を覆い尽くす程の光の模様が浮かび上がっていた。


 その模様はゆっくりと回転し、少しずつ光を強くしていく。

 そして、眩しい程の光になると中心の一点へと集束していった。


 それは、富士山の火口の中心部。

 鬼の真上へと集まっていく。


 そしてついに、極限まで圧縮された白い閃光が、直下に向かって解き放たれた。


 鬼はなす術なくそれを受ける。 

 断末魔の叫びを轟かせて、身体が崩壊していった。


 燃え尽きた灰が風に舞うように、光に溶けて消えていく。

 そして、鬼は跡形もなく、消滅した。


 この世界の驚異は、二人の悪魔によって打ち消されたのだった。






 数日後。


 まことは自分の願いを叶えて、学校にいた。

 その傍には黒須として、もちろんクロも。


 この世界の存続の危機が迫っていたなど知る由もないクラスメイトたちは、いつも通りに過ごしている。

 騒がしく賑やかなその雰囲気に、まとこは頬が自然と緩んだ。


 富士山は入山規制も解除され、無事に山開きを迎えた。

 忠義と政道は以前以上に急がしそうにしているが、その表情は晴れやかで、どこか楽しそうに事後処理に追われていた。


 千年間この国の杞憂だった案件が片付いて、関連部署はてんてこ舞いらしい。

 しかし、そんなものは嬉しい悲鳴以外の何ものでもなかった。


 まことは以前と変わらず神社に住み、こうして希望通り高校へと通っていた。


 あれから、まことの周りは少しずつ変化していった。


 悪魔となった事によって、運気のバランスが整った。

 その為、何か行動を起こしても悪い方へと傾く事はなくなった。


 更に、クロから能力を分け与えて貰い、制御して使う事もできるようになった。

 今ではクロと同様に、自在に異能力を扱えた。


 その為か、まことの周りには人が近付くようになっていた。

 そして時には、ちょっとした会話を交わすことも増えていた。


「あのさ」


 本日一つ目の授業が終わってすぐ、まことの前の席にやってくると腰を下ろしたのは、村上だった。


 あの時誘いを断ってしまったものの、懲りることなく度々まことに話し掛けていた村上。


 まことの方も喜びを感じこそすれ、根に持つ事なく普通に接していた為、ふたりの関係は次第に良いものへと変化を始めていた。


「なに?」


 まことは喜びをそのまま表情に乗せて、首を傾げた。

 クロに願った以上の結果に、嬉しくて仕方がなかった。


 その顔を見て、村上の方が少し照れてしまう。

 ぽりぽりと頬をかきながらも、気を取り直して気になっていた事を切り出した。


「結城さんて、黒須くんの彼女なの?」

「えっ」


 不意に投げかけられた質問に、まことは大げさな反応を返す。

 椅子が、小さくかたんと鳴った。


 村上はその反応に驚きながら、赤く染まっていくまことの顔を見つめる。


「えっと、彼女じゃなくて……」


 しどろもどろに応えるまことに、可愛いなと思いながら村上は首を傾げた。


 てっきりふたりはできてるものだと思っていた。

 えっ、違うの?と思いぽかんとしてしまう。


 多分、岡崎や小室もそう思ってる様だし、絶対そうなのだと確信していたくらいなのに。


 でも、まことのこの反応は、好意は確かにあるみたいだ。

 どれ、ちょっと問い詰めてみよう。


 村上は楽しくなって口を開きかけた。


「そうなの?」


 しかし、村上が何か言う前に問い返したのは、まことが話したことの無かったクラスメイトの女子だった。


 その顔を見れば、なんとも嬉しそうな顔をしている。

 どうやら黒須のことが好きなようだと、まことも村上も一瞬で理解した。


 村上がまことに目を向けると、まことは酷く申し訳なさそうな顔をしていた。

 それはそうかと思いつつ、なんて答えるのか興味が湧いて、黙って反応を待っていると。


「私はクロの、」


 何か言いかけたまことの肩を、誰かがふわりと後ろから抱き締めた。


 村上がえっ、と思う間もなく。

 優しく包み込むように腕の中に囚われて、自然とまことの頬が緩んでいく。


 そしてふわっと、花のように微笑んだ。


 それを目の当たりにして、村上も、その女子も言葉を飲み込んだ。

 周りが一瞬ざわついて、しんと静かになる。


 いつの間にか、みんなの興味をひいていたらしい。

 クラス中の視線が集まっていた。


 当の本人たちだけが、なんとも甘い空気をばら撒いて微笑み合っていて、何だか村上は馬鹿らしくなった。


 クロは黒須の姿のまま、クロ特有の漆黒の瞳を女子に向けた。

 その腕は深くまことを抱き締めたまま、離れる気配は微塵もない。


 そして、


「俺の嫁」


 悪魔らしい妖艶な笑みを浮かべて、クロが耳元で囁いた。

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