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五、決めたのは、悪魔

後半に多少刺激的なシーンがあります。

原作より8割削りましたが、苦手な方はご注意ください。

 千年前。

 この国に鬼が生まれた。




 鬼は、悪災を振りまき、天災を起こし、あらゆる厄災を呼び寄せた。


 人々は飢餓に苦しみ、疫病が蔓延し、食料や薬を奪い合い、争いが至るところで起きた。


 子を売る親。

 妻を手に掛ける夫。

 主を謀ろうとする家臣。

 そんな者が現れると、皆疑心暗鬼に陥り心も病んでいった。


 そんな時、一人の巫女が現れた。


 彼女は、悪災の全てをその身を器として引き受けて、この国を救った。

 鬼の邪悪な力を奪い取り、その魂の内に閉じ込めたのだ。


 力を失った鬼は瞬く間に弱体化し、巫女の一族らによって呆気なく倒された。


 しかし、その余りにも強大な力に、彼女の人間の身体は保たなかった。

 巫女はその大きな魂を器として、悪災の全てを持って逝き、転生するとこなく黄泉で眠りについたのだった。


 巫女亡き後、国は落ち着きを取り戻した。


 人々は徐々に立ち直り、再び平穏な日々を迎えた。




 倒された鬼は、しかし、完全に消失していなかった。


 巫女の一族が止めを刺そうとした瞬間、人知れず逃亡を許してしまっていた。

 それに気づいた一族は、鬼を追った。


 しかし再び見つけた時には、鬼は既に強固な守りの中で眠っていた。


 紅い結晶の中で微動だにせずに眠る、鬼。

 大木程の大きさのそれを一族は破壊しようとしたが、どんなに手を尽くしてもそれは叶わなかった。


 その為、鬼を倒せなかった巫女の一族は、その結晶ごと封印する事にした。


 この国で最も神聖な、聖域と呼ばれる場所。

 霊峰、富士山の火口に。




 力の弱体化した鬼ならば、千年に渡り封印し続けることができていた。


 しかし、繰り返される戦争、テロ、凶悪事件など、世界に悪が尽きることはなく。

 鬼は眠りながら、密かに力を集めいた。


 近年になりそれが判明すると、国を挙げて秘密裏に対策が練られた。

 しかし、何の案も齎されないまま、時間だけが過ぎていった。


 更に間の悪いことに、鬼の力を抱えて黄泉で眠っていた筈の巫女が転生してしまった。

 悪しきエネルギーを抱き続けた魂はすり減り、とうとう黄泉を離れ輪廻の流れに乗ってしまったのだ。


 巫女は鬼の力を持ったまま、現世へと舞戻る。


 そして、巫女の一族に新たな命が誕生した。




 まことや政道は、巫女の一族の家系だった。

 そして、まこと自身が巫女の生まれ変わりだった。


 まことの母は直系の巫女の末裔で、妊娠と同時に事態に気付いた彼女は、同じく巫女の血を引く祖母と共に霊峰恐山へと身を隠した。

 鬼の封印された富士山から離れ、今尚霊場として力の在る地へと移ったのだ。


 まことの父や叔父の政道は、活発化してきた鬼の研究と制御の為、其々活動していた。

 政道は神職の傍ら、鬼を抑える為の能力者の育成管理を。

 父は防衛省の職員として、鬼の封印管理をしていた。


 それぞれが役割を持って、産まれてくる娘を守ろうと動いていた。


 そして、封印の巫女の一族の娘として、まことは産声を上げた。


 その身に、大いなる力を抱いたまま。




 転生したまことは、巫女としての能力を失っていた。

 消耗しながら大きな力を抱き続けた為に、巫女の記憶も身につけた能力も全て使い切ってしまっていたのだ。


 巫女としての力を取り戻すことを期待して、荒行を試したりもしたが、まことに負荷がかかると同行した者が不慮の事故や天災に見舞われることが多く、一族はそれを渋々諦めた。

 これは恐らく、まことの内にある鬼の力が、まこととまことの周りの運気を乱している為だと考えられた。


 それでも、器として壊れることがなかったのは僥倖。

 まことの抱える力は、まこと自身を蝕むことはなく、まことと共にあり続けたのだった。


 結果的に、一族はまことを鬼から隠し通す事にした。

 恐山の山奥で、まことは母や祖母たちと静かに暮らした。


 そこでの暮らしは多少の不自由はあったものの、まことにとっては幸せに満ちたものだった。


 しかし、まことが中学の卒業を控えた時。

 遂に鬼に見つかってしまった。


 鬼は密かに力を溜め、奪われた力を取り戻す為に分身体を放っていたのだ。


 分身体は自らの力の居所を探し回り、遂に恐山に辿り着く。

 母と祖母は如何にもまことをそこに匿っているかのように見せる為恐山に残り、鬼の目を欺け続けていた。


 そして巫女の一族はまことを隠し守るために、鬼の意識から遠く離れた地に娘を一人送り出した。

 守りの結界の生きるかつての江戸、東京の地に。


 江戸の町を数百年守った結界。

 更に東京となってから首都を守るべく施された結界。

 今も機能するこれらふたつの結界によって、まことは大災から守られていた。


 しかし、またしても見つかってしまった。

 事情を知らないクロにより、結界を出てしまったのだ。


 そして、まとこは奪われた。


 分身体に連れ去られたまことは、おそらくもう本体の元にいる。


 約千年前に封印された鬼が目覚めようとしていた。




「じゃあ、俺がここから連れ出したから」


 自宅の居間で政道から詳しい話を聞いたクロは、愕然とした表情で呟いた。


「そうだ」

「……くそっ」


 政道の容赦の無い肯定に、悔しさがこみ上げる。


 政道はそんなクロを見て、自らも罪悪感に苛まれた。


「でもそれだけじゃない。私の責任でもある」


 少し俯いて、政道は苦々しく口にする。


「結婚式で舞を舞った。あれでここにいる事が鬼にばれたんだ」


 そう。

 それが、最初の失敗だった。


「せっかく隠していた力の片鱗が、漏れ出てしまった。結界の中ならば問題ないと踏んだが、まこと自身の能力がまさかそこまでのものとは、思わなかった」


 まことには巫女としての力の使い方を知る術がなかったが、その潜在能力はかなりのものだった。

 舞を舞っただけで加護を授けた事といい、それは確かで。

 奇しくもそれが災いした。


「まことの舞による効果は、結界の外にまで作用していた。以前はここまででは無かったんだが……」


 まことの祖母も、上京する前までのまことの様子から舞を舞う程度なら大丈夫だろうと判断した。

 しかし、それが間違いだった。


 クロと出会って契約し、様々な感情を知り、人間として成長していたまことは、自らも無意識の内に多少の運気のコントロールを身につけていた。


 その為、最悪の事態ばかり引き寄せていた頃と比べて、幸運とも呼べる傾向が現れていたのだが。

 それは細やかなものであった為、政道らには気付くことができなかった。


 小室や岡崎と友人になったり、村上と和解したり。

 それは、確かにまことが自分の力で引き寄せた結果だったのだ。


「それでもまだ、鬼はまことに手が出せなかった。結界が強力すぎて、分身体は入る事ができなかったからだ。鬼は、自分が手を出せる状況になるのを虎視眈々と待っていたんだ」


 クロは政道の話を聞いて、色々と腑に落ちた。


 まことは、買い物に出掛けることはなかった。

 食材なども常にネットスーパーを利用していたし、他の買い物も全て通販だった。


 クラスメイトの誘いにも、一度も乗る事はなかった。

 あんなに行きたそうにしていた村上の誘いも含め、全て断っていた。


 それは総て、たったひとつの理由から。


 一番強く結界の機能しているこの小さな場所から、出られなかったのだ。


「こうなったそもそもの原因は、私だ」


 政道は、考えに耽るクロに小さな声で言った。


「私が君を、信用していなかった。だから鬼の事を話さなかった」


 声は小さくとも、それはしっかりクロへと向けられていた。


 悔しそうな表情を隠すこともなく、神主が悪魔に懺悔する。


「すまなかった」


 頭を下げる政道に、クロは首を振った。


「謝る必要はない。当然の判断だ」


 それは本当にそう思っていると言うことがわかる、簡単な返答だった。


 政道が顔を上げてクロを見ると、クロは逆に何故謝るのか解らないといった表情さえ浮かべていた。


 鬼からまことを守る上で、悪魔など信用できる筈がない。

 クロからしても、鬼も悪魔もその性質に大きな差は無いように思えた。


 残酷で自己中心的。

 最も欲望に忠実な、危険な存在。


 もしかすると、鬼を出し抜いて悪魔である自分がまことを奪う事だって考えた筈だ。


 それでも、クロを自宅に置き、まことと共にいることを許していた。

 しかも今、全てを打ち明けた。


 クロはその事実だけで、政道を信用していた。


 まことがクロに話さなかったのは、クロを巻き込まないと決めた為。

 政道がクロに話したのは、クロを巻き込むと決めた為。


 まことを奪われて初めて、クロと政道はお互いの想いの深さを正しく認識した。


 この者は、まことを救う為なら全力を注ぐ。

 どんなことをしてでも、取り返そうと動く。


 二人は今、同士となっていた。


「幸いにも鬼はまだ、まことの力を取り戻し受け入れるまでの器に育っていない」


 政道が見解をクロに話す。

 もう隠し事はしない。


「きっとまことの力を飲み込めるほどに成長するまで、まことは囚われている。つまり、今のところ無事だと思われる」


 クロはその言葉に頷いた。


 まことの無事はクロにもわかっていた。

 契約者なのだから当然といえる。


 まことはクロとの契約をただの口約束と思ったようだが、実際は違う。

 悪魔にとって契約とは縛るもの。

 明らかな変化などなくとも、確実に契約によって結ばれるものがあるのだった。


 クロはどんなに離れてもまことの存在がわかる。

 まことの方も強くクロを呼べば、クロを呼び出すことができるのだが、別れ際の言葉を振り返ればきっと助けを呼ぶ気はないだろうとクロは確信していた。


 まことの父は、防衛省を動かした。

 政道によると、裏組織として陰陽課なるものがあるそうだ。


 あまりにも大いなる災である鬼の存在は、国の重要機密。

 防衛省陰陽課が頭となり、各地の霊峰、霊場を管理する寺社が宗教を超えたネットワークで繋がっていて、まことの父はそこのトップだった。


 巫女の一族として、遙か古来よりこの国を守ってきた者たちは、今では国家組織の一部にまで浸透している。

 それでも、国を挙げた汎ゆる技術を以てしても、未だ鬼を滅ぼすことは不可能だった。


 精神体である鬼は、戦争に使われるような兵器は効かない。

 あらゆる技術開発や研究を重ねても、なんの打開策も見つかっていなかった。


 過去、至高の巫女だった前世のまことが唯一、鬼を弱体化させる事に成功したが、転生した今のまことにはその能力も知識も残っていないとなれば、まさに打つ手無しだった。


 政道が兄から受けた報告では、今陰陽課では分身体をその場に留めておくだけで精一杯らしい。


 場所は鬼の本体の眠る富士山。

 富士の頂き付近で分身体を捕縛し本体と同じく再度封印しようとしているが、難しそうだという。

 まことはおそらくそのすぐ側、鬼の本体から近い青木ヶ原樹海のどこかに囚われているという事だった。


 クロが、まことのピアスを通してサクラにより正確な位置を確認し、それは確信に変わった。

 政道に位置情報を伝えると、素直に礼が返ってきた。


 まことの無事も確認できたが、時間はそんなには残されていない。

 すぐにでも、助け出す為に何か手を打たなければならないだろう。


 クロが動き方を考えていると、実は、と政道が躊躇いがちに話し出した。


「まことを殺してしまえという声もあった」


 それを聞いた瞬間、クロからざわっと殺気が溢れ出す。


 政道は、冷や汗を流しながらもクロに事実のみを伝えた。


「もちろん、私や兄、他の大多数の反対によってそれは却下された」


 それをすれば、転生する前から黄泉で眠れないほど弱まっているまことの魂が、今度こそ壊れてしまう可能性がある。

 その為、再び黄泉へと送り戻すことは危険過ぎた。


 まことの魂は、弱っている。

 もしかするとまことは、今度死ねばもう生まれ変わることもなく、消滅してしまうのかもしれないのだった。


 そうれすばまことの抱える力は開放され、鬼が力を手に入れてしまう。

 だから、それは出来ないと説明し、皆表面上は納得した。


「酷い話だ。我々身内にとって、まことはただの器ではない」


 それでも、淡々とそう結論づけた事で、まことの命は守られていた。


「だがこうなると、とち狂った強行派が出てくるかもしれない。覚えておいてくれ」

「……わかった」


 一部の人間まで敵に回るかもしれないという事に、クロは愕然とした。

 これは尚の事、一刻も早く助けに行かなければならないと、改めて思った。


 あいつは強すぎる。

 弱体化しているとは、ましてや分身体だとは信じられなかった。


 今の自分では、手も足も出なかった。


 悪魔として長く生き、様々な能力は得ている。

 しかし、あの鬼に有効となるような破壊力はない。


 そもそもの力の大きさに、差がありすぎた。


 クロの悔しそうな様子に、政道は自分は間違っていなかったと再確認した。

 この悪魔は純粋にまことを取り戻したいと思っているのがわかる。


 なにより、初めからサクラが信頼していた。

 この神社を五百年以上見守ってきた、御神木が。


 政道はクロならばまことを救えると、クロでなければ救えないと確信した。


 暫く考え込んだ後、クロが口を開いた。


「自分の世界に一度帰る」


 顔を上げてきっぱり言い切るあたり、何考えがあるようだと政道は悟った。


 この世界の方法では、もう八方塞がり。

 千年進展がない上に、最早一刻の猶予も残されていない。


 政道もそれが最善だと納得した。


「帰れるのか?」


 当然浮かんだ疑問を口にすれば、クロはあっさりと肯定する。


「問題無い。あっちには眷属を残してきているから、誤差なく飛べる」


 政道はそれに心強さを覚えて、そうか、と穏やかに返した。


「こちらに戻る時も、サクラがいるから大丈夫だ」

「わかった」


 クロが帰りの保証もすると、政道は深く頷いて席を立った。


 要職に就く政道も、やらなくてはならない事がたくさんある。

 クロの方向性が決まれば、自分もすぐに出来ることに取り掛からなければならなかった。


 クロは、古き友人に会いに行くことにした。

 悪魔以上の知識と知恵を持ち、魔女と呼ばれる人間の元へと。

 彼女ならば、きっと何か打開策を示してくれるのではと考えていた。


 魔女は人間ではあったが、クロにそこまで思わせる程の人物だった。


 小さからぬ期待を胸に、居間に面した大きな掃き出し窓から外へ出た。


 クロは、サクラと政道にまことを託し、深夜の境内に立つ。

 術式を展開し、世界を渡る為のゲートを構築していった。


 クロが手を翳した先の空間に、白い光が現れた。

 それは次第に大きくなり、プラズマを発生させながらうねり出す。


 世界の理が若干違うため少し手こずったが、それもすぐに解消し完成度を上げていった。


 ゲートが完成するとクロは手を降ろし、ばちばちと音を立てる渦へと躊躇いなく入っていった。

 そして、白い光の渦にあっと言う間に吸い込まれてしまうと、クロはその光と共に消えた。


 境内にはなんの余韻も残さずに、日常の夜が戻ってきた。

 再び静寂に包まれたそこには、まことを想うサクラだけが静かに佇んでいた。




 突如として、空間にいくつもの光の図形が浮かび上がる。

 円形の複雑な文様が垂直に連なるそれは、高度な時空間転移の魔術だった。


 森の中の棲み家で魔術薬の調合をしていた男は、突然の術式の出現にあまりに驚いて、出来たての薬を落としそうになった。

 しかし、すぐにその意味に気づくと、瓶に入った薬たちを端に片し、慌てて衣服を整えて恭しく跪く。


 ぎりぎり体裁が整った所で文様の中から主が姿を現し、内心でほっと安堵の溜め息を吐いた。


「クロ様」


 呼ばれたクロは、その男に視線を向けた。


「ディヴェロッサ、久しいな」


 ディヴェロッサと呼ばれた男は数十年ぶりに会う主に興奮と畏怖を隠しきれぬまま、深く頭を下げる。

 それに対してクロが楽にしろと言えば、ゆっくりと立ち上がった。


 ディヴェロッサは、体つきは人間のように見えるが、顔は些か獅子のような様相をしていた。


 髪はライオンの鬣の様に顔の周りを覆い尽くし、その色は燃える様な赤い色。

 その頭からはバッファローのものによく似た見事な角が二本生えていて、見るからに屈強そうな印象を受けた。


「クロ様、本日は如何致しました?」


 ディヴェロッサは終始恐縮しきった様子でクロに問いかけた。

 一見すると、彼の方が悪魔らしい恐ろしい見た目をしてはいたが、その位はクロの方が遥かに高く、ディヴェロッサは心の中で慌てふためいていた。


「魔女に会いに行く。ここから飛ぶのが一番近い」


 クロはそう答えるが早いか、転移の魔術を展開した。

 そして、


「邪魔したな」


 そう言うと、あっさりと姿を消した。


「え、あ、はあ。行ってらっしゃいませ」


 ディヴェロッサの声は届く事なく、クロは呆気なく去ってしまった。

 ディヴェロッサは呆然と、クロのいた場所を見つめる。


 眷属となってもう数百年。

 クロに会ったのは数える程だった。


 今回も、時間にして僅か数秒。

 だが、立て続けに大魔術を発動する様子を間近で見れた。


 ディヴェロッサは興奮冷めやらぬ様子で、今しがたのクロを思い出していた。


 最初現れたときのあれは、異空間からの転移だったような。

 最近は特にクロの気配を遠く感じていた為、眷属同士で何かあったのかと話したりもしたが。

 まさか、異世界に行っていたとは。


 主の現実離れした行動に、ディヴェロッサは脂汗が止まらなかった。


 あの御方は、一体どれだけの力を秘めているのだろうか。

 それを想像すれば、震えさえも上がってきた。


 クロはこの世界に於いて、最上位とも言うべき悪魔だった。

 いつもふらふらと気ままに過ごしているが、その力の片鱗を目の当たりにすればたちまち魅せられる。


 なんと美しい魔術だった事か。

 いつか自分もあんな風になりたいと思うのは、おこがましいか。


 ディヴェロッサはのそりと動き出すと、とりあえず薬の調合を再開した。

 こういった地味な作業が、心を鎮めるにはもってこいだった。




 ディヴェロッサの棲み家から転移魔術を使い、クロは霧の立ち込める岩場にいた。


 肌にまとわりつくその霧は魔力を帯びていて、何らかの魔術が施されているのがわかる。

 しかしクロは、気にすることなく霧の奥へと進んでいった。


 霧は次第に濃くなり、雲の中を歩くような感覚に陥るが、不快なものではない。

 自らの身体も見えないほどの白を抜けると、途端に視界が開けた。


 そこには見事な青空と鮮やかな草原が広がり、羊や馬などの動物が穏やかに草を喰んでいる。

 クロは動物たちの脇を通り過ぎ、遠くに見える小さな家へと歩いていった。


 側まで来ると、外壁に付いた水車が水をかき混ぜながらゆっくりと回っているのが見えた。

 その側にも、鶉やうさぎなどの小さな動物たちが放し飼いにされている。


 クロは、来訪者に驚くこともなく毛繕いをするうさぎを跨いで、玄関ドアをノックした。


「はーい?」


 間延びした声を受けて、クロはドアを開ける。

 そして、その友人の名を呼んだ。


「マリー」

「あら!」


 マリーと呼ばれた少女は驚いた顔をして、読んでいた本を投げ捨てるとクロの元へと駆け寄る。

 白衣の下に着た、空色のワンピースの裾がふわりと揺れた。


「ずいぶんお久しぶりね、クロ」


 そして目の前まで来ると、そう声をかけ微笑みかけた。


 その姿は見るからに子ども。

 どう見ても、子どもでしかなかった。


「知恵を貸してもらいたい」


 しかしクロは、少女を真っ直ぐ見つめて助けを乞う。


 マリーは一瞬きょとんとしてから、


「経緯を聞かせて」


 にっこりと笑った。


 マリーは人間だ。

 しかしただの人間ではない。

 魔具を使って魔術を操る、魔術師だった。


 魔術師は人間の中でもそんなに多くはおらず、その才能があれば選ばれし者であると言われていた。


 更に、極稀に素材の中に潜む魔力を感じ、加工して魔具を生み出す人間もいた。

 マリーは、魔力を持つ素材を加工し魔具を作る、魔具作りでもあった。


 魔術師としての大きな才能と併せて、魔具を作る才能も持ち合わせた者となると、滅多に出会うことはない。

 マリーはそんな類稀な能力を持った、魔女と呼ばれる魔術師だった。


 そして、マリーは正に天才だった。

 その頭脳を以って、不老不死の研究をずっと続けていた。


 その為、時空間能力を持つクロとも接点があった。


 クロに真っ向から勝負を挑み、その目玉をくれと言ってきたのは、果たしてどれだけ昔の事だったか。

 激しい魔術の応酬の末に、高位の悪魔であるクロと引き分けた人間は、後にも先にもマリーだけだった。

 まあ、当然手加減はしてやったのだが。


 クロは確かに時間操作系の魔術を使えたが、出来ても数秒前後に飛ぶ程度。

 戦いのさなかにそれが解ると、マリーは呆気なく引き下がった。

 そして、クロの目玉を欲しがった理由を説明したのだが、その話に興味を持って食い付いたのはクロの方だった。


 不老不死の研究をしている。

 その為に時間操作の効果のありそうな魔素材を集めている、と。


 人間の癖に、なんとも面白い事をしようとしている。

 しかも完璧では無いものの、不老の魔具は既に自力で生み出し、マリーは見た目とはかけ離れた実年齢だった。


 目玉はやらないが、話をする内にいつしか二人は友人と呼べる関係になっていた。


 マリーは話せば話すほど面白い物の考え方をしていた。

 頭の中はどうなっているのかと、一度割ってじっくり中を覗いてみたい気もする。


 マリーもマリーで未だに目玉に未練を見せているし、あわよくば元より不老不死のクロを解剖しようとさえするので、そこはお互い様だ。


 彼女は今では悪魔であるクロとも対等に話ができ、更にはクロの方から相談にやって来るほどの相手だった。


 クロはこれまでの経緯を話した。

 そしてまことを救う方法がないか、問い掛けた。


「そうね。確かにその娘の魂は、もう限界だと思うわ」

「……」


 やはりそうか。


 クロは予想が裏付けされてしまった事に落胆しつつ、何か考え込むマリーの次の言葉を待った。

 すると、


「クロは、魂の性質について知ってる?」

「性質?」

「そう」


 不意に質問が投げかけられ、クロは首を傾げた。


「生き物には、当然魂が宿っているわよね」


 マリーは指をぴっと立てて胸に当てる。

 そして目を閉じると、静かに話し出した。


「その魂は、どんな生き物に宿ったとしても、同じだけのエネルギーを持っているの」


 クロは黙って話に耳を傾ける。

 こうやって話すという事は、重要な事であることに違い無かった。


「昆虫だって人間だって魔物だってみんな同じ。そこに大きな差はないのよ」


 マリーはそこまで言うと、すっと目を開けてクロを見た。


「でも、その寿命はみんな違うわよね」

「ああ」


 一日で寿命を迎える生き物もいれば、悪魔のように基本的に不老不死のものもいる。


「魂は同じなのに、不公平だと思わない?」


 言われてみれば。

 クロは確かにそうかもしれないと思った。


「仮定の話だけどね、その分魂のエネルギー消費量が違うのよ。短命の虫は少量、人間は中量、悪魔は膨大なエネルギーを消費する、といった感じにね」

「!」

「そしておそらく、それに反比例して転生回数が違う。私はね、生まれ変わった種族によって魂のエネルギー消費量が変動するのだと、そう仮説を立てているの」


 クロは絶句した。

 本当に、どういう頭の作りをしているのか。


「悪魔が生まれ変わるなんて、聞いたことないでしょ」

「……ないな」


 言われてみれば、ない。

 自然の摂理として、悪魔の死とはそれ即ち魂の消滅を意味した。


「悪魔は魂のエネルギーを多く使う事によって、強大な力を扱っているわ。だからその分消耗も激しく、生まれ変わる事はできない」


 ……。


「でもその娘は人間でありながら、前世から今に掛けてたくさんの魂のエネルギーを無理やり使っているのよ」


 つまりまことは、人間にして悪魔と同じくらいの魂のエネルギーを使って、鬼の力を抱えていたと言うことだった。


 一体どれだけ一人で背負えば、気が済むのか。

 クロは、拳を握りしめてまことを想う。


「そして、無理にエネルギーを放出すれば、周りにも影響が出る。それが所謂、運気のバランスの悪さの原因ね」


 マリーはそこまで説明すると、手近な所にあったティーカップに魔術を施してお茶を注ぐ。

 クロに飲むかと視線で問えば首を振られ、一つだけに入れた。


「どんなに強く大きな器も、強い負荷が掛かればひびが入る。そしてひびが入れば、いずれ割れてしまう」


 マリーは一口含めてほっと息を吐き出すと、結論を口にした。


「その娘の魂は、きっともう転生する事はできないわ」


 クロはそういうことかと納得した。

 つまり、身体と魂のバランスが悪いのだった。


 人間は短い人生を終えると、魂が巡って何度でも生まれ変わる。

 しかし悪魔は寿命がなく老化もしないが、死ねばその瞬間消滅する。


 そうして器と中身のバランスは保たれているのだ。


「まあ人間だって生まれ変わるとは言っても、次はまた別人だけどね。でも短い一生の、今生きてるたったの一度の人生で全てがお終いなんて、あんまりよね」

「……」


 クロはもしまことを助け出せても、その数十年という短い人生が終われば二度と出逢うことはないのだと、唐突に理解した。


 まことが年老いて死ねば、もう終わり。

 悪魔にとってはたったの一瞬の、僅かの間しか共にいられない運命だったのだ。


 悪魔は人の魂を食べることもある。

 食べられた魂も転生する事はなく、食べた悪魔の糧となる。


 クロも魂をエネルギー源として吸収することはあった。

 それに対して、今まで何とも思わなかったのだが。


 しかし、今まことのおかれた状況を知れば、クロは胸の痛みを感じずにはいられなかった。


「じゃあ、次はそれをどうするかね」


 マリーはクロの心情などお構いなしに、あっけらかんと話し出す。


「魂の寿命は、人間にしたら深刻だけど」


 そしてちらりとクロを見た。


「悪魔にとっては普通のことよね」

「そうだな。死ねば終わり。それが総てだ」


 それを聞くとマリーは、表情を緩ませた。


「じゃあ簡単だわ」

「は?」


 簡単、とはどういう事なのか。

 クロが訝しげな視線を向けると、さらりと答えが告げられる。


「悪魔にしちゃえばいいのよ」


 いとも簡単にそう言い切ると、にっこりと魔女が笑った。


「人を悪魔に変える魔術は試した事はないけど、その娘の場合、理論上はできると思うのよね。なんせ、魂は既に悪魔級だし」


 そう言うとマリーは、紙に何やら図形や術式を書き連ねていく。


「悪魔になれば他から生気を得て弱った魂を回復させる事もできるだろうし、鬼の力も自分の力として利用できるようになると思うし……」


 なるほど。

 悪魔の食事とは、つまり魂のエネルギーを補給しているという事か。


 クロはこれまで疑問にも思わなかった真実を知り、感心した。


「人間の身体は物体だけど、悪魔は精神体。と言う事は、肉体から魂を開放して精神体の依代を作ればいいのかしら……」


 ぶつぶつ独り言を呟きながら書き込まれていく紙は、どんどん増えていく。


 仮定を立てて、推測して、リスクを炙り出して、また仮定を立てる。

 それを繰り返す。


 クロは黙ってその作業を見つめていた。


「そっちの世界はこちらとは少し理が違うようだけど、根本的には同じと見ていいわ。その娘も魔術師の才能を持っているようだし、それにその娘自身が魔力持ちの様な存在だと思うから……」


 不意にぴたっと動きを止めて、マリーはクロへ向き直った。


「クロは召喚の対価に何を貰ったの?」


 素材として使えるかも、と呟きつつ何気なく浮かんだ疑問を口にした。

 クロはそれに、簡潔に返す。


「髪を少しと、血をひと舐め」

「……は?」


 そう答えれば、マリーはとても驚いた顔をしてクロに詰め寄った。


 クロは身を引いてマリーから距離を取る。


「対価に貰ったのはそれで全てなの?」

「ああ」


 マリーはにわかには信じられなかった。

 たったそれだけで、クロほどの悪魔を呼び出して使役するなんてあり得ないと思った。


 だから、それをそのまま声にした。


「そんな僅かな対価で満たされてるの?」



「はっきり言って、最初に舐めた血だけでまだまだ保つな」

「へぇ、凄いのね」


 クロの言葉に心底感心した様子で、マリーはため息混じりに呟いた。


 あ。

 そういえば、


「涙も舐めた」


 それから、


「キスもしたな」


 あれは下心があって受け取った訳じゃなかったので、忘れていた。

 はっきり言って、誘惑に負けた。


 さらりとそう言うと、


「こ、恋人なの?」


 マリーは前のめりになり、頬を染めて聞いてきた。

 また近くなった距離に、クロはさり気無く一歩後退って間合いをとった。


 悪魔は生気や魂を奪ったり、傀儡とする時にキスをすることもあるが、特にそういった理由もなく悪魔がキスするなどマリーには考えられなかった。


 ここまで親身になって悩み、時空を飛んで相談しに来るくらいだ。

 これは相当だと、マリーは内心興奮を抑えられなかった。


 クロはまことと自分の関係など考えたこともなかったが、


「かもな」


 と答えておいた。


 たぶん間違ってはいない。

 まことのあの表情、仕草、言葉。

 そして自分の胸にある、この想い。


 それは確かに繋がっていると確信していた。


 すると、突如マリーがきゃーと叫び出したので、クロはあまりの煩さに耳に人差し指を突っ込んだ。

 何それー!だの、禁断ー!だの、ロマンチックー!だの。

 非常に煩い。


 マリーは赤くなった顔を両手で挟み、暫く顔をぶんぶん振っていた。


 しかし、


「あれ?」


 マリーは唐突に何かに気づき、真顔になって動きを止めた。

 クロはそんなマリーに視線を向ける。


「血……、涙……」


 何やらまたぶつぶつと呟くと、真顔のままでクロを見上げた。


「それって、さ」

「?」


 クロは真意がわからず、マリーの言葉を待っていると。


「花嫁にしちゃえばいいんじゃないの?」


 と、その言葉は齎された。


 クロは、文字通り停止した。

 思考も呼吸も止まっていた。


 ……なるほど。

 悪魔の花嫁、か。


 クロはその意味を理解すると、にやりと笑う。


 そうか、その手があったか。

 それは、


「名案だ」


 クロはすぐ様席を立った。

 そして、サクラの元へ飛ぶ準備を手際良く始める。


 あっと言う間に、いくつもの魔法陣が層をなして積み重なっていった。


「行くのね」

「ああ」


 マリーが微笑みながらそう言えば、クロは素っ気なく頷く。

 特に感謝の言葉は言わなかった。


 マリーも特に欲しい訳では無いようで、見送るべくクロの前に立つと笑みを深めた。


 もう交わす言葉は無い。

 その代わりに、


「やるよ」


 ぽいっとそれを取って、投げて渡した。


 マリーが慌てて受け取ろうと手を伸ばしたが、ちゃんと落とさず掴めたかまでは見えなかった。

 その時には既に、クロは時空の間の流れの中を飛んでいた。


 まあ今頃、小躍りして喜んでいるのは間違いないだろう。

 なんせ、渡したのはマリーが昔から欲しがっていた物だったのだから。


 自らもぎ取り失った左目に、指先で触れる。

 治癒を施せば、左目はいとも簡単に再生した。


 至宝の魔素材「悪魔の眼球」。


 少し魔力を失ったが、どうということはない。

 まことの魂の救済と、鬼を倒す手段の捜索。


 その二つの大きな課題が一度に解決する、それこそ、目から鱗の妙案を賜ったのだ。

 これくらいやっても良いと、クロは思った。


“悪魔の花嫁”


 悪魔にとっては不利でしかないその行為に、考えが至らなかった。

 なぜなら、悪魔が花嫁、若しくは花婿を迎えることなど殆どあり得ないからだ。


 誰かを花嫁とすると、夫婦となった二人はその能力も力も全て共有することになる。

 悪魔はその力や性質の半分を受け渡し、相手からも同じく半分を貰い受けるのだ。


 悪魔と人間ならば、おそらく半精神体の悪魔になると思われた。

 そして繋がった魂はひとつに統合されて運命共同体となり、生死も共有する。


 つまり、夫婦となった二人は共に寿命も無く生きる事が出来るが、どちらかが死ねばふたりとも消滅するという事だ。


 悪魔である自分が強大だからこそ、自分より弱き者である相手に力の半分を移すなど、考えられないのだった。


 普通、方法はあったとしても、実行する意義がない。

 悪魔同士となればメリットもあるかも知れないが、ただでさえプライドの高い悪魔が、他の悪魔と全てを分け合うなどできる筈がなかった。


 よって、クロは考えもつかなかった。


 まことから結婚式の話を聞いても、実際に花嫁を目にしても、何とも思わなかった。

 伴侶を得るという発想自体がなかったのだ。


 だが、相手がまことなら話は別だ。


 まことの持つ鬼の力は、クロの持つものよりも遥かに大きい。

 与えて貰うのは、むしろクロの方だった。


 能力はいくつか譲渡する事になるだろうが、推し量れば利のほうが大いにある。


 そう、花嫁にしてしまえばいい。

 お陰でまことを助けられそうだ。


 クロは溢れる笑いを抑えることもせず、くすくすと笑いながら時空の波を飛び越えた。


 帰ってきて気が付いた。

 最初に飛んだ時に掛かった制約は、もう成されなかった。


 どうやら一度こちらの世界で開放された能力は、その後何度飛んでももう制約されることはないようだ。


 更に齎された良い報せに、笑みを深めた。


「サクラ、手を貸せ」


 クロは神社へ出現する直前に、サクラへと思念を飛ばす。


「このまま、まことの元へ」


 無事に世界の境界を超えてから、目的地を神社のサクラ本体ではなく、まことと共にいるピアスの方へと変更した。


 最早、僅かな手間さえ惜しい。

 早く、逢いたかった。


 もう言葉を違えたりしない。

 今度こそ、俺が守ってやる。


 クロはそんな想いを胸に、まことの囚われている青木ヶ原樹海へと飛んだ。


 しかし、辿り着いた先に、まことの姿ははなかった。

 クロは、サクラがそこを選んだ理由をすぐに理解した。


 床に転がり落ちたライトが、辺りを仄かに照らし出している。

 そこに、数人の男たちがが眠っていた。


 深い眠りに落ちた者たちからは、微かな殺意が漂っている。

 クロは政道が言っていた強硬派の事を思い出した。


 男たちは武装していたが、それはどう見ても対人用の装備。

 刃物や銃をいくつも所持していた。

 まことを助ける為でなく、殺すために来たことは明らかだった。


 こいつらが、政道が言っていた暗殺者か。

 クロは、鼻に皺を寄せて一瞥した。


 男たちは全く動かず、起きる気配もない。

 死ぬまで眠り続けるほどの、深い催眠が掛けてあるようだった。


 サクラと意識を繋げてみれば、ピアスを媒介としてまことを中心とした一定範囲のものは全て眠らせたようだ。

 得意げな感情がそれとなく伝わってきた。


 サクラも中々悪魔らしくなってきた。

 クロは自然と笑みを浮かべる。


 まことに刃を向けようとしたこいつらを、助けてやる義理はない。

 サクラはクロにこの者等の処遇を任せるつもりでここへ呼んだのだろうが、クロは敢えて何かをする事は無かった。


 ここで朽ち果てるまで、悪夢を見続けるがいい。

 クロはライトを一つ拾い上げると、男たちに対する関心を無くした。


 そして、まことの気配を辿って奥へと歩き出した。


 暫く行くと、通路の様だった洞窟から少し拓けた場所に出た。

 その奥へライトの光を当てると、


「……クロ?」


 まことの声が聞こえた。


 クロは逸る気持ちのまま、まことの傍に空間移動して姿を現した。


「クロ!」

「まこと、」


 大丈夫か?とクロが言う前に、


「大丈夫だった?」


 まことの方がクロを心配して慌てて立ち上がると、その腕や背中を確認した。

 どうやら鬼によって引き裂かれた身体を心配しているようだ。


 しかしクロは悪魔なので、どうということはない。

 全くの無傷であると分かると、まことはほっと息を吐いた。


 クロは言葉無く、そんなまことを見ていた。


 まことが奪われ、政道と話し、マリーに会って戻るまで数時間。

 それでも、怖かった筈だ。


 洞窟は、何も見えない漆黒の闇。

 触れるのは、冷たく硬い岩肌。

 光も音もない、虚無の世界のようなそこ。


 それなのに、会うなりクロの心配をするとは、つくづく胆力のある娘だと感心した。


 嫌がらせを受けても、無視されても、周りに不幸が降り続いても、その身一つで受け止めてきたのだ。

 更に、記憶はなくとも前世のまことがひとりで凶悪な力を受け止め続けていたことは、悪魔であるクロですら驚きを隠せない。


 まことは、千年もたったひとりで耐え続けていたのだ。


「クロ、どうして来たの……?」


 クロの無事が分かり安心したのも束の間、まことはぽつりと言葉をこぼした。

 その表情は、泣きそうだ。


「お願い。逃げて」

「悪いがその願いは聞けない」


 漸く申し出た願いだったが、クロは取り尽くしまもなく却下した。


「どうして?」


 苦しそうな表情を浮かべて縋るまことに、クロは至極落ち着いた声で返す。


「俺が逃げて、お前はどうする?」

「……」

「鬼の贄になるのか」

「!」


 まことが想像する結末を言葉にすれば、まことは酷くショックを受けた様子で息を呑んだ。


 クロは、それを既に知っている理由も冷静に答える。


「政道に聞いた」

「……そっか」


 まことは殆ど息のような声で囁くと、黙ってしまった。


 連れ去られる瞬間までクロに何も話さなかったくらいだ。

 知られたくなかったのだろう事は、容易に想像できた。


「……鬼は、強い。今の私には何もできない」

「だから、おとなしく喰われるのか?」


 クロが残酷とも取れる相槌を打てば、まことはぎゅっと唇を噛んだ。


 その手はいつしか、強く握り込まれている。


「……嫌だよ」


 消え入りそうな声だった。

 それでもクロにはしっかりと聞こえていた。


 しかし、


「聞こえない」


 敢えて、そう返す。


 するとまことは、俯きがちだった顔を勢いよく上げてクロを睨みつけた。

 そして、


「嫌に、決まってる!」


 いつも冷静なまこととは程遠い。

 感情を顕にして、声を荒げていた。


「もし、私が取り込まれたら、鬼が力を取り戻してしまう。そうしたら、みんなが……」


 まことが漸く本音を語りだしたと期待したクロだったが、それを聞いて怒りが込み上げてきた。


 どうして、こんな時まで他人の事なんだ、と。

 自分をひとりにした家族や蔑んだ他者など、放っておけばいいものを。


 しかしクロはそれを言葉にする事はなく、ただまことを見つめていた。


 今は、クロの想いなどどうでも良いのだ。

 それよりも大切な事があった。


 洞窟の暗闇の中で、きらきらと光を振りまく髪。

 その奥の、星を閉じ込めたような瞳が、真っ直ぐにまことに向けられていた。


 その視線を受けて、次第にまとこは酷く苦しそうな、悔いているような顔になった。


「……本当は、」


 まことは、更に小さな声で言葉を紡ぎ始める。


「利用しようと思ったの……」


 罪を懺悔するように、


「クロが契約を持ち出した時に、チャンスかもしれないと思った……」


 許しを乞う様に、


「悪魔なら、鬼を倒せるかもしれないと思った……」

「なら利用すればいい」


 それを、クロはいとも簡単に肯定する。

 しかし、まことの心はそれを許さなかった。


「できないよ!」


 勢い良くクロに向けられた顔は酷く歪み、今にも涙が零れそうだった。


「そんなこと、もう、できない……」


 クロを知る内に、まことの中でそんな考えは無くなっていた。

 翼を引き裂かれたクロを見て、自分の考えが如何に酷いものであったのかを思い知ってしまった。


 自分の為にクロは巻き込まないと、まことはあの時決めたのだった。


 あれもこれも守りたいという欲で、まことはがんじがらめになっていた。

 クロは苦しそうな、辛そうなまことの顔を見ると胸が痛んだ。


 まことは他人の運命には抗おうとするくせに、自分の運命は受け入れている。

 普通ならのめないであろうそれを、当たり前のように受け入れてしまっているのだ。


 クロにはそれが辛かった。


 だから、


「俺や鬼のことは、どうでもいい」


 今大切なのは、そんな事ではない。

 そう、はっきりと言葉にした。


「……え?」


 聞きたいのは、別のこと。


「お前は、どうしたい」


 まことの、自分のための願いは何だ?


「どう……?」

「ちゃんと言ってみろ。お前の、本当の望みを」


 どんな事でもいい。


 些細な事でも。

 馬鹿げた事でも。


 まことの心に眠っている、本当の望みが聞きたかった。


 そう言うと、まことはどこか遠くを見つめて黙り込んだ。

 クロは急かす事なく、待っていた。


 手を伸ばし髪を梳くように優しく撫でると、まことの口からぽつりと言葉が溢れた。


「私は、」

「……ああ」


 髪を指に絡ませてはさらりと逃し、クロは手を止めることなくまことに触れる。

 まことは少しずつ心が落ち着いていくのを感じながら、目を閉じた。


 そして、小さな。

 本当に小さな声で言葉にする。


「学校に、行きたい」


 元気な挨拶の飛び交う、朝の通学の時間。

 静かなぴりっとした空気の中、ペン走るの音だけが聞こえるテストの時間。

 部活動に励む、活気ある声。

 一日に何度も、規則正しく響くチャイムの音。


 それらを感じるのが、好きだった。


「サクラの花が咲くのを、来年も見たい」


 まだ二度しか見たことがないけれど、どこか懐かしい気持ちになるあの花を。


 満開を迎えて散り始めたときの、切なさと儚さが、あまりにも美しいあの瞬間を。


 また、見たい。


「ご飯を食べたい」


 上京してからずっと、ひとりで食べていたご飯。

 家でも、学校でも。


 でも、今は違う。


 毎食クロと一緒に料理して、ふたりで食べる。

 そしてたまには、友人たちとも。


 あの時行けなかった外食も、してみたかった。


「空の散歩もしたい」


 満天の星空を、見に行きたい。


 ……ううん。

 星なんて、見えなくてもいい。


 曇り空だって、真っ暗だって構わない。


「……クロと」


 強く抱き合って。

 キスをして。


 その腕の温もりも。

 何処までも深い優しさも。

 いつも傍にいてくれる心強さも。


 全部、もう一度感じたい。


「クロと、一緒にいたい……」


 ずっと。

 言えなかった本音が溢れた。


 まことは俯いていた顔をそろりと上げた。

 ぽろぽろと、涙が零れ落ちていた。


 クロは両手でそっと頬を包み込んだ。

 そして、親指で軽く拭いながら応える。


「わかった」

「え?」

「その願い、叶えてやる」


 妖艶な笑みを浮かべて、悪魔が囁いた。


 そして、混乱するまことに、クロはさらっと爆弾を落とす。


「お前を俺の花嫁にする」

「……え?」

「嫌か?」


 更に混乱を助長する発言と、間髪入れずに気持ちを確認されて、まことは反射的に頬を染めた。

 そして、少しの間を置いて、ふるふると首を振った。


 クロは同じ気持ちであることに、震えるほどの興奮を覚えた。

 気づいてはいても、その反応を目の当たりにすれば心が沸騰するようだ。


 だが今は、そんな感情をぐっと抑える。

 まず確認しなければいけない事があった。


「お前は人ではなくなり、俺と同じものとなる。嫌か?」


 つまり、悪魔になる覚悟はあるか。

 そう聞いた。


 クロは、まことはその問に悩むと思っていた。

 しかし予想に反して、まことはふるふると再び首を振った。


 あまりにも躊躇いのない否定に驚いていると、まことは儚い笑みを浮かべて言う。


「私、今までも人じゃなかったと思う」


 クロは、瞠目した。

 言われてみれば、確かにそうだ。


 まことは生まれながらに、多くのものを背負っていた。

 それは、人間の持つ宿命にしては余りにも大き過ぎる程のものを。


 まことは自分が人の枠から外れている事に、とっくに気づいていたのだ。


 気付いていて、人を守ろうとするのだ。

 解っていていて、笑うのだ。


 クロはまことを抱きしめた。

 腕の中に閉じ込めて、強く、強く抱き込んだ。


 まことはクロにすっぽりと包まれると、安心した様にその胸に頬を寄せた。


「まこと」


 クロはまことの名を呼び、一度ゆっくりと身体を離す。

 そして頬へ手を伸ばして、そっと触れた。


 星の瞬きを移した瞳を、しっかりとまことへ向けて。

 それを告げる。


「俺の名は、クロノフェレス。唯一、お前にだけ明かす本当の名だ」


 まことは一瞬ぽかんとしてから、静かに目を閉じた。

 そして再び開かれた目には、何かを決意したような光が宿っていた。


「私の名前は、まこと。真と書いて、まこと


 まこともまた、自分の意思で名を告げる。

 クロは少しだけ驚いた顔をしてから、ふっと笑みを浮かべた。


「そうか、それも隠していたんだな」

「ごめん」


 真名には力がある。

 特に精神を守るためには、真名を明かさないことが悪魔にとって最重要だった。


 まさか、人間にもそうしているものがいるとは思わなかったが。

 いや、聡いのは悪くない。


 クロは微笑みながら上機嫌にそう言うとそのまま顔を近づけ、静かに唇を重ねた。

 そして、ゆっくりと押し倒す。


「えっ、えっ」


 慌てたまことの声に、クロは覆い被さったまま応えた。


「どうした?」

「ま、まって」

「なんだ」

「花嫁にするって、もしかして」

「純潔を貰う」

「え!」


 クロが当たり前のようにまことを見下ろして言うと、まことは顔を真っ赤にして固まった。

 何か言いたそうにぱくぱく口を動かすが、声は出ない。


 クロが暫く待っていると、漸く視線を泳がせて囁いた。


「い、今?」

「嫌か?」

「こ、ここで?」

「……嫌か?」

「嫌じゃ、ない、けど……」


 けど、の先はいくら待っても紡がれる様子はなく、何か狼狽えたような焦っているような表情でひたすらにおろおろとしていた。


 怖いのか。

 それとも不安なのか。

 どちらもなのか。


 クロは逡巡した後、思いついた。

 そして、瞬きを一つする。


 次の瞬間には、桜の花弁が身体の下に敷き詰められていた。


 そんな思いを少しでも和らげられたら。

 せめてまことの好きなこの花の香りに包まれて、と思ったが。


 力を借りたサクラが張り切り過ぎたようで、辺り一面見渡す限り薄紅色の絨毯となっていた。

 しかも、その花弁は淡い光を放ち、洞窟内は幻想的な光景に包まれている。


 それを見たまことは呆気にとられると、力を抜いて声を上げて笑った。


「すごい!」


 一面の桜を見回して、嬉しそうに笑う。

 クロもまことの笑顔を目にして、無意識に微笑んだ。


 クロは花弁を敷き詰めると同時に、時間支配も施していた。

 これでこの花のある範囲の時の進みは、数十倍に引き延ばされた筈だ。


「まこと」


 名を呼べば、さっきよりもだいぶ落ち着いた顔のまことが視線を向けた。


「手順がある」


 まことを花嫁にする為には、やらなければならない儀式があった。


「まず血と涙を交換する。そして純潔を俺が貰う。これらを以てお前は俺と魂を、力を共有することとなる」

「そうすると、私は悪魔になるの?」

「そうだ。鬼に対抗できる力を、お前にやる」


 まことは、クロのたったそれだけの説明で、問題が解決する事を悟った。


 クロは、本気で私の願いを叶えようとしてくれている。

 その為にきっと、自分も何らかの代償を払って。


 まことは心を決めて、こくりと頷いた。


「お前の血と涙はもう貰ってる。俺の涙も飲んだよな」


 まことはクロの涙を吸った時の事を思い出して、また頬を染めた。


 あの時の自分は、なんと大胆な事をしたものか。

 思い出しただけで恥ずかしい。


「あとは、」


 まことが羞恥に耐えていると、クロが呟きと同時に唇を少しだけ噛み切っていた。

 そこからじわりと血が滲む。


 まるで紅でものせたかのような赤い唇が、男のくせになんとも色っぽかった。


 まことが目を奪われて惚けていると、クロはそのまま顔を寄せて口付けた。


「んっ」


 じわりと、クロの血の味がした。

 鉄の香りも塩っぽさも無い、不思議な味だった。


 不意打ちの様にキスをされて、しかも血を舐めさせられて、まことは呆然とする。

 そんなまことの唇に付いた血を、クロは指で拭った。


 柔らかな唇をなぞれば、瞳を潤ませてため息が漏れる。

 まだ何もしていないにも関わらず、堪らないといった表情をするまことに、クロは煽られた。


 しかも、


「心臓が、壊れそう……」


 ほとんど吐息のような声でそう囁いたまことは、なんとも扇情的で、クロは目眩がした。


 欲しい。

 今すぐに。


 めちゃくちゃにしてしまいたい。


 食べて、しまいたい。


 爪の先から髪の一本に至るまで、余すところなく喰らい尽くしてしまいたい。

 臓器を引きずり出して、ひとつずつ味わいたい。

 その血の最後の一滴まで飲み干してしまいたい。


 悪魔の本能ともいうべきそれが、突如クロを襲った。

 それは酷い渇きの様な、耐え難い衝動。


 クロはその気持ちを必死に抑えた。


 かつて感じた事のない程の渇望が、込み上げてくる。

 それを、精神力だけで押さえ付けた。


 二度とまことに怖い思いはさせないと誓った。

 傷付けないと誓った。

 守ると誓った。


 誰かにではなく、自分自身に。


 それを破るなど、決してあってはならないのだ。


 クロが必死に己と闘っている姿を、まことは黙って見つめていた。

 まことは覆いかぶさったまま動きを止めているクロに、手を伸ばす。


 そして、そっと頬に触れた。


 温かくて柔らかい感触が、クロの衝動をゆっくりと溶かしていく。


「……大丈夫?」


 心配の色を滲ませて見上げられ、クロは無意識に微笑んだ。


 ついさっきまで、自分が一番大丈夫ではなかったというのに。

 心配そうに揺れる瞳に、ただ愛情だけが湧き上がる。


 ああ、なんて。

 なんて、愛しい。


 クロは、ゆっくりと身体を沈めていく。

 まことの上に隙間なく覆い被さり、抱き締めた。


 ぴったりとくっついた身体が、桜の花に沈む。

 暫くそうしてから、クロは少しだけ顔を起こした。


 見下ろせば、穏やかに微笑みかけるまことの顔がすぐそこにあった。

 その微笑みに吸い寄せられるように、ゆっくりと顔を近づける。


 再び唇を重ねた瞬間には、さっきまでの衝動は綺麗さっぱり消え去っていた。


 少しずつ深くなるキスに、まことの息も上がっていく。

 はぁ、と熱い吐息を受けて、クロは今度は別の衝動が首を擡げてくるのを感じた。

 でもそれすらも楽しめそうだと、密かに笑う。


 クロは唇を離さずに深く絡めたまま、まことへと手を這わせる。

 服の上からするっと撫でれば、まことはびくっと身体を震わせた。

 手をゆっくりと動かしながら、強く抱けば折れてしまいそうな程細い腰を抱く。


 不意に、まことは大きく震えると顔を背けてしまった。

 クロは黙ったまま、そんなまことを見下ろしていた。


 穏やかな微笑みを湛えたその表情に、まことはくらりと目眩がした。


 あまりの感覚につい拒絶してしまった。

 自分から堪らず距離をとったのたが、今まで感じていたクロの感触が離れて、途方もない寂しさがまことを襲う。


 まことがゆっくりと上半身を起こすと、背中についた花弁ばがはらはらと落ちた。


 微笑むクロの顔を至近距離で見つめてから、その頬に手を添える。

 そして自分から唇を重ねた。


 クロは片腕でまことの背中を支え、もう片方の手で再び触れる。

 口付けの音を響かせながら、もう一度、今度はゆっくりと手を這わせると、まことはまたびくっと震えはしたものの、唇を離すことなく受け入れた。


 まことの息が次第に上がってくると、クロは遂に素肌に触れる。

 びくんと震えるまことの身体は反対の腕でしっかりと抱きとめられていて、もう逃がす気はないと如実に語っていた。


 布越しでなく直接触れられれば、まことは無意識に嬌声を漏らす。

 クロは満足そうに笑みを深め、反応を楽しんだ。


 終わりのないキスに翻弄されるまことのパジャマは、だんだんとはだけ、いつしか白い肩がするりと現れると、衣服は呆気なく脱げ落ちた。


 汗でしっとりと潤った肌に、髪が貼り付く様を見るだけで興奮する。

 クロは素肌のまことに自分も素肌で触れたくなり、一瞬で自分の身に着けていたものを全て消し去った。


 ぴたりと張り付くような滑らかで手触りのいいまことの肌を全身で感じる。

 その心地好い感触に身を委ねながら、お互いの体温を混ぜていった。


 いつしか力の抜けたまことを、クロは両腕でふわりと抱き起こした。


「まこと、大丈夫か?」

「……う、ん」


 まことは小さく頷くと、力のあまり入らなくなった手を伸ばしクロの首へと回した。

 クロは満足げに笑うと、まことの額にキスを落とす。


 まことはまるで眩しいものでも見るかのようにクロを見上げると、ふわりと微笑んだ。


 クロはまことの腕を首にかけたまま、再びゆっくりと押し倒していく。

 花弁が柔らかく二人を受け止めた。


 クロは、純潔を手に入れるべくまことに声を掛けると、まことはぎゅっとクロに抱きつく。


「怖いか?」

「……少し」


 クロは素直に不安を顕にしたまことの髪をそっと撫でてから、ゆっくりと触れていく。

 少し苦しげなまことの表情が、クロを煽った。


 優しくしたいと思う反面、乱暴に全てを奪ってしまいたい葛藤が襲ったが、クロは決して急ぐことはなかった。


 いつしか、まことから苦しそうな仕草がなくなると、クロはまことの頬に触れた。


「まこと、」


 余裕のない、息の乱れたクロの呼びかけに、まことは閉じていた目を開いた。


「……うん」


 視線を向ければ、獲物を目の前にした獣の様な目をしたクロ。

 余裕の無さがはっきりと見て取れた。


 それでも、あんなに優しく触れてくれたことに胸が締め付けられる。


 なんて、優しい悪魔。


「……いいよ」


 両腕を広げてそう囁くまことに、クロは身震いした。

 まるで子どもか小動物にでも呼びかけるようなそれが、クロの衝動を更に煽る。


「大丈夫」


 そう言われてしまえば、もう遠慮はしない。


「……まこと」


 クロはついに、深く身体を重ねた。


 まことは今まで感じたことのない感覚に耐えながら、胸の高鳴りを感じていた。


 まことはクロを、強く抱きしめる。

 そして、まことの中にクロの全てが受け入れられた、その時。


 ふたりに変化が訪れた。


 身体が繋がるのと同時に、魂が繋がっていくのが解った。


 まことの力が流れ込んでくる。

 自分の魔力とまことの力が混ざり合っていく。


 クロは無意識に、それを感じ取っていた。


 小さなタンクと莫大なタンクが合わさってひとつとなり、その一つからふたりにそれぞれ供給パイプが構築されていくようなイメージが頭に浮かんだ。


 お互いの長所である、クロの持ち合わせていた強度と、まことの持ち合わせていたサイズのそれ。

 更に、パイプ自体も太くてより強固なものとなり、濃密な力が絶え間なく供給されてくるようだった。


 そして、クロの能力も少しずつまことへと伝わっていく。


 クロの持つ能力をそのまま、というよりも、基本の能力のみ選別されてまことへと移っていくようだ。

 その能力は、新たにまことに合ったものへと進化して納まっているようだった。


 クロの持っていた能力が半分程度になり、譲渡が終了した。


 お互いの身体も、少しずつ構成が変化していく。

 悪魔の精神エネルギー体と人間の肉体が融合し、新たな生命体へと進化が始まった。


 ふたりは、今まさに生まれ変わろうとしていた。


 でも、そんなものは今はどうでも良かった。

 まことを助け出すための儀式であったが、もはや今の二人の心には、そんなものを考えている余裕はなかった。


 悪意蠢くその洞窟の中で。


 クロは、強く。

 ただ強く、まことを抱き締めるのだった。

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