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番外編三、放置されたのは、悪魔

 長い授業が終わり、待ちに待った放課後。


「クロ」


 帰り支度を整える黒須の元へやって来たまことは、もじもじと指を絡めながら声をかけた。


 見慣れないその様子に内心でぐっと胸を掴まれつつも、それを表に出すことなく、黒須は甘く落ち着いた声でまことに微笑みかける。


「ん?どうした?」


 まことはそんな黒須の顔を、心なしか安堵した表情で見上げると、控えめにお願いを口にした。


「あのね、寄り道して帰っても良いかな」


 黒須の帰り支度を進めていた手がぴたりと止まった。


 まことの口からそんなセリフが飛び出すとは思ってもみなかった。

 だから、驚きを露に聞き返した。


「寄り道?」

「うん」


 まことは小さく頷くと、照れ臭そうに髪を耳に掛ける。

 黒須はそれを感慨深く見つめていた。


 これまでは鬼のせいで、寄り道どころか通学路以外の道すら殆ど入ったこともなかった。

 常に逃げ隠れ、自由にどこかへ行くということがなかったのだ。


 遠足や旅行はもちろん行けず、ちょっとした買い物すらインターネット。

 限られた小さな場所で、密やかに生きてきたのだった。


 それが漸く、鬼を倒し自由に何処へでも行けるようになった。


 クロはまことが何処かへ行きたいと口にすれば、何処へでも共に行った。

 やりたいことはなんでもやらせてやりたいし、見たいものは全て見せてやりたい。


 だから、まことがそういった希望を口にすれば、二つ返事で叶えてきたのだった。


 しかし、元来控えめなまことは、なかなかそういった望みを口にしなかった。

 時折、夜に空の散歩に出掛けたり、テレビなどで観て心惹かれたものを少し見に行ったりするくらい。

 学校帰りに寄り道したいなどという事は、真面目な性格からして意外と言う他なかった。


 黒須はまことのこのお願いに相当気を良くして笑みを深めた。


「いいよ。どこに行く?」


 こっそりと伺い見ていたクラスメートの女子が思わず赤面してしまうような、ただならぬ色気が無意識に溢れ出る。

 その姿を目の前にすれば、誰もが魅了されて身を捧げてしまいそうな程だ。


 しかし、そんな周りの反応に反して、まことは眉尻を下げて言い淀んだ。

 何か言いたげな視線を送ってはいるが、まだ言葉がまとまらないのか口にするのを躊躇っている。


 黒須はそんな様子に僅かに首を傾げつつも、急かさずに待っていた。


 しかし、まことがそれを言葉にするよりも早く、横から声が掛けられた。


「黒須くんごめん。今日は女の子だけで出掛けたいんだ」


 黒須が顔を向けると、そこに村上が立っていた。


 村上はまことのすぐ横まで歩を進めると、両手でまことの肩をぽんっと叩き、まことに微笑みかける。

 それを受けて、まことの方もほんのりと笑みを浮かべた。


 不思議なことに、以前まことを苛めていた村上が、今ではまことの一番親しい友人となっていた。


 黒須は内心面白くないと思いつつも、小さくため息を吐くと微笑みを浮かべて頷いた。


「わかったよ」


 まことが嬉しそうに笑う。

 それだけで、自分の気持ちなどどうでもよくなった。


「ありがとう、クロ」

「楽しんでこいよ」

「うん」


 まことは長い髪を揺らして頷くと、村上と連れだって他の女子の元へと去っていった。


 黒須はそれを見送ってから、帰り支度を再開した。

 最後にペンケースを鞄に入れると、静かにチャックを閉める。

 そして、もう一度まことの後ろ姿に目を向けてから、ひとり教室を出た。


 本当は僅かだって離れたくない。


 あの時。

 まことが鬼に捕まり離ればなれになった時の事を思うと、本音は傍にいたかった。


 まことも悪魔として覚醒し、万が一の事も起こりはしないと分かっていても。

 今ではまことの方が、能力的に自分よりも上だったとしても。

 離れがたかった。


 廊下から、もう一度まことを見つめる。

 当のまことは女子の数人と楽しそうに話していた。


 姿を消してついていこうか。

 いや。

 ああいう風に断りを入れたということは、そうして欲しくないということだろう。


 黒須は諦めて別々に帰ることを受け入れ、廊下を一人で歩き出した。


「あれ?黒須?」


 ふたクラス隣の教室の前を通りかかった時、声を掛けられ立ち止まった。

 振り返ってみると、そこには午前中の体育の授業で一緒だった男子生徒が三人いた。


 彼らも帰り際らしく、それぞれくたびれた鞄をだらしなく肩に掛け、黒須へと歩み寄った。


「さっきはやってくれたなー」

「お前サッカーまでうまいのな」

「あれ?てかひとり?」


 体育は合同とはいえ、クラスが二つ離れていれば、ほぼ顔見知り程度の知り合い。

 黒須は名前も知らない三人を順番に見やると、にこりと笑って見せた。


 愛想が良いのは黒須の特性として生きている。


「ひとりだけど?」


 しかし顔は笑っていてもどこか冷えた声音で返された返答に、三人はたじろいだ。

 今それが地雷だとは思いもよらないだろう。


 一瞬戸惑ったものの、気を取り直した三人は更に地雷を踏むこととなる言葉を口にした。


「結城さんは?」

「ああ、いつも一緒に帰ってるよな」

「幼馴染みだっけ?いいよなぁ」


 何かと目立つ黒須とまことの関係は、他のクラスの者にもある程度知られている。


「今日は女子の友達と帰りたいらしくて」


 黒須は何てことないように、簡単に答えた。

 つもりだった。


「……え?」

「なに、黒須まさか」

「フラれたん?」

「ちょい、お前らオブラート!」

「あ、わりぃ」

「え、でもあの黒須が……?フラれ……」


 黒須のこめかみがひくりと動いたことに三人は気づかない。

 それどころか、墓穴まで掘り出した。


「あ、じゃあさ、俺らと遊びに行かね?」

「それ名案!気晴らし付き合ってやるよ!」

「ちょうど今、ボウリングでも行くかって言ってたとこだしな」


 悪い奴らではなさそうだった。

 本気で励ましてくれているのがよく分かる。


 ただそれは、全く不要の励ましではあるのだが。


「……いいね。じゃあ行こうかな」


 黒須は影のある笑みを浮かべると、三人にそう答えた。


 まことが帰るまでは、どうせ暇だしな。

 そんな軽い気持ちで。


「行こう行こう!」

「勝ったやつには賞品もあるぞ!」

「失恋なんて忘れちまえ!」


 気晴らしに付き合ってくれるそうだし。

 ちょうど良い。

 この鬱憤を発散させて貰おう。


 小室は部活、岡崎は他校の彼女とデートらしく、今日はいなかった。

 いればきっと彼らと過ごしたであろう放課後を、黒須は三人の憐れな男子と過ごすことに決めてしまった。


「よっしゃ!まずは前哨戦といこうぜ!」


 ボウリング場の入り口にあるゲームセンターに入ると、三人の内の一人が声を上げた。


 格闘ゲームのマシンの前に仁王立ちすると、鼻息も荒く腕を捲る。


「ふふん、受けて立ってやるよ」

「言ったな、かなやん」


 かなやん、と呼ばれた彼はどうやらこのゲームに相当の自信があるらしい。

 もう一人が不適な笑みを浮かべ同じく腕を捲り、残りの一人は黒須の横に立って二人の戦いを見守った。


 ゲームは始めこそ互角の良い勝負だったが、程なくして勝敗が決していた。


「あー、くっそ」

「はっはっは!俺に勝とうなど百年早いわ!」

「うぜぇー」

「やっぱ、かなやんは強いなー」

「なに、山さんもなかなかのものだったぞ」

「うぜぇー」


 負けた山さんは悔しそうではあるものの、笑顔だった。

 次元の低いやりとりも本人たちはとても楽しそうで、黒須はそんな三人を興味深く眺めていた。


「次、黒須もやるか?」

「お、できるのか?」


 かなやんと山さんが黒須の視線に気づき、声を掛けた。


 黒須はそれを受けて、少しだけ眉を下げると肩を竦める。


「やったことない」

「マジか!」

「よっし!じゃあやるべ!」

「今こそサッカーの借りを返す時!」


 俺の気晴らしじゃなかったのかよ。

 とは言わなかった。


 こういったゲームはやったことがない。

 だからやり方も分からなかった。


 黒須はきらりと輝くような良い笑顔を浮かべてマシンの前に立つ。

 そして、


「お手柔らかに」


 見よう見まねでマシンに手を伸ばした。


「しょえがねぇな」

「手加減してやれよ」

「は?手抜きなんかするかよ」

「「うわー」」


 文武両道。

 できないことなどありません。

 まさにそんな感じの黒須を負かすまたとないチャンスだと確信して、かなやんはにやりと笑う。


「ふふふ。じゃあちょっと遊んでやるよ、黒須」


 他のふたりはそれはないわーとか呟きながら、それぞれの後ろからゲームの行方を見守っていた。


 そして、その僅か数秒後。


「う、…嘘だろ」

「「……」」


 がくっと肩を落として項垂れているのは、かなやんだ。

 言葉をなくして目を見開くのは他の二人。


 かなやんのゲーム機の画面にはでかでかとLOSEの文字が浮かび、黒須のゲーム機には華々しくWINの文字が踊っていた。


「……え?」

「ちょ、」

「し、瞬殺!?」

「今、何が起こった?」


 パニックを起こす三人に黒須はにこりと笑いかけ、ゲーム機から離れる。


「なんか、運良く凄い技が出たみたいだな」


 そして、けろりとそんな事を口にすれば、


「は、はぁ!?」

「運!?」

「俺らですら初めて見たあの超絶技が!?」


 三人ははっと我に返り、黒須に詰め寄った。


「お前実はやったことあるだろ!」

「てかヘビープレイヤーだろ!」

「あれが運で出せるか!」


 しかしそうは言われても、初めてだったのは事実。

 黒須はただ肩を竦めて見せた。


「ま、マジか……」

「……マジで?」

「マジなのか……」


 どうやら本当に初めてらしいと察した三人。

 彼らはこの事実をもって、改めて黒須という男を理解した。


 やはりこいつはただ者ではない。


 勉強も運動もトップ。

 更に遊びですらトップクラスとか。


 勉強はできない、運動も苦手ではないがそこそこ。

 しかし遊びならやり尽くしている三人は、気がつけば心に火が着いていた。


「よし、黒須」

「ん?」

「今度は俺と、勝負だ!」

「「なべっち!!」」


 格闘ゲームは見ているだけだったなべっちが、黒須に宣戦布告した。

 かなやんと山さんはそんななべっちに、まるで魔王に挑む勇者を見つめるような視線を向けた。


 くすり、と。

 黒須が笑う。


「いいけど」


 言い様のないプレッシャーに圧され、三人のこめかみを汗が流れ落ちた。

 ぴしゃりと目の前に雷が落ちたような衝撃を受けた気がする。


「何で勝負する?」


 最早、雰囲気だけで気圧されてしまいそうだ。

 しかしまだ敗けを認める訳にはいかなかった。


 このゲームセンターは言わば彼らの庭だ。

 ビギナーにやられっぱなしというのは、プライドが許さない。


 なべっちは後ろを振り替えると、びしっとそれを指差した。

 かなやんと山さんはその指先へ視線を向けると、僅かに笑みを浮かべた。


「クレーンゲームだ!」


 次の勝負が決まり、黒須は不気味に笑みを深めた。


 それから、数分後。

 いくつかのぬいぐるみやお菓子を手に持つなべっちと、大量のぬいぐるみやら玩具やらお菓子やらを抱える黒須の姿がそこにあった。


「「「……」」」

「これは楽しいな。色々貰えるし」

「「「……」」」


 もう何も言えなかった。


 これも初めてだとか言っていたけど、その一回目でいきなりどでかいぬいぐるみをゲットするとか。

 ありえないだろ!!


 三人は開いた口が塞がらない。

 ほくほくと満足そうな黒須の顔を前に、呆然と佇むしかできなかった。


 むしろ、ここまで万能だと恐ろしささえ感じてしまう。

 本当に人間か?

 そんなことすら思い始めていた。


 そういった思いなど露知らず、店員からビニール袋を貰い景品を入れた黒須は、三人の元へ戻ると何かを思い出したように声を上げた。


「あ」

「「「!!」」」


 それには不覚にも、揃ってビクッとしてしまった。


「な、なんだよ」

「どどど、どうかしたか?」

「び、びっくりした……」


 動揺を隠しきれないまま反応すれば、声は震え、うまく喋れなかった。

 しかし、


「そういえば、ボウリング行くんだよな?」


 黒須がそう言うと、


「「「あ」」」


 三人は最初の目的を思いだし、すっと冷静になった。


「そうだった!」

「そうそう!」

「ボウリング!」


 そして交互に視線を交わすと、どこか悪どさを含む笑いを浮かべて黒須に向き直った。


 お。

 一度は消えかけた光が、また瞳に宿っている。


 黒須はそれに何かを感じて、自らも笑みを浮かべた。

 それはそれは、爽やかに。


 そして、舞台はボウリング場へと移された。




 三人はシューズを履き替えながら、堪えきれない笑みを浮かべていた。


「なあ聞いたか?」

「ああ」

「ボウリングも初めてだってな」


 かなやんがくくっとまだ靴を受け取っている黒須に聞こえないように笑い、なべっちがにやりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。


 丁寧に靴を履いた山さんはそんな二人を椅子に残して、すっと緩んだ顔を引き締めると、立ち上がって玉を選び始めた。

 かなやんとなべっちは、その頼もしさに少しときめく。


「山さん、頼もしいな」

「ああ。かっこいいぜ」


 山さんのベストスコアは余裕の200越え。

 うまいどころではない、凄いスコアを持っていた。


 それを知る二人は、余裕のある様子で椅子に寛ぐ。

 山さんが負ける訳がないと、信じていた。


 ボウリングは技術のスポーツだ。

 練習なくして、ハイスコアなど期待できない。

 つまり、今度こそはビギナーズラックなど起こらないと確信していた。


 漸く戻ってきた黒須に色々とやり方を教えてやれば、確かに初心者だと言うのが良く分かった。

 三人は今度こそ黒須を倒すべく、気合いを入れた。


「さあ、始めようか」


 山さんの芝居がかった声を合図に、最後の戦いが今始まる。


 スコーン!

 カコーン!

 バコーン!


 景気の良い音を響かせ、見事にピンが倒れていく。

 多少のストライクなら、運よく出すこともあるだろうとは思っていた。


 しかし、今。

 三人は信じられない光景を目の当たりにしていた。


 黒須の投げる玉が吸い込まれるようにピンに向かう。

 ある時は真っ直ぐの軌道だったり、少し曲線を描いていたり。

 はたまた速球だったり緩かったりと、バラつきながら。


 投げ方もそれなりに様にはなってはいたが、見よう見まねで投げている感じだ。


 しかしどういう訳か、その玉は決してガーターには落ちることなく、最後には真ん中へと転がり、結局一本も残すことなくピンを倒していった。


 三人はさっきまでの自信も既に消え失せ、電光掲示板にストライクの文字が繰り返し表示されるのを、呆然と眺めていた。


 どんどん積み上げられていくスコア。

 次はいよいよ第十フレームの三投目。


 実際に目にしたことのない記録に、三人以外にもギャラリーが増えていた。


 どくん。どくん。どくん。

 心臓の音が煩い。


 山さんはとっくの昔に戦意を喪失して、最後の一投を構える黒須を固唾を飲んで見守っていた。


 ふっ、と小さく息を吐いて黒須が動く。

 そして気負う素振りも全く見せることなく、最後の一投が放たれた。


 カコーン!


 一瞬静まり返る場内。

 その一拍後に沸き上がる、歓声。


 自動計算で表示された黒須のスコアは、300。

 計算する必要もない、フルスコア。


 結局投げた玉は全てストライクの、パーフェクトゲームだった。


「あいつ、やりやがった……!」

「敵わねぇ……」

「ああ、さすがだ……!!」


 感動と興奮の混じる言葉には、最早悔しさや妬みは感じられない。

 それどころかその目は涙ぐみ、黒須へと憧れの眼差しを向けていた。


 三人の心は、むしろ清々しかった。


「お前凄いよ!」

「かっこいいな!」

「俺らの完敗だ!」


 何でもないように戻ってきた黒須とハイタッチを交わし、キラキラと目を輝かせる。

 黒須はどうも、と軽く応えながらにこりと笑いかけた。


 本当に大した奴だ。

 さっき少し話した時に聞いたが、実はサッカーも高校の授業で始めてやったらしい。

 天才とは、正に彼を指す言葉だったのかと納得した。


 かなやんは実に良い笑顔を浮かべると、徐にポケットを探って一枚の紙切れを取りだし、黒須に差し出した。


「さあ黒須!そんな君にプレゼントだ!遠慮なく受け取ってくれ!」


 ああそういえば、賞品があるとか言ってたな。

 黒須は言われて思い出し、手を伸ばす。


「まあ、失恋したての黒須には酷なプレゼントかもだけど、それを目標に頑張れよ!」


 受け取って、それに視線を落とせば。


「サンキュー」


 黒須は笑みを浮かべていた。

 それはそれは、艶かしく淫靡な顔で。




 短時間で深い友情を築いた(と思っている)三人と黒須は、ボウリング場を出て繁華街を歩きだした。


 そろそろ日も暮れ始め、昼の顔から夜の顔へと姿を変え始める街並み。

 その中を、とりとめのない会話を交わしながらふらふらと行く。


 黒須は相づちを打ったり質問に答えたりしながら、まことの事を考えていた。


 この三人との時間もそれなりに楽しかったが、やはり心はここにはない。

 一時も絶えること無く、気持ちはまことへと向いていた。


 今頃何処にいるのだろうか。

 何をしているだろうか。

 楽しんでいるだろうか。


 そんな事ばかり考えていた。


 その気になれば、簡単にまことの事を関知することはできる。

 しかし、黒須はそれをしなかった。

 友人との時間を楽しめるように、まことに配慮してその居場所や行動は意識しないようにしていた。


 ああ。

 逢いたい。


 ほんの数時間の別れ。

 それでもこんなにも恋しい。


 黒須はまことを想いながら、賑やかな道を歩いていた。


 駅前広場の辺りまで来たところで、かなやんが声をあげた。


「あ!あれ黒須のクラスの女子じゃね!?」


 視線をやればそこには確かに、村上とその友人何人かがいた。


 大きな紙袋を持つ者や、タピオカミルクティーを啜る者、スマホを弄りながら笑い声を上げる者、ベンチに座って早口に何かを語る者など。

 それぞれ思い思いに過ごしつつ、広場の時計の下に集まっていた。


「ほんとだ」


 山さんも視線を向けて、覗き込むように前に乗り出す。

 黒須も後ろからすっと一歩前に出るとそちらに顔を向けた。


「結城さんもいるじゃん」


 なべっちが声にするよりも早く、黒須は他の女子たちの中にまことの姿を見つけた。

 しかしそれを目にした瞬間、自分だけ時が止まってしまったような、若しくは止まっていた時が漸く動き出したような、そんな不思議な感覚を味わっていた。


 まことだ。

 まことが、いた。


 無意識に黒須の頬が緩む。

 瞳にも灯が宿り、まるで熱を帯びているようだ。


 ああ。

 まこと。


 俺の、最愛の花嫁。


 人の姿の内に隠した魅力が漏れ出る。

 たまたま黒須の横を通り掛かった女性は、そのあり得ない色気に鼻血を垂らすと慌てて顔を覆った。


 しかし黒須はそれには全く気にも留めずに、まことを見つめたままその姿に目を奪われていた。

 そこにいたまことは、ひとりだけ制服ではなく私服姿だった。


 家ではだいたい動きやすいパンツスタイル。

 たまに外出する時にスカートだったりすることもあるが、露出の少ない落ち着いたものを好んでいた。

 しかし、今目の前にいるまことは。


「結城さんってスタイルまでいいのな」


 なべっちがしみじみと呟いたのを、黒須は聞き逃さなかった。

 三人に視線だけを向けてみれば、みんな一様にまことに見惚れていた。


 黒いキャミソールは長いレースの肩紐を首の後ろでリボン結びに縛ってある。

 その上に肩口の大きくあいた白いブラウスを着ているが、薄手の生地にキャミソールとしなやかな腕が透けて見えた。


 更にスカートは素足の太ももが大胆に見えるほどに短いデニム地のもので、少しヒールのある黒い可愛らしい靴を履いていた。

 そして、そんな姿でベンチに座るまことに、右隣に座る女子がメイクを施し、左隣に座る女子が髪を纏めていた。


 チークでほんのりと色付いた頬と、少し濃い目のカラーのリップが華やかに彩りを添え、肌の白さをより一層引き立てる。

 緩く編んで纏め上げた髪から覗く細い首筋は、吸血鬼でなくても吸い寄せられてしまいそうな程魅力的だった。


 その為、広場を通る者も老若男女を問わず、皆まことに目を奪われている。

 かなやん、山さん、なべっちも例に漏れず熱い視線を向け、黒須は眉間に皺を寄せた。


「できた!」


 ベンチから声が聞こえそちらに視線を戻すと、女子たちがまことを囲い騒いでいた。


「うわ!やっばい!」

「めっちゃ可愛い!」

「モデルみたーい!」


 立ち上がったまことにきゃあきゃあと声が掛けられる。

 照れながらも姿勢よく立つまことの、制服ではわからなかった綺麗な身体のラインが露になっていた。


「なぁ黒須、って、あれ?」


 なべっちが黒須に話し掛けようと振り返ったが、そこに黒須の姿はなかった。

 反射的に辺りを見回すと、


「そろそろまことを返してもらうよ」


 声が女子たちのいる時計の方から聞こえてきた。

 再び視線をそちらへ戻せば、


「え!?黒須!?」


 一瞬にして、黒須はまことのすぐ横に立っていた。


 え!何!?瞬間移動した!?

 と思った者も少なくはないだろう。


 しかし、誰もそう突っ込まないのは、もうそんな事は頭から吹っ飛んでしまったからだった。


「買い物してたのか?」

「うん。みんなが選んでくれたの」


 ごく自然に腰に回された腕。


「似合ってる」

「ありがとう」


 隙間なく寄り添う身体。


「これも」

「本当?メイクなんて殆どしないから、ちょっと恥ずかしい」


 首筋をなぞり、顎下に添えられた指。


「綺麗だよ」


 恥ずかしげもなく放たれ続ける、甘い言葉。


 隣のクラスの男子三人と、クラスメイトの女子たちは真っ赤になってただ二人を見つめていた。


 黒須は、今日はまことが家に帰るまで待つつもりだった。

 友人との時間を目一杯楽しんで欲しかったし、きっとまことも余韻に浸りながら帰りたいだろうと思っていた。


 例え、自分がどんなに逢いたくても、傍にいたくても。

 我慢しようと思っていた。


 しかし、偶然会えたのなら、もう遠慮してやる気はなかった。


「じゃ、プレゼントありがとな」


 不意に三人に向けてかけられた言葉に、一同ははっと我に返った。

 黒須は返事を待つことなく、景品の入った大きな袋を持つ手でまことの荷物も持ち、それとは逆の手でまことの腰を抱き直すと踵を返した。


「あ、今日はありがとう!また明日!」


 去り際に慌てて友人へ送ったまことの声だけをその場に残し、ふたりは繁華街へと消えて行った。


 残された男三人は、それを呆然と見送る。

 男子より早く落ち着きを取り戻した女子たちは、三人に歩みより、素朴な疑問を口にした。


「プレゼントって何?」


 首を傾げて軽く聞いた女子に対して、かなり言いにくそうに、かなやんがぼそぼそと声にする。


「いや……ウケ狙いのつもりだったんだけど……」

「はあ?」


 的を射ない答えに冷たく返され、慌てて山さんとなべっちも補足した。


「こないだバイト先の大学生の先輩にもらってさ」

「でも俺ら彼女いないし」

「黒須の動揺した顔が見れるかと思ったんだけど」


 回りくどく言い訳を重ねる三人に、意味の分からない女子たちの視線はどんどん冷えていく。

 なに言ってんだこいつらと言われているようで、三人はもごもごと口ごもりながら言葉を探した。


 すると、ひとりいち早く理解した村上から、はあと盛大な溜息が漏れた。


「バカ。あの二人はもうとっくにくっついてるわよ」


 その一言に固まる三人。


「そんな、じゃあ結城さんは、もう……」

「あれは純粋にプレゼントとして受け取ったわね」


 止めとも言える村上の言葉に、三人は落雷でもくらったかのようになった。

 他の女子たちもプレゼントの正体を悟り、激しくざわついている。


「ごめん、結城さん……」

「そんな……」

「結城さん……頑張れ……」


 ここに小室と岡崎がいないのが致命的だった。

 もしくは俺の嫁発言を聞いていた誰かさえいれば、この事態は防げたかもしれない。


 しかしもう遅い。

 彼らがいればきっとこの景品は阻止されていたのだが、それは既に黒須の手に渡ってしまった。


 残されたクラスメイト達は、ただ静かに二人が消えた雑踏を見つめていた。

 皆一様に、まことの無事を祈りながら。




「楽しかったか?」


 黒須がそう問い掛けると、まことはにっこりと笑みを返して頷いた。


「うん。クロも出掛けてたの?」

「ああ。こっちもなかなか楽しかった」

「そっか」


 黒須をひとりにしてしまったことに多少の罪悪感を抱いていたまことは、それを聞いてほっと息を吐き出し、嬉しそうに笑みを深めた。


 黒須がこうして普通の高校生のように過ごすことに、最初は違和感もあったが、今では大分慣れてきた。

 そんな中で、友人たちと楽しそうに過ごしているのを見るのは、まことにとっても嬉しいものだった。


 自分に無理に付き合わせてしまっているのではないかと思うこともあったが、今は純粋に楽しんでいるのだとわかる。

 それがとても嬉しくて、愛しくて。


 無限ともいえる時を生きる上で、この限られた時間を存分に楽しむことに、まことは大きな意味を見出だしていた。


 それは、自分がまだ人であると実感できる数少ない機会だから。

 とても大切な時間だと思っていた。


 悪魔になったことに後悔はない。

 それでもまだ、人としても生きてみたかった。


 だから、まことはそれに付き合ってくれる黒須に感謝していた。


「どこに行くの?」


 愛情の籠った瞳でまとこが問い掛けると、黒須はぴらりと一枚の紙を指に挟んで見せた。

 そこには筆記体で書かれた何かしらの英文と、2時間無料券と書かれていた。


 は?

 唐突すぎてよく見えなかったまことは、改めてその文字を目で追う。


 そして漸くその意味を理解すると、固まった。


「さっき貰ったから」

「え、え!?」


 黒い紙にゴールドの文字で書かれているのは、ホテルのスペル。

 それはなんとなく見覚えのある駅前のビジネスホテルのものではなくて。


 どう見ても、存在は知っていても馴染みのない、近くのラブホテルの優待券だった。


「え、行くの?今?」


 らしくなく声を裏返しながら問うまこと。

 それに対して当然とばかりににやりと笑う黒須に、まことは少したじろいだ。


 あ、この表情はまずい。

 行く気満々だ。


「えと、黒須くんのまま……?」

「まだ学校帰りだしな」


 え、そういう事?

 どう引き留めようかと考えつつ、当たり障りなく聞いてみれば身も蓋もない返答が返ってきた。


 まことは混乱を深め、次第に焦りを募らせた。


 別に、クロと触れあうのはいつもの事だ。

 まことだってそれを幸せで嬉しいことだと思っているし、触れたいと思えば自分から誘うこともある。


 でも。

 だからといって、「いいね!行こう行こう!」と意気揚々と賛同する事はできなかった。


 だって、その、場所が。

 ラ、ラブホテルだなんて……。


 まことには未知の領域過ぎて、焦りはどんどん深くなっていく。


 しかしそんなまことにはお構い無く、黒須は鼻唄でも口ずさみそうなほどの上機嫌で歩を進めていった。

 そんな様子を目にして、最早嫌だと止めることもできず、おろおろと少し後ろをついていくしかない。


 どうしよう。

 どうやって止めよう。


 まことがそんなことを考えていると。


「あ、制服はまずいか」


 不意に声を上げた黒須は、ごく自然に制服から私服へと姿を変化させた。

 当然のようにすれ違う人々は誰もその変化には気が付かない。


 そして、いやそういうことじゃなくて、と言いたいのに言えないまことを尻目に、黒須はまた意気揚々と目的地へと向かっていった。


 ああ。ダメだ。

 すごく楽しそう。


 まことはもう諦めて行くしかないと悟り、心を決めた。

 ぎゅっと手を握りしめ、こくりと唾を飲み込むと、黒須の横へと一歩歩み寄った。


 程なくしてホテルに着いてしまうと、黒須は手際よく受付を済ませ鍵を受け取った。

 そしてエレベーターで上階へ上がると、あっと言う間に鍵を開けて、気づけばもう部屋の中にいた。


 室内に入ると目に入るのは、大きなベット。

 そしてその目の前にはモニターがあり、アダルトな映像が流れていた。


「ク、クロ」


 顔を真っ赤に染めたまことが、懇願する様に黒須へ視線を向ける。

 他人の情事など見たことのないまとこは、恥ずかしさのあまり両手で顔を覆った。


 しかし、


「ん?ああして欲しいのか?」


 黒須はまことの願いとは裏腹に、ぎゅっと後ろから抱き締めて耳元で囁いた。


「ち、ちが」

「じゃあ、どうして欲しい?こうか?」

「えっ、やっ」

「ん?」

「は、恥ずかしい……」


 それを聞いたクロは、くすくす笑うとリモコンでモニターの電源を切った。


 ……わかっているくせに、いじわる。

 まことは少しだけ非難の目を向けてから、ほっと息を吐き出した。


 そんなまことに、黒須は笑みを深めてどさっとベッドに腰かける。

 こうしてまことをからかうなんて事は、殆どしたことが無かったが、これは癖になりそうだ。


 焦る姿も、少しむくれた顔も、堪らなく可愛らしい。

 それは普段の服装との違いも相まって、黒須を新鮮な気持ちにさせた。


 改めてまことを見つめると、黒須は口許を緩めて笑みを浮かべた。


「その服良いな」

「本当?」

「ああ。似合ってる」


 それを聞いて、まことも嬉しそうに微笑む。

 嬉し恥ずかしといった様子だ。


 黒須はじっくりとまことを鑑賞する。

 ブラウス越しに滑らかな背中が透けて見えた。


 普段よりも大分心許ない服装だからか、もじもじと恥じらう姿が可愛らしかった。


「みんなが選んでくれたの。服をあまり持ってないって言ったら、選んでくれるって」

「良かったな」

「うん」


 ああ。

 あの時、快く行かせて良かった。


 まことの本当に嬉しそうな笑顔に、黒須もつられるように頬が緩む。


「クロも友達と遊んできたの?」

「ああ。これお土産」


 ゲームセンターで手に入れた戦利品を、袋ごとまことへ渡す。

 まことはそれを受け取ると、中を覗いて驚きを露にした。


「凄い!」


 お菓子やらぬいぐるみやら雑多に詰め込まれた袋。

 まことはそれを溢さないように抱えると、嬉しそうにくしゃりと笑った。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 どうやら、思いがけずサプライズになったようだ。

 黒須は満足げに笑みを深めて、まことの髪を撫でた。


 こういう反応を見れるとは思わなかった。

 たまには少し離れて過ごすのも悪くないな。


 まことはおとなしく黒須に頭を撫でられていた。

 袋を抱えて俯きがちしていたので、お土産の中身を見ているのかと思ったのだが。

 黒須は気が付いた。


 まことは動かない。

 それどころか、身体を固くして立ち尽くしていた。


「まこと?」


 呼ばれてゆっくりと顔を上げる。

 その顔は、赤かった。


 酷く困ったような潤んだ瞳が揺れている。


 まことはそんな瞳をゆっくりと動かすと、上目遣いに黒須を見つめた。


 外の見えない狭い密室。

 存在感を示すのは、綺麗に整えられた一際大きなベッド。

 普通の会話をしていても、どうしたっていかがわしい雰囲気が漂っていた。


 黒須の瞳がきらりと妖しく光る。

 微笑みを浮かべてまことを見つめれば、恥ずかしそうではあるものの、どこか物欲しそうでもあって。

 そらされることなく、視線が絡み合った。


 黒須はゆっくりと手を伸ばす。

 まことの首筋に指を沿わせると、ぴくりと微かに反応が反ってきた。


 そっと手を取って軽く引けば、まことは抵抗もなく黒須の腕に収まった。


 景品の袋を置き、頬を撫でる。

 そのまま耳元を少し擽ってから、顎を持ち上げる。

 黒須は優しく口付けた。


 モニターが切られ静かな室内に、艶かしい音がよく聞こえる。

 温かな唇を啄み、その柔らかさを堪能した。


 黒須がそのまま少し体重をかけると、まことは呆気なくベッドに押し倒される。

 それを切っ掛けにしてキスを深くしていくと、まことも腕を伸ばして黒須の首に回した。


 ゆっくりとお互いを味わう。

 貪欲に、淫らに、距離を詰めていく。


 ブラウスの裾に手を差し込んで肌を撫でる。

 まことは微かに身を捩りつつも、唇を離すことを許さない。

 自らも黒須の鎖骨を撫でながら、甘過ぎるくらいに甘いキスを堪能していた。


 気を良くした黒須は、そのまま手を滑らせ事を少しずつ進めていく。

 まことは時々甘い声を上げながら、応えていた。


 ……のだが。


「あ、……やっ、ん」

「どうした?」


 いつもと反応の違うまことに、黒須は手を止めた。

 顔を覗き込めば、興奮と戸惑いの混ざる不思議な表情。


 黒須は首を傾げてまことの言葉を待つ。


「なんか、……違う」

「は?」


 それだけ呟くと、目にうっすらと涙を浮かべて自分の肩を抱くまこと。

 その姿には、今は困惑と羞恥の感情が溢れていた。


 黒須は考える。

 そして、理解した。


 答えにたどり着けば、ついにやりと笑ってしまう。

 悪魔的に。


 そうか。

 高校生を演じる為に変えているこの姿。

 身体も手も少し幼さが残る、黒須の身体。

 この身体でまことを抱いたことは、今までなかった。


 そういうことか。

 黒須の身体だと、また違うんだな。

 まことはいつもとは違う刺激を感じて、戸惑っていたのだった。


 夫が相手なのに、別人のように感じてしまう。

 それが背徳的でもあり、更に興奮を掻き立てた。


 しかも。

 この空間も、淫らな気分を増長させる要素だらけだ。


 熟れた果実のような赤い顔に、涙で潤む瞳。

 求めるように薄く開いた濡れた唇からは、熱い吐息が微かに零れていた。


 まことの反応と表情が新鮮で、興奮する。

 黒須はぺろりと小さく舌なめずりした。


「まこと。これも俺だ」

「そ、そうだけど、……んっ」


 優しく囁きつつ、身体に顔を埋める。

 更に意図していつもとは違う刺激を与えてやった。


「ほら、こっち向いて」

「あっ、待って、待って」

「ダメ」

「えっ、…あっ!」

「これはこれで、いいな」

「ああっ」


 あいつらもなかなか役に立った。

 悪魔は満足げに笑う。


 こうして、プレゼントとして貰ったチケットは、黒須により大変有意義に使用されたのだった。

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