竹取物語前日譚
部誌文化祭号用に書いた。
ここまで書くの、ほんと大変だった。
一体何ど超新星爆発が起こったか……。
「天の羽衣の没収。不死の薬の禁止。姿の変化。そして青の星への期限付きの追放。それが其方への罰だ」
なんでこんなことに?
私は呆然と父の顔を見上げる。そこにはなんの感情も見えない。
父のお付きの天人たちに天の羽衣を脱がされながら、私はひたすらどうしてこうなったのかを考え続けていた。
「この薬をお飲みください」
冷たい目をした天人が差し出した小さな壺。これにはきっと、人を変化させる薬が入っている。
私は震える手で、それを飲み干した。
「不死の薬を隠し持ってはいないな?……それでは、連れて行け」
あぁ、待って、待ってよ、父様。
お願いだから、そんな目で見ないで。
そんな、何も関心がないような目でーー
その日私は、人間世界へと、落とされた。
***
天人が青の星と呼ぶその世界は、人間たちの世界だ。
そこにいる人間たちは、日々メシと足を引っ張り合い、火のついた松ぼっくりを投げ合っては、醜い争いに明け暮れているらしい。
そんな世界にたった一人で落とされるというのは、実質死刑宣告だ。とは言っても、不死の薬がある限り、天人は死ぬことがないから、結局は帰れるのだけど。
……ん? あれ? 私帰れなくない?
私は今、不死の薬を持っていない。つまり飲めない。
父様は、具体的な期間については何もおっしゃっておられなかった。こういう時は大抵、死ぬまで迎えに来ない。
……うん。私の天人生、終わった。
天を仰いだ私の目には、月のものとは違う青い空が映っていた。
いつの間にか気絶していたようで、太陽が眩しくて目が覚めたのだ。
ほんとに青の星に来たんだなぁ、っていう実感と、なんでこんなことに、という困惑が、胸の中でぐるぐるしていて、なんだか痛い。
なんとなく下を向くと、見慣れた自分のものではない手が映った。にぎにぎするとついてくる。これが変化だろうか。
首を回して、自分の姿を確かめた。
全身真っ白な毛。発達した脚。そして特徴的な胸ものの三日月の形の金色の毛。
……月うさぎだ。
うわぁ。よりによって月うさぎか。
天人にとって月うさぎは厄介者だ。これはとあるうさぎ好きの天人が青の星から持ち込んだうさぎが、大繁殖して野生化したものだ。月の過酷な環境に耐えられるようにと、そのバカな天人が自分の不死の力を分け与えてしまったため、死なないのに大繁殖して、一時期は大騒ぎになった。
天人の不死性は薬あってのものだから、不死の薬が作れない月うさぎはいつか死ぬだろうとわかってからは、嘘のように騒ぎも収まったけど。
それでもせっかく作った庭園を荒らしたり、ひっきりなしにお米を盗んでは餅をついたり、いろいろと迷惑な連中である。
そのとき、うさぎになって聞こえやすくなった私の耳が、かすかに物音を捉えた。
野蛮な人間の世界だ。そこに住む獣たちも野蛮で凶暴だろう。
私が最後に不死の薬を飲んだのは……二月ほど前だ。効力は切れ始めている。
殺されるかもしれない。
ぼんやりとそう思った。
それでいい、と思った。
どうせ死んだって父は迎えに来ない。
こんな野蛮な世界で、よりによって月うさぎとして、生きるために奔走するより、黄泉の国で楽しく暮らす方がずっといい。
そう、思うのに。
どうしてこんなに心臓が痛いのか。
こんなの初めてだ。
そうこうしている間にも、物音は近づいてくる。
私はそっと音のする方に視線を向けた。
一対の目が、こちらを見ていた。まんまるい目をしている。
「……神の御使さまか?」
そこには、『人間』がいた。
多分……男。自信はない。
「……震えてる。驚かせてしまい、申し訳ない」
ふる、えて? 私が?
そこで初めて、私の体が小刻みに揺れていることに気づいた。
わけがわからないことだらけだ。この痛みも、震えも。
だんだん混乱してきたところに、その人間が近づいてきた。
「失礼しますよ、っと……ありゃ、こりゃぁひでぇ怪我だ。かわいそうに」
え? え? な、何?
急に手と体の隙間に手を入れられたと思ったら、視線が高くなっていた。
というか、怪我? 私が怪我してるって言った?
何にも痛みとか感じないんだけど。
……いや、待って、顔、近づけないで。って、近い近い!
人間の顔が、ものすごく近い。まつ毛の一本一本が、見える。息が顔にかかって、顔を顰めた(当社比)。
「う〜ん、家にあったかなぁ……まぁ、なくても作りゃいいか」
よ、よかった。顔が離れていった。と安堵するのも束の間。
人間が歩き出した。
私を抱いたまま。
って、ううぇ⁉︎ どこ行くの⁉︎
もう混乱は絶頂に達して、とにかくこの人間の手から逃れようと、しゃにむに暴れ回ろうと、した。
と思ったんだけど、みじろぎくらいしかできなかった。
「おお、体勢が悪いか」
体の位置を直された。
う、うーん、確かに寝そべりやすくはなったけど……そういうことじゃなくて。
というか、なんで動かない?
そういえば、私は怪我をしているらしい。
そして、ついさっき変化したばかりだ。
変化には体力を使う。人間で言えば、一生分の体力とほぼ変わらない。まぁ、永遠の命を持つ天人には関係ない。
はずだった、けど。
薬がない天人は、人間とほぼ変わらない。
その上、怪我までしていたら?
……ん? あれ? 私、すでに死にかけているのでは?
そのことに思い当たって、違う意味で震え上がっていると、いつの間にか目的地についていたらしい。
人間が私をおろした。
そしてすぐに、慌ててどこかに行ったと思ったら、なんかの草の汁をぶっかけられて、汚い細く薄い布で頭をぐるぐる巻きにされた。
それから、何かを目の前に出された。
人間も同じものを食べているところを見るに、これは食べ物らしい。とてもそうは思えないけど……空腹には勝てなかった。天人だって食べないとお腹が空くのだ。
意外と、美味しかった。多分、今ままで食べたことがないほど温かい食べ物だったからだろう。
そして今は、人間が何かを作っているところを眺めている。
さっきは混乱していて気づかなかったけど、人間は背中に何かを背負っていた。その何かから取り出した何かを、割ったり削ったり組み合わせたりして、何かを作っている。
と、その時。
「あら? あなた、お戻りでしたか……と、そのうさぎは?」
人間が、もう一人やってきた。
多分、女。自信はない。
「神の御使さまだよ。怪我をなさっていたから、手当をしに戻ってきたんだ」
「あらあら、まあまあ。確かに、神々しいほど真っ白で、美しい毛並みですものね。傷が痛々しいこと」
もう一人の人間は、そう言って微笑みながら手を伸ばしてきた。
何をされるか、と警戒していたが、そっと体に手を添えらえただけだった。
労わるようになでるその手が、温かい。
……もう少しだけ。
一瞬、そう思った。思ってしまった。
その一瞬のうちに、彼女は手を離してしまった。
「あら、あなた、晩御飯を先にお食べになりましたね。神の御使さまのためとはいえ、いくらなんでも早すぎます。夜にお腹が空いても知りませんよ」
「今日は早めに寝るから、平気だよ、婆さん」
「そんなこと言ってないで、一つでも多くの籠を作りなさいな」
私の頭上で交わされる、そんな会話を聞きながら、私は二人を見つめていた。
どのくらいそうしていただろうか。
「……っと、できた」
少しうとうとし始めた時、人間……彼の方が、突然声を上げたので、ビクッとして起きてしまった。
「おお、起こしてしまったか」
大して申し訳ないとも思っていなさそうな声だ。
何かを持って、火のそばで寝そべっている私の方に近づいてきたと思ったら、彼は私を持ち上げて、その何かの中にそっと入れた。
これは籠らしい。その中にたくさんの藁と布が敷き詰められている。
いつも使っていた羽毛の布団とは比べ物にならないけど、それでも床に寝るよりは柔らかく、温かかった。
「これでよく眠れるだろうて」
そう笑いかけた彼の目を、じっと見上げていた。
窓から見える空が、だんだんと暗くなって来て、赤い色が差し始めたと思ったら、あっという間に暗くなった。
囲炉裏の火が消えるまでは籠を作るなど色々していた彼らだが、火が弱くなると布団に入ってしまった。
会話もすっかり途絶えて、やがて寝息が響いても、じっと彼らを見ている。
不思議だ。野蛮だと聞いていたのに、そんな様子微塵もない。
この二人が特別なのか、それとも人間全部がそうなのか。
どちらにせよ、天人たちとは大違いだ。
天人とは、神殺しの種族だ。
昔々の大昔。
まだ神々と人間との境がはっきりしていなかった時代。
父は神を喰らった。
それによって、永遠の命と膨大な知識、そして神の力を手に入れた。
父を恐れた神々は、父を月に閉じ込めた。
それだけでなく、定期的に供物を捧げるようにと命じた。
収穫した穀物の半分と、天人の子供を。
そして、今回は私が生贄に選ばれた。
なのに、私は死にたくなくて、捧げる穀物を食べて食い繋ぎ、逃げようとした。
当然、神々は烈火の如く怒った。
天人たちはその怒りを恐れ、収穫した穀物の三分の二と、代わりの子供二人を捧げた。
そしてそのような事態を引き起こした私は、青の星に追放となった。
そんな彼らにとって、子供とは生きながらえるための道具でしかない。
私のせいで、神の怒りを買い、他の子供を二人も犠牲にした。
それが、私の、罪。
開けっぱなしの窓から、月が見える。
父たちは今もあそこにいるんだろうな。
娘のことなんて、気にしないで。
それからしばらく、二人の寝顔や上下する布団を眺めながら、ぼーっとしていた。
窓から月が見えなくなり、真上に来ても、まだ眠れなかった。
……そういえば、神々は天人を月に封じたけど、天人が青の星に干渉できないわけじゃないんだよね。
来ようと思えば来れるし、青の星から人を攫うことだってできる。
もしくは、直接声を届けることもできたっけ。
「おい」
そうそう、こんなふうに頭の中に直接……って。
「……父様、ですか?」
「其方にそう呼ばれる筋合いはない」
「……そう、ですか。申し訳ありません」
相変わらず、ぬくもりを一切感じない声。
私は少し目を伏せた。
「なかなか面白いことになっているようだ。人間と一緒にいるとはな」
「……」
少しも面白そうとか思ってないくせに。
口には出さないように気をつける。
「ここから三度目の十五夜の真夜中に迎えに来よう。それまで、その者たちに其方を育てさせようと思う」
「……え?」
「罪人とはいえ、天人の命を助けたのだ。褒美を取らせねばな。ただし」
矢継ぎ早に言われてただでさえ混乱していたけれど、続く言葉を聞いてスッと頭が冷えた。
「お前はその後すぐに供物となれ」
あぁ。やっぱりこの人は。
私を道具としか思っていない。
胸がズキズキする。
これまで当然として受け入れてきたこと。
それなのに、なぜーー。
「……はい」
私はそう答えるしかなかった。
会話が終わって目を上げた私の視界に入った彼らの寝顔は、とても穏やかなものだった。
***
それからすぐに、私は父の力でどこかに移された。問答無用とばかりに。
父の転移は乱暴で、その衝撃でどうやら気を失っていたようだ。
気がついたら、真っ暗で狭いところにいた。
「どこ? ここ……ぁ」
声が、出る。
うさぎだったので、声が出ず、父とも頭の中で会話してたのに。
気づけば、いつの間にか服を着ているようだ。布が触れ合う感触がする。
しばらく、ぼーっとしていた。
彼らは大層驚いただろうなぁ。
昨日まで面倒を見ていたうさぎが突然姿を消したんだから。
父は、私は彼らの子にすると言っていた。
つまり私は彼らの娘になるということだ。
……実感がない。まぁこんな暗いところに閉じ込められてたら当たり前だけど。
ぼんやりしていると、音が聞こえてきた。
何かを叩きつけているような、それでいて鋭い音。風切り音もする。
その音はだんだん近づいていた。
並行して、私の心音も大きく、早くなっていく。
だって、わかる。
私の新しい父になる人が来たんだって。
なぜって? それはわからないけど。
いや……やっぱり、わかったかも。
ついに、すぐ近くまできた。
しばらく立ち止まっている様子だったが、決心したのか、風切り音を響かせる。
私のすぐ上の方から、光が差し込んできた。
……あぁ、やっぱり。彼だ。
初めて会った時と同じような、まんまるな目をした彼。
父とは違う、暖かな目。
その目を見つめて、私は微笑んだ。
私は生贄として生まれた。
一度はその運命を放棄した。
それでも、彼と、いや、父さんと母さんに出会えた。
だから、すぐに離れ離れになってしまう運命でも。
私はこの優しい人たちと一緒に……。
本編へ続く。