最終話
ラティエシアは必死なモシェニネの問いかけには答えなかった。
今度はモシェニネのすぐ隣から声が聞こえてくる。
「『なんだこいつ、素直そうなふりしてこんなに腹黒い性格だったのか。ラティエシアの方がおしとやかでまだマシだったかも』……うわあっ!?」
今度は王子が口を押さえる。
魔法で引き出された王子の本音に、モシェニネが耳まで真っ赤にして叫び始めた。
「ひどい! ディネアック様、そんな風に思ってたんですか!?」
「君だって! 『あなたと一緒にいられれば王妃の地位なんてどうでもいい』と言っていたのは嘘だったのか!?」
「違うんです! あの女が! 私が思ったことなんて一度もないセリフを勝手に作りだして私にしゃべらせたんです! 信じてくださいディネアック様あ……!」
丸めた両手を目元に添えて、ひっくひっくと泣きじゃくりだす。
手の陰に見える目には、まったく涙は浮かんでいなかった。
「『ウソ泣きすれば、王子はすぐに信じてくれる……』」
「『また嘘泣きか。放っておくとヒステリーを起こして面倒だから、なだめてやらないと……』」
「ぎゃっ」
「うわっ」
ふたりの悲鳴がぴったりと重なる。
睨み合ったふたりは完全に揃った動きでラティエシアに振り向くと、ほとんど同時に叫んだ。
「もうそれやめて! しつこいのよ!」
「馬鹿にするのもたいがいにしろ、ラティエシア!」
「ディネアック殿下、モシェニネ様。お心が通じ合っているようでなによりです」
「……。ふっ」
ラティエシアが淡々とふたりに応じた瞬間、背後から魔王の吹き出す声が聞こえてきた。
顔を振り向かせると、魔王が口を押さえて笑いをこらえていた。
目が合った途端、温かな笑みを浮かべて『よくやった』と褒めてくれる。
「『魔王様、なんて素敵なお方。王子よりイケメンじゃない』……ぎゃああっ!」
モシェニネが、世界の終わりのような悲鳴を広間に響かせた。
王子がすっかりあきれかえった白い目で恋人を見る。
その視線に動揺しながら、ラティエシアに懇願し始める。
「もうホントにやめてってばあ! もうあんたのことを悪く言ったりしないから、これ以上いじわるするのはやめて……!」
「ええ、善処します」
「くっ……!」
必死の訴えをラティエシアが軽くいなせばモシェニネが思い切り頬を引きつらせる。令嬢らしさの欠片もなくなった視線を真正面から受け止めていると、魔王が腰に手を添えてきた。
「さて。もはや長居は無用。我と共に、魔界へ参ろうぞ」
「はい!」
うなずいてみせた途端、膝裏をさらわれて抱き上げられた。初めてされるお姫様だっこに驚き、慌てて魔王に抱きつく。また他の令嬢たちの甲高い悲鳴が広間に響き渡った。
魔王は様々なハーブの混ざったような爽やかな香りがした。初めて嗅ぐその香りと美しい顔の近さに心臓が騒ぎ出す。
ラティエシアが緊張感に固まっているうちに、魔王の背中に濃い紫色をした魔法の粒が収束していき――見事な翼が出現した。
大きなそれを一度羽ばたかせれば、部屋の隅に立ち並ぶ人々の服が揺れる。
同時に魔法の光の帯が床をなぞっていき、庭に面した窓が一斉に開いた。
魔王はラティエシアを横抱きにしたまま王子に顔を振り向かせると、軽く頭を下げた。
「では、これにて失敬。不可侵条約を破った詫びは改めてさせてもらう」
「ま、待て! ……『ラティエシアを連れていかれてたまるか! 魔力を抜き切ってから側妃にして、言いなりにするつもりなのに……』、――はっ!?」
ラティエシアはまたしても王子に魔法を掛けたのだった。
(私を封印したのは、そんな将来を思い描いていたからなのね)
あまりに身勝手な発想に、気色悪さを覚えて頬が引きつりそうになる。王子はそれほどまでに『自分よりも魔力の強い婚約者』が許せなかったんだ――。
王子があたふたと口を押さえる横で、モシェニネが拳を上下にぶんぶんと振って怒り出した。
「ディネアック様!? 『側妃なんかいらない、お前がいればそれでいい』って言ってたのもウソだったんですか!? もう、信じらんない!」
「いや、今のは! あいつが勝手に捏造した発言であって……!」
ぎゃあぎゃあと言い争いをする声を聞きながら、ラティエシアは魔王の腕の中でそっと微笑んだ。
旅立ちの空は、雲ひとつない快晴だった。
風を切り、森を越え、いくつも山を越えていく。
初めて見る高い所からの光景に夢中になっていると、眼下の景色はいつの間にか見慣れぬ植生に変わっていた。
ラティエシアは、風をはらんだ髪を押さえながら魔王に振り向いた。
「ウィズヴァルド様。私はもう、魔力を抑えなくても誰にも嫌がられないのですね」
「ああ、そうだ。これからは我が城で、心のおもむくままにのびのびと過ごすがよい」
「はい!」
本当に私、自由になれるんだ……! 感激に目の奥が熱くなる。
「ウィズヴァルド様。私、今、とても幸せです」
「そうか。だがそなたは我の元で、より一層幸せになるのだぞ。我は、そなたが喜ぶならば何だってしよう。何着だってドレスを仕立てさせるし、そなたの口に合う料理だっていくらでも作らせよう。部屋もそなたの望む家具を用意する。魔界にも風光明媚な場所はたくさんあるから、共に見に行こうではないか」
「ありがとうございます、ウィズヴァルド様」
ラティエシアは、胸に込み上げてくる熱に任せて思い切り魔王に抱きついた。
たくましい肩に頬を擦り寄せれば、お返しとばかりにラティエシアを抱える腕に力がこもり、髪に頬ずりしてくる。
照れくさいけれど、嬉しくて仕方がない。
しばらくその感触に浸ったあと、そっと身体を起こして金色の瞳をじっと覗き込んだ。
「ウィズヴァルド様。私、人のぬくもりがこんなにも幸せを感じさせてくれるものだなんて、今まで知りませんでした」
「ラティエシア嬢。これから毎日、こうして共に幸せを感じて参ろうぞ」
「はい、ウィズヴァルド様」
大きくうなずいてみせた途端、魔王が目を伏せてラティエシアの髪に唇を寄せた。ちゅっと小さく音を鳴らす。
「……!」
突然の出来事に、びくりと全身が跳ねる。淡いピンク色をしたシャボン玉みたいなオーラが次々と胸から飛び出してきて、風にさらわれていく。
ラティエシアが恥ずかしさのあまり固まっていると、至近距離にある顔が歯を見せて笑った。
「今のはまだ早いか?」
「が、頑張って、慣れて参ります……」
「そうか。毎日少しずつ、慣らしていこうではないか」
「よ、よろしくお願いいたします!」
ラティエシアがどきどきしていると、魔王が目映い笑顔で何度もうなずいた。
優しい眼差しに、つい見とれてしまう。
いつまでも眺めていたら、魔王の方から視線を逸らした。ほんのり頬が赤くなっている。
ウィズヴァルド様も、照れたりなさるのかしら?
そう尋ねようとした矢先、魔王が黒い翼を大きく羽ばたかせてさらに上空に舞い上がった。
はるか遠くに、かすかに大渓谷が見えてくる。
人間界と魔界とを隔てるあの谷を越えた先に、どんな日々が待ち構えているのだろう。わずかに不安がよぎる。
すがるように、金色の瞳をこっそりと見上げる。するとすぐに視線に気付いた魔王が顔を綻ばせてくれた。優しい笑顔にたちまち前向きな気持ちでいっぱいになる。
(ウィズヴァルド様と一緒なら、きっと大丈夫)
ラティエシアは力強い腕に包まれる中でそっと微笑むと、もう一度、心優しき魔界の王にぎゅっと抱きついたのだった。
〈了〉
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