第4話
小さく咳払いをした魔王が真剣な面持ちに変わる。
「実は、魔界から人間界に幾人も偵察者を送り込んであるのだが、その者たちからそなたの状況を報告させていたのだ」
「偵察者……魔族の方が、人間界にお住まいでいらっしゃるのですか?」
「ああ。だからこそ此度の封印刑も、準備段階から把握していた」
「王家内部の情報まで……。優れた偵察者でいらっしゃるのですね」
一体どこに潜んでいたのかしら――角が生えた人など見たことがない。きっと見事に人間に擬態しているのだろう。
そんなことを考えていると、魔王が深く息を吐き出した。
「しかしよもや、あの愚鈍な王子が本当に実行するとはな。そなたへの蛮行、到底許されることではない」
「恐れ入ります……」
「だがそれ以前に、監視されるなぞ気持ちのいいものではなかろう。非礼を詫びよう」
「いえ」
首を振ってみせる。ラティエシアは監視されていたことより、魔王が王子の所業に対して怒ってくれたことが嬉しかった。
胸がいっぱいで、感謝を口にするよりも先に手が動いていた。魔王の手を両手で包み込み、きゅっと握る。魔王を見上げて顔を綻ばせてみせる。すると、
「……!」
魔王が目を見開いた。金色の目がわずかに泳ぎ、ぎこちなく視線を逸らしていく。頬も耳も赤らんでいるように見える。
続けて口元を綻ばせてため息をついた。
「まったくそなたは……! どこまで愛らしいところを見せつければ気が済むのだ。愛おしくてたまらぬ」
「……!?」
愛おしいだなんて、そんな、私のことが!? 本当に……!?
恐れ多さと恥ずかしさに目をまばたかせていると、赤面した魔王が空いた方の手を口元に持っていき、小さく咳払いした。
途端に真剣な眼差しに変わる。
「話を戻そう。我は、そなたの扱われ方について長らく胸を痛めていた。しかし表向きは不可侵条約を遵守しているがゆえ、静観せざるを得なかったのだ」
眉根を寄せ、怒りを滲ませだす。
「そこへ来て、何の罪もないそなたを封印牢に押し込め、その豊かな魔力を吸い上げるなど……許せるはずがない!」
語気鋭く言い放った魔王が、つないだ手に力を込めた。
「封印牢への侵入は、我が独断でおこなったことだと申し開きするから心配せずともよい」
「お気遣い、ありがとうございます……!」
私を助けに来てくださっただけでなく、責任を負うとまでおっしゃってくださるなんて……! 深い感動が、心に勇気を沸き立たせる。
「ウィズヴァルド様。私、ここから出たいです」
「ああ。ここはそなたに相応しくない」
「私自身の力で封印牢を打ち破りたいんです。でも攻撃魔法を習ったことがなくて……。もしよろしければ、教えていただけませんか」
「無論だ」
魔王がラティエシアの背後に回る。後ろから抱き締めるようにして、ラティエシアの両手を拾い上げる。
優しい手付きに思わず肩が跳ねてしまった。ここまで男性に近寄られたのは初めてだった。距離の近さに心臓が騒ぎ出す。身体の周りには、ピンクと淡い黄色の入り混じったオーラが出てしまっていた。くすっと笑う声が聞こえてくる。
動揺を見られてしまった――! 恥ずかしさと緊張とにラティエシアが息を詰めていると、頭の上から魔王が話し掛けてきた。
「始めるぞ。少し、驚かせてしまうやも知れぬが……」
「――うっ!?」
つぶやきが聞こえてきた次の瞬間、全身に衝撃が走った。目の中に光が弾ける。ラティエシアが持つ以上の強力な魔力を流されたのだった。
とはいえ不快感はまったくなかった。まるで手に手を添えられて文字の書き順を教わったかのような、『魔力をこう操ればいいんだ』という腑に落ちる感覚がした。
すぐに手を離した魔王が、今度はラティエシアの肩に手を置く。
「今の魔力の流し方で前方に放てば、火魔法と風魔法を同時に出せる」
「二種類の属性の魔法を同時に?」
「ああ。そなたは間違いなく、この牢を構成するすべての障壁を跡形もなく消滅させられる。それほどの強力な魔力をそなたは持っている。万が一、そなたが自身の魔法の威力に耐えられず吹き飛びそうになったとしても、我が後ろで支えてやるから存分に力を発揮するがよい」
「はい、やってみます……!」
たった今教えられたことを、身体の中で再現する。
魔力の強さ、属性の違う魔法の組み合わせ方、そして力の溜め方。魔法学を学ばせてもらったこともないのに、教えられた通りに身体の中で魔力の流れを再現できる。それは息をするくらい簡単だった。
だから私は、王子の婚約者にされたんだ――。
王家がラティエシアを手中に収めようとしていた理由が今ならわかる気がした。私はきっと、兵器にだってなり得る。
「……――いきます!」
自身への掛け声で心を奮い立たせる。
深い集中。視覚、聴覚、嗅覚も触覚も、すべてが消え去ったかのような錯覚。
全身全霊で火魔法と風魔法を同時に放つ。
ドーム状の空間に、すさまじい音と熱風が渦巻く。
その衝撃に耐えきれず、足元がふらつく。ラティエシアがよろめいた瞬間、魔王が優しく背中を受け止めてくれた。
風が収まる。
おそるおそる、目を開く。
そこは、封印牢に閉じ込められたときに立っていた広間の中央だった。
壁際に避難したパーティーの参加者たちが、怯えた顔をしてラティエシアたちを見ている。
その手前では、王宮魔導士たちが青ざめた顔をしていた。
「せっかく完成させた封印牢が……!」と嘆きながら次々と膝を突く。誰もが両手も床に突いて、がっくりとうなだれた。
落ち込むその姿からラティエシアが視線を外すと、王子とモシェニネの寄り添う姿が目に映った。手に手を取り合い、目の前で起きたことが信じられないと言わんばかりに揃ってぽかんと口を開けている。
しかしすぐに王子はラティエシアをきつく睨むと、忌々しげに叫んだ。
「封印牢を破るなど……! この化け物め! やはり貴様は私の婚約者として全く相応しくない!」
「――!」
化け物。容赦ない悪態が胸をつらぬく。
陰でそう言われているのは薄々感じていたが、直接言われたのは初めてだった。
目だけで辺りを見回す。誰もが眉をひそめてラティエシアを見ている。
やっぱり私は、誰からも疎まれる存在なんだ。
ウィズヴァルド様だけは、私に優しくしてくれたけど。
きっとただ、憐れんで助けてくれただけ――。
落ち込むラティエシアに、王子が追い打ちを掛けてくる。
「しかも魔族に助けを求めるなど! 不可侵条約を破ったその者も大罪人だ!」
「――!?」
王子の言葉に目の前が真っ暗になる。
私だけじゃなく、ウィズヴァルド様まで罰するとでもいうの!?
もしも本当に魔界の王を処罰したりなんかしたら、人間界と魔界との間に戦争が勃発してしまうかもしれない。ウィズヴァルド様はただ私を助けようとしてくれただけなのに……!
そう訴えたくても、今まで自分を抑えてばかりだったせいで言葉に詰まってしまう。
ままならない自分に焦っていると、王子が目を爛々と輝かせながら腕を振りかざした。
「皆の者、その不届き者の魔族を封印せよ!」
「ですが……」
王宮魔導師たちが互いに顔を見合わせる。その表情は、ためらいと自信のなさを滲ませていた。
魔術師たちの困惑した反応に、王子が顔を真っ赤にして床を踏み鳴らす。
「なにをもたもたしておるか! その者は不可侵条約を破った大罪人だぞ! 今度こそ貴様らの封印牢を成功させてみせよ!」
「――はっ!」
魔導師たちが表情を引き締めて、四方から一斉に魔法を放つ。
やめて――! 焦ったラティエシアが庇うより先に、魔法の光線は魔王を縛り上げていた。
光の中で、身を捩ろうとする。しかし魔王はほとんど動けないようだった。
「なるほど……。人の編み出した魔法もなかなかのものだな。初めて感じる魔力の流れだ」
苦しげなつぶやき。
このままじゃウィズヴァルド様が封印されてしまう。そんなの絶対にいや――!