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そして、彼女は笑った。

作者: 杉下樹

「‥あら?ごきげんよう。また会えるとは思いませんでしたわ、聖女様」


ほの暗い檻の中からベットに腰掛け、じっと檻の向こう側を見つめる少女。


簡素なワンピースを身に着けている彼女は、元々美しかったであろう白い肌も金の髪も今では艶を無くし、煤ぼけている。


一見、どこか疲れたような優しげな笑顔を浮かべているが、翠色の瞳だけは、憎悪に染まりながら真っ直ぐに檻の外の人物を見つめていた。


彼女は、聖女殺害未遂の罪で、3日後に処刑される。


※※※※


罪人アンナ・テレーズと、聖女マリア・テレーズは姉妹である。


聖女とアンナは、辺境にある領地をひっそりと治める男爵の娘として産まれた。

姉である聖女は病弱で、一日の殆どをベッドの上で過ごす生活をしており、妹のアンナは反対に風邪一つ引かない活発な少女だった。彼女達の両親はアンナを可愛がり、ベッドの上の聖女の元には一切行かず、ごく一部の使用人に世話を任せていたという。


その生活が変化したのが、聖女が男爵家の敷地内で偶々倒れていた聖獣を癒やした事がきっかけだった。


彼女達が産まれた辺境の地には、時折聖獣と呼ばれる生き物が姿を見せるときがあり、時には災いを、時には幸運をもたらすとされていた。


そんな聖獣が自身の敷地内で怪我をして倒れている事を、使用人から知らされたとき、テレーズ男爵は困惑し、恐れた。

対応を間違えてしまえば聖獣が災いをもたらすことを感じていた彼は、使用人や妻が対応を迫る中、暫く聖獣を見つめるしかなった。


そんな中、床に伏せていたはずの聖女がその場に現れた。そして、誰かが止めるまもなく、聖獣を彼女から湧き出る不思議な光使って癒やし始めた。


彼女の掌から漏れる光は、聖獣の怪我を癒やし、いつしか、気を失うように目を閉じる聖獣を起こした。

聖獣は聖女に気づくと、彼女を暫く見つめ、頭を擦り寄せた。

それを見た両親と使用人は驚く。

聖獣は人には簡単に懐かず、聖女と呼ばれる特別な力を持った乙女だけに懐き、聖女に懐いた聖獣は幸運を授けると伝承が残っていたからだ。


直ぐ様、男爵は国にその事を報告し、使いの者を寄越すように伝えた。


この国では幸運を授かる為、国の繁栄のために代々聖女は身分関係なく王族に嫁ぐ習わしになっていた。

実際に聖女との子どもは、皆見た目が美しかったり、聡明であったり、身体が丈夫な者が多く、その子ども達の代は国が安定して過ごせたと伝承にあったからだ。


娘が王宮に嫁ぐという事は、男爵家が王族と血縁的に繋がるということ。

テレーズ夫妻は、その事を喜び、今までの態度から一変し、彼女を宝物のように接した。

聖女は、国からの迎えの馬車が来るまで、今まで貰えていなかった両親の愛を受け取る事が出来たのだ。


※※※※


そして、現在。

聖女は、罪人になった妹と檻越しで対峙している。


「お久しぶりね聖女様。また随分お綺麗になったわね。王宮の暮らしは、楽しいようで安心したわ」


檻の中の少女は笑みを崩さぬまま、聖女の様子をじっと観察するかのように見つめていた。


聖女の周りには、牢番の他に数名の騎士が罪人を睨みつけるように警戒しており、手には何時でも抜けるように、剣に触れていた。


聖女が何も答えずにいると、彼女はそっと息を吐き笑顔を貼り付けたまま、瞳はそのままにゆっくりと話し始めた。


「でもまさか、生きてるとは思いませんでしたわ。あの時、毒薬を確かに飲まれたはずなのに‥あぁ、聖なる力があるもの、そんなのは無意味だったのね?」


くすり、と花が咲いたように彼女は笑った。


「で?私になんの御用かしら?心配にでも来てくださったの?大丈夫よ、用意してくれた此処は薄暗くて中々居心地がいいし、牢番の方もずっと私の事を見守ってくださってるわ」


それを聞いて聖女の騎士が口を開いた。


「アンナ様、聖女様はせめて貴女を救いたいと此処に足を運ばれたのです。ご体調も完全に治っていない中、喉が薬で焼かれて声がでないのにも関わらず、貴女を想って」


騎士が言い終わらない間に、牢の中から笑い声が響いた。

何かおかしな事を聞いたかのように、彼女は涙を浮かべて笑い転げた。


「‥‥ッハハ‥‥ねぇ、救ってくださるの?あなたが私を?ご冗談はよしてよ。そんな事できない癖に」


聖女が、胸の前で手を強く握り締めるのを見て隣に立つ騎士は眉間のしわを濃くし、罪人を睨んだ。


「アンナ様、あなたは知らないでしょう。貴女が毒を盛った姉君が、貴女の処刑が何とか免除される様、尽力されているのを。それこそ、我らが止める程死力を尽くす思いで動いてくださってるのですよ!」


「だから、どうしたの?」


ぽつりと、檻の中で彼女が呟いた。


その一言は、先程まで笑っていたと思えない程、淡々としていて、いつの間にか目線は言葉を発した騎士に向けられていた。

大きな翠色の瞳は、瞬きもせずに騎士に向けられていて、思わず彼も言葉を詰まらせた。


「ねぇ、騎士様。私はどうして、この中に捕らわれたかご存知?」


目を逸らさず問いかける彼女に、ゴクリと唾をのみながらも、なるべくはっきりとした口調で答えた。


「‥貴女が、王宮に聖女様を迎える当日の朝、聖女様を毒殺しようとしたからと伺っております」


「あら、正解!流石、騎士様ね」


両手をパチパチと鳴らして、彼女は微笑んだ。まるで、小さな子どもが自分の出した問題に正解したかのように。


暫く、ご機嫌に笑っていた彼女はまた、聖女の方へと目線を向けた。


「‥ねえ、そういえばお父様とお母様はお元気?私、あの日からお会いできていないの、今どうしているか教えて下さらない?」


彼女の問にハッとした表情を浮かべ、聖女は何も言えず俯いた。

牢番の男が、それを一瞥し彼女の代わりに答えた。


「アンナ様、昨日もお伝えした通り、5日前にご両親は斬首刑により処されております」


男の声に、アンナは目を向けて少し驚く素振りを見せた。


「あら?そうだったわね。私ったらうっかりしてたわ。死んじゃったのね、ウフフッ、私のせいかしら?親不孝ものねフフフッ」


「‥聖女様、ご覧のようにアンナ様はご両親を亡くされた際に、少し心を壊されております。どうか、ご発言にもご容赦下さいませ。また、妹君はこの様な状況です。もしかすれば、このままご両親の元に送ってしまった方が幸せなのかもしれません」


男は憐れむように、檻の中の少女を見つめながら、聖女に話しかけた。

男の言葉に聖女は、眉を寄せながら、男と少女をじっと見つめていた。


「あ、そうだ!聖女様、折角いらしたのだもの、何かおもてなしさせて下さらない?私、色々と物語を知っているのよ?」


シン‥となった空気の中、アンナの溌剌とした声が響いた。


「よくね、家族で物語を読んだわ。あなたは知らないだろうけど、よく寝る前に読んでくれたのよ。時には物語を作ってくれる事もあったの」


アンナは、幸せな思い出を思い出すように、頬を少し赤らめながら聖女に語り始めた。

そんな話を聞かされた聖女を見て、騎士はアンナを睨みつけながら、こぶしを握り締めた。


「でも時々怖い話も話していたわ。言う事を聞かない子どもが、いつの日か悪魔と身体が入れ替わるお話。知っているかしら?」


「アンナ様、聖女様にそのような話はおやめください」


「最後は元に戻るのよね。あの時は私怖くて安心して泣いてしまったの」


「アンナ様!」


「あらら、少し位お話したっていいじゃない」


そうして、アンナは肩をすくめた。


「貴女は、人の心がないのですか。聖女様は、幼い頃からご両親の愛を貰わず、貴女が毒殺しようとしたせいでご家族を処刑されてしまったのですよ?」


「いいえ騎士様、まだ人の心はありますわ」


アンナがにっこりと笑みを浮かべてみせると、騎士はゾッとしたように顔を青ざめて口を閉ざした。


「だから、静かになさって?」


そして、ゆっくりとまた話始めた。


「ねぇ実は覚えてるの、お父様とお母様が死んでしまったことも。ずっと聞いてごめんなさいね。でも、信じたくなかったの」


牢番の男に微笑みんだ後、聖女に目を戻した。


「お父様とお母様は、淑女はいついかなるときも、笑っていなさいと人は如何なる理由があろうと憎んではいけない教えてくださったの。でもね、どうしても、あなただけは許せないのよ」


「ねぇ、聖女様。私は、覚えているわ。お父様が、お母様には内緒と私達にくれたクッキーの美味しさも。お母様が、お父様との宝物よと言って、私達を抱きしめてくれる温かさも。お姉様が、二人っきりで語ってくれた物語の数々も」


微笑みながらアンナは只聖女に声をかける。


「ねぇ、知っている?あなた・・・が来るまでの私達のお話を」


そして、柔らかく笑う彼女は語った。


「私は、アンナ・テレーズ。優しい両親と自慢の姉と一緒に暮らしていたの。特に姉は、身体が弱かったけれど、頭が良くていつも病に負けない強い心を持っていたわ。」

「一人で眠れない夜にいつも、お姉様のベッドに入って物語をせがんだわ」

「時々、私達は約束もしたの。二人だけの約束。どんな形でも両親を支えて行きましょうって、今思えばささやかで幸せな約束だったわ」



「でも、ある日の朝、お姉様を呼びにいったら泣いていたの。初めて、泣いて取り乱すお姉様を見たの」


「怖い、誰かが私の身体に入って来るの」

「返してって言っても聞いてくれないの」

「お父様もお母様も、その人に操られてしまうの」

「その人が私の身体を使うたびに、どんどん私が小さくなっていくの」

「アンナ、アンナだけは変わらないでお願いよ、って」


「そう言って、その日はずっと泣いていたわ」


ベッドに腰掛けていた彼女が、ゆっくりと立ち上がる。

アンナの話と雰囲気に押され、沈黙していた騎士たちは、彼女が動いたことで、ハッとするように警戒して剣に手をかけ始めた。


「その晩にお姉様は、熱を出した。一日泣いていたんだもの。身体が弱いお姉様だから仕方がないってお医者様は言っていた」


一歩、檻の中の彼女が聖女に近づく。


「その翌日、目が覚めたお姉様の身体には違う人が入っていた。見た目も声も一緒だけど、私には何故か黒い靄みたいなのが見えていたわ。お姉様では、ないと気づいたの。でも誰も、何を言っても、信じてくれなかった」

「それから、少しずつ周りもおかしくなったわ」

「何故か、お父様がお姉様だけを無視するようになった」

「何故か、お母様がお姉様だけを罵るようになった」

「気がつけば、優しくて穏やかな使用人や領民達も別人のように変わっていったわ」

「昔、聞いたお話のように」


また一歩、彼女は歩く。


「怖かった、知らないお姉様の姿をした誰かも、お父様もお母様もみんな」

「そんな時、お姉様の部屋の前から声が聞こえたの」

「お姉様の声で、『マンガの世界』やら『転生』やら『チート』やら知らない言葉が聞こえたわ」

「話し方もお姉様じゃなかった」


今まで、浮かべていた笑顔が消えた。


「周りからしたら、ほんの少しの変化かもしれない。でも、もう全てが、怖くて怖くて仕方なかった」

「私もいつか、みんなみたいに変わってしまうのではないか。私だけが狂ってしまったんじゃないかって」

「だから、自分で飲むように毒を用意したの」

「あなたが、それを見つけて飲んだ時は驚いたわ」

「『私が殺されなくちゃ、物語の流れから逸れちゃう』なんて言ってたわよね」


その言葉に騎士達がどよめく。


「‥アンナ様、一体何を‥?」


そして、檻すぐ前に彼女は立つ。


「ねぇ、どうして、お姉様なの?」

「どうして、私だけが変わらないの?」

「それとも、私が変わってしまったの?」


「教えて、‥返してよ、せめてマリアお姉様だけでも返して!」


ガシャンと、大きく響く音を立てて彼女は檻を掴み、聖女へと手を伸ばす。

間一髪で、聖女の身体は隣に立っていた騎士に引かれ、その手は空を掴んだ。

まるで、怯えるように肩を震わせる聖女を見て騎士はアンナを睨む。

アンナ様落ち着いて下さいと、他の騎士達が剣を掴みながら呼びかけていた。


「聖女様、これ以上は危険です。アンナ様は乱心なさっています。心苦しいとは思いますが、此処は一度離れましょう」


聖女は、警戒する護衛の騎士に誘導されるまま、牢に背を向けゆっくりと歩き出す。


「返して!お姉様を返せ!!」


悲痛な彼女の叫びが、聖女の背中で、牢の中で響いていく。

小さくなる背中を追いかけるように、今までにないほど大きく音を出しながら、檻を壊す勢いで揺さぶり、前へ前へと手を聖女にのばしていた。


聖女は少し歩いた先で、凄まじい形相で檻の隙間から手を伸ばす罪人を振り向き、そして













そして、転生者かのじょは笑った。

転生者

前世は高校生。信号無視のトラックに轢かれて死亡。

小さい頃に読んだ物語がずっと大好きだった。

今世は、マリア・テレーズに成り代わり、転生する。アンナ・テレーズ死刑執行後、四人の子宝に恵まれ、家族、国民に愛されながら、87歳でこの世を去った。


アンナ・テレーズ

辺境にある領地を治める男爵夫婦の元、次女として産まれる。優しい両親、病弱ながらも勝気な姉と穏やかに過ごしていた。夢は、姉と両親を支え領地を守ることだった。姉の聖女としての祝福を受け、物語の影響を受けなかった。


マリア・テレーズ

アンナ・テレーズの姉。生まれつき病弱だが、両親の愛を受け、自身の境遇に悲観することなく育つ。転生者が成り代わる前日、聖女の力に目覚めた。その際に予知夢を見て、初めて妹の前で取り乱し、無意識にアンナに祝福を授けた。その後夢の通りに高熱を出し、意識を失う。もういない。

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