第九十九話 神は、丑と、
◇◇◇
なんかイジメがキッカケ、ってのは複雑ではあるんだけども。
イジメのせいで気落ちしている私のことを、クラスの子たちが気にかけてくれていて。
そのおかげで、これまでに交流の少なかったクラスメイトとの絡みが増えてる気がする。
みんな話しかけてくれるし、虎前さんとも和解できたし。
ちなみに、その虎前さんなんだけども。
お昼休みのあの時に、ちゃんと向き合って、目も合わせてお礼を伝えた途端。
『もう無理だ〜!』って叫びながら、とんでもねぇ速さで逃げていった。
……その反応は流石にちょっと傷つくよ?
もしかしたらすごく恥ずかしがり屋で、スキンシップに慣れていないのかも知れない。
私は女の子とのスキンシップは沢山とりたいタイプだから、今後のことも考えて、虎前さんにはグイグイ接触していっちゃおうかな?
そんでいっぱいタッチして、スキンシップに慣れてってもらおう。
いや、でも普通に嫌がってたら、とんでもないセクハラになるか……うぅむ。
授業中にそんなことを考えながら、そういえば亥埜さんの様子を窺わないといけないってのを思い出したので。
コッソリ亥埜さんの方に視線を向けると……一瞬、目が合った気がした。
でもそれも気のせいだったのか、亥埜さんの顔は前を向いててずっと動かなかったし。
そのあとジッと見ていても、彼女の目は黒板を睨むように見つめ続けていた。
とても綺麗で様になる横顔だと改めて見惚れていたんだけれど、ふと視線を感じて目線を動かすと……。
私の方をみていた今丑さんとバッチリ目が合った。
挨拶してくれているのか、コクコクと頷いている今丑さんは珍しいことに……てのも失礼かも知れないけれど。
いつもの眠そうな感じじゃなくて、お目めパッチリ覚醒していて。
『流石に今丑さんもテスト前はしっかり授業を受けてるんだなぁ』などという、のほほーんとした感想を抱きながら。
挨拶を返すように、今丑さんに向かってパタパタと手を振り返して。
今丑さんを見習って私も真面目に授業を受けようと、黒板に書かれる板書に集中したのだった。
◇◇◇
その日の帰り道。
コンビニまでの通り道を、私は一人で歩いていた。
だって最近、戌丸さんも『あんまり買い食いしすぎちゃダメですよ!』なんて、お母さんと同じようなこと言い始めたんだもん。
戌丸さんはもっと甘〜いお世話の焼き方をしてくれるんだと信じていたのに、ぜんぜん甘やかしてくれなくなってきてるんだけど……。
いやべつに仲が悪くなったわけではないし、普通に仲良しこよし出来ているとは思うよ?
でも私だって、そんな厳しくされなきゃどうしようもないほどにダラシなくないし、いろいろ危機感が足りてないわけじゃないのに!
女子高生になったし、ちゃんと自己管理できる大人に成長してんのに! んもぅ!
なので『コンビニ行ってるのもバレなきゃ怒られないやろ』と、コソコソ帰宅しながらコンビニまで向かっているわけである。
もう少し進んで角を曲がれば念願のコンビニだ。
今日は虎前さんと仲直りできた、なんつぅめでたいことがあったし、買いたいものを沢山買って帰ろう!
部屋でひとりで仲直り祝賀パーティしないと!
それにテスト勉強を頑張るための英気も養わないといけないからね! フンスっ!
そんな腑抜けた予定を立てながら歩いている私の手を……誰かが突然ギュッと掴んだ。
「ふえっ!?」
きゅ、急になに!?
だれ!? お母さん? 変な人? だだだだれ!?
咄嗟のことでパニックになりながら、振り返って見上げた先には。
同じクラスの今丑さんのお顔があった。
「い、いま、今丑さん?」
「ごめんね神さん、驚かして……あと、先に謝っとく。これからもっと、ごめんなことする」
何故かヒソヒソ話みたいな小さな声量で、今丑さんはそんな不穏なことを言ったあと。
掴んでいた私の手を引いて、真っ正面からおもっきし抱きしめてきた。
……ん?
今丑さんオッパイでっかぁ……じゃなくてっ!
えぇぇ!? なになになに! なんで急にこんなご褒美!?
いきなり振って湧いたあまりの急展開についていけず、私は今丑さんのポヨポヨに顔をワンツーワンツー弾ませることしか出来なかったんだけど。
そんな私の奇行を胸で受け止めながらも今丑さんは、「ごめん。ちょっと静かにしててね……」なんて私がオッパイを満喫するのを許可してくれるようなことを言うもんだから、私は黙ってその言葉に従うしかなかった。
わーい! すごーい! とんでもねぇ。
私と同じ年の女の子だとは到底思えない。私がゼロだとすると今丑さんは『五億!』って感じだった。
そのまま抱きしめられ続けること幾数秒。
私も流石に『これ夢か……?』と疑い始めたころ。
私の腰を掴む腕の力が弛み、今丑さんのオッパイが一歩分、私の顔から離れていった。
あっ……もう終わり? 終わっちゃう感じ?
延長は? 延長できる? ダメ?
離れていく体温の寂しさが名残惜しくて、戸惑いながらアホスケベ面を晒している私の顔を、今丑さんの両手がソッと掴んで。
今丑さんの顔が私のすぐ目の前に迫ってきて……私は思わず目をつむった。
だけど……いくら待てども、その感触は訪れず。
そーっと目を開くと、今丑さんのくちびるは私のソレから離れたところでピタリと止まっていた。
……あ、あの?
えっ、あの……キスすりゅの?
し、しないのキス? おあずけ……ってこと?
私の視界はすべて、今丑さんの顔で塞がれていて。
くちびるはくっついていないけれど、それはもうほとんどキスしているようなモノで。
はたから見たらきっと、私と今丑さんはキスしているようにしか見えないほどの距離まで近づいていた。
さっきから今丑さんの突然の行動の意図がひとつもわからなくて、今どんな顔をしているのか、私をどんな目で見つめているのかを確かめるために。
くちびるに注いでいた視線を上に移していくと……今丑さんは私のことなんて、ぜんぜん全く見てはいなかった。
なんか流し目でよそ向いて、周りの気配を窺っている感じ?
どこ見てんねんマジで。大切なキスシーンやぞ。
そんな態度を取られたらさぁ! 私だって不貞腐れてタコの口になっちゃうよ?
あっ、んじゃしょうがないね。私の伸びたくちびるがたまたま今丑さんのくちびるに当たっちゃっても、それはもう事故だから。
意図してやったことじゃなくて偶然だからね。むしろ今丑さんのせいまであるからね?
いやまぁそんな勇気ないですが、などと考えていたところで今丑さんの顔はスッと離れていった。
ギリギリセーフってとこか……なにが?
……この時に至っても、アホみたいにアンポンタンなことしか考えていなかった私は気づいていなかった。
さっきから急接近が過ぎるムーブをかましている今丑さんが、今度は私の腕をつかんで突然走り出しても、頭パーのままで引っ張られるままに足を動かした。
「えっ、えっ?」
引っ張られるままに道を走って、近くの角を曲がってすぐのところで。
民家の外壁に身を潜める形で、今丑さんは身を寄せながら私の唇を塞いできた。残念ながら手でね。
もうさっきから本当に状況についていけず、朝起きたらジェットコースターに乗ってたときくらいに混乱していたんだけども。
そんな私の耳にも、つい先ほど私たちが走ってきた方向から響く何者かの足音が届いた。
タッタッタと少しずつ大きくなるその足音は、すぐそばの曲がり角の直前で、その響きを止めた。
「待ってて」
ようやく口を開いた今丑さんはそれだけを言い残して、道を戻るように角を曲がって姿を消したもんだから。
私はいま言われたことを二秒で忘れて、好奇心を握りしめて、今丑さんの後を追うように角を曲がったんだけど。
そこに居たのは……。
「……い、亥埜さん?」
腕を掴まれて捕獲された亥埜さんが、今丑さんを睨みながら立っていたのだった。
◇◇◇
『なんでこんなところに亥埜さんが?』ってな具合で、まったく状況を飲み込めていない私の目の前で。
「ちょっと! 放しなさいよ!」
「なんでずっと神さんのこと尾けてるの? それを教えてくれたら放してあげる」
バチバチと火花を散らして睨み合いながら、今丑さんと亥埜さんが言い争いを始めた。
「別に尾けてなんていないわよ。それよりアンタこそ神さんと何してたの? さっきのアレとか……まさかとは思うけど付き合ってんの?」
「さぁ、どうだろうね。気になるの?」
えぇ!? なんで今丑さん否定せぇへんの!?
もしかして私と今丑さんって付き合ってんの!?
マジで!? いよっしゃぁー!
「ちっ……さっきからなんなの? ていうか今だって、隠れて変なことしてたんじゃないでしょうね? 神さんパンツ丸見えだし」
「うそぉっ!?」
「えっ! あっ、しまった」
亥埜さんのとんでも指摘を受けて、今丑さんの目がこちらに向いて。
私だって『んな恥ずかしいことになってんの!?』と自分の下半身に目を向けると、ちゃんと女子高生の鉄壁のスカートに守られて、私のパンツはコンチワしていなかった。
とかアタフタやっている隙に、捕らわれていた亥埜さんは一瞬で逃げ去っており。
あとには私と今丑さんだけが残された。
「あーあ……逃げられちゃった。やるなぁ、まさか神さんのパンツを囮に使うとは。そっか、神さんのパンツは盲点だった……神さんのピンクのパンツを利用するのは卑怯だよね?」
「あ、あの、あんま私のパンツパンツ言わないで? 恥ずかしいですから……あと今日は水色なんで、本当に見えてなかったってことで良いんですよね? ねっ?」
「水色ね。ありがとう」
なにがありがたいんじゃ……。
というか、ちょっとこれ以上パンツの話を続けんのも恥ずかしいっての。
流石に一番気になっていたことに話を移そう。そうしよう。
「あの……今丑さんは、さっきからどうしてこんな……えと、なんて聞いたらいいかわかんないんですけど……」
「あぁごめん。突然いろいろしちゃったし、そりゃ混乱するよね?」
溜め息を一つ吐きながら、亥埜さんが逃げていった方をチラと一瞥したあと。
今丑さんが私におこなった、突然の不可解な数々の行動の理由を説明し始めた。
「今日、ずっと亥埜さんのことを気にしてたでしょ?」
「えっ……バ、バレてたんですか?」
「そりゃあんな下手な盗み見をなんども繰り返してたら、バレるも何もないんだけどさ」
うそん。
監視してた亥埜さんならともかく、関係ない今丑さんにすらバレていたとは。
メッチャ上手く偵察できてたと思っていたのに……。
「だから神さんと亥埜さんに何かあったのかなって、ちょっと気になってたんだ。それで亥埜さんのこともずっと見てたんだけど」
「でも、亥埜さんは別に……」
私が一日見張っていた限りでは、亥埜さんに気になるところはなかったし。
私のことをイジメてるのなら、もっと目が合ったり睨まれたりするかもって不安だったけど、結局は杞憂だったっぽいし……。
「亥埜さん、ヤバいくらいに神さんのこと見てたよ?」
「ええっ!?」
ウソぉ!?
でも、だって、ぜんぜん目ぇあわなかったよ!?
「あと、休み時間とかにも神さんの後をつけ回してたし」
「あ、あばば……」
じぇ、じぇんじぇん気づかんかった……。
私はまさかの報告にビックリしすぎて、自分の鈍さが怖くなった。
そんなことになってたのに、私ったらノー天気に過ごしてたっていうのかい?
そんなの私、ダメダメが過ぎるじゃん……。
危機感あるとか自己管理できてるとか、さっきどんな顔で抜かしてたんだよ。
「あの人の神さんに向けている視線もちょっと引っかかったから、放課後にダブル尾行させてもらったんだけど……流石に焦れったくなったから、亥埜さんを引っ掛けてみようと思ったんだよね」
「な、なるほど……それでさっきあんなことを」
「うん。言ってなかったし混乱したよね? ごめん」
「い、いえ……」
今丑さんのたぶらかし行動の意図は理解できた。
だけど、それでもやっぱり、まだまだ混乱はおさまらなくて。
だって亥埜さんが私のことを尾け回してたのが事実なら、やっぱり私をイジメてた犯人は亥埜さんの可能性が高いし……。
「やっぱり亥埜さんとなんかあったの?」
「……それが、わからなくて」
今までのいろんな嫌がらせを亥埜さんにされる、そのキッカケに心当たりがなさ過ぎる。
別に理由なんかなくて、ただ気に入らないからっていうことだったら……もう償いようもないし、どうしようもなくなっちゃうんだけど。
「あとさ? 神さん最近ずっと負のオーラまとってたのって、やっぱ亥埜さんが原因だったりするの?」
「あ、う……」
私はそれ以上なにも言えなくて、思わず口を噤んでしまった。
もし私が亥埜さんに、知らず知らずのうちに傷つけるようなことをしてたとして。
そんな無意識のうちにしてしまったことが原因のせいで、イジメが発生していたのなら。
今丑さんの言葉に頷いて被害者ぶるのは、なんか自分が許せなかったし……。
「まぁ、あんま気にしない方が良いかもね? 神さんが悩んでても、亥埜さんの目的がわからない以上はどうしようもないと思うし」
「でも、もし私が亥埜さんに何かしてしまっていたのなら……ちゃんと謝って、わだかまりはなくなって欲しいです……」
「そっか。神さんは優しいね」
優しい……私が?
そんなわけない。
そんなわけ、ないじゃんか。
イジメかもしれない、亥埜さんが犯人かもしれないって可能性が、今丑さんのおかげで確実になったように思えて。
その事実がハッキリと、『私は誰かに嫌われているんだ』って実感を強くしたからかもしれないけれど。
ずっと見ないようにしていた心の中の黒いモヤモヤが膨らんでいって、とうとう見て見ぬふりをすることが出来なくなって。
私の口は勝手に、こんなことを言うのもお門違いなはずの今丑さんに、懺悔の言葉を吐き出し始めた。
「私は今丑さんに褒めてもらえるような……立派な人間じゃありません」
「えっ? でも……」
「私はっ! 誰かを傷つけてるかもしれないのに! 嫌われるようなことをしたかもしれないのに! 他の人にたくさん気を遣わせて……」
今丑さんだって、私のために今ここにいてくれているのに。
こんな弱音を聞かせられても、絶対に困らせるし、迷惑だってわかっているのに……。
「自分だけでどうにかする勇気が出せないから……心の中で『誰か助けてくれないかな』、『慰めてくれないかな』って自分勝手に願っているような、弱くて卑怯な人間なんです!」
自分の感情すらもコントロールできないような、幼い子どものように甘えたがりな自分自身が嫌になる。
お母さんに心配かけないように立派になろうって。
ひとりでも頑張れるくらいに強くなろうって。
ゴールデンウィークが終わって、お母さんからまた離れることになったときに、そう思ったはずなのに……。
全然、なんにも変わっていない。
それどころか、甘えられるかも知れないって人が増えた途端に、頼って、縋って、都合よく願ってしまう。
私は本当に……情けない子どものままだった。
「私はそんなこと、ぜんぜん思ってないけど?」
ほら、今丑さんのこの言葉が欲しかったんでしょ?
結局なにをしても、何を言っても、誰かの『そんなことないよ』を望んでいる。
今丑さんの言葉で喜んでしまわないよう、私は俯いて、フルフルと首を振った。
ごめんなさい。
こんな茶番に付き合わせて、ごめんなさい。
優しい今丑さんを、落ち込んだ私を慰めるための都合の良い相手にしてしまって……ごめんなさい。
「……いまの私じゃ、神さんが納得できる言葉も、元気づけられるようなことも思いつかないや……ごめんね」
「いえ。今丑さんは私のために、たくさん頑張ってくださったじゃないですか。もう、十分です……」
「でも」
「本当にもう大丈夫ですので。あはは……帰りましょうか」
これ以上、今丑さんに迷惑をかけて。
さらには気を遣わせて、そんな悲しそうな顔をさせたくなかったから。
なかば逃げるように、私は寮までの帰路を歩き始めた。
「私じゃダメか……それなら、とっても臆病な頑張り屋さんに、なんとかしてもらおうかな」
今丑さんが最後に呟いたその一言は。
意地悪な風の音のせいで……私の耳には届かなかった。
◇◇◇




