第九十六話 神は、馬と、巳と
◇◇◇
羊ちゃんから癒しエネルギーを摂取してから一夜が過ぎて、次の日の体育の時間。
クラスメイトや隣のクラスの子たちが目の前でバスケの試合をしているのを、ボーッと眺めていると……。
「絶対に元気ないよね? どうして?」
私の隣に腰を下ろした馬澄さんから、唐突にそんな風に話しかけられた。
急に声をかけられたし、前触れもなくそんな言い当てられ方をされてしまったこともあり。
「えっ? あ、え?」
うまく否定することも出来ないままで、私はテンパってマゴマゴと言葉を溢すことしかできなかった。
「やっぱり……なんで? どうして元気ないの?」
私の様子を見て確信を抱いたのか、馬澄さんはメッチャグイグイと、まるで私のことを問い詰めるように質問を重ねてきて。
身体も強引に近づけてくるものだから、その圧にビビってしまい、思わず座ったままで後ずさってしまったんだけど。
いつぞやも同じような状況があった気するけど、馬澄さんがドンっと壁に手をついて、私の逃げ道を塞ぎなすった。
ドキーンッ!
馬澄さんみたいな顔が良い人に、こんないきなり壁ドンされたら、私きんちょうしてドキドキしちゃうよぉ……。
心の中でおちゃらけて、少しでも気を逸らそうと試みたけども。
私のことを見つめる馬澄さんの真剣な視線に、マジのガチでドキドキと心臓の鼓動が早まった。
「あ、あの……げんき、なくないですよ? いつも通りですので……」
馬澄さんが本気で心配してくれているのが伝わってきたから、嘘をつく後ろめたさで視線を逸らしながらも。
それでも絞り出すように声を出して、これ以上心配させないように、私は大丈夫であることを伝えたんだけど……。
「ウソつかないで? わかるよ。いつも神さんのこと、見てたし……」
最後の方になるにつれて言葉尻が萎んでいきつつではあったけれど、馬澄さんは私の嘘をまた聞き入れてはくれなかった。
「神さん、なにか悩んでない? それとも私には言えないようなこと?」
「いえ、馬澄さんにっていうか、その……別に、あの……」
馬澄さんにだけでなく、同じクラスの他の子にだってバレたくないことなんだから。
私が隠れてイジメを受けている、なんていうことはさ。
誰だってイジメ問題なんかには関わりたくないだろうし、私がそんな問題を抱えているって言ったら、みんな私を敬遠するかもしれないし……。
亀の進みくらいの速さであっても、入学してから今までで、せっかく少しはいろんな子と交流を持つことができたのに。
そんな一切合切が無駄になるかもしれないと想像しただけで、すごく怖いんだもん。
「あの! 本当に、ちょっと頭が痛かっただけなので。心配させてしまったのなら、ごめんなさい……あはは」
いろんなネガティブな感情のせいで、馬澄さんと視線を合わせることができなくて。
体育座りしているから、ちょっと視線を下げるだけで視界に入る自分の膝を見つめながら。
私は心配してくれてる優しい馬澄さんに、最低にもまた嘘を重ねながら、笑って誤魔化した。
だけど……馬澄さんは、そんなおためごかしな誤魔化しを許してはくれなかった。
私の目と膝の間に割り込んできた馬澄さんの手が、私のアゴにそっと添えられて。
そのまま半ば無理矢理、クイッとアゴを持ち上げて、私と馬澄さんの視線を交わらせた。
「私は……神さんが辛そうにしているのをただ眺めているだけなんて、そんなの絶対イヤだから」
「……は、はひ」
そのとき遠い世界の奥側から、ピーッというホイッスルの音が鳴り響いた。
それは目の前で過ぎていた試合の終了を示していただけなんだけど。
もしかしたら私にとっても、一つの終わりを示す合図になったかもしれなくて。
「あぁ、つぎ私のチームか。間が悪いなもう……神さん」
私に前を向かせるために、優しくアゴに添えていた手を離してから。
「誰かの悩みなんて、むりやり聞き出すものじゃないんだろうから、もう行くけど……」
馬澄さんは腰を浮かせながらも、私からはいっさい視線を外さずに。
隣に座ったあの瞬間からずっと、私のことを真剣に見つめてくれたままで……。
「神さんはもっと頼って良いんだからね。私も、みんなも……きっとそれを待っているから」
そう言い残して……惚れ惚れするほどにあまりにもカッコよく、私の前から去って行ったのだった。
◇◇◇
そのあとの授業でも休み時間でも。
馬澄さんが残していった言葉が耳に残り、ずっと頭から離れなかった。
誰かに打ち明ける。相談する。頼る。
そんなこと……しても良いのだろうか。
そりゃ出来ることならずっとずーっと、誰かに頼って、話を聞いてもらって、私のことを助けて欲しかった。
でも私は臆病で、自信がなくて、何も知らないから。
何が正しい選択なのかがわからずに、今までずっと一人で抱えることしかできなかった。
誰かに頼るっていっても、誰に打ち明けるのが正解なのか。
一番最初に相談する人として思い浮かんだのはお母さんだったけれど……どうしてもお母さんにだけは、打ち明ける勇気が持てそうになかった。
私のことを信じて送り出してくれたお母さんには、失望されたくない。ガッカリさせたくないし、心配させたくない。
次に思い浮かぶのは担任の猫西先生だけど、今はテスト前で職員室には入室禁止だし、そもそも中間テストの準備でいろいろと忙しい時期だろうし。
それを言うなら他の子たちだって、みんなテストの準備勉強で忙しいだろう。
私の個人的な問題に巻き込んで迷惑かけるのなんて、そんなの絶対にしちゃいけないことだと思うし……。
『誰かに相談する』という選択肢が生まれたにもかかわらず、具体的な実現は叶いそうにないと半ば諦めて。
そうこう悩んでいるうちにも時間はあっという間に過ぎていき、いつしか放課後になっていた。
ひとまず中間テストだってあるんだし、イジメのことで永遠と悩んでいるわけにはいかない。
今日はどうしよう。
部長の判断で、天文部の活動も中間テストに備えて休止にするらしく、部室も今日から使えないし。
それなら昨日みたいに、開放されている図書室を利用しようかと席を立った私のもとに。
「……神さん、ちょっとええ?」
巳継さんがやってきて、私に『あるお願い』をしてきたのだった。
◇◇◇
巳継さんと二人で足を踏み入れた美術室に先客は誰もおらず、とても静かでガランとしていた。
「いやぁ、ゴメンなぁ? テスト前やってのに?」
「い、いえ……それより私、部員じゃないのに入っても良いんでしょうか?」
「んー……問題ないやろ。授業の時には入るんやし、神さんもここのガッコの生徒なんやし」
滅多に入らない教室にドキドキしている私とは反対に、巳継さんは慣れた感じで、持っていた学生鞄を机に置いて伸びなんかしていらっしゃるし。
私もひとまず鞄を机の隅に置かせてもらって、ついついキョロキョロと美術室の中を見回した。
美術部の部員さんが描いた絵とか見れるのかな、なんて思ったんだけど。
残念ながら美術室の中にそういった絵は見当たらない。
巳継さんが描いてる絵とか見たかったんだけどな。
「神さんも早よ帰ってテス勉したいやろし、早速はじめよか」
「あ、はい」
私がなんで美術室にまで連れてこられ、巳継さんと二人っきりでいるかというと……。
ほんのついさっき、巳継さんから絵のモデルを頼まれたからである。
今日からテスト前週間で、美術部もお休みになるらしいんだけど。
だからこそ他の部員もいない状態で私のことを描けるとかなんとか、なんかいろいろと矢継ぎ早に説明されて、よくわかんないうちに頷いてしまっていた。
まぁオッケーしたのも『前から私のことをモデルにして絵を描いてみたかった』って、そんな嬉しいことを言われたもんで、私もつい舞い上がってしまっていたのもあるかもしんね。
「神さんは勉強しててええから。それにデッサンだけやし、そんな時間かけんから安心して?」
「わかり、ました?」
デッサンってなんぞ?
なんてハテナが頭に浮かびつつ、ひとまず巳継さんに言われた通り、学生鞄から筆記用具を出してきて勉強を開始した。
勉強を開始した……んだけどもさ。
全然お勉強に集中できないんですけど!?
横から巳継さんの視線をバチクソ感じるし! そんな見つめられたら、なんかソワソワしちゃうよぅ!
「あ、あのー……」
「ごめん。なるべく姿勢はそのまま前向いといて」
「はい! すいません!」
耐えられそうもない気まずさから、巳継さんに話しかけるために目を合わせようとしたら、ピシャっと怒られちゃったよう。
いつものノラクラした話し方とギャップありすぎるぅ……ちょっと怖かったもん。
「話しかけちゃって、ごめんなさい……」
言われた通りに身体をカチンコチンに固めようと頑張りながら、絵を描く邪魔しちゃったのを謝ったんだけど。
「あぁ、話すんのは大丈夫よ? ぜんぜん気楽に話しかけて?」
「そ、そうですか……?」
「うん」
前向いていれば、話しかけても良いとのお許しは頂けた。
とはいっても、気まずいのは変わんないし。でもなに話しかけたら良いかも、頭真っ白になっちゃったから思い浮かばないし。
だけどこんな状況じゃ、勉強にも集中なんかできないしぃ……うぅ。
「……神さんは、テス勉の具合どんなもん?」
脳みそも目玉もグルグル回ってしまうくらいにアセアセしていると。
気を遣ってくれたのか、巳継さんの方から話しかけてくれた。
「えっと……あんま捗っては、いないです」
「そか。まぁうちも同じようなもんやけど……最近ずっと元気なさそうやったのは、それのせい?」
「え!?」
ここ数日でいろんな子に聞かれているのと同じことを、まさかこんなよくわからんタイミングで、巳継さんの口からも聞かれるなんてと驚いてしまって。
さっき注意されたことも忘れて、つい巳継さんに目を向けてしまった。
「前向いてて」
「あっ! すいません!」
そしてまた怒られる私。
ごめんなさぃぃ……気をつけましゅ。
でも、まさか巳継さんにも勘づかれていたとは思わなかった。
いや、それをいうなら他の子たちから同じことを聞かれるたびにビックリしている気もするけど。
だって……周りのみんながそんな風にさ?
わずかでも私に興味を持ってくれてるなんて、まさか思っていなかったんだもん……。
ずっと友だちはできないし。
他の子から話しかけてもらえるのも、辰峯さんとか卯月さんとか、そういう人たちと比べたら全然少ない方だと思うしさ。
みんな私になんて興味ないんだろうな、って思っちゃていたのも結構あったし……。
「……私、元気なさそうに見えます?」
「うん」
速攻で頷かれてしまった。
もしかしたら気付かぬうちに、『困ってんだけどなぁー』みたいなアピールをしちゃっていたんだろうか?
なんだそれ。かまってちゃんじゃあるまいし。
私みたいなぼっち娘がそんな鬱オーラを撒き散らしていたんなら、周りの人からしたらウザいことこの上なかったかもしれないね……。
そのあと、会話は途切れてしばらく沈黙が流れ、美術室には巳継さんが鉛筆を走らせる音だけが響いていた。
そういえば……他にも女の子はいるなかで、なんで巳継さんは私に絵のモデルを頼んできたんだろう。
私なんかよりも絵になる素敵な子なんて、他にいくらでもいるだろうに……。
「……ふぅ。でーきた」
いっさい勉強は進められないままで、ひたすらに考え事に集中していると。
そんな漏れ出た巳継さんの声と共に、鉛筆の奏でる音が止んでいた。
「あ、終わりましたか?」
「うんー、ありがとなー神さん。うん。うんうん。自分で描いといてなんやけど……ええ出来や」
ほいっと手渡されたスケッチブックを見て、私は一瞬で目を奪われた。
あんな短い時間でこんなにも上手な絵が描けるんだ、とか。
『コレが……私?』なんつぅ、初めて女装した男の娘みたいなこともいろいろ頭を巡ったけれど。
なによりも目が離せない部分があって、その部分が一番強烈に目に焼き付いた。
「……あの、私、こんな風に笑ってました?」
絵の中の私は、とても穏やかそうに笑っていた。
描いてもらっているあいだ、いつも通り変なことを考えてニヤニヤしてたのかとも心配になったけど。
そんな気持ちの悪い笑顔にも見えないのは、巳継さんの画力がゆえなのかな。
「あぁ、それ? んー……ぜーんぜん笑ってなかったよ。神さんずっと難しそうな顔してたで?」
「なら、なんで……」
「せっかくモデルしてくれてたのにごめんな? 事実と違うん描くのはアカンかったかもしれんけど……」
巳継さんは私の表情を窺うようにチラと一度だけ目を向けたきり、それからはジッと窓の外を見つめたままで。
「最近の神さん、なんやつまらなそう……ってか、辛そうに見えたからなー」
「つまらなそう……」
「そりゃ神さんはさ? クラスん中でそない表情出すタイプじゃないかもやけど、最近のは前までの神さんのとは、ちょっと違うように見えたし……」
そう言いながら、巳継さんは私の手元からスケッチブックをヒョイと回収して。
私を描いてくれたページを、ペリペリと切り離した。
「せやから、そういう嫌なのがとっとと解決して、こんな感じで楽しそうに笑ってくれたらなーって……そう思ったわけ! ほれ」
巳継さんの思っていたことを、気づいてくれていたことを呆然と聞いていたんだけども。
切り離したページを。
私にこうなってほしいと、そう思いながら描いてくれた素敵な願いを、巳継さんが私に手渡してくれた。
「あ、ありがとう、ございます……」
「あぁー、なんやすっごい恥ずいこと言ってもうたわ。恥っず。マジで恥ずい。でもな、神さん」
二人っきりの美術室で、とても綺麗なプレゼントを描いてくれた巳継さんは……。
「神さんが笑顔でおること。それを願ってる奴がここに一人はいるってことは……ちゃんと覚えといてな?」
頬を赤く染めて優しく微笑みながら、私の笑顔を願ってくれたのだった。
◇◇◇




