第九十話 戌は尾行する
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学校がお休みである土曜日の、頭上に太陽が輝く午前の時間。
わたしはいつぞやよろしく、神さんの後を尾行していた。
おひさまの下を陽気にピョコピョコと歩いている神さんの様子とは反対に、わたしの心は陰気にドンヨリと曇っていた。
それというのも、昨日も一昨日も、わたしは神さんのお役に立つことができていないからだ。
その機会が、おそらく神さんの意思によって失われてしまっている。
もっと単純に言うなら、神さんから避けられているんじゃないかという気がしていた。
避けられてると感じる前までは、授業でペアを組もうとしても了承してくれたのに。
昨日は『私は大丈夫なので、他の人と組んでください』と断られてしまったし。
朝だって、わたしが神さんの部屋に行くと、すでに朝ごはんも登校するための準備も終えていて。
わたしに謝りながら、そのまま先に登校していった。
休み時間や放課後にお話をしようとしても、何かと理由をつけて逃げられてしまったし……。
それでも同じ寮であるわけだから、帰寮後に接触することは可能なわけで。
ちゃんと確かめようと、昨夜に神さんの部屋まで訪れたときだって。
「……あの、わたしのこと避けてますか?」
「ぅえっ!? そ、そんなことないでしゅじょ?」
私の質問に返ってきたのは、そんなテンパりの極みみたいな神さんの反応だったし。
もしも神さんが不快に思うことをしてしまったから、わたしのことを避けているのなら。
ちゃんと全部直すから、その理由を確認しようとしたかったのに……。
「それなら、いいのですが……でも、もしわたしに気に食わないところがあるのなら……」
「うぅ……ご、ごめんなさい! えと、私そろそろ寝るんで! お、おやすみなさい!」
神さんはその事実を認めてくれないばかりか。
わたしと関わる時間を避けたいかのように、とっとと話を引き上げようとしているようにしか見えないし。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
このまま幕閉めじゃ納得できない気持ちが、神さんが閉めようとしているドアを咄嗟に引き止めて。
「あの! 明日いっしょにお出かけしませんか! またどこかに、ふたりで!」
なんとか神さんと一緒に過ごす時間を確保しようと、そんなお誘いをしてみても。
「あ、明日は、あのー、ごめんなさい! と、ともだちと予定があって……」
「そうなんですか……それじゃ、明後日なら!」
「だから戌丸さんも! 私のことなんて気にしないで、戌丸さんのおともだちを大事にしてあげてください! それじゃおやすみなさい!」
そんなご無体な拒絶ともとれるお言葉とともに、とうとうドアが閉められてしまった。
わたしのお友だちを大事に、なんて言われても。
今一番いっしょにいたいのは神さんなのに……。
数日前まではこの学園に入学してから、初めて楽しいと思えるような時間を過ごし、充実した日々を送ることができたのに。
そしてそんな日がこれから先も続くのだと、ワクワクしていたはずなのに。
でも今のわたしは、そんな高まっていた高揚感から蹴り落とされたような、大きな喪失感を抱きながら。
泣く泣く自分の部屋まで帰ったのだった。
◇◇◇
先週末に神さんの後を尾けたときと今のわたしでは、尾行の意図が全然ちがっている。
この前は面白半分で神さんの後を尾けていたけれど、今のわたしはまるでストーカーのように神さんに執着している。
そもそも尾行自体が褒められたことではないけれど、気持ち悪さや責められる度合いでいえば、遥かに今のわたしが勝っているだろう。
その自覚はもちつつも、出かけて行く神さんを尾行せずにはいられなかった。
だって、もう……。
今のわたしには、神さんしかいないから。
せっかく出会うことができた、わたしの心の隙間を埋めてくれる女の子。
いろいろと不得手なことがあって、お助けするたびに笑って喜んでくれる。
そして……心が満たされるような魅力的な笑顔とともに、いつも目一杯にお礼の言葉を届けてくれる。
わたしはこんな素敵な子の役に立っているんだって、自分はまだ誰かに必要としてもらえるかもって。
そう思わせてくれるような、そんな女の子と運命的にも出会うことができたんだもん。
まだ必要だって思って欲しい。嫌われたくない。突き放されたくない。
お姉ちゃんから離れた時に感じた孤独感を、それまでの生き甲斐を失った喪失感を、永遠に続くような飢餓感を。
もう一度なんて味わいたくない!
だからわたしは、これからも神さんのそばにいられるように、もっともっと神さんのことを知らなくてはいけない。
お姉ちゃんのために尽くそうと思っていた頃は、ずっと同じ家で過ごし、長い時間で同じ空気を共有していたから、お姉ちゃんの好みや望んでいることを理解していた。
だけど神さんとは、共に過ごした時間が足りさな過ぎる。
あの子が何を欲していて、何を嫌がり、そしてどういう子と仲良くしているのかを知る必要がある。
だから、たとえ罪悪感を抱いたとしても、今日は神さんを知るために尾行する必要があるんだ。
一度は歩いた経験を積んだため、今日の神さんは寮から駅に向かう道を迷うことなく進んでいった。
寮で誰かと合流しなかったところを見るに、たぶん駅前あたりで待ち合わせをしているんだろう。
うちの学校の子か、それとも他の学校の子かはわからないけれど。
神さんが誰と、どんな子と待ち合わせしているのか、とても気になる。
……だけど、駅前についても神さんは誰かと合流することはなかった。
神さんひとりだけで、いくつかのお店を長い時間かけてハシゴして、何度もいろんなお店を行ったり来たりして。
最終的に入ったお店で何かを買ったのか、お店のロゴの入った袋を手に下げて、満足したような顔でお店から出てきた。
ひとりで。ひとりきりで。
昨夜に神さんが言っていたように『ともだち』と一緒にではなく、ずっと……ひとりで。
これから、きっとこれから合流するんだろう。
そう思う、そう思う。きっとそうだから、大丈夫。
そう思おうとする気持ちの裏から、カラカラと乾いた『なんで?』という気持ちが滲み出していることから、必死に目を逸らして。
そのあとひとりでミスドに入った神さんを、遠くから眺めていた。
先週わたしと一緒に入ったお店。
わたしがドーナツの買い方や注文の仕方を教えてあげたお店。
店内でドーナツを食べた神さんは、帰りしなに持ち帰りのドーナツをいくつか買ってから、今日はひとりでお店から出てきた。
先週はあの隣に、わたしがいたはずなんだけどな……。
それなのに……なんで今のわたしはこんな日陰に立ち尽くして、ただ呆然と神さんの姿を遠くから眺めているだけなんだろう。
せめてこれから誰かと合流して欲しい。今から遊ぶ約束をしていた誰かと待ち合わせをして欲しい。
これ以上は、怖がらせないで欲しい。お願いだから、違っていてほしい……。
そんなせめてもの願いで心を重くしながら。
被っていたキャップのツバをギュッとつまみ、目深にかぶり直しながら神さんの尾行を再開した。
先を歩く神さんは、そのまま学園方面行きのバスに乗り込んでいる。
わたしもそっと神さんの後から乗車して、バレないように後ろの方の席に座った。
時刻はもう夕方ともいえるような時間で、もしかしたらこれから帰寮しようとしているのかもしれない。
いや、きっとこのまま寮を通り越してショッピングモールにでも行くのだろう。
夕方から誰かとショッピングモールで待ち合わせをして、買い物や映画を見たりするんだろう。
もしかしたら、学園で待ち合わせしているのかもしれない。
部活とか何か用事があって、それで今から、寮ではないどこかに向かうのかもしれない。
きっとこれまでの時間はただの暇つぶしで、ちゃんとわたしの誘いを断った理由があるんだろう。
だけど神さんは……寮に一番近いバスの停留所で降りていった。
結局、誰とも合流することなく、今日一日をひとりきりで過ごしていた。
昨日言っていたように、わたしの誘いを断るために口にした『ともだち』は。
最後まで……現れなかった。
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