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神はケモノに×される  作者: あおうま
第一章 ながすぎるアバン
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第八十三話 神は反省する

 

◆◆◆

 

 怒らせてしまった。呆れられてしまった。

 酉本(とりもと)さんは私なんかにも、ずっと優しくしてくれたのに。

 それはきっと……私が酉本さんの優しさの上にあぐらをかいて、怠慢にも甘えてしまっていたから。

 もしかしたら……いや、もしかしなくても、我慢をさせ続けてしまっていたんだろう。

 酉本さんは図書委員の仕事の合間を縫って、私なんかにもずっと親切にしてくれていたのに。

 あろうことか私は課題に完全に集中せず、自分の置かれた状況とか、みっともない欲望とかに気を取られていた。

 それで何度も何度も教えを乞うて、自業自得な私の課題に巻き込み続けてしまった。

 そんな私の不甲斐なさに、とうとう嫌気が差したとしても仕方がないのだろう。

 酉本さんは寧ろ被害者で、全部ぜんぶ私が至らな過ぎるせいなんだから。

 ……だから泣いてる場合じゃない。

 泣いてることすら烏滸(おこ)がましい。

 いま私が最優先ですべきことは、必死に問題を解いて、とっとと課題を終わらせること。

 それで親切に協力してくれた酉本さんを解放して、ひたすらにお礼を伝えるべきなんだ。

 チラと視線を上げると、酉本さんの背中と、貸出カウンター裏に置いてある酉本さんの手鏡が目に入った。

 さっき呆れて私から離れていき、貸出カウンターの元いた席に座った酉本さんの、手鏡に映ったその表情は。

 何かに耐えているように唇を固く結び、眉間にも深い皺が入っていた。

 いわゆる難しい顔、なんて表現されるのがピッタリな表情。

 一見してその心情を察するのは、それこそ難しかったんだけど。

 でもその前の酉本さんの様子で、おおよそ推測するのは簡単だった。

 苛立っていて、出来なさを嘆いていて、失望しているってこと。

 私は酉本さんの与えてくれた献身に報いることができず、差し伸べてくれた手に泥を塗ってしまったんだろう。

 情けない。

 情けなさ過ぎる。

 だから……いま私ができることは、必死にシャーペンを持つ手を動かすことだけだった。

 

◇◇◇

 

 ふぅ……。

 なんとかプリントの空欄を埋めることはできた。

 何度か見直して、参考にしていた教科書を読み返して、照らし合わせて、修正して。

 これが今の私の精一杯って状態に、なんとか整えることができたと思う。

「ぁ……」

 ど、どうしよう。酉本さんに声をかけてもいいのかな。

 でも……まだ怒ってたらどうしよう。

 声をかけても無視されたらどうしよう。私のことを嫌いになっていたらどうしよう……。

 イヤな考えばかりが、ずっと頭の中をウヨウヨと這いずり回っている。

 『もしかしたら』を考えたら、また泣いてしまいそうなくらいに怖かった。

 勇気を出せないまま、しばらくの間、酉本さんの背中を見つめていると……。

「……どうかしましたか? わからない問題とか……ありました?」

 私の視線を察してくれたのか、酉本さんの方から振り返って声をかけてきてくれた。

 それも今までだったら嬉しい気遣いだったはずなのに……。

 その声が聞こえた瞬間、私は思わず顔を伏せてしまった。

 だから酉本さんが、今どんな顔をしているかはわからない。

 さっき怒らせちゃったままで、今も面倒をかけられることを鬱陶しく思っているかもしれない。

 耳に入った声は、もう何度も聞いている酉本さんの、いつも通りの優しいものだったけれど。

「神さん?」

 酉本さんがすぐそばに近寄ってきても、私はずっと下を向いていることしかできなかった。

 どうしたらいいかわからなくて、怖くて俯いて、泣くのを必死に我慢して。

 迷惑をかけた私なんかにも、酉本さんはせっかく声をかけてくれたのに。

 それなのにただひたすらに黙っている私なんて、余計にウザがられて嫌われても仕方ないって。

 そう考えれば考えるほど、自分の情けなさを痛感しちゃって、もう涙を我慢するのも限界だった。

 だけど……。

「課題、終わってますね……頑張りましたね、神さん」

 いつもの優しい声音で褒めながら、酉本さんは私の頭を撫でてくれた。

 その温かい声と温かい手の感触に思わず顔を上げると、そこには微笑んでいる酉本さんの顔があった。

 見ているだけでホッとするような……そんな優しい笑顔だった。

「……怒ってない?」

「えっ? は、はい。怒ってないですよ」

 私の聞いたことに、酉本さんは少し面食らったように驚きながらも、穏やかにそう答えてくれて。

 確かにいまは怒ったり、苛立ったりしているようには見えなかった。

「……でもさっき、溜め息ついたり、ちょっとイライラしてるみたいだったから……私が課題ぜんぜんできてないから、怒らせちゃったんじゃないかってぇ……」

「ち、ちがいます違います! さっきのは、えっと……ちょっと全く関係ないことで考えごとというか、悩み事があってですね。だから神さんに怒ってるとかはまったくありませんので!」

 酉本さんの顔をジッと見つめていても、その言葉の通りに怒っているようにも見えなくて。

 ずっと強張っていた私の身体からは、少しずつ力が抜けていった。 

「だから、あの、私のせいで神さんを不安にさせちゃったんですよね……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」

 申し訳なさそうに眉尻を下げて謝っている酉本さんを見ていると、何故だか昔のことをふと思い出した。

 何歳の時の記憶かは覚えてないけれど、私が今よりもっともっと小さかったとき。

 お母さんに怒られて拗ねた私は、自分の部屋のベッドでひとりで不貞寝しようとしたことがあった。

 だけど全然寝れなくて。不安で、心配で、イヤなことばかり考えちゃって。

 深夜になって泣きながらお母さんの部屋に向かったら、お母さんは何も言わずに私のことをギューって抱きしめて一緒に寝てくれたっけ。

 あの時は泣きながらお母さんに抱きついて、すぐに寝付くことができたのを覚えている。

 いまの私も、きっとその時の私と同じような気持ちを抱いているから、そんなことを思い出したのだろう。

 つまり、どんな気持ちかっていうと……。

「よ、よかった……わたし、怒らせちゃったんじゃないかって……ホントに、よかったぁ」

 ずっとずっと不安だったけど、すんごく安心したってこと。

 酉本さんが怒ってなくてよかった。迷惑かけて嫌われたんじゃなくてよかった。

 すごくすごく怖かったけど、全部ちがってよかった。

 泣きそうなくらいに怖かった不安とか心配は解消されたはずなのに。

 もう我慢するようなことは何もないはずなのに……私の目からは、ポロポロと涙が溢れてきた。

「あっ、ご、ごめんね……えへへ。安心したら涙でてきちゃった。はずかしぃ」

「はぅ」

 目の前で急に泣かれて酉本さんも困るだろうけど。

 あまりに安心しすぎて、私にはそんな気を回している余裕もなくて。

 ちょっとのあいだ涙は流しっぱなしのままで、だけどホッとしたせいか、自然と頬が緩んでしまっていたと思う。

 だけどようやく少し落ち着いてきたから、コシコシと両手で泣き跡を拭い落とした。

 ずっとひとりで泣き笑っている場合じゃない。

 せっかくメチャクチャ頑張って課題も終わらせられたし、酉本さんも全然怒ってないみたいだし!

 最後に確認をお願いして、もっといっぱい褒めてもらわなければ!

「ごめんね? なんか、なかなか泣き止めなくて……でも、もう大丈夫だから!」

「い、いえ……そ、そのままでも大丈夫れしたけど」

「とりあえず空欄は全部埋められたから! だから、確認してもらっても……いいですか?」

 プリントの束を揃えてから酉本さんに向けると、コクコクコクと頷きながら受け取ってくれた。

 頑張ったから、けっこう正解率は高いと思うけどなぁと期待しながら、酉本さんをジッと見つめていると。

 なんか微妙に挙動不審な酉本さんも私のことをひたすら見つめてきたから、そのまま見つめ合ったままで時間が過ぎていった。

「えと……酉本さん?」

「あっ! す、すいません課題ですね! 承知しました! 確認させていただきます!」

 謎にかしこまりながらも、酉本さんはプリントのチェックを始めてくれたので。

 私はいろいろなストレスから解き放たれた解放感で、ニコニコと笑いながら。

 清々しい気持ちで、両手を伸ばして凝り固まった身体をほぐしたのだった。

 

◆◆◆

 

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