第八十話 酉はゆがむ
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泣いてる神さんが見たい。
可哀想な目に遭っている神さんを見たい。
ずっとそう思っていて、何度もそんな妄想をしていたせいで。
目の前に本物の神さんがいるこの状況は、正直だいぶ気まずいというか、申し訳ないというか……。
頑張って少しでも平然とした態度を装ったつもりでしたが、私はだいぶ大きな罪悪感を抱いていました。
もちろんそんなことを考えているのも、神さんが憎いとか嫌いってわけでは決してなくて。
では何故、そんな酷いことを考えてしまうのか。
それは単に、私の癖が少しばかり歪んでいるからでしょう。
まだ私が小さかった頃から、自分が体験することのできない世界に触れたり、他の人の頭の中を覗けた気になったり。
そんな体験を錯覚することが好きで、色々な本を読んできました。
読み終わった後、気に入った世界観や設定だったら、そのあとの妄想や空想を含めて大好きでした。
ある時からライトノベルにも手を出すようになり、より一層、私の浸ることのできる世界は広がっていって。
その中にあった、あるシリーズの作品が、私の性癖を多いに狂わせたのでした。
その物語を端的に説明するなら、可愛い女の子が段々と酷い目にあっていくなんて物語なんですが。
物語中盤まではそんな展開は一切なくて、主人公の女の子も普通に過ごしていたはずだったのに。
そのキャラクターが私のツボに妙にハマってしまい、今風にいうならいわゆる『推し』というものになり。
そんな中で急な展開により、中盤から終盤にかけて、推しの主人公が少しずつ度を増して可哀想な目にあっていきました。
それまで全くそんな予兆もなかったですし、そんな展開を嫌ってその作品から離れていった読者も、きっと多かったんじゃないかと思います。
だけど私は、何故か妙に興奮してしまったんです。
その芽生えがあった後も、自分の好きになったキャラクターが酷い目に遭うとゾクゾクし、同じように興奮もしました。
そして、その対象はもれなく、可愛い女の子のキャラクターでした。
……だけどそれは、あくまで架空の人物だったから。
現実の世界では、可哀想な思いをする人は出来るだけいない方が望ましいと思ってますし、それは誓って本心だと断言できます。
私の知っている人でも、名前も知らない人でも、誰であっても。
極力は不幸のない平和な時間を過ごしてもらいたいって、そう思っていたはずだったのに……。
だけど、私は見つけてしまったんです。
あまりにも架空に近くて、現実感を薄れさせて、まるで理想を体現したような女の子。
それがまさしく、私の前で座っている神さんでした。
◇◇◇
初めて神さんの姿を見た瞬間。
最低なことに、まず私はこの子の泣き顔を自然と想像していました。
それから直接お話しする機会はまったくなくて、でも学校も寮も一緒で、同じ生活環境の中で何度も神さんを目にしましたけれど。
いつも毅然として、平静でクールで。
孤高で強くて、あまりにも綺麗で可愛くて。
泣き顔を誰かの前で見せることなんて、決してなさそうな女の子っていう印象がドンドン強くなっていき。
その事実を知っていくたびに、初めに思い描いた彼女の泣き顔は薄れ、私は神さんの泣き顔を想像できなくなっていきました。
そして……きっと、そのせいでしょう。
まるで反比例するように、頭の中から失われていく神さんの泣き顔に、強く焦がれるようになってしまったのです。
もちろんいま目の前にいる現実の神さんには、酷い出来事や可哀想な目になんてあってほしくない。
それは私の妄想した世界の中だけで完結していて、完全なる自己満足の類であるべきはずなのに。
そのはず……だったのに。
私の腐った性根は、この子の整いすぎている顔が少しでも歪んでいるところを見てみたいって、それを望む気持ちが増していくのを許し始めていました。
いつも無表情ともいえるような神さんの可愛らしいご尊顔が、僅かでも違うものへと変わる様を見てみたい。
そう思い始めてしまっている気持ちから、目を逸らし続けることができなくなっていくのを感じました。
誰かの不憫を望むなんて、最低最悪で下劣な感情であるって理解しているはずなのに。
こんな穢らわしい気持ち。
同じ中学校で人気のあった容姿の優れた女の子や、テレビの中に出てくるような可愛らしい女性に抱くことなんて、これまでに一度もなかったはずなのに。
神さんの存在は、あまりにも特殊で特別だったんだと思います。
でも、それでも……その歪んだ興味を少しでも薄れさせるために。
ときには、妄想の中だけで済ませて、誤魔化そうとしたり。
ときには、今まで歪な感情の対象だった架空の女の子たちに、無理矢理にでも置き換えようとしたり。
そうやって自覚していた異常な感情を、なんとか消し去ろうと努力はしたつもりでしたが。
何をしても、思いつく範囲でどうにか頑張ってみても無駄だったから……。
諦めました。
見たいものは見たいですし、本人や周りの子にバレなければいいかと。
もちろん神さんのことを虐めたり、貶めたりするつもりなんて毛頭ありません。
でも、自然と湧いて出てしまうそんな気持ちを抱えてしまうのは、抑えても抑えきれなかったですし。
もう仕様がないのだと、受け入れることにしました。
もちろんその気持ちは秘めたまま。
今まで通りに、他のみなさんと同じように遠巻きに眺めているだけで満足しようと、そう思ってはいたのですが……。
学生寮でルームメイトの申輪さんがつい先日、部屋で突然に神さんの話をしはじめてから、私の生活に少しずつ神さんが混じるようになり始めました。
申輪さんが言うには、『神さんは面白い』、『神さんを部屋に呼んでみたい』と。
それはつまり、否が応でも神さんが私の生活環境に、少なからず関わってくるということを意味しています。
それだけならまだしも、神さんは私ともっと仲良くなるべきであると、申輪さんはそう言って神さんとの交流を勧めてきました。
それはまさしくキッカケで、申輪さんの言葉に従い、私が一歩踏み出して神さんに接触すれば。
ずっと眺めているだけだった神さんと、きっと今まで以上に接点は増えるのだろうという予感がしていました。
だけど申輪さんは、私の中で抑えられている下卑たる気持ちを知らないから、気軽にそんな言葉も口にできるのでしょう。
私はもちろん楽しみな気持ちも抱きました。
ひたすらに焦がれていた神さんに、近づくキッカケとなる理由が出来たのですから。
だけどその気持ちと同じくらい、強い恐怖心に襲われて、私が一歩を踏み出すのを押し留めました。
彼女の顔が歪むところを見たいと、そんな気持ちの悪い願望を抱えている私が、果たして神さんと仲良くなって良いのでしょうか。
だから私は申輪さんの勧めにも言葉を濁し、曖昧な返事だけを返して、判断を先送りにしたんです。
それなのに……。
偶然にも神さんが、私の領域たる図書室に自ら訪れてくるなんて。
これが運命であるならば、私も観念するしかないでしょう。
バレてしまえば気味悪がられ、嫌悪されるような気持ちを心に秘めながら。
私は神さんに声をかけたのでした。
あぁ……やっぱり、この子の顔は綺麗すぎる。
歪ませたい。
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