第八話 丑はよく食べる
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このままだとまた寝そうだな、なんて考え始めたあたりでチラと神さんに目線を向けると、コレは確かにクラスでも寮でも話題になるなと思わされた。一度その横顔を見ただけで、目が離せなくなってしまう。
あまりにも可愛くて、綺麗すぎる。
流行りのアイドルだとか芸能人に興味をもったことのない私にさえ、『人の容姿』というものを初めて意識させるほどには衝撃的で魅力的だった。
流石に見つめすぎたのか、神さんも私の視線にふと気付いたようにこちらに目を向けて、モグモグごくんと口に入ってたモノを飲み込んだ。
「……今丑さんは、お昼もう食べたんですか?」
「いや、そいや食べてない。あまりにも眠かったから、今日は食欲よりも睡眠欲が勝ったんだ。昼休み始まってから静かな場所探して、この場所見つけてすぐ寝ちゃったよ」
初めてきたけど良い場所だなと思った。人気も少なく、程よく陽も差し込んでいる。
今の季節は暑すぎず寒すぎず、まさに昼寝をするにはうってつけの場所だった。
「そうなんですね……寝不足、夜更かしとかですか?」
「うーん。まぁそんなに遅くまでは起きてないけどね。宿題やらずに寝ようとしたら同室の子に怒られて、終わるまで寝させてもらえなかったんだ」
「子日さんも、今丑さんにはそんな感じなんですね。なんかちょっと意外です」
「うん。優しそうに見えるけど、結構しっかりしてるんだよね。私がだらしないせいだけど、よく叱られてるよ」
まだ同室になってからひと月も経っていないけど、ルームメイトは私がどういう人間かわかってきたのか、最近ではよく世話をやいてくれるようになってきた。
それでも『早く起きないと食堂の時間終わっちゃいますよ!』とか、『もう起きないと遅刻しちゃいます!』とか、全部私のために言ってくれてるのだから、ありがたいことではあるんだけど。
あれ?でも私が子日さんと同室だってよく知ってたな。
まぁたまたま何かで見かけたとかで覚えてただけだろうけど。
「……ママァ」
神さんの方から、何かよくわからんけど何かの鳴き声みたいな声が聞こえてきた。
「え? 何か言った?」
「いえ。お腹の音です」
確かになんか聞こえた気がしたけど、気のせいだったんだろうか。
それにお腹の音って、今までご飯食べてたのにと神さんの持つ弁当箱の中身に目を向けると、ご飯もおかずもまだ僅かに残っていて、睡眠欲がある程度解消された今の私には、ふと湧いた疑問を忘れさせるほどにはとても魅惑的に映った。
「美味しそうだね。今日のおかずは照り焼きかぁ」
私の様子があまりにも物欲しげに見えたのか、「……食べますか?」と言いながら神さんは最後に残った鳥の照り焼きを箸で摘み上げると、そっとお弁当を下に行儀良く添えながら、私に向けて差し出した。
「い、いや。大丈夫」
対して私の口から出た言葉は、体の望んでいる欲求とは反するような言葉だった。
今までならば、相手が他の人だったならば、特に何の躊躇もなくいただいていただろう。
異性の食べかけとかなら流石に嫌悪感もあっただろうけど、女の子から食べ物を貰うことなんて今までいくらでもあったし、何の遠慮もなくもらっていた。
けれど、それなのに。
今は神さんの食べかけのお弁当を、多分それだけじゃなく神さんが使用したお箸を使うことに戸惑いを感じている。
躊躇、戸惑い、遠慮、そのどれもがちょっと違っていて。一番近い感情はきっと、『恥ずかしい』なんだと思う。
そんな感情が湧き出たことにも正直驚いたし、混乱も生まれてしまう。だって、今までの私とは違う言動をした理由が、『その相手が神さんだったから』などと言う不確かで理解し難いものだったから。
自分でも予期しない気恥ずかしさからの遠慮を示しても、それでも神さんは私に向けていた箸を下げなかった。
「……良いですから、どうぞ。美味しそうって言ってました」
「いや、ホント、あの……悪いし。大丈夫だから」
他人なんかには興味がなさそうな神さんの意外な推しの強さに戸惑いつつも、正直今だけは勘弁して欲しかった。
何を考えているのか分かりずらい表情で、それでも神さんは全く引いてくれることはなく、どうぞどうぞとばかりに箸を向け続けてくれている。
「……結構お腹イッパイなので、食べてくれると嬉しいんですが。私の使った後の箸が嫌だからですか?」
手を上げ続けているのも限界が近いのか、箸と弁当箱を持つ神さんのほっそい手がプルプルと震え出している。それに表情も、僅かな違いでしかないのかもしれないけれど、先程よりも幾分か悲しそうに見えた。
ここまでの気を使わせてしまって、その心意気を無碍にはできないと、恥ずかしさを我慢してその箸先に口をつけた。
テンパっていると味がわからないなどという古風な表現に、そんなわけないだろうなんて思ったこともあった気がするけれど。
なるほど。コレは確かにその通りかもしれない。
冷めてても普通に美味しいなと思いつつも、その味の現実感はフワフワと軽くて。
まるで夢の中で食べたように、すぐに薄れて消えてしまった。
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