第六十九話 神は帰省する
◇◇◇
ひと月ぶりに帰ってきた私の愛すべき実家のマンション、そのリビングにて。
ゴールデンウィーク初日の夜、私とお母さんはソファで寛ぎながら、ダラダラとテレビを見ていた。
「……もう結構良い時間だし、そろそろ晩御飯にしよっか?」
「うん」
軽く伸びをしながら、お母さんがそんな提案を口にした。
たしかにさっきカフェで軽く食べてから、そこそこ時間も経ってるし、お腹も空いてきたかもしれない。
久しぶりにお母さんと二人でご飯を食べれるのも、そりゃすごい楽しみではあるんだけども……。
「よし、ちょっくら娘のために美味しいご飯でも作ってあげるとしますかね……んじゃ離れて?」
「イヤ」
二人でマンションに帰ってきてから、私はずっとお母さんにへばり付いていた。
お母さんがトイレに行った時も一緒に入ってこうとしたけど、無理やり締め出されてずっとドアの前で待ってたし。
今もお母さんの腰にべったり抱きついている。
「いや、『イヤ』じゃなくて。これじゃご飯作れないし……」
「イヤ!」
久しぶりに再会したんだし、ずっと一緒にいたいって思っても仕方ないじゃん!
大切な愛娘の、そんないじらしい気持ちもわかんないの!?
「アンタ本当に変わってない……どころか、より甘えん坊になってんじゃないの。いいから一旦放してって。流石に鬱陶しくなってきたし」
このおばさん今なんて言った!?
鬱陶しいだって! 本当は私が帰ってきたのだって全然嬉しくないんだ!
きっとそうなんだよ! だからそんな酷いことが言えるんだよ!
私は絶対に離れないという断固たる意思を伝えるため。
腕により一層の力を込めて、お母さんのお腹に顔を埋めて、グリグリと頭を擦り付けた。
「ヤダヤダヤダヤダ! 絶対に離れない!」
「苦しいっての! あとそれ高校生がして良い駄々のこねかたじゃないから!」
そう言いながら、お母さんは実力行使してきやがった。
私の頭を押し除けて、無理やりソファから脱出しようと踠いてやがる。
させるかっ! 私だって高校生になったんだし、そんなのに負けてらんないっての!
学校で頑張ってきた成果を見せてやるわ!
「イヤだぁ! 乱暴しないでっ! 良い子にするから! 良い子にするからっ!」
「大声で人聞き悪いこと叫ぶなっての! ホントに虐待してるみたいでしょうが! 通報されたらどうすんのよ!」
こんなん虐待みたいなもんだよ! 娘がこんなに嫌がってるでしょうが!
しばらくひっついたり引き剥がしたり、そんな格闘を続けていたけれど……。
私を引き離すのは無理と諦めたお母さんは、腰に引っ付いた私をズルズル引きづりながら。
キッチンの方に向かってったのだった。
◇◇◇
キッチンで娘を腰にぶら下げながら、お母ちゃまは冷蔵庫を開けて、野菜をいくつか取り出した。
駅からの帰り道で一緒に食材を買ったし、そもそもお母さんの手料理といったらこれしかないから、晩御飯の献立はすでにわかっている。
「……カレー以外も作れるようになった?」
「いや……てか別にアンタがいる時しか作らないし。いいのよ」
入学前まではずっと私がご飯を作っていた。
私がいなくなって、お母さんの食生活はどうなっちゃうのか心配だったんだけど。
案の定お母さんは自炊しているなんてこともなく、たぶん外食ばっかしているんだろう……嘆かわしい。
「……なによ? なんか言いたいことあんの?」
「外食ばっかしちゃダメだよ。健康とかも心配だし、娘としては少しくらいレパートリーを増やして欲しいんだけど?」
「ご、ごめんなさい……」
珍しいことに私がお説教してお母さんが謝ってるんだけど、家事のことでは大体いつもこんな感じである。
もぅ……お母さん本当にだらしないから。
そんなお母さんを反面教師にして、私はこんなにもしっかり者に育っちゃったんだからね?
「でもあれよ? 私はほら、いろいろと付き合いもあるし……最近は職場の子がご飯に誘ってくれたりもするから」
「前はそういうの断って、ちゃんと家で食べてたじゃん」
「そりゃ娘がご飯を作って待っててくれんだから、当たり前でしょ」
私がまだこのマンションに巣食ってたときには、いつも夜遅く帰ってくるお母さんと一緒にご飯を食べていた。
お母さんはいつも残業して帰りも遅かったし、ヨレヨレになって帰ってきてたんだけど。
それでも私とのご飯の時間は、欠かさずにつくってくれていた。
そんで『美味しい』って言いながら、私の下手くそな料理も全部食べてくれてるのが、本当にすっごく嬉しかったな……。
「明日からはアンタがまたご飯作ってよね? 久しぶりにアンタの手料理を食べれるの、楽しみにしてたんだから」
「も、もぅ……しょうがないなぁ。そんなに言うなら私が作ってあげるよ!」
「ふふ、頼んだわよ」
流石にいつまでも腰にぶら下がってるのも飽きてきたし。
そのあとは私もお母さんと一緒に並んで、カレー作りを手伝ったのだった。
◇◇◇
唯一の母親の味である我が家のカレーを食しながら。
学校のこととか最近の仕事の忙しさとか、他愛ない話を二人でいろいろ話した。
私も入学してからこのひと月であったこと。クラスメイトのみんなのこととか、私が一人でどれほど頑張ってきたかということをお母さんに聞かせてあげた。
「だいぶいろんな子に迷惑かけてきたみたいね……」
「かけてないよ! 今の話を聞いててなんでそうなるの!?」
甚だ心外なお母さんの言葉は、到底見過ごせるものじゃないんだけど!
もしかしたら迷惑かけちゃったかもしれないのだって、馬澄さんとか委員長とか、あと卯月さんとか。
あとクラスの子じゃないけど、猫西先生とか寮母さんとか鷲北先生とか……結構いるな。
「まぁでも慣れない環境で頑張ってはいるみたいだし……はいコレ」
そう言って席を立ったお母さんは、廊下の方に姿を消したあとにすぐ戻ってきて。
私の目の前のテーブルの上に、包装袋をポンと置いた。
「なにこれ? ご褒美?」
「んまあ一応ね。頑張った娘へのご褒美のつもりだけど……アンタが喜ぶもんかはわからん」
「ありがとう!」
どんな物でも、お母さんが私のために用意してくれたものなら嬉しいにきまってんじゃん!
たとえ数学とか英語のドリルでも……ちょっとは嬉しいよ! もったいないからやらずに飾っておくし!
ワクワクドキドキしながら、中のプレゼントを傷つけないようにソーッと袋を開けると……。
「テディベア?」
「そう。しかもそれ私が作ったのよ。買ったものじゃなくて悪いけど……」
袋の中にはお母さんお手製らしい、めちゃんこ可愛いテディベアが入っていた。
中から取り出して両手で持つと、クマの胴が私の両手に収まるくらいのサイズのやつ。
「お母さんテディベア作れたの!? すごい! なんで黙ってたのさ!」
「いやいや、初めて作ったわよ」
ノンノンと手を振りながら、お母さんはちょっと気恥ずかしそうな顔をしていた。
仕事はバリバリこなしているだろうけど、家事とかはてんでダメダメだし。
そんで休みの日なんかは、お酒を飲みながら一生ダラダラしているお母さんが、まさかこんな乙女チックな趣味を持っているなんて知らなかった。
なんてことを考えながら、お母さんにキラキラした目を向けていると……。
「このまえ新入社員の子たち向けのイベントで旅行に行ったんだけど、その時に部下の子たちに誘われてね。なんかそういう体験できるってので、私もやってみたの」
お母さんが自発的に作ったわけではないらしかった。
私がいなくなった悲しみで新しい趣味でも始めたのかなと思ったけれど、それならきっと今でも、休日には寝そべりながらダラダラとお酒を飲んでるんだろう。
……お母さんの堕落しきった休日の過ごし方への心配も、今は置いておこう。
だってこんなプレゼント貰えるって思ってなかったから、すんごくとんでもなく爆発しそうなくらいに嬉しいし!
そもそもテディベアどころか、今までお母さんからプレゼントで人形とか貰ったことなかったし。
私が自分で買いに行かないってのもあったから、いつもプレゼントは服とか靴とかだったし。
正直いってメチャクチャ嬉しい!
「ありがとう……お母さん。ありがとぅ。メチャクチャ嬉しぃ……グスッ」
「すぐ泣くんだから……でも喜んでくれたみたいでよかった。これでこれからは一人で寝られるでしょ?」
「グシュグシュ……えっ? なにが? なんで?」
なんか貰ったテディベア抱きしめながら感動して泣いてる隙に。
お母さんからサラッと、とんでもないこと言われた気がしたんだけど。
「えっ、いやだから、そのクマ抱いて寝れば寂しくないし、もう一人で寝られるねって。流石に高校生にもなって、いつも母親と寝てんのもねぇ?」
「いや関係なくない? 高校生とかテディベアとか全然関係ないよね? この子とも一緒に寝るけど、お母さんとも一緒に寝るに決まってんじゃん。前もずっとそうしてたよね? 私ひさしぶりに帰ってきたんだよ? じゃあ一緒に寝なきゃじゃん。当たり前じゃん。だって私なんのために帰ってきたのってなるでしょ? なんでそんな意地悪言うの? お母さんだって私と一緒に寝たいはずじゃん。そのはずだよね? そもそも……」
「わかったわかった! 自分の娘ながら怖いよ……なにその詰め方」
その夜は、素直になれない意地悪なお母さんとプレゼントのテディベアを抱きしめて。
久しぶりに幸福感に包まれながら、私は夢の中に旅立つことができたのでしたとさ。
めでたしめでたし。
おやしゅみぃ……バブゥ。
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