第六十三話 未は迷走する
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しきり役、そして仲裁係の松鵜部長がいなくなっちゃったわよ……。
神さんと二人で取り残された部室で、ひとまずあたしたちは対面同士でイスに座っていた。
気まずいことに、会話は全然ないけれど。
かれこれ十分くらい、お互い俯いて飲み物のラベルや成分表示を確認しているだけの時間が過ぎた。マジで虚無。
そういえば、さっき梅鶯先輩と松鵜部長の内緒話で漏れ聞こえてきた、竹雀って人。
その人もたしか生徒会の人だったはずよね。しかも副会長かなんかだったはず。
生徒会長はまだ三年生の先輩だけど、あの三人の誰かが次の生徒会長になったりするのかな?
もしそうなら、じきに役職が変わって、今以上に松鵜部長も忙しくなるかもしれない。
ということは、これからも神さんと二人きりの時間は普通にあり続けるってわけなのよね。
どうしよ……さっき口げんかした手前、今でさえだいぶ気まずいくらいだし。
冷静になって思い返してみると、『チビ』とか酷いことを言っちゃったと思う。
みんな神さんがちっちゃいと思ってるとか、なんの証拠も無いことも言っちゃったもんね……。
自分が言われたくないことを神さんに向かって言っちゃったんだから、ちゃんと謝るべきよね?
そんな罪悪感から、お茶のラベルから目を離して神さんを盗み見ると。
偶然にも神さんもあたしの方を見ていて、視線がバチっと合ってしまった。
「うっ……あ、あの、神さん」
「あのっ! ひ、ひつぞぐちぇさん!」
このまま苦い気持ちを抱え続けるくらいなら、いっそ謝ってしまおうかと思いつつ。
いじっぱりな性格ゆえに、素直に謝罪の言葉は言い出せそうになくて。
とりあえず場を繋ぐため、適当になにかを話そうと、口を開いたあたしの声に被さるように。
メッチャ噛んでたけど、大きな声であたしの名前を呼びながら、神さんが急にイスから立ち上がって……。
「あ、あの! 私、その……ごめんなさい!」
そんで立ち上がった勢いのまま、あたしに向かって思いっきり頭を下げて謝ってきたのだった。
「さっき興奮して、ひどいことたくさん言っちゃって。あの、私、本当に最低で……うぅっ」
頭を下げたままだったから、あたしは神さんの顔を見ることができなかったけれど。
その弱々しい声音から、神さんもあたしと同じで、さっきの口げんかのことを気に病んでいるんだって。
それがわかったから、神さんがこんなに申し訳なさそうに謝ってくれたのを見てしまったから……。
「あたしも! ご、ごめんね!」
勇気を出して、あたしも素直な気持ちをやっと口にすることができた。
さっき言い争ったのも、どちらかだけが悪いということもなかっただろうし。
神さんだけに謝らせるのは流石に虫が良すぎると、あたしも謝りながら、すぐに立ち上がって頭を下げた。
「さっき、あたしの方から『チビ』とか言っちゃったし……神さん来てから、ずっとひどい態度も取っちゃってたと思う」
「でも、それは私が気に触るようなことしたから……」
確かにあたしが怒り出したきっかけは、あの頭なでなでだったかもしれない。
だけど……もう自覚できている。
「ちがう、ちがうの。さっきあたしが怒ったのも、ただのやつ当たりなの……だから、本当にごめんなさい」
あたしは神さんがこの部屋に来てから、ずっとイライラしちゃっていた。
それは神さんを初めて見た時から抱き続けてたコンプレックスのむかつきを、神さんに八つ当たりしていただけだったんだと思う。
神さんはあたしにひどいことを言ったわけでも、してきたわけでもないのに……。
あたしたちは示し合わせたわけでもなく、同時に頭を上げて、お互いの顔を直視した。
あたしはきっとバツの悪そうな顔をしていただろうし、神さんは意外なことに、瞳を潤ませながら唇を噛み締めていた。
思い返せば、さっき入部せずに部屋から出ていっちゃいそうだった時も、落ち込んで泣きそうな風にも見えたっけ。
みんなが言っているように。
あたしも心のどこかで神さんのことを、完璧だとか、あるいは人形やロボットみたいな人間なんだと思い込んでいたのかもしれない。
だけど、今あたしの目の前にいる女の子は。
あたしと何ら変わることのない。
あたしと同じ、普通の女の子に見えたのだった。
◇◇◇
そのあとは、『お互いに悪いとこがあったね』と両者納得のうえで。
喧嘩両成敗ということで、あたしと神さんの諍いは一応の解決とあいなった。
素直になるのが気恥ずかしく、それは神さんも同じだったのか。
どこか気恥ずかしい雰囲気が漂いつつも、あたしたちはひとまず、またイスに腰を落ち着けた。
「……それで、どうするの?」
なんとなく顔を合わせにくかったから、そっぽを向いたまま。
あたしは神さんに視線だけを向けて、そう聞いてみた。
「あっ、はい。あの……未口さんが迷惑でなければ、入部させてもらおうかなって」
モジモジと気恥ずかしそうにしながら。
俯きつつもチラチラとあたしの方をうかがって、神さんは答えを返してくれたけど。
あたしが聞いたのはそっちじゃないし。
しかもなんで今は噛まずに言えちゃうの!
また噛んでくれたら、それを理由にもっと簡単に言い出せたのに。
ていうか、もう普通に入部するのは決定しているもんだと思ってるし、別に迷惑だなんてもう思わないわよ!
「いや、ちがくて……だから、あのね」
いつも周りの人は、あたしの許可とかお構いなしで勝手に呼んできた。
だから、あたしの方からこんなことを言い出すのも初めてだったってのもあり、何故か妙な緊張とかを感じつつ。
「……?」
神さんも神さんで、もう松鵜部長との会話を忘れちゃったのか、ぜんぜん察してくれないし!
……あぁもう!
「だからぁ! あだ名、どうするのって言ってるの! 呼ぶの!? 呼ばないの!?」
だってしょうがないじゃない!
寮とかクラスの子たちは、みんな勝手にあたしのこと『羊ちゃん』とか呼んでるのに。
せっかく同じ部活に入ったのに、その神さんだけ他人行儀に『未口さん』とか呼ばれるのはさ?
ちょっと悲しい……ではなくて、なんか、あの、アレじゃないの!
居心地悪いっていうか、寂しいっていうか……そう、落ち着かないのよ!
それに松鵜部長もさっき、『仲良くなるならまずあだ名』って言ってたし! 口げんかしたけど、仲直りもしたよね!
「え、でも……」
「なによ! イヤなの!?」
なにをそんなに躊躇してんのよ。
神さんは遠慮がちに声をこぼして、なんか戸惑っていたけれど。
強気な言葉を口にして、そのうえ拗ねた気持ちを悟られたくなくて顔をプイと逸らしながら、あたしは少し不安になり始めた。
現金なものだけど、神さんを受け入れ始めるのを納得するやいなや。
あたしは多分、神さんとも仲良くなれたら……なんてことを考え始めていたのかもしれない。
それはきっと、神さんは確かにあたしにコンプレックスを植え付けた相手ではあったけれど。
もうすでに劣等感を感じているなら、逆を言えばこれ以上落ち込むことはないでしょってビビらなくて良い相手でもあるかもだし。
まぁ、これ以上にまた何か打ちのめされたとしても。
神さんにだったら、一度も二度も変わらないしと納得できている気持ちもあったんだけど。
そんなあたしの解きほぐされつつある気持ちとは裏腹に。
当の神さんが、そもそもあたしと距離を縮めたいとか思ってくれていないんじゃないかって……。
そんなことに気づいてしまったから、不安な気持ちも沸いてきてしまった。
「……い、いいんですか?」
神さんのその声は、もれ出たように小さく震えていた。
たかだがアダ名なんてもので、そんなにも遠慮しているのは。
やっぱり本当は神さんは不本意だけど、断りずらくて躊躇しているのかも、なんて思いがジワジワと湧き上がってきてしまったせいか……。
「あたしがいいって言ってるんだからいいの!」
そんな気持ちを隠すように、あたしはまた懲りずに、そんな生意気な言い方をしてしまった。
だけどそれきり、返事がなかなか返ってこなくて。
いま目の前で、すごい嫌そうな顔している神さんなんかを目の当たりにしたらと、怖がってなかなか視線を前に戻せなかったんだけど。
あまりにも、神さんが返事をくれなかったから。
神さんの表情を確認するために、おそるおそる視線を正面に戻したあたしの瞳に……。
肩を震わせて、両手で顔を覆って泣いている神さんの姿が飛び込んできたのだった。
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