第五十六話 神は圧迫される
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鷲北先生が作ったくれたココアを飲みながら、しばらく黙って先生たちの話を聞いていた。
ちなみに鷲北先生は飲み物を用意してくれたあと、私の隣にイスを持ってきて、腕同士がピッタリ触れ合うくらい私の近くに座ってきた。
あっ、あっ……全神経が鷲北せんしぇいとくっついてる腕に集合してるよぅ。
あぁ、たぶん脳みそも溶けて、触れ合ってる腕まで移動し始めたぁ……ウネウネ。
ドキドキ高鳴る心臓のせいで、聞いてた話の内容も九割くらい脳みそと一緒に溶けていったけど。
なにやら先生たちは、ちょくちょく遊びに行ったりお酒を飲むほど仲が良いらしく。
しかもいつもは、体育教師の南鶴先生も混ざって、四人でワイワイしているらしい。
羨ましい……これがホンマもんのともだちってやつか。
猫西先生、コレってもしかしてアレですか?
当てつけ……みたいな? 自慢するため、的な?
女豹の群れに投げ込まれたマントヒヒのような居心地の悪さを抱えつつ。
『なんで私ここにいるの?』という、現実へのゲシュタルト崩壊を起こしかけていたところで……。
「そんで、今日はなんで神さんも連れてきたの?」
私たちが来てから、時間としてはそんな経ってはいないけど。
ようやく先生たちの話も一段落ついたのか、寮母さんが私が連れてこられた理由を猫西先生に聞いてくれた。
「あぁそうそう! 神さんごめんね。一緒に来て貰ったのに、関係ないこと話しちゃって」
「い、いえ。私のことなど、おかまいなく……」
私なんぞ、タヌキの置物くらいに思っといてくれればいいですぜ。
もし許されるなら、もう帰りたいけども……。
「それじゃあ神さんは私とおしゃべりしてよっか? ねーこちゃんたちはまだお話ししてていいよー。ねー?」
そう言いながら、鷲北先生は私の腕をギュウと抱きしめてきた。
はい、私いま死にましたー。
なぜでしょうかー。オッパイのせいですー。
鷲北先生のダイナマイトに腕を包まれた瞬間、私の脳細胞が一兆個くらいハジけて死滅していった。
「アワッ……アワッ……」
「ちょっとわーちゃん。神さんも困ってるから」
いや困ってはないですよ。でも困ってもいますけどね。どういうこっちゃねん。
猫西先生が助け舟を出してくれたけど、鷲北先生は「えー、神さん困ってるのー?」とか顔を寄せてきながら、懲りずに私を誘惑してきた。
生徒と先生なんだけど……まぁいっか。
過ちおかしちゃお。チャオチャオ。
私が理性とか人生を投げ捨てて、ホンマもんのマントヒヒになりかけていたタイミングで。
「鷲ちゃん。神さんもそういうスキンシップ好きじゃないかもだからさ……」
猫西先生に加勢するようにフォローを入れてくれた寮母さんのその言葉で、鷲北先生はようやく抱きしめていた私の腕をはなしてくれた。
ウキッ、ウキキッ?
ウキッ……はっ! アブねぇ。私にんげんじゃん!
危うく人間の女性を襲いかけた野生の猿として、檻ん中にぶち込まれるとこやったわ……。
あっ、でも溶けてドロドロのまま移動した左脳が、まだ鷲北先生のオッパイにくっついてるのに。
私の左脳返して?
もう一回触れれば、たぶん戻ってくるから……ワンスアゲイン、プリーズオッパイ。
「よしよし。それじゃあ本題なんだけど、神さんが部活決めるのに悩んでるらしいから、二人にも相談に乗るの手伝って欲しいのよ」
未知の触感との邂逅で、さっきまでの私はちょっとおバカなおサルさんになっていたけんども。
とりあえず右脳だけでも頭の中に取り戻せた私は、猫西先生の言葉のおかげで、ようやく保健室まで連れてこられた理由を理解したのだった。
◇◇◇
そう言うことならと納得した鷲北先生と寮母さんだったんだけど。
まずは形からとか言い出して、机を挟んで私と大人三人が向き合っている状況を作り出し始めた。
いや、無理でしょコレは……。
「神さんは運動部はイヤなんだよね?」
猫西先生の確認に、ココアの濁った水面を見ながらコクコクと頷いて答えを返した。
こんな何人もの大人に囲まれるなんて入学試験の面接以来なんだけど、あの時はまだ心の準備をしてから臨むことができたわけで。
だけど心構えもなく急にこんな状況に置かれても、私の人生経験では冷静に対処できるはずもなく。
私は緊張から、ひたすらに身体を硬直させて俯いたままで、目の前の面接官と対峙するしかなかった。
「運動部以外かぁ……神さんは何かやってみたいこととかあるの?」
鷲北先生の質問にも、ひたすらにフルフルと首を振るしかできない惨めな私。
コレが入学やら入社の面接だったら、開始五秒で不合格確定だろう。
アイヤー私理解したアル。これが世にきく、あの圧迫面接てやつネ。
面接が嫌いな就活生に聞いたアンケートで、『嫌い』と答えた人が、なんと驚異の百パーセントだったあの悪しき文化ね。
なるほど確かにとんでもない。こりゃすごい圧迫感だ……。
猫西先生は腕組みしている腕の上にエグいのが鎮座しとるし。
鷲北先生にいたっては、前屈みで私に聞いてきてるから、とんでもないものが机の上に乗っかっちゃってるんだもん。
そんなギューギュー圧迫したらあかんやろ。破裂してまうでホンマ。
「新しいことを始めてみるのも良いかもしれないけど……そういえばさ、神さん」
頭の中ではそんな風に、おちゃらけて誤魔化そうと努めてみたものの……。
やっぱりこの状況は怒られてる感が強くて。
ビクビクしながら、ずっと目線を先生たちから逸らしていたんだけど。
寮母さんに名前を呼ばれたから、そこでようやく私は俯いてた顔をあげた。
「入寮の時の面談でさ、今まではあんまり他の人と関わる機会が持てなかったって教えて貰ったじゃない? 今でもまだ、知らない人が沢山いるのは怖いかな?」
恐る恐る上げた視線の先で。
寮母さんや猫西先生、鷲北先生の顔を見て……私はやっと気づくことができた。
寮母さんも先生たちも全然怒っていないし、私を問い詰めたりしたかったんじゃないって。
きっと少しでも私がリラックスして話せるように、ずっと気を使ってくれていたんだろう。
私が職員室という慣れない場所で、しかも他の先生も周りにいる中で緊張していたから、猫西先生はここまで連れてきてくれたし。
鷲北先生も、飲み物を飲んで少しでも気がほぐれるように、わざわざ私のために手間をかけてでも飲み物を用意してくれた。
そして寮母さんも……あの入寮面談でのことを、ちゃんと覚えてくれていて。
それにいつも寮で会うと話しかけてくれるし。さっきは私を気遣うように、私の気持ちを優しく聞いてくれた。
先生や寮母さんは……呆れてないし、怒ってないし、面倒にも思っていない。
みんな優しく笑いながら、私に寄り添おうとしてくれていた。
それが伝わって来たから、私は……。
「……あ、あの! やっぱり、まだ……こ、怖いです!」
先生たちの優しさに報いる方法なんて、まだ幼い私にはどうすれば良いのかなんてわからなかったけれど。
それでも、今までみたいに一人きりで怖がってないで、少しの勇気でいいから振り絞って。
自分の抱えている気持ちくらいは頑張って言葉にしなくちゃって、そう思ったから。
「……うん。よかったら、神さんの思っていること、先生たちにもっと教えて?」
私の弱音を聞いても、猫西先生はもっと教えて欲しいとそう言ってくれた。
情けないとか可哀想とか思わないで、受け入れてくれるかもって思ったから。
受け入れて欲しいって、私はそう望んだから……。
「ほ、ほかの人に、うまく話しかけれないし……頑張りたいけど、勇気も出せないし! ともだちにも、まだ誰ともなれてないですけど……!」
今にも泣き出しそうになるのを堪えるために、ギュッと目を瞑って。
スカートを握る手にも、すごく力が入っていて。
そんな不格好で、情けない姿をさらけ出しながら。
「っ知らない人がたくさんいるのは、やっぱりすごく……こわい、です。だけど私も、私だって! 部活に入って、誰か一人でいいから……ともだちが欲しい……!」
入学してから抱えていた、ずっと怖かった気持ちや。
いままでお母さんにしか話せなかったその思いを。
私はこの学校で、誰かに向けて……ようやく吐き出すことができたのだった。
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