第四十六話 神は鉢合わせ、馬は任される
◇◇◇
起きてから、顔を洗ったりする前に、まず一番にスマホの電源を入れた。
お母さんからメッセージが一通だけ届いており、恐る恐る確認してみると、コンビニ禁止って話は書いてなくてちょっと安心。
案の定『無駄遣いするな』とか、『知らない人に話しかけられても無視して、用事済ませてとっとと寮に帰るように』とは書いてあったけれど。これは言われるまでもなく、ちゃんと出来てるし。
私だって保育園児じゃないんだから、コンビニに入り浸ってたくさん居座ったりしてないし、ちゃんと自分なりのルールも決めて守ってるもん。
ほっと胸を撫で下ろして、今日も一日頑張るための準備に取り掛かったのだった。
◇◇◇
その日の昼休み。
中庭のポカポカした陽気の中で、ひとりお昼ご飯を食べ終えて。
余った時間はボーッとしたり、スマホをイジったりして過ごした。
午後の授業に遅れないように、予鈴がなる前には教室に戻ろうと、学校の廊下を歩いていたそんな時。
向こう側からも誰かが向かってきてたことに気づいていなかったせいで、廊下の角を曲がろうとした折に、ほかの生徒と鉢合わせてしまった。
「うわっ! ご、ごめん」
「あっ、いえ……すいません」
そう謝ったあと、ぶつかりそうになった人の顔を見上げると。
その人は偶然にも同じクラスの女の子で、しかも実は少し前にいろいろあったクラスメイトでもあり……。
「あっ、神さんか。ごめんね?」
「う、馬澄さん……」
私的には顔を合わせるのがちょっと気まずい相手となる、クラスメイトの馬澄さんだった。
◇◇◇
たしか、二回目の体育の時間だったかな。
「今日は体力測定ね。準備しとくから準備体操と柔軟しといて。んじゃよろしく」
校庭のグラウンドで整列する私たちの前に立った南鶴先生は、前回同様に端的にそれだけを告げて、またぞろどっかに消えていった。
そ、測定? そんなん聞いてないんだけど……。
なにぶんそういった学校特有のイベントごとなんて、こちとらトンと久しぶりな訳である。
中学では一度だって参加したことがない。なにせ入学式と卒業式にすら不参加だったもん。
担任の先生を名乗る人に卒業証書を配達させるくらいには、学校行事も未体験なんだから。
体育版のテストみたいなものってこと?
測定した成績が悪かったらどうなっちゃうの?
どんなことをするかとか、何もわからないまま不安を感じつつも、芝生の上で辰峯さんとの柔軟を終えて。
ようやく始まった体力測定最初の競技は、手に持ったソフトボールをどれだけ遠くに投げられるかという、人力ドラコン大会だった。
きっと石を使って原始時代にも行われていたような、そんなだいぶ単純な種目なんだけど……。
物投げる飛距離なんか測って、そのデータは何に活かされるの?
外野手の適正でも調べたいの?
そんな疑問も当然口にできるわけはなく、私はただ言われたとおりにボールをとにかく遠くに投げるしかないんだけども。だって先生には逆らえないもん。怖いもん。
勇ましさなんて持ち合わせていない私は、どんな不満を抱いたとしても南鶴先生の言う通りにするしかないのだ。
まるで中世の奴隷のように、『掘れ』と言われたら穴を掘るし、『埋めろ』と言われたら穴埋める。『舐めろ』と言われれば足を舐めて、『揉め』と言われれば身体のどこでもマッサージして差し上げるしかない。
して差し上げるから言うてみぃ。揉んで欲しいとこあれば揉んであげますわよ。仕方なくだけどね。もちろん仕方なく、やれやれってな感じにだけどね?
お胸とかお凝りになっているでしょ?
「はい。んじゃ、つぎ……神ね」
「は、はいぃ……」
私の前にポンポン投げてった子たちは、まぁまぁそこそこやるようだった。
皆もよぉけ頑張りおる。もっとキャピキャピしながら手前にポロンポロン転がすような投球を見せると思いきや、ヒュンヒュン風切り音が聞こえる球を投げてるんだもん。
なんであんな十メートルとか投げれんの。ヤバくない?
でもみんな結構同じくらいには投げ飛ばせてるし、私だってあんくらいは余裕じゃろうと、ハンドボールを渡されるまでは余裕綽々に油断しておりました。
南鶴先生からハンドボールを渡されて私は思った。
……いやぜったいに無理。
そもそもハンドボールが重すぎるし……なんでこんな重い球を、みんな軽々と投げれんの!?
みんなゴリラやん!
うちのクラスはゴリラ組だったんだよきっと!
私みたいなスローロリスからしたらレギュレーション違いすぎだよ。こちとら肩まで持ち上げるのだって大変だってのに。
一種目目から前途多難な気配を感じ、さらにはコレでひっどい結果なんか出そうもんなら、とんだ晒し者の笑いものになるんだろうなと、あまりの不安と緊張にドッと冷や汗が溢れてきた。
いやでも、ほら……私だしさ?
私みたいなボッチの番なんて、きっと誰も見ていないでしょと、チラと待機しているクラスメイトに目を向けたのがアカンかったんだろう。
クラスの子たちは私の醜態でも楽しみにしてるのか、みんなで私の様子を見学しておるし。
みんなに見つめられている現実を目の当たりにし、さらにはこれまで人前でひとりで何かを披露する経験など一切なかった私は、ボールを投げるどころか一種目も測定するに至ることなく。
極度の緊張から気を失って、保健室に運ばれることとあいなったのだった。
不甲斐ねぇったらないぜ、べらぼうめ!
……恥っず。
誰かこんな私なんか埋めてくりゃはい。てやんでぃ……。
◆◆◆
放課後の部活動の時間。
陸上部の練習が終わったタイミングで、私は顧問の先生に呼び出された。
何か説教をされるようなことをしでかした覚えはないんだけどな。そもそも陸上部にだって、まだ入部したばかりだし。
つまりは事務連絡か野暮用か、そういったことだろうかと当たりをつけながら、着替えを済ませて職員室に向かった。
そもそも顧問の先生の席の場所を把握していなかったため、職員室内を軽く見回していると。
すでにあちらは私の姿を見つけており、遠くで手を振る先生をようやく発見することができた。
「馬澄さん。悪いね。部活終わりに」
「いえ。大丈夫です」
先生の席まで近づくと、まずそう謝りの言葉をいただいた。
先生の雰囲気やその言葉からも、別に心配はしてはいなかったけど、この呼び出しが説教の類である線は消しても良さそうだった。
「うん。んじゃ、あとは南鶴先生から話を聞いてね」
「南鶴先生から、ですか?」
てっきり陸上部に関する話かと思っていたけれど、顧問は私の呼び出しのみを頼まれただけらしく。
「あぁ、私が馬澄に用事があってね。部活終わりに声をかけてもらうよう頼んだんだ」
数席離れた机で座っていた南鶴先生が、こっち来てとヒラヒラと手を振りながら声をかけてきた。
こうなるといよいよ用事とやらの内容も予想できないなと頭にハテナを浮かべつつ、顧問の先生には一礼してから、南鶴先生の元まで向かった。
「どうも。それで、用事ってのいうのは」
「ちょっと頼みたいことがあってさ。馬澄は神と同じクラスじゃん?」
「はい」
予想もしていなかった神さんの名前に多少面食らいつつも、事実ではあるため素直にうなづいた。
と言っても特別親しいわけではないし、ろくに話したことがあるわけでもない。
クラスや寮で人気があり、それなのに独特の浮世離れしたような印象を纏っているせいか、いつもひとりで行動している女の子。そんな表面的な情報とも呼べないような認識しか持っていないけど。
あぁでも、なにかと話題の中心にいるような子だけど、今日は特にそれが激化していたな……。
なにせ体育の授業中、その神さんが皆の目の前で、気分を失い倒れてしまったなんて事件が起こったんだから。
その時の記憶をなんとなく思い出していたせいってこともなく、ただ偶然タイミングが重なっただけだろうけど。
「あの子倒れたじゃない? 今日の授業中にさ」
「はい。私も見てましたし……」
南鶴先生の口からも神さんが気を失った時の話が出された。
そりゃとても人気のある子が、体調が悪かったのか急に倒れたんだし、みんな騒然となりはしたんだけど。
神さんのすぐそばにいた南鶴先生は神さんの身体を受け止めたあと、すぐに辰峯さんに養護教諭の鷲北先生を呼びに行かせた。
そのあとやってきた鷲北先生に介抱された上で、神さんは南鶴先生に抱っこされながら保健室に運ばれていった。
残された私たちはただ呆然とその様子を見送ることしかできなかったけど、戻ってきた南鶴先生からひとまずそれほど心配する必要はないという話がされ、みんな少し安心して体力測定の続きを再開したのも記憶に新しい。
「そのせいで一人だけ体力測定できてないんだけど、それも問題があるからさ」
「はぁ……」
ことここに至っても、私は呼び出しを受けた用事を察することが出来なかった。
そりゃそうだろう。
まさか自分が、あの神さんにまつわる用事を任されるなんて、そんなこと想像すらしていなかったわけだし。
「私もちょいと忙しいってのもあるんだけど……猫西先生からも相談されたり、まぁ他にもいろいろと理由もあってさ」
「はい」
理由ってところはボカされたな……。
まぁ先生たちにも、生徒が知らない事情やら何やらがいろいろあるんだろう。
「あの子が体力測定するにも、誰か測ったり確認する人が必要な訳なんだけど……馬澄に頼めないかな?」
「……はい?」
一から十まで聞いた上でも、なんか他人事のように、自分にお鉢が回ってきたと理解することができなかったけど。
そのまま私の理解は置いてけぼりにした上で、話はトントンと進んでいき。
夕暮れ時の職員室で、私は神さんの測定係という役目を任せれることになったのだった。
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