第四話 子は救済される
◇◇◇
大した時間は経っていなくて、せいぜい五分かそのくらいでしょうか。
だけど悲壮に暮れてシクシク泣き続けていた私には、時間の経過なんかを気にしている余裕なんてなかったし。
もちろん返ってきた足音にも気づくことができませんでした。
俯いたまま両手で顔を覆っていたせいで、目の前にまで走ってきてくれていた人の気配にも、肩をツンツンされるまで気づかなくて。
突然の僅かな接触に反応して顔を上げると、目の前にはハンカチがありました。
ハンカチを差し出している神さんは息を弾ませながらも、困っているのか戸惑っているのか、眉尻を下げながら私を見つめていて……。
「泣いてるとは、思わなかった……ごめん」
そう言うと、私の手を掴んでハンカチを握らせようとしたけど。
ちょっと考え込んだ後に、そっと自ら私の目元をハンカチで拭ってくれました。
「こっち、来て。泣かないで……」
掴んだままの私の手を引っ張って歩き出した神さんが、それまで脇に挟んでいた竹箒が、地面に倒れてカンッと軽い音を立てて。
手を引っ張られて歩きながら、いまだ状況への理解が及んでないまま目を向けた地面には……。
先程泣き出した時に手放した竹箒に寄り添うように、もう一本。
合わせて2本の竹箒が並んでいたのでした。
◇◇◇
「これ、あげる」
中庭の隅のベンチに座らされた私の横に、神さんが紙パックのリンゴジュースをソッと置きました。
座っている私の手に今度こそハンカチを握らせて、私の頭にポンと手を置き少し撫でてから。神さんは歩いて竹箒を拾って、中庭の掃除をし始めたのです。
呆然とその様を見ていたまま、ふと気づくと涙はいつのまにか止まっていて。
きっと理解の及ばない状況への混乱が、悲しさを上回ったのでしょうけれど。
1人で中庭を掃除しているだけなのに、なんて絵になる光景なんだろうとかトンチンカンなことを思い始めたあたりで、ようやく状況が理解できはじめて。
唖然としながら座っている場合じゃないだろうと、急いでベンチから立ち上がりました。
「あっ、あの! わたし大丈夫です! ひ、ひとりで!」
小走りに神さんの前まで駆け寄り、神さんの竹箒を動かしていた小さくて綺麗な手を握って。
私の事情なんかに、あろうことか、あの神さんを巻き込んで迷惑をかけるわけにはいけないって思ったのですが。
そんな烏滸がましいこと許されるはずがないと、そうちゃんと口にできれば良かったのに。
私の口は情けなくも、「あの、あの」などと意味不明な言葉だけを吐き出すことしかできませんでした。
「……まだ休んでていいよ。落ち着くまで。嫌いじゃなかったら、アレ飲み終わるくらいはゆっくりしてて」
クールにそう言いながら。
神さんはベンチに置かれたリンゴジュースを指差していましたが。
「そんな、悪いです……私なんかが。それに掃除だって。ご迷惑をおかけするわけには……」
私はそこまでしか言い切ることが出来なくて。
だって全てを言い切る前に……まるでお母さんが子どもを誉めてあげるように、神さんの手が私の頭をもう一度撫でたのです。
「あれは、ひとりで頑張ってたから……ご褒美? 気にしないで飲んでいい」
僅かな時間、私の頭を撫でていた手を残念ながらも離した神さんは。
竹箒を握り直して私に背を向けて、また地面を掃きはじめました。
「あと掃除も、気にしないで。だって――」
振り返った神さんの顔を見た、その瞬間。
私の視界に映る世界は、一面の花が咲いたように鮮やかに彩られて……。
「2人でやった方が早く終わる。でしょ?」
世界に色がついたと、そう錯覚してしまうほどに。
神さんの浮かべるささやかな笑顔は……綺麗すぎたのでした。
後から思い返すと、きっとこの時、神さんと出会えたきっかけのおかげで。
かけがえのないほど素晴らしいと思える高校生活を、私はいまこの瞬間から、ようやく始めることができたのでしょう。
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