第三十八話 神は狐疑する
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まるで別れ話を切り出された恋人みたいだったな……。
今朝のことを思い出して、そんな気恥ずかしさを覚えた。いや、気恥ずかしいで済ませられるレベルじゃないんだけど。
思い出すだけでとんでもなく恥ずかしくて、ひとり自室でハッハッと息荒く悶えている様なんて、走り回った後の犬みたいじゃん。
いやよ私、そんなの淑女らしくもない。
もっとおしとやかにいないとね。うん無理。ハッハッ。ワンワン!
「ぅおぉぉん!」
やっぱ恥ずかしい! 恥ずかしいよん!
捨てないで捨てないでって気持ちが強すぎて、辰峯さんに縋りついてしまったよぅ!
……まぁでもよかった。本当によかった。
辰峯さんは私を見捨てないでいてくれるらしいし、明日からも一安心である。
これで明日の体育のときとか、辰峯さんが別の子と組み出したら……うん。もう学校やめよ。誰も信じられなくなりそ。
この世で私とペア組んでくれるのなんて、やっぱ生涯でお母さんしかいないんだって諦めよう。
安心と不安が入り乱れた複雑な気持ちのなか、私は布団に潜って明日を迎える準備を始めた。
そして、ウトウトし始めたそんな頃。
「……そういや、辰峯さん」
実はずっと思っていたけど、頑張って隠し続けてたある思い。
「おっぱい……小さかったなぁ……ムニャムニャ」
そんな本音が、誰の耳にも届くことなく、静かな部屋にこぼれ落ちたのだった。
◇◇◇
そして迎えた、明くる日の体育の時間。
私はふと過去にお母さんとした、とある話を思い出していた。
あれは確か二人でテレビを見ていた時。
テレビに出てきた美人さんが、とある神様に例えられていた。
「ねぇお母さん。アフロディーテだって。美の神様だって。知ってた?」
「いや知らなかったけど……美の神様か。んじゃこれ私ね。私もアフロディーテってことで」
「……は?」
なに言ってんのこのおばさん。
ドラゴボ見て「オレ悟空な!」とか言い出す小学生と同レベルじゃんか。
「いやなによ『は?』って。私美人でしょ?」
「うん」
確かにうちのママンは綺麗で自慢の母だけど。
それは確かにそうなんだけども。
「ねっ? だから私じゃん。美の神様とか私にピッタリでしょうが?」
「……は?」
自慢の母からそんなアホみたいな言葉を聞きたくなかったよ。
多分お母さんなりのボケなんだろう。
まぁお母さんは私と違って、ボケとかギャグのセンスが著しく欠落しているからね。仕方がないね。
だけどそんな笑いのセンスが地底人レベルのお母さんというトンビも、私という鷹を奇跡的に生み出してしまったのだから、ビックリ仰天凄いことである。
もしかしたら私が母親のギャグセンスを全部吸い取って生まれてきてしまったのかもしれない。
ごめんねお母さん。お母さんのボケはつまらないのに、私は面白くて。
もし普通に学校に行って、普通にクラスメイトと会話できさえしていれば、私なんてドッカンドッカン笑いとってクラスの人気者だっただろう。残念だ。
まぁ内容のしょうもなさは一旦置いといて。せっかくお母さんが頑張って場を和ませようとしてくれたんだし、私も乗ってあげることにしますかね。私ノリはいい方なもんでね。
「んじゃお母さんにアフロはあげるけどさぁ……じゃあ私は? 私にもなんかちょうだい」
「んん? アンタは……スローロリスかな。メッチャぴったり。よく似てる」
おいおいおい。なんだその可愛らしい名前は。
まさに私にピッタリじゃないか。どこの神様だ? やっぱ西洋かな?
流石は私の自慢のママちゃまだ。自分の娘のことをよく理解しておる。
「へぇーなんの神様なんだろう。ちょっと調べてみよ」
あれほど私を溺愛しているお母さんが、私にピッタリとまで言ったんだもん。
きっと全知全能とかを司る、大層お利口さんな神様なんだろうね。
私はワクワク期待しながら、スマホで『スローロリス』ってチョチョイと検索をかけてみた。
小さな猿だった。
……このババア、よくも騙してくれたな。
実の娘にたいして、言うに事欠いて猿に似てるだと?
拗ねた私はそのあと三十分くらいお母さんと口を聞かなかった。
でもお母さんは酷いことに、私が拗ねてても怒ってても全然気にしないから、いつも私から寂しくなって話しかけるんだけどもね。
意地悪なママだよ。本当に。
◇◇◇
そんな神家での過去の一幕を思い出したのも、きっと同じクラスの巳継さんが話しかけてきたからだろう。
体育の授業が始まり、私の辰峯さんを取られないように、そんで辰峯さんが私を誘いやすいようにと近くまで忍び寄ろうとしたところで。
「なぁなぁ、神さん。ちょっとええ?」
巳継さんが私に話しかけてきた。
巳継さんと話すのはこれが初めてのことだったけど、私はもちろん彼女のことを前から知っている。
辰峯さんと同じ部屋であることとか、いつもニコニコ楽しそうな美人さんであることとか。お胸のお山がまぁまぁ大きいこととか、さらにさらにで関西弁の使い手であることとか。
クラスで巳継さんが話しているのを初めて聞いたとき、私の中で衝撃が走ったのも記憶に新しくよく覚えている。
だって関西弁を話す女の子を生で初めてみたんだもん。
アニメとかのテレビの中でしか見たことなかったから、私にとってはもう芸能人と同義である。
メッチャ興奮したもん。あかんわ。美人の関西弁はあかん。なんかクラクラする。
その時からなんか巳継さんを見るたびに、日本の有名な神様であるところのお稲荷様みたいだなぁ、なんて思っていたから。
だからさっきみたいな過去話を思い出したんだろうな。
お稲荷様って神様がアフロディーテ様って神様を引っ張ってきたのである。めでたいこっちゃ。いや、そんなこと考えている場合ではなく。
「ぅえっ、あっ、えっと……」
急に話しかけられるなんて、それも今まで一度も話したことのなかった巳継さんから話しかけて貰えるなんて、そりゃ当然すごい嬉しかったのはあるんだけど。
そうこうしている間に、私の辰峯さんが取られてしまうかもしれない。
でも巳継さんとも話したいし。それにせっかく話しかけてくれた巳継さんの気持ちも無下にできないし……。
降って湧いた予想外の事態に、巳継さんと辰峯さんを交互にチラチラ見ながら、どうすればいいんだと混乱してしまっていると。
そんなアタフタしている私を目の前にして、当の巳継さんは私の返事を待つように、ニコニコ笑いかけてくれていた。
あっ……メッチャ美人。
前々から思ってたけど、巳継さん雰囲気がちょっとえっちなんだよなぁ……。
妖艶って表現がピッタリな感じ。化かされたい。お胸のお稲荷様もご立派様だし。
……そういや、辰峯さんも昨日言ってたよね。これからも私と組んでくれるって。
んじゃ巳継さんとちょっとくらいお話しても……いっか!
辰峯さんだって、『ほかの子とも仲良くした方が良い』って言ってたし!
「あ、あの……はい。大丈夫です……」
「そお? よかったわー。そんでなー? 神さんにちょっとお願いがあるんやけどー」
私の返事を聞いて、胸を撫で下ろすという少し演技かかった仕草を見せた巳継さんは。
まるで狐が、山に入り込んだ子どもを化かして拐かすように……。
「うち、神さんともっと仲良くなりたいんやけどなー? せやから今日……うちとペア組んでくれん?」
そう言って、私を誘惑したのだった。
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