第三十七話 神は怖がり、辰は先延ばす
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思い返してみると、私はこれまで誰かに拒絶されたことがなかった。
容姿を褒められたり、変な人に声をかけられたり、お母さん以外の人からはそんなんばっかりだった。
だから、誰かに否定されたり拒絶されることがこんなにも辛いことなんだって、私はその痛さをはじめて味わうことになった。
その痛みも普通の人なら何度も体験して、その度に乗り越えて強くなって、少しずつでも耐えられるようになるのかもしれない。
だけど私はまだまだ弱いから。みんなみたいに強くないから。普通とは違うから……。
だからたった一回でも辰峯さんに拒絶されただけで、こんなにもみっともなく泣いてしまったんだろう。
私が泣いてしまったのも、私が泣き虫で打たれ弱いのが悪いだけで。
辰峯さんに拒絶されたのだって、私が辰峯さんの優しさにつけこんで付き纏って、そうやって迷惑をかけ続けていたせいなのに。
辰峯さんのせいなんかじゃないのに、気を遣わせてしまった。謝らせてしまった……。
「……ごめんなさい。とつぜん、こんな、泣いて困らせちゃって……」
だから私は謝った。
今まで与えてくれた優しさに、こんなかたちで応えてしまった情けなさが恥ずかしかった。
「も、もう大丈夫?」
「はい……」
辰峯さんのお陰で自分の弱さとか、情けなさとか、傲慢さに気づくことができたから、もう大丈夫。
辰峯さんだって私なんかじゃなくて、もっと他の子たちと一緒にいたいだろうし、ペアだって組みたいだろう。
だからこれからは、もうこれ以上、辰峯さんに迷惑をかけないようにすることができるはず。
……そう思っているはずなのに。ちゃんとわかったはずなのに。
涙を拭って、笑って、謝って。
『これからは私と組んでくれなくても大丈夫』って、そう言わなきゃいけないとわかっているのに……どうしても、その勇気が出てこなかった。
また一人に戻るのは怖い。
……いや、わりといつもひとりぼっちではあるんだけども。学校でも寮でも、基本ぼっち生活してるんだけど。
それでも授業中だけでも一緒にいてくれる人がいるっていうのは、私の中でとても大きな救いになっていたから。
少しでも関わることができて、これからもっと仲良くなれるかも、おともだちにもなれるかもって抱いていた期待や希望を……。
それを手放すのが、ひたすらに恐ろしかった。
「……神さん? 本当に、大丈夫?」
私みたいな自分勝手でわがままな子に、こんなにも気を遣ってくれる優しい人を。
私なんかがこれからも拘束するなんて、いけないことだって、わかっているのに……。
「大丈夫……じゃ……ない」
そんな気持ちとは裏腹に、私の口は、勝手に言葉を吐き出し始めたのだった。
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「大丈夫……じゃ……ない……」
「……えっ?」
それまで俯いていた神さんは、涙に濡れた瞳を私に向けて、私の目を強く見つめてきた。
「私……なおします! 辰峯さんがイヤだって思うところ、頑張ってなおします!」
「えっ? んん?」
神さんは私が膝に乗せていた手を勢いよく掴んだあと、手を握ったままでグイッと身を寄せてきた。
ただでさえ泣いていた神さんを慰めるためにすぐそばに座っていたから、私たち二人の距離は、視界にお互いしか映らないくらいに近づいた。
そのあとも神さんは、急に縮まった距離に戸惑っている私の気持ちも知らずに……。
「辰峯さんがして欲しいこと、なんでもします! なんでも言うこと聞きます!」
「あ、あの、神さん? どしたの急に……ち、近」
「だから、もう少しだけでも……一緒にいてくれませんか?」
近い近い近い近い! この距離の詰め方はおかしい! てかおかしくなる!
普通は不快感しか抱かないような、そのくらいの距離で顔を突き合わせているにも関わらず。
ぜんぜん不快な気持ちにならないのは、神さんの可憐で綺麗で甘美さすら感じるような相貌ゆえだろうか。
「ちょっと待って! 待って!」
「はい!」
いや待ってくれてはいるんだろうけど!
相変わらず距離近いですけど!
「あの、ゴメン。ちょっと、もう少し離れてもらってもいいかな? ねっ? ちょっと距離が……」
照れるから。私こういうの慣れてないから。
男子はもちろん、女の子とだってこんな物理的に急接近したことないからって。
そこまでちゃんと言わなかった私が悪いんだろうか。
「うぅ……」
私の言葉を聞いた神さんは、ひどくショックを受けたようで。
またさっきみたいに泣き出しそうな顔で、でも今度は頑張って堪えているように唇を噛んでいた。
わかんないわかんない。なにがスイッチなの?
反省しようにも神さんの顔が近すぎて思考がまとまらないまま。
とうとう鳴ってしまった本鈴の鐘の音を、呆然と中庭で聞き届けたのだった。
うわーい。遅刻だぁ。
◇◇◇
学生としての一日が始まろうとしている時間であるにもかかわらず、私と神さん二人の問題が終着するなんてことはなく。
ホームルームをサボタージュした不良娘の私たちは、いまだ二人きりの中庭で見つめあっていた。
「やっぱり、私のことがイヤになったんですよね……近づかれるのもイヤなんだ……うぐぅ」
状況に引きずられ続けて混乱している私に構うことなく、神さんは神さんで、一人で懊悩しているようだし。
ただ今の言葉はしっかりと耳に届いた。
たぶん神さんは、私が神さんの何かに嫌気がさしたと勘違いして、こんなにも取り乱しているのだろう。
なるほど。それならさっきの「なおす」だとか「いうこと聞く」だという発言にも合点がいく。
ただ私だったから良かったものを、そんな簡単にそんな発言するのは危機感がなさすぎるよ?
「ち、違うって! 神さんなんか勘違いしてるけど、嫌とかそんなこと思ってないよ!?」
「もう気遣いとかいいです! なに言われても我慢します! 泣かないように頑張ります! だから言ってください!」
今にも泣きそうな顔をしているくせにそんな強がりを見せている神さんは、まるで子どもみたいだった。
まぁ高校生もまだ子どもの範疇なのかも知れないけれど、目の前の神さんはもっと幼く、まるで保育園児くらいにみえた。
その幼さとか必死さが、より一層に私をテンパらせる。
だってなんか幼い子を虐めているみたいな心境に、無理やりさせられているんだもん。
「いや本当だから! なんでそんな勘違いを……」
「だって辰峯さんが私とペア組むのイヤだって。近づかれるのもキモいってぇ……さっき言ったもん……」
いや、言ってないわよ! どっちも絶対に言ってないから!
あぁでも勘違いの原因はようやく理解できた。おおよそ私のせいやないかい。
「そんなことは確実に言ってないけど……あのね、神さん。さっきのペアのはなしだけどね?」
「ぁぃ……」
「あれは別に神さんのことが嫌になったからとか、そういうのじゃないからね? 神さんにも、もっとみんなと仲良くなって欲しかったからなの。わかってくれる?」
さりげなくソーッと自分の体を後ろにそらした。
もちろん神さんの言うようにキモがってる訳ではなく、この子の顔が人間にとって甘い毒であることを身をもって知ったからである。
「……わかりません」
なんでよ。
さっきの全部本心なんだから、これでわかってくれないんじゃ、もうどうしようもないんだけど。
「で、でも神さんだって他の子とペア組んだ方がいいんじゃないかな? 他の子とも仲良くなれると思うし」
どうしたらわかってくれるかな、なんて頭を悩ませながら神さんとの距離を少しずつ離していた私の努力は、そのあと一瞬で無に帰した。
神さんがその距離をゼロにしたからだ。
つまるところ、神さんが私に抱きついてきた。
「ぅえっ!? ちょちょちょちょっ!? 神さん!?」
人と人のあいだの距離で、さっき以上に近い距離が存在する事を初めて知った。
同級生からハグされるという、私史上初の体験に戸惑う私のことを、距離なんて存在してるのかわからないほど近い位置から神さんが見上げてきて……。
「でも私はっ……辰峯さんが良いんですっ!」
ボンッと頭から煙が出るなんてのは漫画とかの表現でしかないはずなのに、私はその瞬間、たしかに自分の頭の中に響く爆発音を聞いた。
顔どころじゃない。全身に火がついたように熱かった。
まるで熱でもあるようで、確かにそれは熱だった。
「ほかの人とかじゃなくて! 辰峯さんがいいです!」
なにこれ。なにこれ?
どうなってこうなったの?
このまえ先輩に見せてもらった三年生の数学の教科書くらい意味がわからなかった。
いやでも私、委員長だから。私、委員長だから!
委員長でしょわたし!
「あの、でも……ほかの子も、神さんも、一緒で……ねっ?」
「うぅぅ! 辰峯さんは私がいやかも知れないですけど! 私は辰峯さんとがいい!」
「イヤじゃないよ? イヤじゃない。わたし神さんイヤじゃないよ?」
自分がなにを言っているか、全然わかんなかった。
風邪をひいて熱にうなされてる時に、わけもわからず支離滅裂なこと言っちゃう感じ。
「本当ですか!? じゃあ、また私と……組んでくれますか?」
「うぐぐ…………う、うん。んじゃそれで……だいじょうぶです」
「やったー!!」
……ま、まぁいっか。
神さん本人がこう言っているんだし。もうさっきみたいに泣いてないし。
無理強いすんのも……良くないと思うから! 神さんもこんな喜んでくれてるし!
さっきまでの使命感は、今のいざこざでどこかに飛んでいってしまったらしく。
委員長として神さんとみんなの橋渡しをする試みも、とりあえず保留ということにしておいた。
つまるところ、目の前の女の子の圧と、私を燃やし続けた熱に負けて。
私は結論を先延ばしたのであった。
◇◇◇
日頃の行いとか、神さんと私だったからというのもあるんだろうけど。
ホームルームを遅刻した言い訳は、かなり適当にでっちあげた嘘でなんとかなった。
朝からとんでもないカロリーを消化したそんな日も無事に終わって、次の日の体育の時間。
神さんは、私じゃなく巳継さんとペアを組んでいた。
そりゃ私がほかの子と組んだ方が良いとは言ったけど。
昨日の夜に巳継さんを煽ったのだって私だけど。
それでも! そうだったとしても!
神さんあのとき、私とが良いって言ってたのに!
……いいもんべつに! ふんっっだ!
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