第三一三話 虎とアゲラタム
◇◇◇
みんなに協力してもらったおかげで、学校から持ち帰ってきた分の布地はすべて刺繍を終えることができた。
手をつけられる布地が底をついた時点で、今夜の作業はいったん終いとなったんだけども。
部屋を作業場所として貸してもらったわけだし、遠慮する部屋の主人を言いくるめて、あたしだけは神さんの部屋に残って片付けとか掃除を手伝わせてもらっていた。
まぁ、刺繍を済ませなきゃいけない布地も、まだ学校には結構残っているとはいえ。
それでもまさかこんなにも劇的に作業が進むなんてと、ちょっと興奮しながら部屋の掃除にあたっていると……。
「良かったですね。虎前さん」
床にコロコロをかけて落ちていた糸くずを回収しているあたしに、神さんが声をかけてきた。
でもその一言だけでは、何を指して『良かった』のかを察することができなかったから。
「えっ、なにが?」
「これからもみんな手伝ってくれるって、そのことです」
聞き返すと、神さんはふわりと優しく笑いながらそう言った。
まるで自分のことみたいに喜んでるように見えるその笑顔に、心臓がドキッと跳ねるのを感じつつ。
自然と思い出されるのは、作業を手伝ってくれたクラスメイトとさっき解散したときの記憶で、神さんが言うようにみんな必要があればまた手伝ってくれると言っていた。
「あぁ……みんな優しいよな。マジでありがてぇよ」
現金なもんだが、困ってるときに助けてくれるような良い友だちに恵まれたことが嬉しくて、本音がポロっと口をついて出ていった。
今は金曜の夜で、今週学校に通ってた疲れもあんだろうから、誰だって今夜はゆっくりしたかっただろうに。
それでもイヤな顔ひとつせずに、あたしの手伝いしてくれてたんだもんな。
しみじみとそんなことを思いつつ、床掃除もこんなもんかとコロコロの粘着紙を剥がしていると……。
「明日も手伝いますね!」
捨てるためのゴミ箱をわざわざ持ってきてくれた神さんが、こともなげにそう口にしてくれたんだけど。
指で摘んだコロコロの粘着紙がゴミ箱の中にストンと落ちていくのを見つめながらも、あたしは簡単に首を縦に振ることができなかった。
「いやでも明日って、土曜で学校も休みだし……」
ただでさえこうして手伝ってもらってんのが申し訳ないのに、さらに休みの日を潰して協力してもらうってのはな……。
あたしは自分の担当分の仕事だし、元々は土日も返上して作業を進めるつもりだったからいいんだけどさ?
神さんやほかのクラスメイトにまでその負担をかけるのはちょっとなって、頭をもたげた遠慮や罪悪感により、流石に断る言葉を続けようとしたんだけども。
「そうですね。ほかの子は予定があるかもですけど……でも私は大丈夫です! とくに予定とかもないですし!」
そんな断ろうとしていた雰囲気を察したのか、あたしの口から出て行こうとする言葉を制するように、先んじて神さんがちょっと早口にそう言ったのだった。
「あっ、でも虎前さんは何か予定とかあったりしましたか? それなら布地と糸だけ頂ければ私の方で……」
「いやいや! 神さんにだけ作業させて自分は休むとか、そんなの申し訳なさすぎて無理だって!」
さらに重ねて神さんの口から出てきた言葉は到底看過できるもんじゃなかったから、それには必死で反応してブンブンと首を振って否定させてもらった。
だって神さんはそもそも衣装班ですらないのに、そんな子をまるで利用するみたいに作業を押し付けて、自分は休みを満喫するなんて絶対にできるわけねぇって!
「ってか、元々あたしも土日は作業するつもりだったし……」
「そうなんですね! それなら明日も一緒にがんばりましょう!」
胸の前で両手のこぶしを握ってわかりやすく意気込んでるなんつぅ、そんなあまりにも可愛らしくて前向きな姿勢を神さんに見せられちまったもんだから。
その押しの強さに情けなくも負けちまって、あたしはコクコクと大人しく頷くことしかできなかったのだった。
◇◇◇
ひと通り掃除も済んだようだし、まとめておいた今夜の作業成果となる布地やらを腕に抱えて、もう神さんの部屋を後にしようとしたんだけど。
何か忘れモンがないかを確認するために部屋をグルっと見渡している途中で、念のため伝えとかなきゃいけないことがあることに気付いた。
「あっ、そうだ神さん。明日も手伝ってくれるって話なんだけどさ……」
言い忘れを伝えるために何気なく振り返ってみると、神さんはあたしのすぐ後ろにまで寄ってきていたらしくて。
お互い立ち上がっていて身長差もあるとはいえ、意図していなかった顔の近さに面食らっちまったんだけど。
そんな距離の近さを意識してんのは自分だけなのか、神さんはキョトンと首を傾げながら続く言葉を待っているようだった。
ジッと見上げてくる神さんと、いつまでもこうして見つめ合ってるのには耐えられそうになくて。
あたしは視線をほんの少し逸らしつつ、半歩分うしろに下がってさりげなく距離をとった。
神さんとクラスメイトになってもう半年以上も経ってるんだし、もういい加減にそんくらいのことには慣れろよって、頭ん中で訴えてくるご尤もな声も聞こえてくんだけど。
神さんが近くにいるとやっぱりテンパっちまうんだから、理性がなんと言ってバカにしてこようが難しいもんは難しいんだってのな。
「あ、あのさ、持って帰ってきた布地はぜんぶ刺繍が済んじゃってるんだけどさ」
アワアワと上下するだけでなかなか素直に動いてくれない口から、伝えたかった言葉がなんとか一応走り出していってくれて。
「明日土曜じゃん? だから先生とか誰もいなくて、もしかしたら学校に入れない可能性もあるかもしれなくて」
視界の端で神さんがコクコクと頷いてるのが見えたから。
あたしはそのまま、必要なことを伝えるだけのロボットになることに終始して、口から必要な言葉だけをなんとか吐き出し続けた。
「そうなっちゃったら、刺繍の作業も来週に持ち越しになるかもしんないんだけど……」
「わかりました!」
こんな些細な伝言だっつのに、ひと仕事を終えたような長い息をあさっての方向に吐き出しているヘナチョコなあたしと違って。
神さんは無邪気な子どものように元気よく返事を返してくれたから、とりあえずこの部屋でのやり残しもすべて片付けることができたようだった。
「うん。んじゃ明日の……たぶん朝かな。布地が回収できたかも含めてまた連絡すんね」
「はい! あっ、私も一緒に行きましょうか?」
「いや、それはあたしだけで大丈夫。そんじゃあこれで、長居しちゃってごめんね」
よくよく考えると神さんと二人きりだし、そんなあんまりない貴重な状況に、今更ながらも名残惜しい気持ちが湧いてきたのだけども。
『さっき神さんとの距離がちょっと詰まっただけでテンパってたヤツが』って自嘲とか、部屋にこれ以上お邪魔し続けちゃうことへの申し訳なさもあったし。
後ろ髪を引かれつつもお別れの挨拶を残して、ドアに向かって歩きかけたあたしの背中に……。
「あっ、あの、虎前さん!」
何かを思い出したような声音で、神さんが声をかけて呼び止めてきて。
「さっき、放課後に、あの……泣いちゃったこと、誰にも言わないでください……」
あたしの着ていたシャツの裾をつまみながら、恥ずかしそうに神さんが呟いたそのお願いによって。
自分の部屋に戻るのは、あと少しだけ先延ばしとなったのだった。
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