第三十一話 辰は訝しむ
◆◆◆
朝練に励む生徒の声のみが遠くで微かに聞こえるような、まだ朝も早い時間の学校で。
私は猫西先生に一礼したあと、職員室を後にした。
「失礼しました」
挨拶して職員室を出ると、他の生徒はまだほとんど登校していないせいか、私の足音のみが廊下に音を残した。
ふぅ……学級委員長なんて、やっぱり損な立ち回りよね。
べつに私が望んでこの時間に登校してきているわけではない。
昨日、クラス担任の猫西先生にプリントのホッチキス止めを頼まれたから引き受けたけど、放課後は部活もあったので渡す機会がなくて、仕方なしに朝早く登校しただけだし。
そもそもクラス委員だって、私は特別やりたかったわけでもなかったのに。
入学式の翌日だったか、ホームルームの委員会決めのとき、私たちのクラスではクラス委員への立候補者が誰もいなかった。
『誰がやるの?』『誰かやってよ?』って空気に焦れた私が渋々手を上げてしまったばっかりに、今では委員長と言う名の雑用係である。
そういえば中学生の時にも、全く同じ経緯を辿って委員長をやってたな……結局、三年間丸々クラス委員やる羽目になったし。
就任時の挨拶なんて大層なもんではないけれど、委員長として一言挨拶をと猫西先生から促されて、みんなの前でそんなことを話したら。
調子の良いクラスの連中は委員長委員長と囃し立てるし、今ではなんかあだ名が委員長で定着しつつあるし。
何が頭が痛いって、この学校は一年二年とクラス替えがない持ち上がりな為、どうせ来年も委員長を務めることになるだろうってこと。
しかもしかもで、入学二日目で気づく方が無理だったんだろうけど、委員長決めの時の消極的な様子は何だったのか、うちのクラスはみんな変に個性的な気がするし。
他のクラスの子がどうかなんてのは全然知らないんだけど、私のクラスメイトたちがこの学校では普通の部類なんだとしたら、この学校自体が結構やばい変わり者の巣窟なんじゃないかって思えるほどにはクラス内に稀有な子が多いと思う。
少なくとも中学生の時は私の周りもクラスも学校も、平々凡々な人たちの集まりだったんだと、入学してから改めて思い知らされた。
何かの折に触れて、あの特徴的な面々をまとめていかないといけないのか……。
そんな未来への不安に頭を悩ませつつも、ひとまずは現在である今日を乗り越えないといけない。
そのためにまず必要なものは、委員長の責務を果たす為に後回しにしていた朝ごはんである。
下駄箱で外靴に履き替えて、いまだ食べれていない朝ごはんとついでにお昼ごはん用のお弁当を回収するために。
朝練に精を出す先輩たちを横目に、私は女子寮へ向かって歩みを進めたのだった。
◇◇◇
まばらに歩いてる登校していく生徒とすれ違いながら、女子寮の玄関をくぐった。
共有の水場で手洗いとうがいだけは済ませて。
そのまま女子寮の食堂に向かうと、食堂の閉まる時間が迫っているためか、私がいつも利用している時間よりも人影がまばらで、空席の方が多いくらいだった。
朝のこの時間に利用することは初めてだったけど、数十分違うだけでこんなにも雰囲気が違うのね。
私がいつも朝食をとっている時間にはいつもそこそこ賑わっているし、なによりもよく隣で食事してる同室の巳継さんがしょうもない事でよく絡んでくるし。
巳継さんも別に悪い人ではないんだけどな……なんかいつも飄々としてるし、よくしょうもない嘘つくし、たまにからかってくるのが鬱陶しいけど。
とはいうものの、ルームメイトとしてはお互い空気を読みながらも割とうまくやっているとは思う。部屋で勉強しているときなんかも、気を遣ってくれてるのか、静かにしててくれるし。
そう。同室の巳継さんには特に不満があるわけではない……いや、くだらない嘘はやめてほしいし、時々あるダル絡みも、ちょっとは控えてくれたら嬉しいんだけど。
それ以上に目下一番の不満、というか悩みは、隣の部屋の虎前さんと卯月さんなのよね……。
最近あの2人も仲良くなりつつあるのか、日に日に騒がしくなっている。さらに最近では、私が文句を言いにいく時に巳継さんも面白がって見にくるくせに、笑ってるだけで止めてくれようともしないし。
この前なんて、「ええやん! やれやれー! キャットファイトやー。たつみーはどっちに賭ける? ウチはギャルに五百円やー」とかむしろ囃し立てやがったから、三人まとめて叱る羽目になったし。やっぱり巳継さんもロクでもないわね……。
そんな沸いた不満も、今日の朝ごはんを和食にするか洋食にするかで少し悩んだせいでいつのまにか忘れつつ、結局少しでも早く食べられそうなサンドウィッチの洋食に決めた。
「洋食でお願いします」
食堂のお姉さんから食器を受け取ってお礼を伝える。
ちなみに入寮後に寮母さんが寮内を案内してくれたとき、食堂の調理員さんのことを『おばちゃん』なんて絶対呼ばないようにと冗談めかして言ってたお陰で、寮生はみんなお姉さんとか、ふざけてお姉様と呼ぶようになった。
先輩もそのまた先輩たちもそう呼んでいたらしいから、妙な伝統として残ってしまったらしい。伝統ってほど大層なものでもないかもしれないけど。
さて、早く食べてしまわないと。
この時間だったらクラスメイトもいないだろうし、ひとりで黙々と食べれば数分で食べ終わるだろう。
クラスメイトにはなんだかんだ賑やかだったりおしゃべりだったりと、いわゆる陽キャラと言われる子も結構いる。そんな子たちと一緒になったとして、もし話しかけられでもしたら、無視するわけにもいかないし……。
でも別に始業の時間があるせいってだけで、仲良く話すこと自体は嫌なわけではないのよ?
クラスに変な子が多いといっても、私だって賑やかなのが嫌いなわけではないわけで。
特に関わりが深い同室の巳継さんや隣人の2人には、まぁちょっとした不満もありつつ。ときには度が過ぎることもあるから、そうなってくると流石に看過できないけれど。
それも含めて、楽しく寮生活や学校生活を過ごせている。
委員長としてクラスメイトに話しかけられることや頼られることも多いし、そのおかげでなんだかんだでクラスや寮のみんなとは仲良くやれているとは思う。そのくらいは委員長としての特典として享受させて貰いたいものだ。
しっかりしているとよく言われるけれど、そんな私でもやっぱり新しい環境に不安はあったし。
入学前に感じていたそんな不安は、慣れてきた学園生活や委員長としての立ち位置のおかげで薄れてきていたけれど。そんな不安とは、全く別のベクトルの不安は生まれてはいるんだけれどもね……。
賑やかなクラスメイトたちとの今日の生活に、委員長として苦労するようなことが起きないかなんて不安を抱きつつ。
どの席に座ろうかと食堂内を軽く見回したから、そこでようやく私は気づくことができた。
朝食のために許された時間の中でもだいぶギリギリだし、始業も近いこんな時間。いないだろうと思っていたクラスメイトがひとりだけ、ポツンと座って朝食を取っているの見つけてしまった。
見かけてしまったからには無視するのも何だなと思い、近寄っていって声をかけた。
「……隣いい?」
声をかけたのにも関わらず、その子は私の質問には反応せず、いつも通りひとり静かに食事を食べ進めている。
あれ? 聞こえなかったのかな。
この人の周りには今だけでなく、いつも人がいないんだから、自分に話しかけたとかってすぐに気づきそうなものだけど。
この子がいつも1人でいる理由もみんなに嫌われているからではなく。
むしろその逆で、この整いすぎている容姿が故に、寮内でもクラスの中でだってよく話題の渦中にあり、いわゆる人気避けされているようだった。
だけど私は前々から、目の前のこの少女に対してある疑惑を抱き続けている。
「えっと……神さん?」
その疑惑を確かめるためのいい機会だなと考え直して。
私はもう一度、今度はちゃんと気づいてもらえるように。
神さんの名前を呼んで、話しかけたのだった。
◆◆◆




