第三〇八話 未とブルーベル
◇◇◇
用を済ませて身体から熱が抜けたせいか、今の時期のお手洗いが寒いせいか、はたまたその両方か。
フルっと自然に震えた両手を水につけると、さらにその冷たさが身体を震わせた。
我慢して手を洗ってから、口に咥えたハンカチで手を拭いつつもお手洗いを後にすると、さっきは寒いと感じたはずの廊下の方がまだマシに思える。
いつもだったらこれくらいの時刻、けっこう静かなことの多い部室への帰り道も、あちこちで行われている学園祭準備のおかげか小さな喧騒が耳に届いた。
それでもいつもはないはずの人の声が身体を温めてくれるはずもなく、ついさっき『マシだ』とか思った矢先に、すぐに寒さへの不満が頭に浮かんでくる。
そもそもお手洗いや廊下だけじゃなく、天文部の部室だってちょっと寒いのよ。
これから本格的に冬めいてきたらどうなっちゃうんだろ。神さんなんか凍えて泣き出しちゃうかもしれない……ってのは冗談だけど、ふざけてあたしの髪に手を突っ込んで暖を取ろうとは確実にしてきそうではあるのよね。
さっきも突っ込んできたから、『冷たいからやめて!』って怒ったばっかだし。
お手洗いに向かうまではずっと作業に集中してたせいか、重さを感じる肩や腕をグルグルと回しながら歩きつつ。
天文部の出し物として制作中の惑星の模型について、その進捗状況が自然とグルグルと頭の中を巡っていた。
とはいっても、張り子作りはもうすぐ終わりそうなのよね。現在進行中であたしが作ってる海王星が、未完成の惑星として最後だったはずだし。
土星とか木星とか、あとは太陽とか。実際の大きさ比率で作ったらほかの星と比べておっき過ぎるし、部室にも展示で飾るなんてできそうもなかったから。
もうそういうのはある程度しょうがないものとして、だいぶ控えめなサイズで作る必要があった。
……ちなみにそういう計画とか計算とかは松鵜部長が全部やっといてくれて、あたしたちには指示だけ残しといてくれた。生徒会の仕事ですごく忙しいなか申し訳ないけど、たぶんあたしと神さんじゃ荷が重かろうと気を遣ってくれたんだろう。
とにかく、それでもほかの惑星よりは大きく作らなきゃいけないわけだし一つの山場ではあったものの、大きめの惑星づくりも先日に製作が無事終わっている。
神さんと一緒に取り掛かった大惑星の制作完了に、二人して喜び合ったりしつつ。
ほかにも作らなきゃいけない惑星は残っていたので、それを手分けしてセコセコと片付けている最中なわけである。
でもその作業もあたしの作っている海王星の完成で、もうすぐようやく終えることができるのよね。なかなか骨が折れる作業で大変だったな……。
そんな風に頭の中で進捗状況を整理してる途中で、あたしはふと気づいた。
さっきお手洗いに向かうために部室を出る直前、神さんも向かいの席で制作中だったんだけども。
手にしていたのは、まだまだ作りはじめの状態の何がしかの惑星じゃなかったっけ?
よくよく考えてみて、『あたしが最後の惑星を作っているはずなのに、その状況はおかしくない?』という疑問が頭に浮かんだ途端。
のんびりと動いていたあたしの足は徐々に速さを増していき、すこしずつ早足になりつつも急いで部室に向かったのだった。
◇◇◇
さっきまでブツクサ考えてた寒さ云々の不満を忘れるぐらいには、早足で歩いてきたおかげで温まった身体を持ってして、急いで部室のドアを開けると。
あたしの戻りを待っていたのか、神さんが困ったように眉尻を下げながらこちらに駆け寄ってきた。
「羊ちゃぁん……どうしよ、和紙が切れちゃったよぅ」
神さんが指差した机の上では、たしかにおっしゃる通りで空のビニール袋がそこにある限りで、透明なビニールの中が空っぽなことがすぐに見てとれた。
机の上にチョコチョコと散らばっている和紙の切れ端も、これからの作業を補うには難しいほどに微々たるものだし。
今まで切れ端をなるべく無駄なく使いながら製作しようとしてきたあたしたちのせせこましい努力が、結果として材料の臨時調達の希望を絶ったわけだけど、今はそれも一旦どうでもよくて……。
「神さん、あの……いまってどの惑星つくってる?」
「えっ、金星だけど」
あまり望んではいなかったその回答を耳にして、あたしは思わず頭に手を当てながら俯いてしまった。
さっき脳裏をよぎった悪い予想は、残念ながら的中してしまっていたようである。
「えっ、えっ? 羊ちゃん? どうしたの?」
「あのね、金星はあたしがもう作り終えてる……」
「うそ!?」
いくら気まずくとも、伝えなければいけない事実を知らんぷりすることもできないわけで。
オズオズと残念なお知らせをご報告すると、神さんは最初ビックリと目を丸くさせながらも、すぐにアワアワと焦り始めたようだった。
「で、でもあの私、さっき作りはじめる前に机の上を確認したけど金星なくて……」
「ごめん、ほらあそこ。今日の作業をはじめる前に、机の上が狭くなってきたから昨日までのやつは何個か棚の上に移動しといたの」
項垂れながらも指差した先、棚の上には先日までにつくった私たちの努力の結晶がいくつか並んでいる。
今日は掃除当番だった神さんが部室に来る前に、作業をはじめる準備の最中にあの棚の上に場所を移しといたんだけど……。
「ほ、ホントだ……私が作った地球もある」
「ごめん。作業する前に、場所を移したことちゃんと言っとけばよかったね」
「う、ううん! 私だって新しいの作りはじめる前に、ちゃんと羊ちゃんに確認しとけば良かったのに……」
製作が残っていた惑星も一応それぞれに担当を割り振っていて、金星はあたしが作ることになっていたから、一番最初に完成させていた。
そんで残りが奇数なために余っていた海王星を作りはじめる時は、念のため『つぎ海王星つくるね』とか、今までもお互いに声かけしたりはしてたんだけども。
「あの、本当にごめんね……次の作ろうと思って、でも羊ちゃん集中してたから声かけないで作りはじめちゃって……」
なにもそこまで落ち込まんでもってくらいにショボンとしながら、指をモジモジと組んだり離したりしつつ。
神さんが言うにはあたしに気を遣ってもくれていたからなわけだし、そんな大した失敗でもないんだから、気を取り直して頑張ろうと励まそうと思ったんだけど……。
「あの……金星なかったから、羊ちゃんの担当分だったけど私が作っといたら、羊ちゃんも楽できるかなって思っちゃって……」
あたしが口を開くよりも先に、神さんの懺悔はとめどなく続いていきながら。
さらにドンドンと底に沈んでくように、神さんは大層ショゲてしまったみたいだった。
「そんな落ち込まないで大丈夫! ほら、あたしが今つくってるので最後だし。和紙どうするか考えよ! ねっ?」
「う、うん……ごめんね」
「もう気にしないの! あたしも棚の上に移動したの言ってなかったし!」
「でもそれは、作業しやすいように羊ちゃんが気を遣ってくれたからだしぃ……うぅ、ごめんねぇ」
なまじここまで変なトラブルとかもなく順調に作業できてたせいか、ここにきて発生した問題に、神さんはずいぶん落ち込んだり焦ってしまっているみたいだった。
ひとまずベソかいてる神さんの手を引っ張って、それまで座っていたイスに座らせて少しでも落ち着いてくれることを願いながら。
すぐそばの机の上に置いてある、神さん作りかけの惑星を見て閃いた。
「せっかく作ってくれたやつだけど、神さんがいま作ってるの貰っていい? 剥がしてこっちに貼り付けられるか試してみる」
「う、うん! ぜんぜん使って! あっ、でも糊のせいでベショベショかもだけど……私が無駄使いしなければ良かったのに、ごめん……」
何度目かわからない『ごめん』を口にしながらも、神さんが渡してくれた張り子をちょっと確認してみたけれど。
正直なところ、糊が固まるのが思ってたよりも早そうで、ここから剥がしながらあたしの張り子の材料にするのはそこそこ大変そうだった。
しかも、なんかさ、ねぇ……?
こんなに落ち込んでショボくれてる神さんの目の前で、せっかく作ってた張り子をバリバリ壊すのも流石に気が引けるし……。
「えっと、神さん。あとはあたしやっとくし、これ作り終わったら片付けして帰るからさ?」
「う、うん……ごめん」
「いや、あの、だから神さんはクラスのほう手伝ってきたら?」
あたしも作業に集中したいし、神さんにはほかの作業を手伝って気分を変えて欲しいってのもあったし、あえて意図して明るい声音を出しながらそんな提案をしてみたのだけど。
神さんはまだ罪悪感を抱えてしまっているのか、こっちの作業をあたしに任せることになっちゃうのが忍びないのか、オロオロとして決断できないようだった。
「でも私がミスしちゃったし、なにか手伝えることあったらしなきゃだし……」
「大丈夫だいじょうぶ! 海王星ちいさいからあたし一人で十分だもの。それにほら、あたしたち最近クラスの準備ってあまり手伝えてないじゃない?」
「うん……」
準備期間が始まる頃、クラスでやる休憩所の担当決めのとき。
部活の方の出し物のことも考慮して、あたしも神さんも給仕班という名の作業としては軽めなグループの担当にしてもらった事情があるのだけども。
それでもクラス準備の方を全く手伝わなくていいとも思ってなかったし、だけどここ数日は天文部の方にかかりきりだったし……。
「だから神さんがあたしの分も、クラスの作業を手伝ってきてくれたら嬉しいなって。ねっ?」
「そ、そう?」
「うん。お願い」
だからここで神さんをクラス準備に送り出すのも、わりと理にかなってるというか、神さん含めてみんなのためにも良いっていうか。
とにもかくにも、そんなアレコレ紆余曲折を経て。
最後まで『ごめん。ごめんね』と申し訳なさそうにしながら去っていく神さんを、あたしは部室に残って見送ることになったのだった。
そうして神さんが去っていって、一人きりになった天文部の部室にて。
神さんお手製の張り子から糊で固まった和紙を剥がせないか、なんとかかんとかアーしてコーしてと試みながら、余白が生まれた頭の中では去っていった神さんのことを思った。
別にあんなにも落ち込むような大したミスじゃないと思う。神さんだけのせいじゃないじゃないし、あたしも悪いとこあったんだからお互い様だと思うんだけどな。
でも神さんずっと張り切って準備してたし、学園祭が楽しみで気張っていたところで、順調に進んでいた作業にケチがついちゃったのがショックだったのかもしれない。
それなら、この張り子つくりもあたしがしっかり無事に終わらせてさ?
今日のことなんて、ぜんぜんまったく問題でも失敗でもなかったんだって思い直せれば……神さんも元気を出してくれるかな。
そんな考えが思い浮かんだおかげもあってか、『なら頑張んないと!』ってちょっとは気合いも入るというもので……。
次いで頭をよぎった、もしかしたらという可能性を確かめるために、あたしはスマホで松鵜部長に連絡を入れてみたのだった。
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