第三〇六話 子とジャーマンアイリス
◇◇◇
教室までの廊下を烏星先輩とふたりで並んで歩いていると、いろいろな教室から出てきたり階段から降りてきたりと、同じ方向にむかって歩く生徒の子が視線の先に少しずつ増え始めました。
学園祭は校舎のいろいろな場所をつかって開催されますし、みなさん学校のあちらこちらで作業に励んでいたようです。
ほかのクラスの子たちが製作中の壁宣伝も、日を追うごとに廊下の壁を彩るようになってきていますし。
そんないつもとは違った光景を見ているだけでも、まだ準備期間中だというのに、非日常感が湧いてきてワクワクしてしまいます。
歩きながら至るところをキョロキョロと見回していると、浮き足立っていた私の気持ちも簡単に察することができちゃったのか……。
「賑やかになってきたね」
こちらを見つめて笑いながら、烏星先輩がそのような言葉をかけてこられまして。
まるでテーマパークに浮かれている自分の幼さを見られちゃったみたいで、恥ずかしさからちょっと頬が熱くなってしまいました。
「そ、そうですね」
「ふふっ。学園祭、たのしみだよね」
私のワクワクした気持ちに合わせようとしてくれたのか、あるいは言葉の通りで、烏星先輩自身も学園祭を待ち遠しく思っているのか。
そんな言葉をかけてくださった烏星先輩にコクコクと頷いてお返事しながら、もう一度周囲に視線を戻しました。
廊下の景色はいつもとは違う様子になってきていても、通り過ぎる教室の中はまだいつも通りのままです。普段の授業もあるので、教室内の飾り付けなどは前日準備までは待たないといけないみたいです。
ただ準備期間も折り返しを迎えていて刻一刻と学園祭当日が迫ってきていますし、家庭科部でも今度、当日を想定して実際にお菓子作りのリハーサルがあるわけで……。
「あの、烏星先輩。来週にする予定の練習なんですけど……」
「調理班のやつ?」
「はい。あれって一回だけなんでしょうか?」
いまのところ予定としては、その練習も一度だけしかスケジュールに組み込まれてなさそうでして。
二日間にわたって開催される両日ともに調理班としてお菓子作りの担当になっている私としては、もっと練習の機会を頂けてれば嬉しかったものの。
「うん。来週の一回だけかなー」
「そうですか……」
やはり念のため確認したとて、与えられる練習の場は一度きりのようでした。
ほかの準備とか、あとは材料費の予算などもあるので仕方ないのでしょうけれど……やっぱり不安なものは不安です。
「……ふふ。子日ちゃんなら大丈夫よ」
当日失敗するんじゃないかとか、ほかの方に迷惑をかけちゃうんじゃないかって心配から、もしかしたら無意識のうちに表情を曇らせてしまっていたのかもしれませんが。
そんな私の顔を見た烏星先輩は、ソッと私の頭を撫でながらも元気づけてくれました。
「はい……ありがとうございます」
「子日ちゃんは部活中にも真面目に取り組んでたし、調理する時に参考にする手順のメモもあるからね」
休憩所の軽食として提供する予定のお菓子やサンドイッチも、それぞれいくつか種類を用意する予定でして。
それの作り方をまとめたメモも、たしかに調理班のみなさんで絶賛作成中ではあるわけですが……。
「そういえば、ほかの班の子たちの準備はどんな進捗なんだろうね?」
考えれば考えるほど、自分が上手に対応できるかの不安は積もってしまうのですが。
そんな内心を察してくださったのか、烏星先輩はべつの話題を振ってくださいました。
「あっ……と、内装班は順調みたいです。ただ衣装班の方が大変みたいで」
ちょうどさっき辰峯さんたちのお仕事を手伝ったときに見聞きした情報では、今お伝えしたような状況らしいですね。ただそれ以外の班の進捗まではちょっとわかりませんでしたが。
あと一応は私が担当になっている給仕班……といってもほかの作業班の子も、自分のご家族がいらっしゃった時には皆さん給仕することにはなるようです。
その給仕班も、前日のリハーサルでみんなで練習する予定があるだけですし。
「あぁ……去年も衣装班は大変そうだったのよね」
「そうだったんですね。虎前さん、大丈夫でしょうか……」
最近は虎前さんへの心配を抱えていたというのに、今日この時間も結局お手伝いできませんでしたし。
さらに『去年も大変だった』という情報により、より一層に自分の不甲斐なさが申し訳なくなってしまったのですが……。
「そっちもきっと大丈夫。私も衣装班の進捗は気にしておくし、みんなで協力して乗り切ろうね」
階段の前で烏星先輩とお別れする間際に、家庭科部の部長としても一人の先輩としても、そんな励ましのお言葉をかけてくださったので。
私もその前向きさを見習ろうと思い直して、頼りになる先輩に力強く頷いてお返事したのでした。
◇◇◇
教室に戻って待っていると、クラスメイトのみなさんも少しずつ戻ってこられましたが……。
しばらく虎前さんの席は空席のままで、授業終了のチャイムが鳴るギリギリになってようやく教室に姿を見せました。
そのまま帰りのホームルームが始まってしまったので、ひとまず猫西先生のお話に集中したあと。
「あっ、あの! 虎前さん!」
「うおっ! ビ、ビビったぁ……子日さんか」
最後の挨拶をしてからすぐに、虎前さんの席まで駆け寄ってお声がけしました。
虎前さんはホームルームが終わったらすぐに作業に移れるようにか、ご自分の荷物を抱えて急ぐように立ち上がったところでしたし。
今度こそ、お話しする機会を逃さずに済みはしたのですが……。
「いや、こっちはマジ大丈夫! 子日さんも作業いっぱいあって大変だろ? ありがと!」
「あっ! 虎前、さん……」
衣装班の進捗状況を聞いていること、そして作業のお手伝いを申し出てはみたものの。
アッサリと断られてしまい、虎前さんはそのまま勢いよく教室から出て行ってしまいました。
「あのバカ、マジで大丈夫なんでしょうね」
「卯月さん……そうですね。心配です」
その勢いに押されてしまい、ポカンとしながらその背中を見送ることしかできなかったのですが。
私たちの様子を隣の席で見ていた卯月さんも、心配そうなお言葉をこぼしていますし……。
「あのヤンキー、アレでけっこう頑固なとこあるからね。いつかの申輪さんのときみたいに、なにか周りに頼ることができるキッカケでもあればいいんだけど……」
「私もまた折を見て、虎前さんにお声がけするようにします」
「うん。気にしてくれてありがとね、子日さん」
ルームメイトとして虎前さんと一緒にいる時間が一番多いであろう卯月さんも、きっとそばで見ていて、私と同じような心配する気持ちを抱いているようですし。
大切なお友だちのお役に立てないせいで、どこか心にモヤモヤした気持ちを抱えつつ。
そのようにして、今日の放課後作業の時間も始まってしまったのでした。
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