第二九九話 丑とシャスタデージー
◇◇◇
そんな茶道部での打ち合わせがあった日から数日後、お昼休みにたまたま廊下で揚蝶さんと鉢合わせた。
書類の束を片手に持っていたから、もしかしたら生徒会の仕事の合間だったのかもしれないけれど、それでも揚蝶さんの方から私に声をかけてきてくれた。
「うん。茶道部の方はどう?」
それがこの子の癖なのか、一拍置くように『うん』と短く言葉の頭に乗せながら。
先日の打ち合わせの件もあるし茶道部の様子を気にしてくれてはいたのか、揚蝶さんが単刀直入に状況の如何を尋ねてきたのだけれど……。
「あはは……だいぶお疲れのようね」
私が答えとして適切な返事を頭の中から探している間に、こっちの表情から何かを察したのか。
質問の返事を待つことなく、揚蝶さんは苦笑いしながらそんな言葉を続けた。
「まぁ、うん。そだね……」
おっしゃる通りに『お疲れな様子』ってので間違ってはいなくて。
私なんかただでさえいつも活気に満ちているような人間ではないのに、今に至っては、さらに何割も増して陰気な雰囲気を漂わせているんじゃないかとすら思う。
そんな内心の曇り具合をそのまま煙のような返事として吐き出すと、揚蝶さんはさっきよりもさらに苦みを深めたように笑っていた。
「部活の方を任せきりにしちゃってる手前、そりゃ申し訳ない気持ちはもちろんあるんだけど……でもまだ準備だって始まったばかりなのに、なんでそんなに疲れてるのよ?」
ここ数日は生徒会の方にかかりきりで、昨日にも行われた茶道部の活動に参加してない揚蝶さんは、そりゃ事情を知らなくても仕方ないと思うけどさ……。
それでもそう聞かれたからにゃと、私は自分の身体に積もった疲労感の理由を教えてあげるべく口を開いた。
「こ、講師の先生が、急にスパルタになったんだよぉ……」
「えっ!? いつもあんなに優しいのに?」
「うん……点てたお茶を人様にお出しするなら、ちゃんとしないとって。うぅ……」
昨日の部活動での記憶を思い出して半べそかきつつ、あの緊張感に包まれた時間の一端だけでも理解してもらうべく説明したところ。
これまでの部活中に見てきた穏やかで優しい講師の姿しか知らない揚蝶さんも、いつもの優雅な振る舞いを忘れたかのようにギョッとしていた。
部活終わりに辟易としながら部長に聞いてみたら、昨年の学園祭前にも同じようにスパルタ指導が行われていたらしく。
『それなら先に教えといてよ……』と不満を抱いてしまったのも、昨日の今日だし、そりゃ記憶には新しいのだけれども。
この厳しい指導がこれからしばらく続くのか、とかって憂鬱な気持ちにはなっちゃうし。
さらには『あなたは姿勢が悪いから、授業中とかにも背筋をピンと正して矯正しなさい』なんて宿題まで出されてしまったしで。
アレやコレやと気が重くなる要因が積み重なった結果、このように壊滅的に覇気が損なわれた現在の私が出来上がったわけである。
「うん……あの、がんばって。ごめんね、私からはこれしか言えない……」
「うぅ、仕方ないから頑張るよ……ありがとう」
言葉の先頭を飾った口癖に気まずさを見え隠れさせながら、べつの戦場で頑張っているであろう部活仲間から励ましの言葉を頂いてしまったため。
私も半泣きになりつつ、ちょっと強がってそんな返事をなんとか伝えたのだった。
◇◇◇
ひとまず茶道部の話には区切りがついたので。
「そういえばそっちはどうなの? やっぱ生徒会、忙しいんでしょ?」
茶道部での状況を報告した流れで、世間話の延長がてらに揚蝶さんの近況も尋ねてみようと口を開いたのだけど……。
「……うん、そうね。あんまり吐き出せる人っていなくて……よかったら聞いてくれるかしら?」
まるで愚痴を吐き出せるターンが訪れたことを喜んでるかのように、だけどグッタリとやつれたような色も滲んでる複雑な表情をしながら、私に聞き役をお願いしてきたもんだから。
その物々しい様子にちょっと及び腰になりつつも、さっき聞き役を担わせてしまった手前、私はコクコクと首を縦に振った。
「まず、仕事が多すぎるのよっ……!」
「あぁ……やっぱりそうなんだ。今だって昼休みなのに仕事中っぽいもんね」
「中学生のときにも生徒会に入っていたけど、その比じゃないのっ!」
一度走り出した揚蝶さんの口車は坂道を下るが如く、そのあとしばらく止まることはなかった。
先輩たちはなんてことない様子でバンバン仕事をこなしていってる、だとか。
そのうえ仕事にまだ不慣れな私たち一年生のフォローもさせちゃってるのに、嫌な顔ひとつせず涼しい顔でタスクを片付けていってるのが、むしろもう申し訳なさを通り越して恐怖すら感じる、だとか。
「蟻ちゃんなんか、竹雀会長に対して尊敬を通り越して畏怖すら覚えてそうなのよ? 『ごめんなしゃい、ごめんなしゃい』『はっはっは。気にするな』って二人のやり取り、もう何回みたことか」
「へ、へぇ……あっ、そういえば揚蝶さんと同じクラスの子なんだよね? ほかの一年生の生徒会役員も」
揚蝶さんの口から矢継ぎ早に語られる、愚痴と言えるかも微妙な言葉への反応に困ってしまい。
そのとき頭にポンと浮かんだ記憶の裾を引っ張って、相槌として適切かどうかなんてわからんような、そんなボールを投げ返してみたところ。
「うん? あぁそうそう、蟻生ちゃんと蜂起の二人ね。同じクラスの友だちなのよ」
畏敬の存在である生徒会の先輩方から意識のターゲットが逸れたおかげか、揚蝶さんは多少テンションに落ち着きをみせながら。
仲の良い友だちの話をするのは嬉しいようで、ニコリと笑顔をこぼしながらそう教えてくれた。
「入学したばかりの頃から席が近くてよく話してたの。蜂起なんか寮でも同じ部屋なわけだし」
「へー。ルームメイトでもあるんだ?」
「うん。今丑さんのルームメイトって誰だっけ?」
「子日さん。家庭科部の子」
半年以上おなじ部活で活動してたけど、そういえばお互いのルームメイトについて話したの初めてだっけ。
茶道部の活動日って週に一回しかないし、クラスが違うと部活の時間以外で会話する機会ってそれほどあるわけじゃないんだよね。
それなら今まで、揚蝶さんとはどんな話をしたことあったっけと。
入学してから今日までの記憶を掘り起こすため、一瞬上の空になりかけたのだけど……。
「へぇ、家庭科部の子なんだ。それならちょうど良かったわね」
すぐに揚蝶さんの口から出てきた、『ちょうど良い』という意図のわからない言葉によって、私の意識はすぐに現実へと引き戻された。
「えっ? なにが?」
「なにって……ほら、今丑さんのクラスって今年は休憩所担当でしょ? 家庭科部と協力して準備していくわけだし、ルームメイトなら寮にいても打ち合わせ……」
そこまで口にするや、言葉の続きを話すことなく揚蝶さんはピタリと固まってしまい。
重そうな溜息を一つこぼした後で、空いてる方の手で頭に手をやり苦々しそうな表情を浮かべてしまった。
「あぁダメダメ、ごめんなさい……最近ずっと生徒会の仕事のことばっかり考えてるから、すぐに作業の効率とか何が便利だとか、そういう基準で判断しがちになっちゃってるのよ……」
「あはは、そうなんだ。職業病みたいなものかも」
「うーん……そんな表現をしてもらえるほど、まだ生徒会でたいした仕事ができてる自信はないけどね」
生徒会の仕事の大変さや積もり始めた疲労感のせいか、揚蝶さんはとても重い荷物でも背負ってるかのように、大きく肩をすくめて苦笑したあと。
『お互いに頑張りましょ』と短く言葉を残して、その場から立ち去っていった。
そしてその遠ざかる背中を見送りながら、みんな大変そうだし私もまだあと少しくらいは頑張ってみるか、なんてことを思い直しつつ。
背筋を正して受けなければならない憂鬱な午後の授業に参加するため、自分の教室に重い足を向けたのだった。
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