第二五四話 酉とジニア
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ちらほらと周りから聞こえてくる体育祭を楽しみにしているような明るい声とは反対に、私の口からはため息が通学路の隅に小さくこぼれていきました。
思わず漏れ出てしまったネガティブな吐息も、誰かの耳に届けば気分を悪くされるかもと思って、これでもさりげなく吐き出したつもりだったのですが……。
「おいおい……せっかくの体育祭だってのに、何でそんな元気なさそうなんだよ」
「あっ、虎前さん。おはようございます」
通学時間が被ったのか、タイミング悪く虎前さんに聞かれてしまったようでして。
朝一番から呆れさせてしまいながら、そんなツッコミのお言葉を頂くことになっちゃいました。
「虎前さんは良いですよね、運動神経が良いですから。文化部所属のお仲間なのに……」
「いや別にあたしは普通な方だろ。馬澄とか申輪とかに比べたら全然だし」
「私からすれば十分に良い方に見えますよ……」
先ほどこぼしたため息も、当然その理由は本日の体育祭が故のもので。
昔から身体を動かすことを得意としていない私にとっては、やはりみなさんの足を引っ張ってしまうんじゃないかと気が重くなってしまうのです。
だけど虎前さんは、家庭科部という所謂文化系の部活に所属していながらも、私の目から見たら羨ましいくらいには体育の時間などでご活躍されていますし。
同じ文化系の部活に所属している私からすれば……まぁ、勝手に裏切られたような気持ちを抱いてるだけとも言えますが。
ともかく、お仲間であると思っていた方が全然べつの生物であったような、そんな複雑な気持ちを時折抱いてしまうことがあるのです。
というか単純に羨ましいです。体育の時間中には楽しそうに身体を動かせるほどの運動神経をお持ちで、なぜ体育会系の部活には所属していないのでしょうか。この学校では兼部も認められているのに……。
「べつにそこまで暗くならなくてもいいだろ? 酉本がビリっけつ取っても、うちのクラスには責めるようなやついないだろうしさ」
「それは……もちろん私もそう思ってるんですが」
同じクラスの方々は、みなさんとても優しくて仲良しで、私も今のクラスで良かったとは思っているのは確かで。
だからこそ、自分の不甲斐なさで体育祭の勝率に貢献できず、クラスメイトに迷惑をかけてしまうことを思うと気が重くなるのです。
中学生の頃なんかは、クラスメイトから勝敗の結果について責められることを恐れていたりもしていて。
そんな心配は抱かなくても良いと信じられるくらい、今はクラスメイトに恵まれているのは幸いなことなのですが……。
まさか恐怖心とは全然べつの不安のせいで、こんなに気が重くなることがあるとは思いませんでした。
「べつに楽しみゃいいんだよ。順位とか勝ち負けとかにそこまでこだわらんでもさ」
鬱々と心の中で心配事を捏ねまわしている私の様子を見かねてか、虎前さんはそう言いながら笑ってくれて。
その快活な笑顔を見ていて、同じように明るい笑顔をいつも浮かべているルームメイトの顔がふと頭をよぎりました。
「……そうですね。申輪さんも、みんなに体育祭を楽しんでもらうように、今日まで頑張ってくれてたのですし……」
「そうそう。体育祭が酉本にとっても良い思い出で終わった方が、ぜってぇ申輪も嬉しいだろ?」
「はい……ありがとうございます」
虎前さんの励ましと申輪さんの頑張りのおかげで、こんな陰鬱な気持ちを抱き続けても良くないなって、そう思い直すことができて。
今日が始まってからずっと心に漂っていたモヤが、まるでいま見上げた青空のように晴れてきてくれたので。
私も少しは前向きな気持ちを持ってして、体育祭という一大イベントに臨むことができそうなのでした。
◇◇◇
申輪さんの名前が会話に出たためか。
通学中の時間を飾る話題はそのまま、行事委員のお二人のことに移っていきました。
「やっぱ申輪も早く学校むかってたんだな。こっちのギャルもとっとと出てってたし」
「当日の朝も行事委員のお仕事があるんですね。大変そうです……」
そんな話をしていて改めて気付いたのですが、虎前さんも私もルームメイトが行事委員なんでしたね。
だからきっと虎前さんも、今日は私と同じように偶然おひとりで通学されていたのでしょう。
「ってか、申輪がいなくてよく起きれたな?」
「えっ……あぁ、いえ。あの……はい」
今丑さんには負けますが、私もけっこう朝に弱い方だというのは、同じ寮でみんなで生活している以上は知られてしまっていることでして。
そんな日常の情けない姿を知っているからこその、今の虎前さんのお言葉だということはわかるのですが……。
クラスメイトから『よく起きれた』という言葉をかけられてしまうのは、改めて心に留めると、なかなかに恥ずかしいものがありますね……まぁ自分の普段の行いのせいなのですが。
「いつもみたいに申輪が起こしてくれて、そっからずっと起きてたのか?」
「いや、あの……たぶん、今日も起こそうとしてくれていたとは思います……」
記憶にはないですが、きっと申輪さんのことですし、部屋を出る前に私にも声をかけてくれたのではないかと思います。
いつもはちゃんと私が起きるまでは、いろいろな方法をもってして起こそうとしてくれてますものね。
「……その言い方だと、申輪が起こしていってくれたわけじゃなさそうだけど」
「申輪さんが起こしてくれた、というの自体はあたっているのですが……」
私が今朝にひとりで起きれて、今こうして遅刻せずに通学路を歩けているのは、今日も今日とて大変ありがたいことに申輪さんのおかげでして。
というのも……私が起きたとき、学習机の上に置かれた見知らぬ目覚まし時計がいくつも鳴り響いていたり。
申輪さんのスマホが数分ごとにこまめにスヌーズ設定されていたりと、さまざまな対策を残していってくれていたようでして。
そんな頭の下がる申輪さんのお気遣いにより、どうあっても寝続けることの難しい状況が出来上がっていたおかげなのでした。
あの目覚まし時計たちは、他の部屋から借りて来てくれたのでしょうか……だとしたら、あまりにも申し訳ないですが。
「そんな感じで、今日はなんとか起きることができました」
会話の流れで、そんなこんなで今日はひとりで起きれましたと虎前さんにご説明したのですが。
「なんつぅか……酉本がひとりで起きれるかってメチャクチャ信頼されてないんだな……」
「……はい。おっしゃる通りです」
話を聞き終えるまでは難しい顔をして黙っていた虎前さんが、呆れたような声音でそうこぼしていて、私は何も否定することができませんでした。
まさに虎前さんの言ったとおり、申輪さんにとってはそこまでしないと私は起きないと思われているのでしょう。
寝起きの良さなんて、どうすれば克服できるかの方法なども知る由もないですし、今後改善できるかといったら全く自信はないのですが。
でも同じ部屋になったというだけで申輪さんに迷惑をかけ続けているのは、罪悪感がとても大きいですね……。
「ま、まぁ申輪としても、頑張って準備してきた体育祭に遅れてほしくなかっただけだろ! ちょっと大袈裟に寝坊対策しただけだって!」
「お気遣いありがとうございます……うぅ」
何やら体育祭とはぜんぜん関係のないことで心に重りが発生し、せっかく上向きになっていた気持ちが少しヘコたれてしまいましたが。
たどり着いた学園の校門にかかった『体育祭』の看板を目にすることができたことにより。
きっとこの看板も含めてたくさんの準備してきてくれたであろう、申輪さんや卯月さんたちの願いである『体育祭の成功』を叶えるため。
そして私にとっても本日の体育祭を楽しい思い出とするため、今はひとまず気持ちを切り替えることにしたのでした。
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