第二五〇話 申とイキシア
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思えば、こんなふうに激しく本音をぶつけ合うようなこと、今まで戌丸さんとしたことはなかった気がする。
戌丸さんといつも言い合ってるのも、ただの口喧嘩とか小さな言い争いとか、その程度のものだったし。
いや……中学の頃にペアを組んでた子とだって、こんなふうに気持ちを伝え合ったことはなかったっけ。
あの頃は自分の考えとか気持ちとかを相手に伝えたいだなんて、そんなことを思ったことすらなかったと思う。
ペアの子と話す話題なんて、試合のことや練習のこと、あとはコーチに隠れて愚痴の共有をするばかりだった。
その時間を楽しかった記憶として思い出せないのも……。
辛い練習をずっと我慢しながら続けたり、厳しい指導をひたすらに耐え続けていたせいなのかな?
痛めた足を診てもらうために椅子に座らされていたから、目の前で立っている戌丸さんを見上げながら。
わたしの心に生まれた気持ちを躊躇ったりせずにそのままのかたちで、ペアを組んでる子に初めて伝えた。
「楽しくって……わたしだって、そりゃ楽しい方がいいですけど……」
自分の気持ちをまっすぐに伝えると、戌丸さんはいつも口喧嘩してるときみたいに勢いよく言い返してくることはなくて。
少し怯んだり、あるいは何かを迷っているかのように歯切れ悪く言葉をこぼした。
「でしょ! 戌丸さんがわたしのせいで、『勝たなきゃ』って気持ちにこだわっちゃうのはイヤだ!」
だって、そんなことだけ考えて部活してても全然楽しくないって。
『勝ちたい』じゃなくて、『勝たなきゃ』って気持ちしか持てなくなっても辛いだけだって……わたしはもう知っているから。
だから戌丸さんが、中学の頃のわたしみたいにつらい気持ちを抱えて部活をすることになるのは……。
しかも、それがわたしの『せい』っていうのは、絶対にイヤだし許せなかった。
「だからさ、これからはちゃんと話そうよ。わたしも思ってることを言うし、戌丸さんの気持ちも教えてほしい」
「申輪さん……はい」
不安を感じているようなさっきまでとは違って、いつものしっかり者の戌丸さんの顔をしながら。
わたしの提案に、戌丸さんはしっかりと視線を合わせて頷いてくれた。
きっと今までのわたしたちは、お互いに自分ひとりで抱え込んじゃっていたんだと思う。
そのせいで戌丸さんもわたしも、『自分のせい』で迷惑かけちゃってると責任を感じて、自分が足を引っ張ってると思い込んで。
相手がどう思ってるかを知るのを怖がって、それに今日まで気付くことができなかった。
でも……たぶん、それも今日でおしまいにできる。
わたしが怪我しちゃったのがキッカケってのは残念だけど、そんなキッカケがわたしたちにこの時間をつくってくれたから。
「神さんも、ありがと。神さんのおかげで戌丸さんとちゃんと話すことができたよ」
保健室にキメ顔しながら入ってきて、それ以降はずっと静かにわたしたちのやり取りを見守ってくれてた神さんに視線を向けながら。
わたしはこのキッカケをつくってくれた神さんにお礼を伝えた。
怪我したわたしを見つけて保健室に連れてきてくれた気遣いを、あの時のわたしは拒みたかったはずなのに。
今ではその優しい強引さを、わたしに向けてくれてよかったと心から思えた。
「い、いえいえ。二人がもっと仲良くなれたようで良かったです」
わたしから向けられた言葉を受けて、神さんはそう言いながらホッとした表情を浮かべていて。
友だちをとても大切にしていて、しょっちゅう言い争ってる卯月さんと虎前さんが懲りずに口喧嘩してても、神さんはハラハラしながら見守ってるときがあるくらいだし。
だから目の前でわたしたちがぶつかってるのを、もしかしたら心配しながら見守ってくれてたのかもしれない。
そう思うと、わたしたちのいざこざに巻き込んじゃって申し訳ないなって、今度はそのお詫びをしようと口を開きかけたのだけど。
「でも、あの……」
神さんがわたしよりも先に言葉をこぼし始めて。
チラチラと、わたしたちを見たり俯いたりを繰り返したあと……。
「申輪さんも戌丸さんも、何度も『自分のせい』って言っていて。それは聞いてて少し悲しくなったんですけど」
その言葉の通りに、どこか悲しそうな表情を浮かべながら。
だけどそのすぐあとに、悲しい気持ちに花を咲かせるような、きっと誰もが可愛いと思うような小さな笑顔をわたしと戌丸さんに向けてくれてから。
「それ……『自分のせい』じゃなくて、『相手のため』なんじゃないかなって。ふたりのはなしを聞いてて、私そう思ったんです」
こうしていれば良かったって後悔や、これじゃダメだったって反省とか。
そんなわたしたちの気持ちまでをも労ってくれているような、温かくて心地よい言葉を届けてくれたのだった。
「相手のため……」
「はい。戌丸さんは申輪さんのために勝ちたくて、申輪さんは戌丸さんのために無理してでも部活に行こうとしたんだって。それだったら悲しくないし……ふたりともすごく優しくて、とても素敵だなって思いました」
神さんの言った通りに、わたしたちの失敗を優しく変換してもいいのなら……。
戌丸さんはわたしの『せい』で落ち込んで、勝ちにこだわってたんじゃなくて。
わたしの『ため』に練習を頑張ってくれていたってのなら……それなら、なんだか嬉しいって思いながら受け入れられる気がした。
「うん。そっちのがいい! 戌丸さんはわたしのために練習がんばってた!」
神さんの提案は、過去に起こったことを変えてくれるような魔法みたいな方法ではないけれど。
それでも、過去を振り返って曇っていた今のわたしの気持ちを、気持ちの良い晴れ模様にするくらいの素敵な考え方だと思った。
ただの言葉の選び方でも、こんなスッキリとした気持ちになるんだってビックリしながら。
わたしと同じような気持ちになってくれてたらいいなって、もう一回戌丸さんを見上げてみたんだけど。
「くっ! そう言われると、恥ずかしくてちょっと頷きにくいんですけど……」
どこか照れたように、わたしと一瞬交わった視線を逸らしながら。
神さんの素直さを見習って欲しいような、そんな素直じゃない言葉で前置きしたあとで。
「それなら申輪さんも……わたしのために、怪我してまで部活に出ようとしてくれてたってことでいいんですか?」
わたしと同じようにスッキリするために、『自分のせい』だって思い込まないでいいために。
きっと戌丸さんにとっては必要な、そんな当たり前の確認をしてきてくれたから。
「うん! 戌丸さん。勝つためにいっぱい頑張ってくれてありがと!」
わたしは何の躊躇いもなく、笑顔で頷くことができたのだった。
そんなわたしの返事を聞いた戌丸さんは……。
「そうですか……こっちも、ありがとうございます。あと、さっき保健室にきた時にいきなり怒ろうとしちゃって……ごめんなさい」
今度はとても素直に、だけどやっぱり恥ずかしいって気持ちは隠しきれず、チョコチョコと溢れでているようではあったけれど。
初めて『可愛いかも』って思っちゃうような、そんな素直なハニカんだ笑顔をわたしに見せてくれたのだった。
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