第二四四話 神とフウセントウワタ
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馬澄さんとの朝練を開始してから数日が経った。
その間で私は、おそらく自分でも把握しきれていないほどの成長を遂げたことだろう。
だって走るのがめっちゃ上手な馬澄さんが、あんなにも一生褒めまくってくれてるんだもん。
それでも慢心することなく今日の朝だって一緒に特訓に励んだわけだし、そんくらい私も馬澄さんも体育祭への意気込みが高いっちゅうわけなのじゃろう。
でも最近の馬澄さんは、きっと私の指導で大変な思いをしてるんじゃないかなとも思う……。
たとえば私のめまぐるしい成長スピードにより、毎日二秒ずつタイムが縮まっていたとしたらさ?
ある日からはスタートする前にゴール済ですみたいな、物理法則を超越した事態になりかねないけど、普通に考えてそんなことにはなり得ないわけだし。
つまり何が言いたいかというと、どれだけ私が日々成長していこうとも、いつかは成長の天井に頭がゴッツンコしちゃう時が必ずやってきちゃうわけじゃん?
実際に馬澄さんもその兆候に悩んでいる気配があって、最近は私の足が速くなるための術をいろいろ模索してくれているみたいで。
今日だって『靴がブカブカだったりしない?』って、履いてる運動靴のサイズが私のあんよにピッタリかを確認したし。
念のためってことで、身体のサイズが私に近い羊ちゃんの運動靴を借りてきたりしたもん。
まぁ近いって言っても他のクラスメイトよりはってだけで、私の方が羊ちゃんより断然おっきいわけだけども。
私のサイズがエムで、羊ちゃんはエスってくらいには差があるし。
マトリョーシカだったら、私をパカってすると羊ちゃんがハローワールドするほどには、私の方が身長も器もビッグスケールなことは間違いないから。
それほどまでに私の方が身体も心もお姉さんなのにさ?
羊ちゃんたら私を敬ってチヤホヤしてくれずに、いっつも意地悪ばっかだしさ? んもう!
そんなことを考えながら、夜の寮の食堂で一生懸命テーブルを拭いていった。あんなに可愛いのに可愛げのないイケズな羊ちゃんへの不満もあって、布巾を握る手にも力が入るというもんだよ。プンプンのプーンだよ!
ちなみに今は寮内清掃の活動中で、今日は食堂のお掃除当番なわけである。一緒にペアになった子や先輩たちと、頑張って拭き拭きしておりますがな。
まぁこんくらいの作業なんて、ここ数日で幾度もの朝の練習を経てムキムキになった私にとっちゃ朝飯前の晩飯後だよ!
フィジカルが強くなった今の私なら、きっと馬澄さんに爆速でタックルされてもへっちゃらで、口笛を吹きながら足元のボールをキープし続けられることだろう。
てかキープってなんだろ。聞いたことあるワードだけど意味はわからん。試合に出たら、ホテルのアメニティみたいにサッカーボール持って帰っていいんだろうか。だからみんなボールを奪い合ってるの?
サッカーボール欲しいから私だって試合に出たいけど、んまぁ今は体育祭のが大事なわけだしサッカーのことは一旦おいとこう。
私の涙ぐましい努力によりフィジカルがつよつよになってるのは、みんなから良い子いい子されてもいいくらいには素晴らしい功績なのだけど、そんなことよりもいま一番に成長すべきなのは当然のように足の速さなわけで。
羊ちゃんの運動靴を借りてきて走っても、あんまりタイムが変わらなかったのか。
馬澄さんたら難しい顔して、『どうすりゃいいんだ……』とか弱音をこぼしてたの私の耳にもちゃんと入ってきたんだもん。
その様子から察するに、もしかしたら私の成長限界の兆しはすでに訪れているのかもしれない……。
万が一それが事実であるなら、もう朝練しても効果が見込めないのかな?
今日だって強大な睡魔に抗いながらも頑張ってひとりで起きてまで、馬澄さんと特訓にいそしんだというのに。
そういや特訓初日にちょっとお寝坊しちゃって馬澄さんにとんでもない醜態を晒して以降、ちゃんと自力で起床して、起こしに来てくれてる馬澄さんをお出迎え出来ておりますわ。
あの日、寝ぼけが覚めて意識がハッキリしてから自分の言動を顧みて、あまりの恥ずかしさで頰っぺたがサクランボみたいになっちゃったからね……。
チェリー娘にもう一回なるのはご勘弁なので、ここ何日かは睡魔に抗いながらも強靭な意志をもってして、しっかりスッキリ起きれているっちゃけんね。
馬澄さんもきっと、私の情けねぇあられもない姿を見なくてよくなって内心喜んでいることだろう。これ以上ご迷惑をおかけすんのはよくないもんね。うんうん。
次々とテーブルを拭き続けて、ちょっと疲れちゃったから手を休めつつ。
頭の中にポンと浮かんできたのは、『明日からはもう特訓なしでも良いんじゃないかな?』ってなご提案だった。
朝起きるのが辛すぎるせいだとか、毎朝走るのが正直いってしんど過ぎるせいだとか、そんな理由によるものでは決してないんだけど。
もうこれ以上に私の足が速くならないのであれば、『特訓してもアレじゃんね?』って、なんかそういう建設的かつ効率的な何かを考慮しての意見である。
それにそもそも、私はもうすでにたっくさん成長できたわけじゃん!
もしかしたら陸上部の子たちよりも速くなってる可能性だってあるんだしさ!
べつにもう普通に勝てると思うし。むしろ陸上部員さんと勝負して今の私の実力を確かめたいくらいだよ。
あぁでも……ちょっと練習しただけで陸上部員さんと良い勝負できちゃったら、スカウトとかされちゃうかもしれないんだよなぁ……困っちゃうなぁ。にゃはは。
実力が伴っていなければ只のアホな自惚れにもなりかねないような、そんな自信から生まれた妄想に耽っていたから。
テーブル拭きをする手をついつい小休止しちゃっていたところで……。
「あの、神さん……ちょっとお話ししたいことがあるんだけど、いいかな?」
寮内清掃のお当番で同じ班になった隣のクラスの子が、そう話しかけてきてくれたのだけど。
こちらのお嬢さん、たしか陸上部に所属していたはずで……。
ひぃっ、ごめんなさい! 調子乗りました!
私のような凡骨マトリョーシカが勝てるかもとかイキってすいません!
直前まで心の中で、不遜が過ぎる只のアホな自惚れに溺れていたこともあり。
そんな心の声が漏れ出ていて、『調子こくなよ? チビぼっちが!』などとお叱りを頂くことに大層ビビりながら。
私はクビを小さくコクコクコクコクと縦に振り、その子からの相談を受けることになったのだった。
お願い、怒らないで! ひぇぇ!
◇◇◇
ひとまず担当だった食堂掃除をちゃんとキッチリ終わらせたあとで。
私はその子からのお話しを聞くために、ふたりで食堂に残って椅子に座って向き合っていた。
「あのね、えっと……」
どういったお話しをされるのかの内容もわからなかったため、その子が話し出すまでドキドキしながら黙って待っていたのだけれど。
私に負けず劣らずその子も緊張しているのか、あるいは今からする話がとんでもなく言い出し辛い内容であるのか。
しばらくは本題を切り出すのを躊躇っているようだったのだけど……。
「神さんって……馬澄さんと仲良いよね?」
少しの気まづい時間を経たのちにその子の口から出てきた話題は、私のクラスメイトであり、いまはお師匠様でもある馬澄さんについてだった。
「あっ、はい。大切なお友だちですし、最近は朝に走り方とか教えてもらってますし」
「やっぱり、そうだよね。朝いっしょに走ってるもんね」
「はい……」
ちょっとまだ話の核心が見えてこないばかりか、さらには目の前で明るい表情とは決して表現できないような顔を浮かべられていることもあって。
はたしてこの後どんな話をされるのか、私も不安になり始めてしまったのだけど……。
「……あの、あのね!」
躊躇するように何事かを言いあぐねている様子もそこまでで。
とうとう本題を切り出す覚悟を決めたのか、その子は意を決したように真剣な表情を私に向けてから。
「馬澄さんに大切なおはなしがあるんだけど、なかなか勇気が出せなくて……馬澄さんと仲の良い神さんに相談に乗って欲しいんだ」
私のことを頼って、そんなお願いをしてきてくれたことがキッカケとなり。
ふたりきりの静かな夜の食堂にて、そのあとしばらく、私は悩める一人の少女の相談をお聞きすることとなったのだった。
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