第二四一話 馬とオダマキ
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誰かに期待されるのは別に嫌じゃない……というか普通に嬉しいもので。
そもそも陸上部にだって、中学一年生の時に周りの子に足の速さを褒められて、活躍を期待されたから入部したようなものだし。
その末で寄せられた期待に応えられたのか、私自身が満足する思い出を作れたかっていうと、残念ながらそういう訳ではなかったのだけど。
まぁとにかく、きっと私は昔から誰かの期待を重荷に感じることなく、純粋に浮かれることのできる性格だったんだろう。
だからクラスメイトが体育祭での私の活躍を期待して、良い結果を挙げるために頼りにしてくれてるなら、なるべくその気持ちに応えたいと素直にそう思った。
結果として、他のクラスよりも人数が一人少ない分の穴埋めをそこそこ担うことにはなったけれど。
それでもクラスメイトたちと協力して勝利を目指すために必要なのであれば、むしろ頑張って少しでも勝ち星に貢献したいなと思うほどには、私は今いる環境やクラスメイトのみんなを好ましく思っているってことなのかな。
周囲の人や環境への不満で捻くれていた中学の頃には、みんなで協力して何かに参加することに前向きな気持ちを抱いた記憶なんてないし……。
だからこそ、今のクラスメイトたちと参加できる学校行事を純粋に楽しみにしてるような気持ちや、誰かのために頑張ろうという想いを自然と胸に抱けていることは、私にも良い変化が訪れたということなんだろう。
体育祭のことを話しながら、来るべきその日のための練習を一緒にして。
その最中で、楽しそうに笑っているみんなに混じって笑えているこの時間ですら充実していたし。
きっといつの日にか『あんなこともあったな』って、そう思い出して笑えるような時間を過ごせている今この瞬間は、私にとっては十分過ぎるほどに満ち足りたものだった。
だけど人間ってやつは……いや、もしかしたら私がそういうヤツってだけなのかもしれないけれど。
すでに充実している時間の中でも、さらにそれ以上の喜びを求めてしまうような強欲さが心の隅には潜んでいたようで。
たった一人の女の子から、応援されて、期待を寄せられたっていうただそれだけのことで。
『良いところを見せたい』だなんて、こんなにも思ってしまうのだから……本当に自分の欲深さには困ったものである。
◇◇◇
私はこの子が頑張り屋で、見た目に似合わず意外と根性があることを知っている。
真面目にやった結果として『そう』なのだから、たとえ心の中であっても揶揄しようだなんて気持ちはまったくないんだけど。
その上で、優しく耳触り良く、いわゆるオブラートに包んでってやつで表現させてもらうのであれば……。
神さんがちょっと遅かった。ちょっと……うん、ちょっとでいいか。うん。
体育の授業で体育祭の練習が始まって、クラスのみんなで初めて全員リレーの練習にのぞんで。
神さんの表情を見るにかなり緊張していたのも、おそらく大いに影響しているんだろうとは思うんだけど。
一生懸命に走っている様子は、まるでペンギンの赤ちゃんみたいにとんでもなく可愛らしい姿ではあった。
だけど速度さえも……いや、やめとこう。揶揄する気持ちは一切ないはずでしょうが、私のアホ。
いつも周りの子を揶揄ってケラケラと楽しそうに笑っている巳継さんですら、私の隣でちょっと悲しそうに眉根を下げて、神さんの走る姿を静かに見守っていたほどである。
そんな全員リレーの練習が済んで、体育の授業が終わったあと。
校庭から更衣室に戻る道すがら、『馬澄……頼んだで』と巳継さんから肩をポンと叩かれて。
委員長や卯月さんからも『いい? ごめんね』と、具体的に何とは言われず頼まれたことで、私が神さんの臨時コーチに抜擢されることとあいなった。
ほかの子たちよりも出場する競技が多く、さらにはクラスメイトに走りの手ほどきまでもするというのは、なかなかに負担の大きな立場であるのかもしれない。
だけど、そんな野暮な不満なんぞを訴えるつもりは、私には一切まったくこれっぽっちもなかった。
クラスメイトの期待に少しでも応えたいという気持ちを持っているというのもあるけれど、それ以上に……。
「あ、あの……馬澄さん」
下駄箱で靴を履き替えて先に更衣室に向かうみんなの背中を見送りつつ、昇降口で神さんを待ちながら、なんて声をかけようかを考えていたら。
待ち人である神さんの方から、私の前で立ち止まって声をかけてきてくれた。
「えっ、うん。どうしたの?」
「私、あの、もしかして……足を引っ張ってます?」
あぁ……ショボンとした顔でそんなこと聞かれちゃったら、『うん。そだね』なんて応えられるわけないでしょ。
いや、どんな顔をしててもそんな答えを返すつもりはないけどさ。
誰かが神さんに直接そんなことを言うとも思えないし、みんなから漏れ出ていた雰囲気から何となく察したのか。
あるいは……ちょっと運動が苦手であることに、とうとう自ら気づいてくれたのか。
どんな心の機微が働いて、『足を引っ張る』なんて神さんが口にしたのかは定かじゃないけれど……。
「そ、そんなことないよ。何でそう思ったの?」
返答として誤ったことを口走って神さんを傷つけちゃうことを恐れた私が、なんとかぎこちなく返せた言葉はそんな当たり障りのない空虚な気遣いだった。
だってここで正直に何かを伝えても、ただ神さんをへこませちゃうだけだろうし。
残された唯一の手札がそれしかないのだから、多少は現実から目を背けるような内容であったとしても、私の返せる言葉はそれしかなかった。
「それは、その……私、体育祭って初めてみたいなものですし……運動会と体育祭の違いもわかんないですし……」
私の問いかけを受けて。
神さんは恥ずかしさを紛らわすように指をツンツンと突き合わせながら、モジモジと小さな声で言葉をこぼした。
「みんなで協力して種目に参加するのも、小学校の運動会のときぶりですし……なんかあの、協調性みたいの大丈夫かなって……」
「あぁ、なるほどね」
つまり神さんが抱いていた心配は、足の遅さだとか運動が苦手だとかに対してではなく、久々の団体種目に参加することへの不安がゆえの感情だったんだろう。
中学まるまる学校行事に不参加で、事実としてほかの子たちよりも行事参加の経験が少ないのだから、そんな不安が湧いてしまっても仕方がないのかもしれない。
「私が見る限り、協調性とかは大丈夫だと思うけどな。普段もみんなと仲良しでしょ?」
「はい……」
中学の頃の捻くれていた私ならいざ知らず、目の前の神さんについて判断するなら、周りとの協調性って部分に関しては問題ないんじゃないかなと思う。
私以外のクラスメイトとも、いろんな子とそれぞれ羨ましいくらいに友好的な関係を築けちゃってるみたいだしさ?
さっきだって、きっと羊ちゃんとだからこそ出来るような仲睦まじいやり取りをしながら、二人三脚の練習をしている姿を見せつけてきたくらいでしょ?
だから体育祭のためにみんなと協調できているかなんて、神さんは不安に感じなくても……あぁ、いや。でもどうなんだろ。
私が問題ないと思ってるのは精神的な部分に関してだし、自分だってもっぱら個人競技畑の人間だからな……。
「みんなと仲良し……それなら大丈夫ですかね。えへへ。ちょっと心配し過ぎちゃったかもです」
私の言葉なんかでも、不安を薄れさせる慰めくらいには役に立ったのか。
ホッと肩を撫で下ろした様子で可愛い笑顔をこぼした神さんは、ペコリと私に頭を下げて昇降口に入っていこうとしていたのだけど……。
「あっ……神さん、待って!」
何か大切なものを取り逃すのを防ごうとするかのように、私は神さんの小さな手を握って咄嗟に引き留めていた。
巳継さんや委員長たちにお願いされたからとか、体育祭で優勝するためにとか、そんな理由は言い訳としてもまったく頭に思い浮かんでいなくて。
『この機会を逃しちゃダメだ』って、そんな心に湧いた漠然とした感情に従って私の身体は動いていて……。
「あのさ……一緒に練習しない?」
慌てて突き動かされた身体の勢いに引っ張られるまま。
微かに掠れた情けない言葉を口にして、私は神さんを誘うことが出来たのだった。
◇◇◇




