第二一八話 巳とスモモ
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あぁメンドイわぁ。せっかく筆がノッてきたとこやったんに。
授業が終わって部活動の時間、今日も今日とて美術室で絵ぇ描いとったわけやけど。
文化祭用にどんな作品を描くかって書類を提出するよう、前々から顧問のセンセに言われていて。
ぶっちゃけ提出期限も過ぎていたから、早よ出せと急かされて。
中途半端に用意はしてたから、とっとと書き上げて提出したろと思いながらカバンを漁るも、そこに目当てのペラ紙は見当たらず。
『そういえば自分の机に入れっぱだったやん』と思い出したため、こうして教室まで取りに向かっている訳である。
……んまぁ、うちが悪いか。他の部員の子たちは、みんなとっくに提出しよるらしいしな。
それでも面倒なもんは面倒で、頭ん中でブゥブゥ不満を垂れながらも廊下を歩き。
ようやく辿り着いた教室の中を、何か意図があったわけでもないけれど隠れてチラリと覗き込むと。
はたしてそこには二人だけクラスメイトが残っていて、何やら学級日誌を挟んで向かい合っていた。
「うーん……一日のまとめの欄どうしよう。今日なにか変わったことあったっけ……」
あぁそうか。今日は神さんが日直やったっけ。
授業の合間に手足ピンと伸ばしながら頑張って、一生懸命に黒板の板書を消しとったな。
「そうですねぇ。虎前さんと卯月さんが取っ組み合いの喧嘩してましたけど……」
そんな日直としての最後のお役目、学級日誌にアレコレ書きよるのを手伝うためか。
神さんの質問に答えよった戌丸が、神さんと一緒に教室に残っとったってわけやな。
「よく見るやつだね」
「ですよねぇ……」
たしかにあのギャルとヤンキーは寮の部屋だけじゃ飽き足らず、教室でもギャーギャーとよくケンカしよるしな。
そんな光景はもう見慣れたもんで、たいして珍しくもないか。
関わるんがあまりに不毛すぎるせいか、最近はたつみーでさえ二人のケンカを止めようともせんくなってきたし。
「あとは申輪さんが今丑さんのお弁当のオカズを取ろうとして、今丑さんたちに振り回されてましたけど……」
戌丸がいま言うたとおり、たしかに今日の昼休みに申輪が手足をふん掴まれてブンブン振り回されとった。
てか面白そうやったから、うちも申輪をぶん回すの手伝ったし。
ひとのご飯は取ったらアカンよ。しかるべきお仕置きや。
「それも時々みるやつだし……」
戌丸が挙げたいくつかの案も、正直いうてさほど珍しい出来事でもなかったからか。
神さんからの納得は得られず、日誌の空欄を埋めるには至らなかったっぽいやんな。
「うぅむ……もう『子日ちゃんが教室のお花に水をあげてて、とてもありがたかったです』でいいかなぁ。うん、そう書いておくことにするよ」
……小学生の日誌ならええけど、うちら高校生やで?
まぁいいか。学級日誌の雑記欄とか、ある程度適当でも許されるしな。
てか本当ならこんな聞き耳を立てとらんで、とっととプリントを回収せいって話ではあるんやけど。
前みたいに面白半分で顔を突っ込んで、幼な子三人のしょうもない争いに巻き込まれるってこともないやろから、別に警戒することもないわけで。
だけども、しかし。
うちはそのまま廊下の壁に張り付き、神さんと戌丸の会話を盗み聞くために耳を澄ませたのだった。
◇◇◇
日誌の最後の空欄として残りがちな一日のまとめ欄に書く内容も決まったようで、神さんがペンを走らせる音がカリカリと鳴っていて。
しばらくして、その音も鳴り止んだころ。
「できた。戌丸さん、ありがとね。日誌書くの手伝ってくれて」
「いえいえ! 結局見ているだけで、ほとんどお手伝い出来ませんでしたし!」
「そんなことないよ。それじゃ提出してこよっかな……」
おっとっと。もうお終いかいな。
なんや面白いことも起きんかったなと、ちょっと拍子抜けしつつ。
ほならばと目当てのプリントを回収するために教室に入ろうとした、そんなタイミングで。
「あのっ! 神さん!」
離れて聞いていたうちさえもちょっとビクってなるくらいの大きめの声で、戌丸が神さんに声をかけたもんだから。
うちも前に出しかけていた足を止めてしもたんやけど。
「ちょっとですね、あの……お聞きしたいことが……」
「うん。なぁに?」
……この話が終わるまで待つか。
ふたりの大事なおしゃべりを邪魔すんのもアレやしな。うん。
別に趣味悪いことこの上ないような盗み聞きのためではなく。
あくまで気遣いって体で、自分の存在が悟られないように、うちは上げてた足をソッと下ろした。
「えっと……神さんって、小蟹先生と仲良いですよね?」
「う、うん。けっこう仲良い方だと思うけど……」
でた! 謎の小蟹先生!
二学期から赴任してきたんに、めちゃくちゃ神さんに懐かれとるって噂になってるあの先生やんな!
よし行け戌丸。ぜんぶ聞き出せ!
「それで、あの……亥埜さんがゲッソリしながら、『ふたりはただならぬ関係……オワタ』とかなんとか、ボソボソ言っていたのを聞きまして……」
はぁ!?
なん、なんやそれ!?
信じられん言葉が急に耳に入ってきたせいで、驚きで思わず声が出そうになるも。
続く話の終着点は聞き届けなアカンと踏ん張り、なんとかグッと堪えることができた。よく我慢したわ。偉いで自分。
「ただならぬ?」
「えっと、つまり……恋人同士、とか?」
「ええっ!?」
神さんのそのビックリ声は、何に対して驚いたものなんやろか。
『そんな根も葉もない誤解が?』って意味なのか。
もしくは……『なんでバレてるの?』って驚いたんやったら、ちょっと……うん。
良くないな。それはアカンかもしれん。うん。
「だから、そのですね……神さんは小蟹先生と付き合ってるんですか!?」
言ったぁ!
えらいで戌丸。よお聞いたわ!
神さんの返事を絶対に聞き逃さんように、うちは心の中のお耳を、アフリカで一番ビックなゾウさんの耳よりも大っきくしながら。
廊下の壁に身体をビタッとくっつけて、ジッと続く声を待ったんやけど。
「つ、付き合ってないよ!」
澄ませてた耳にそんな答えが飛び込んできたから、うちはホッと胸を撫で下ろした。
「ホントですか……? 本当に小蟹先生とは何もないんですか?」
「うん、誤解だよ。小蟹先生とは普通に仲良しなだけだし……あっ! 亥埜さんの誤解もちゃんと解いておかないとだね」
「亥埜さんは別に一生誤解したままでも構わないのですが……神さんと誰かがそういう関係じゃないのであれば、ひとまず安心しました」
うちかて亥埜に優しくしてやっとるわけやないから、お前が言うなって感じかもしれんけど。
戌丸はもうちょい亥埜への態度を柔くしてやった方がええんやない?
ルームメイトとか関係なく、亥埜の扱いがかなり雑やん。
亥埜にも問題があるのが原因なんやろうけど……まぁ亥埜のことはどうでもいいとして。
戌丸が神さんを呼び止めた理由はこのことだったわけだとわかったし、謎に仲良い神さんと小蟹センセが特別深い関係ではないとも改めて確認できたし。
うちにとってはなかなかに価値のある盗み聞きやったと頷きながら。
会話の当事者ですらないのに、うちは勝手に心の中で幕を下ろしかけていたんやけども。
「でも、小蟹先生だけじゃなくてですね……」
新たな会話のレールが敷かれるように、戌丸の口からはそんな言葉が次いで出てきたもんやから。
うちはもう一度耳をダンボにして、物音を立てんように地蔵さんに戻らざるを得なくなったのやった。
◇◇◇




