第二〇〇話 馬と併走
◆◆◆
偶然、目に入ってしまった。
神さんが巳継さんに抱きついていた。
そんな光景を目にして、時が止まったように私の脳みそはフリーズし。
ようやく動き始めた頭で真っ先に思い浮かんだことは、ふたりは特別な関係なのかって、そんな可能性を考えてしまったのだけど。
その後の様子を見るに、神さんたちは別にそういう関係で、人目を忍んでイチャついていたわけではなく。
あくまで神さんが巳継さんに水をかけるために抱きついていただけなんだろう。
そうだろう。うん、きっとそうだ。そうに違いない。
離れていく神さんの背中を見つめながら、巳継さんはなんともいえない変な表情を浮かべていた。
まるでニヤけそうになるのを堪えているような、そんな顔にも見えたけれど。
実際に巳継さんの心が読めるわけでもないので、私の見方が穿っているだけなのか、はたまた当たっているのかはわからない。
私がいまどんな表情をしているのかもわからないような複雑な心地で、歩いていく巳継さんを呆然と見続けていると……。
「とりゃ!」
そんな掛け声とともに私の背中に小さな衝撃が走って、今日何度目かになる冷たさが背中に広がった。
「ふふん! そんなとこでボーッと突っ立ってるのが悪いのよ!」
無防備な私に容赦なく水風船を投げつけてきたのは羊ちゃんだったようで。
ヒョコッと横から得意げな顔を覗かせながら、私にそんな言葉をもぶつけてきた。
「あぁ、うん。ごめん……」
「えっ? なによ、本当にボーッとしてんじゃないの。大丈夫? 熱中症とかじゃないわよね?」
「いや、そういうのはぜんぜん大丈夫なんだけど……」
もしかしたら羊ちゃんの予想としては、私が反撃したり反論したりと、そんな反応が返ってくると思っていたのかもしれないけれど。
私が心ここに在らずな様子で気の抜けた返事をしたためか、なにやらお優しいことに体調の心配をしてくれたみたいだった。
羊ちゃんが心配してくれた体調に、不調な気配は微塵もなかったのだけど。
さっき見た光景が頭から離れず。
そのせいで脳のパフォーマンスはいつもよりも、いくらか鈍くなっているかもしれない。
だってあんな、神さんの方から大胆な行動を取っているなんて……。
一学期の頃、普段の学校とか寮とかで、神さんってあんな風にスキンシップをとるような子だったっけ?
あんまそういう場面は見たことないし、私だってそんなスキンシップをとってもらったことはない気がするのに。
いやでも大胆な行動ってのなら、雨の日にコンビニで一緒に買い食いをした時に……いやダメだ。あの日のことを思い出すと頭がバグってダメになる。
そのせいでとんでもない変態チックな写真を巳継さんに握られてしまったんだし。
せめて部屋に一人でいる時なんかに、コッソリ思い出して悦に浸るだけにしとかないと……。
まぁ具体的な記憶のアレコレは一旦置いておき。
とにかく私の経験から鑑みても、神さんがどういう人付き合いをする子なのかは正直言ってわからなかった。
人懐っこくてスキンシップを頻繁に取る方なのか、はたまたそういう懐き方は稀なのか。
……もしくは、相手によってスキンシップの取り方もぜんぜん違うのか。
「あのさ、羊ちゃんさぁ」
「なによ?」
そんなことを延々と考え続けても、きっと答えなんかでないだろうし。
疑問が少しでも解消することを願って、すぐそばにいる羊ちゃんに聞いてみることにしたのだけれど。
「神さんって、あんまスキンシップ取ってくるタイプじゃない……よね?」
「はぁ? なんで急にそんなこと……なに? 神さんになんかされたの?」
今この場にいない神さんの名前が出てきたせいか、あるいは質問の内容に対してか。
私の質問を聞いた羊ちゃんは、少し眉をひそめて訝しげな表情を浮かべていた。
「いや、そういうわけじゃ……ちょっと気になって」
神さんに何かされたから、そんな質問をしたわけじゃない。
むしろさっきの巳継さんにしていたようなスキンシップ、私は神さんから全然されていないから聞いてるわけで。
「ふーん、まぁいいけど。スキンシップねぇ……」
私が聞いたことの意図とか背景とか、そういうのは『まぁいいけど』でスルーしてくれながら。
私の質問に答えるために、羊ちゃんはちいさな手を顎下に添えて、神さんとの過去の記憶を思い出そうとしてくれているようだったから。
そんな風に頑張って思い出そうとしなきゃいけないくらいには、羊ちゃんにも身に覚えがないのかって。
私は少し、ホッと安心しかけたのだけど……。
「……むしろ神さんって、スキンシップ多い方じゃない?」
今の今までポージングしていた、何かを思い出そうとしていた仕草はいったい何の意味があったのか。
羊ちゃんの思い出しにかかる時間が長ければ長いほど、きっと私は安心できただろうに。
私がまったく望んでいなかった方向の答えが、羊ちゃんの口からすぐに飛び出してきた。
「はぁっ!? いや、ぜんぜんそんなことないよ!」
「えー、そうかなぁ……けっこう面倒な絡み方してきたり、よくベタベタくっついてきたりするほうだと思うけど……」
そんな……ウソだ。
羊ちゃん、これホントに神さんのこと言ってるの?
そう疑わずにはいられないほどに身に覚えのない神さんの人物像を、なんか不満気さえも混ざっている様子で吐露している羊ちゃんの言葉が、私にはまるで信じられなくて。
というか、自分には心当たりがなさすぎるからこそ信じたくなくて……。
「い、いやだって……教室とかでもそんな風じゃなくない?」
神さんとの関係に、私と羊ちゃんでそんな大きな差があってほしくないから、それを確かめるために。
きっと嘘をついて私のことを揶揄ってるんだって、そんな意地悪をあばくために。
今度こそ望んだ答えが返ってきて欲しいと無意識に思いながら、追求するような質問を重ねて聞いてみたんだけど。
「恥ずかしがり屋だからじゃない? ふたりっきりになると、神さんちょっとテンションおかしくなることあるし」
このモジャモジャおチビちゃんは、さっき無防備な私に容赦なく水風船をぶつけてきただけでは飽き足らず。
情けなど持っていないように、さらに私の望みとは正反対な返答ばかりを投げつけてきたのだった。
「……」
流石にもう、あまり信じたくはない真実から目を逸らすのはやめるとして。
そうなってくると神さんは、関わる人によってスキンシップの密度とか近さとかが違うってことになる。
いやまぁ大体の人はみんなそうなんだろうし、そんなの当たり前と言えば当たり前のことで。
私だってクラスメイトとの接し方なんて、相手によって変わるわけだし。
だけど、だって、そんな……羨ましい。
私だって、神さんにベタベタくっついてきて欲しい。
「あ、あー……でも、ほらさ? あたしと神さん、同じ部活だし」
悔しくも格差の存在するらしい神さんとの接触頻度に、私が少なからずショックを受けていると。
そこそこ傷ついていた心が表情とか態度にでもあらわれていたのか。
羊ちゃんは私をみて何かを察したように、気まずそうに突然フォローするようなことを言い出して。
「きっと馬澄だけじゃないから、あんま気にしないでいいっていうか……ほら! 馬澄ってスキンシップ好きそうな印象あんまないし! だから、えっと……ドンマイ!」
不器用な慰めで傷心した私に追い討ちをかけたあと。
私からの八つ当たりが来ることでも恐れているのか、言われる側としてはなかなかにムカつく捨て台詞を残して、羊ちゃんは愛想笑いをしながら逃げていこうとしていて。
なんかちょっとだけイラッときたので、私は走り去るその背中に水風船をぶつけてやったのだった。
◇◇◇
陽も傾いてきて、寮の門限もあるためか水風船遊びもおしまいになり。
委員長の指示のもと、公園の中に散らばった水風船の残骸を、みんなで協力してえっちらおっちらと集めながら。
私の頭の中では、さっきからずっとハテナマークがグルグルと旋回し続けていた。
なんで? 私ってそんなに近寄りがたいのかな?
そりゃ体力測定のときに、キツイこと言ったことはあったけどさ。
でも学校帰りにふたりで買い食いしたときは、気まずそうな雰囲気とかもなさそうだったし。
か、間接キスだって神さんの方から誘ってきたようなもんだし……。
それに私、けっこう他のクラスの子とかに話しかけてもらってる方だと思うから。
そんな怖そうだったり、気難しそうにも見えないんじゃないかな。
夏休みにだってさ?
実家に帰省して久々に妹に会ったとき、『話しかけやすくなった』って、そう言いながらすごい懐いてきてくれたし。
本当はもっと前から仲良くしたかったけど、中学の時の私はちょっと怖かったらしくて。
でも今のお姉ちゃんは優しいし、雰囲気やわらかくなったとも言ってもらえたくらいだし。
……中学までは、周囲の人たちや環境にイライラして。親の愛情を一身に受けているように甘やかされていた妹にだって、思うところがあったけど。
でも百合花に入学して、ここで生活を送るようになって。
神さんやルームメイトの羊ちゃん、クラスメイトや陸上部のみんなのおかげで、そんなイライラはいつのまにか無くなっていて。
帰省して久しぶりに顔を合わせた妹に、前みたいにネガティブな感情なんてぜんぜん湧いてこなくて。
だから、とにかくさ。
これまで良好な関係を築けてはいなかった妹にだって、『話しかけやすい』ってそう言って貰えたのだし。
今の私はけっこう話しかけやすいし、絡みやすいはずなのに!
それなのに何で神さんは、私にベタベタくっついてきたり、ハグしてくれたりしないの!?
そんな願望か妄想かわかんないような、モヤモヤした悩みを抱えつつ。
少し恨みがましい感情も混じりながら、当の神さんはどこにいるんだと公園の中に視線を彷徨わせると。
遠くベンチのそばで、亥埜さんになにかセクハラでもされているのか、顔を赤くしながら胸元を両腕で隠している神さんの姿が目に映った。
あぁいや、亥埜さんの普段のイメージ的にセクハラだとか失礼なことを思っちゃったけど。
ようやく指摘してあげたのか……ブラ透けてるよって。
まぁ服が濡れたせいで下着が透けてたの、神さんだけじゃなかったし。
ほかの人はわりと上手く避けれるようになったり、そのおかげで服もけっこう乾いてたんだけど。
神さんは水風船ぶつけられるのが楽しかったから、あえて避けなかったのか。
もしくは、まぁ……運動神経のせいで避けられなかったのかは定かじゃないけど、最後まで水を被ってたようだし。
そもそも、神さんの服が乾くことを良しとせず、最後まで胸やらおしりやらを狙ってた不届者たちがいた気もするけど……。
そんな恥ずかしがっている神さんと、楽しげに話している亥埜さんを見ていて、ようやく私はひとつの気づきを得ることができた。
亥埜さんとか巳継さんは、自らグイグイと神さんに絡んでいっている。
セクハラとか揶揄いとか、そういうちょっとどうかと思うような絡み方は……まぁ、今は一旦おいておこう。
それにくらべて、さっき悩んでいたときの私とか、これまでの私はどうだった?
神さんにスキンシップをとって欲しいって、絡んで欲しいって、私はそんなことを望んでいたけどさ。
つまり私は、神さんとの接触をただ待っているだけだったわけだ。
でも、もしそれを望んでいるのなら……亥埜さんみたいに私の方から触れ合いにいくべきだったのかもしれない。
そうしなかった理由はなんでかって、そんな発想がそもそもなかったし、方法だってわからなかったせいだろうけど。
だって、正直いって去年までは周囲とのコミュニケーションとか、スキンシップを避けていたくらいだし。
こんなにも誰かとスキンシップを取りたいだなんて、そんなことを思うことがなかったから……。
だから、わからないことや戸惑うことがいっぱいで。
上手なコミュニケーションの仕方なんて、私自身が未熟で未経験すぎて、ぜんぜん正解を知らなかったのだとしても。
さっきみたいに誰かと仲良さそうにしている神さんを見ているだけしかできなくて。
これからも、もどかしい思いを抱えるだけなのがイヤなんだったらさ……。
不器用でも、下手くそでも構わないから。
私の方から物怖じせずに、神さんにスキンシップをとりにいくべきなんだって。
二学期の開始という新たな学校での生活を迎える前に。
夏休み最後のイベントを経ることで、ひとつの決意を私のもとにもたらしたのだった。
◆◆◆




