第一五〇話 鶴と気まぐれ
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私はクラス担任をしている猫西のように真面目じゃないし、寮母をつとめてる東狐のようにおおらかでもない。
それに保険医としてたくさんの生徒を相手している鷲北のように、愛想だってよくはない。
そんな私が教師として立派に職務を果たせているか、正直いって自分じゃ判断できないけれど。
それでも仕事なのであれば、出来うる限りは頑張るべきとは思っていて。
だからこそ土曜の午前中であってもわざわざ出勤してきて、こうして何人かの生徒を前にして、特別授業なんかを行っているわけである。
「雨降りそうだし、とっとと始めるか。んじゃ準備体操から」
プールサイドには何人かの一年生が並んでいる。
この子たちはみんな水泳が苦手……というか、ぶっちゃけ泳げない子たちだった。
小学校や中学校でも水泳の授業はあったはずだし。
今日集めた子たちのように泳げないなんてのは、同世代の子と比べても稀なんだろうとは思うけれど。
まぁ何かしらの事情があったり、そもそも運動が苦手だったり、泳ぐのが苦手であっても仕方がない理由がそれぞれにあるんだろう。
たとえば……一番後ろで、準備体操のために頑張って手足を伸ばしてる神みたいに。
神が運動を苦手としている事は、年度初めの体力測定や普段の体育の授業でわかっていた。
聞いた話じゃ中学三年間、学校に通うこともできずに家の中だけで過ごしていたというのだし。
そんな境遇の中で育っていった身体が、高校体育に適応できなくても仕方ないんだろう。
ただ普段の体育では大目に見ることができても、水泳の授業では危険な事故や怪我なんかが身近なわけで。
だから少しでも泳げるようになってもらうために、こうして休みの日に呼び出しているわけである。
「よし。んじゃ、ゆっくりでいいからプール入って」
私の指示にもみんな素直に従っている。
基本的にウチの学校の子たちはみんな良い子ばかりだし。
この子たちも泳げるようになりたいとは思っているんだろうから、休日の呼び出しにも全員もれなく参加してくれているんだろう。
「んじゃプールサイドを握ってバタ足してみようか。できるだけ顔を水につけながらやってみて」
たとえ体育の授業ではなく休日の補習でも、授業ですらない部活のコーチであっても、生徒たちに何かを教える事は苦ではない。
私の指導に応えるようにみんな頑張ってくれるし、出来るように成長していく姿を見ていると、やり甲斐を感じられる。
そんな実感を抱きながらも。
それでもやっぱり自分を客観的に評価してみて、良い教師であるかなんてわからない。
私が高校生だったとして、はたして今の私を良い教師だと思うものだろうか。
こんな……ずっと叶わない恋心に囚われてるだけじゃなく、一人の生徒に嫉妬しているかもしれないヤツを。
そんな懐疑心を頭から振り払うことができないまま。
私は今日も教師としての役割を、なんとか果たしていくのだった。
◇◇◇
幸いにも、雨に中断されることなく水泳の補習を終えることができた。
たった二時間とはいえ、つきっきりで教えることができたおかげか。
参加してくれた子たちは大体みんな、水に慣れることができたりコツを掴んだりと、個人差はあれど泳ぎが上達したように見える。
「よし。そんじゃ、これで終わり」
プールサイドに並んでいる数人の生徒を前に、私は補習の終わりを告げる。
みんなそこそこに疲れたような顔をしているのも、慣れない水の中での運動を頑張ったからだろう。
「風邪ひかないように身体しっかり拭いときなよ。んじゃ解散」
私の号令を合図に、お礼の言葉を口にしながら生徒たちが更衣室に向かうために前を通り過ぎていく。
去っていく子たちを見送っていると、一番後ろを歩いていた神が私の前で立ち止まった。
「先生、ありがとうございました。あの……これ」
ほかの子たちと同じようにお礼を告げながら、神は手に持っていたビート板をオズオズと差し出した。
二時間という少ない時間の中で、神も少しは泳げるようになったと思う。
補習の最後には、ビート板を使ってではあるけれど、プールの端から端まで泳ぐことができていたし。
体力は相変わらず無いから、ヘトヘトでプールサイドから上がりながらも。
神も達成感を得ることができたようで、私が褒めたら笑顔を見せていた。
「うん。神もお疲れ」
差し出されたビート板を受け取りながら労ってあげると、神は小さくこぼすような笑顔を浮かべた。
この子は……入学当初よりも笑うことが増えた気がする。
部活での関わりもないし、それほど多く関わる機会があるわけではないけれど。
そんな私でもそう感じるほどには、この子も変わってきているのだろう。
その変化はきっと、成長と称するにふさわしいもので。
運動や競技を苦手としていても、一人の体育教師として、神は頑張り屋だと評価できるし。
いつも一人だった神が、最近ではいろんな生徒と一緒にいるのを見かけることも多くなった。
きっと神なりの努力の結果が、少しずつではあっても実を結んできているのだろう。
そんな神の成長を、私は素直に偉いと思う。
神も……いや、ほかのどの生徒もみんな、全員。
努力も、想いも、報われて欲しいと思う。
私みたいに、叶わない想いにいつまでも囚われることなく。
隠し続けなくちゃいけない想いなんて、決して抱えないでいてほしい。
「先生?」
「え、あぁごめん。なんか話してた?」
「いえ……」
少し考え込んでしまった私の前から立ち去らず、神はプールサイドに残っていた。
私になにか話でもあるのかとも思ったけれど、そういうわけでもないようで。
ほかの子が入っていった更衣室を、神が物憂げに黙って見つめていたから。
「……着替えないの?」
とくに何も考えもせずそう訊いていた。
私の問いかけが耳に入り、神は少し恥ずかしそうにしながらも。
「あ、えと……まだみんな着替えてると思うので……」
なにかを遠慮するようにそう答えた。
誰かと一緒の場所で着替えるのが恥ずかしいのかな?
学生時代にはずっと体育会系の部活に入っていたし、誰かと同じスペースで着替えることなんかしょっちゅうだったせいか、私にその感覚はわからない。
それに、たとえ部活のために頻繁に着替える機会がなくても、この子たちは寮生活をしているのだし。
文化部に所属している子たちだって、もうそんな機会には慣れていそうなものだけど。
あぁ、いや……でも私だって。
自分の恋心を自覚してからは、あの子とだけは同じ場所で着替えるときには意識してしまっていた覚えがあるしな。
好きな子と一緒に着替えるのが恥ずかしいって気持ちだけなら、私にもわかる気がした。
別に神がそう言ったわけではないし、むしろ私の感じた恥ずかしさこそ、神にはわからないかもしれない。
だけど……。
その記憶が掘り起こされたからなのか。
ほかにも昨夜、想いを拗らせてきたあの子と同じ場所で。
目の前にいる神という名の女の子について、いろいろと考えてしまったせいなのか……。
「そっか……神はさ、好きな子とかいるの?」
きっと、ほかの生徒に同じ質問をすることなんてないだろう。
今までだって、きっとこれから先もずっと。
一人の生徒に対して、たとえほんの少しだけであっても。
生徒の恋愛に踏み込むような質問なんて、することなんかないはずだったのに……。
自分がなにを口にしてるかもわからないまま。
きっと一人の先生としてではなく、『好き』という感情に縛られている、ただの私として。
目の前にいる一人の女の子に向けて、私はそんな質問を口にしてしまったのだった。
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