第十五話 神は先を憂い、虎は後に悔やむ
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虎前さんはベンチから立ち上がったあと。
「……悪ぃな。んなつもりじゃ、なかったんだけどよ……」
そんな言葉を残して、私の前から去っていった。
……んじゃぁ、どんなつもりだったの?
私ごときが女の子との出会いを期待したことへの罰だったのだろうか。
まさか人生初の、ヤンキーにカツアゲされるイベントに遭遇するとは思わなかった。
てか、いくら抜かれたんだろう?
財布に元々いくら入ってたかなんて細かく覚えてないから、虎前さんにいくら取られたかはわからなかった。
でもとりあえず、入学祝いにお母さんから買ってもらった大切な財布は返してもらえて本当に良かった。
さっきはヤンキーに絡まれた恐怖から、ガチでチビりそうになりながら、思わず逃げるための餌にしてしまったけれど。
もしあのまま財布ごと持っていかれてたら、どうにかして勇気を出して取り返しに行くしかなかったから、マジで助かった。
ちゃんと大事にしよう。私がボコボコにされることよりも、この財布が取られてしまっていた可能性を想像した時の方が怖かったし。
てかもう本当怖かったよぅ……。
そもそも虎前さんみたいな顔がいいヤンキーなんつー存在に、私なんかが抵抗出来るわけないんだよぅ。
うぅ……コレからも虎前さんから、脅されたりイジメられたりすんのかなぁ?
そんな未来を想像してちょっぴり怯えつつも、『でもまぁ虎前さんならいいか。美人と絡めるならアドかも知れん』とか思ってしまった今の私は、マジで人付き合いに飢えているんだろう。
そんなしょうもないことを思いつつ。ただ今ばかりは、さっきまでの恐怖から全然食欲がないままで。
一人寂しく、ノロノロと昼ごはんを食べ進めたのだった。
……でもやっぱり怖いから、これからは虎前さんにはなるべく近づかんとこ。
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以前からルームメイトの卯月には、神さんと仲良くなりたいっつう相談をしていた。
相談に乗ってもらっていた手前、今後の作戦会議も兼ねて昼休みにあったことを報告すると……。
「全然ダメじゃん。何やってんのアンタ? 童貞か? 雑魚ヤンキーが」
なんつぅような、クソイラつく言葉が返ってきた。
相談乗ってくれてた恩はあるが、ブン殴ろうかなコイツ。
「うるせぇ……あたしだって、こんなはずじゃ……」
「ウチはこの前、ウジウジ悩んでないでいいからとっとと話しかけろって言ったわよね? 誰がカツアゲしてこいって言った?」
この野郎、人が落ち込んでるのをいいことに言いたい放題言いやがって。
「……まさかとは思うけど、アンタ本当にお金取ったりしてないでしょうね?」
「するわけねぇだろ! むしろ入れたわ」
「はぁ?」
自分の身の潔白を証明するためにも。
怖がらせちゃって申し訳ないから、五百円を財布に入れといたことを説明してやったんだけど。
「いやキモッ……普通に引くわ。てか神さんからしたら恐怖でしょ。知らないヤンキーから急に貢がれるとか」
アタシが言えたことじゃねぇが、このギャル女マジで口が悪ぃな。落ち込んでるヤツに向かって、よくもまぁそんなグサグサ罵れたもんだわ。
そもそもマトモにアタシの話を聞こうとすらしてんのかも怪しいし。
言葉を返してくれてはいるが、ずっと顔にペチペチ変な液体を塗りたくりやがって。
けどまぁ……なんだかんだでずっと相談には乗ってくれてるし、基本的には悪いヤツじゃないってのは理解してはいるものの。
今日はアタシの心が持ちそうになかったので、もう何も知らねと不貞寝するべく布団に潜り込んだ。
良い結果は残せなかったとはいえ、今日頑張って初めて会話することはできたんだし、明日からはもっと積極的に神さんに近づいていこう。
そう決意しながら、いつも通り神さんとの脳内シミュレーションを開始していると。
卯月も今日の分のスキンケアを終えたのか、部屋の電気を消してベットに入った気配を感じた。
「……今日のことでメゲずに、明日からも頑張って話しかけなさいよ?」
「うるせぇ……わかってるよ」
さっきは散々ディスられたものの。
こうして励ましてもくれんだから、怒ったらいいのか感謝したらいいか、わかんなくなんだろうが。
「ちなみに今日はどんなこと話せたのよ? あんだけ推し推しキモいくらいに言ってるくらいだから、流石に神さんと話したことの内容くらいは覚えてんでしょ?」
さっきは仕方なく聞いてました、って感じの聞き方してたクセに、実は少しは気になってたんだろうか?
まぁ卯月の本心はわかんねぇけど、ウトウトし始めた鈍い頭でも、神さんと話せたときの記憶ははっきり思い出すことができた。
「あぁ? たしか神さんは……『ヒェェ』とか『アワッ』とか、あと『ウッ……ウッ……』ってうめいてたりとか……」
「……神さんってちいかわか何かなの? 会話って言えないでしょそれ」
もうそろ寝そうだったのに、めっちゃ目ぇ覚めたわ。
たしかに卯月の言う通り、思い返してみると一切まったく会話が成立してはいなかった。
「ウッ……ウッ……」
「なんでアンタまでちいかわみたいに……ってアンタ泣いてんの!? っとにこのヘタレヤンキーは……」
卯月が呆れながら、大きな溜め息を吐いていたが。
そんなムカつく態度も気にならないぐらいにヘコんでいたアタシは、いつの間にか美化していた現実の悲惨さに気づいてさめざめ泣いた。
「はぁ〜ったく」
卯月はベットから抜け出すや、布団越しにアタシを撫でながら、「よちよち、頑張りまちたね〜」などと慰め……いやこれとてつもなく馬鹿にしてやがるわ。アタシに元気があったらぶちのめしてやったのに。
「うっせぇ……ほっとけ……うぅ」
「あはは。泣いてるヤンキーまじウケる……でもウチもちょっと興味出てきたかも。アンタをそこまでヘコました神さんに」
弱ってるアタシを煽るだけ煽って満足したのか、卯月はアタシから離れて自分のベットに戻りながらも、軽々しく、んなことをほざき始めた。
なるほど。コイツはまだ理解してねぇんだ。あのバケモノ級の可愛さを誇る神さんの恐ろしさを。
「んなら、お前だって話しかけてみろよ。ぜってぇアタシみたいにみっともなく泣き帰ることになんだからよぉ」
「いや、そんなんアンタだけだわ。一緒にすんな」
それ以降は特に会話もなく、叩き起こしてやりたくなるくらいにムカつく卯月の安らかな寝息を聞きながら。
アタシの記念すべき日になるはずだった一日は、悲しい思い出として更けていったのだった。
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