第一三四話 亥と雨宿り
◇◇◇
まぶたを開けたとき最初に目に入ったのは、私の肩に寄りかかって寝ている神さんの寝顔だった。
せっかくの可愛い寝顔も、ボンヤリと雲がかかったような思考では状況がよく飲み込めなくて。
周りを見渡して、薄暗い部屋の中で大きな液晶が光っているのを見て一瞬で目が覚めた。
ヤバいっ! 寝ちゃってた!
慌ててポッケから取り出したスマホの画面に目を向けると、液晶には四時三十二分という文字が並んでいて。
その数字の羅列をみた瞬間、身体の芯が凍りついたように血の気がひいた。
「な、なんで……どうしよう……」
プラネタリウムの上映時間は四時からだから、もうとっくに上映は始まってる。
今から急いでカラオケの会計をして、走って向かったとしてもプラネタリウムに着く頃には五時前とかだから。
もう、間に合わない……。
私がゴソゴソしていたから隣に座っていた神さんも目を覚ましたようで、小さくあくびをしながら目を擦っていた。
「か、神さんごめん。私、寝ちゃって……」
「あー……はぃ。きもち良さそうに寝てましたねぇ」
寝起きのせいかフワフワした喋り方で神さんが口にしたその言葉。
それに神さんが部屋に入ってきた記憶が私にはないってことは、この部屋に入ってすぐに私は寝ちゃってたってことで。
つまり神さんは私が寝ていたのを見ているはずである。
そのことに気づいた瞬間……。
「なんで起こしてくれなかったのっ!」
寝てしまったのはもちろん私が悪い。
だけど神さんは寝ていた私のことを起こすことだってできたはずなのにと、そんな思いが大声になって、つい口から出てしまった。
「あぅっ……ご、ごめんなさい」
私が発した大きな声でビクリと身体を震わせて。
そのせいで目も覚めたのか、さっきまでの寝起きのフワフワした様子も引っ込んでいて。
怖がっているのか、申し訳ないと思っているのか。
神さんは不安げな表情を浮かべて私のことを見つめていた。
「あの、亥埜さん疲れてそうでしたし……顔色とか、隈とか。それで、あの……」
「っ!」
今日は寝坊して起きてから一度も鏡を見れていない。
自分のことを確認したのも、ブラックアウトしたスマホに薄暗く映った姿だけだ。
神さんの漏らした言葉が示している顔色も隈も、明らかにここ数日の寝不足のせいだろう。
もしも時間さえ、心の余裕さえあれば……メイクで隠してくることだってできたはずなのに。
私は自覚もないまま、あろうことか神さんにずっと見苦しい顔を晒し続けてしまっていたわけだ。
そんな恥を晒していたのに、結局は何も達成できていない。
情けないところをただただ見せ続けただけで。
オシャレなランチも、プラネタリウムも。
そして……神さんとお揃いのものが欲しかったのに、その買い物すらも。
全部、叶わなかった……。
「……なんで、こうなるのよ……もうやだ」
楽しみにしていたすべてが上手くいかず、にもかかわらず失敗だけを重ねてしまったせいで。
私の口からは思わず、そんな泣き言が漏れ出てしまった。
だけど、それはどうしても漏らしてはいけない嘆きの言葉で……。
「うぅ……ご、ごめんなさい」
小さく溢れたその謝罪の言葉にハッとして顔を上げると。
神さんはとても傷ついたように、ひどく悲しそうな顔をしていた。
そんな顔をさせてしまったのは、私がこぼしたあまりにも愚かな泣き言のせいだ。
「あっ、いまのは違くて……」
ちがう、ちがう!
神さんを責めたかったわけじゃない!
イヤだと言ったのも自分の不甲斐なさを嘆いただけなの!
神さんとデートに来たことを後悔して言ったわけじゃなくて、神さんに楽しんで欲しくて、来て良かったって思って欲しくて。
ただ、笑って欲しかっただけなのに。
いま目の前にいる神さんは笑顔とは程遠くて、悲しそうな顔で落ち込んでしまっている。
それもこれも全部、私のせいだ……。
「ちがっ、ちがうの! 私が、私がぜんぶ悪いのに……う、うぅ……うあぁぁ」
後悔や情けなさ。
他にも悲しさとかのネガティブな感情に一気に襲われて。
まるでせっかく貰ったオモチャやお菓子を、すぐに台無しにしてしまった子どものように。
込み上げる感情を抑えることもできないまま。
私は大きな声をあげながら、たくさんの涙を流して泣き出したのだった。
◆◆◆
亥埜さんは今日ずっと気を遣ってくれていた。
歩くのが遅い私を待っててくれたり。
ろくにお店を調べてこなかった私の代わりに、たくさん調べてきてくれたり。
雨が降って来たときだって、自分が濡れるのもお構いなしで傘を買ってきてくれようとしたり。
そのせいで多分、とても疲れさせてしまっていたんだろう。
だからカラオケの部屋に入ったときに亥埜さんがスヤスヤ寝ていても、起こす気になんて全くならなくて。
少しだけでも寝かせてあげて、ちょうど良さそうな時間で起こしてあげるつもりだった。
そのつもりだったのに……。
亥埜さんが寝ているのをいいことに、そっと隣に座って寄りかかってしまったせいだろうか。
部屋の涼しさと亥埜さんの温かさが気持ちよくて、私はそのまま眠ってしまった。
頑張ってリードし続けてくれた亥埜さんのために、少しでも役に立とうって考えていたにもかかわらず。
それなのに寝こけてしまって、亥埜さんが起きるまで隣でアホみたいにスヤスヤ寝てしまって。
そのせいでプラネタリウムの上映時間には間に合わなくなっちゃったのだから、亥埜さんが怒るのも当然だろう……。
そんな後悔と申し訳ないって気持ちで、私の気持ちもシオシオに萎んでしまったのだけど。
「ちがっ、ちがうの! 私が、私がぜんぶ悪いのに……うぅ……うあぁぁ」
私のせいで怒らせるどころか、亥埜さんは大きな声をあげて泣き出してしまった。
あわわ……私のせいでとうとう亥埜さんを泣かせてしまった。
前に一度、亥埜さんが泣いているところは見たことあったけれど。
だとしても、友だちが目の前で泣いている姿に慣れることなんか出来っこなくて。
私がどうにか慰めてあげなきゃいけないのに。
そうすべきだって頭ではわかっているのに、咄嗟に行動に移れないでいる間も。
「ごめっ、ごめんなさい……私が寝坊して、そのせいなのに……うぅ、ひっく」
亥埜さんは普段の澄ました姿からは想像できないくらい、ずっとワンワンニャーニャーと泣きながら謝り続けている。
ど、どうしよう!
自分が泣くのは慣れっこだけど、友だちが泣いちゃってる時にどうしたらいいかわかんない!
こんな時どうすればいいのか、なんて言ってあげたらいいかわかんないんだよぅ!
「神さん今日もすごい可愛くて……オシャレもしてきてくれてたのに、褒めてあげられなかったしぃ……うぅぅ」
えっ? ホント?
私かわいい?
お母さんがいつも服を買ってきてくれたし、いままでは自分でオシャレなんかしたことなかったけどさ。
今日は気合い入れてちょっと頑張ってみたんだよ!
お母さんにも写真送って『いいじゃん』って言ってもらえてたし。
けど亥埜さん何も言ってくれなかったから、微妙だったのかなぁってちょっとヘコんでたんだけど。
ちゃんと可愛いって思ってもらえてたんなら良かったぁ……いや、ではなくて。
可愛いって言われて喜んどる場合とちゃうわ。
先に亥埜さんに泣き止んでもらわなアカンでしょうが。
「それに、私のせいでいっぱい歩かせちゃったしぃ……」
「え、えと、あの、私ぜんぜん気にしてないですから……だから、あの……」
「神さんはなにも悪くないのに。さっきだって責めたかったわけじゃないの……うぅぅっ」
涙、とまりません。
どうすればいいですかお母さん。ぴえん。
私がマゴマゴと拙いながらもいくらフォローしようとも、ずっと懺悔のような言葉を口にしながら亥埜さんはひたすらに涙を流しているし。
もう……これしかない。
私は混乱の極地でアタフタと焦りつつ、唯一思いついたあまりにも単純な行動を取ることしかできず。
いつぞやよろしく、泣いている亥埜さんの身体をギュッと優しく抱きしめたのだった。
◆◆◆




