第一二四話 神と罪ほろぼし
◇◇◇
いや、普通にお引き取り願おう。
寝起きでボンヤリしていたせいで、ちょっとだけミスっちゃったけれど。
結局のところ上履きの所在がバレなければいいわけであるのだし。
「あ、の……ごめんなさい。今ちょっと忙しくて……」
オドオドしてて不審がられるのもマズイので、エヘヘと愛想笑いをしながらも。
せっかく部屋まで来てくれたのに申し訳ないけれど、私はそう言って亥埜さんを追っ払おうと試みたのだけども……。
「あっ、そうなの? ごめんね忙しいときに……んじゃ一つだけ確認したら帰るから」
「は、はい。なんでしょうか?」
「神さん昨日さ、上履き持って帰っていたわよね?」
「……ぴぇ」
亥埜さんの対応をした時点で、もうすでに私の運命は決まっていたらしく。
いまいっちばん聞きたくなかった質問が、私の頭の中をグチャグチャに掻き回してきたのだった。
「ずっとおかしいなって思ってたんだよね。けど神さんは何も言い出さなかったし、何か事情でもあるのかなって」
「あぅ……あぅ」
「ごめん。ちょっとだけ失礼するね」
頭の周りをヒヨコたちがピヨピヨ飛んでる私の脇を通りながら、亥埜さんは私の返事を待たずに、部屋にスイスイっと入って行った。
ちなみに横を通り過ぎる時に、亥埜さんの手の甲が私のお尻に触れる……というか撫でていった気もするけれど。
通る隙間が狭かったから偶然だろうし、今はちょっとそれどころじゃないから気にしないでおこう。
「ま、待って……」
「あっ! ほらやっぱり! 上履きあった!」
ちょっ!? 声デカいってぇ!
亥埜さんのクソデカ発見報告が誰かの耳に入ったら大変と、開け放たれたままだった部屋のドアを急いで閉めたあと。
急いで部屋の中に戻ると、捜査に来た刑事さん……もとい亥埜さんはしゃがみこんで、私の上履きを嬉々として撫でていらっしゃった。
あぁ……もうダメだ。
明日は絶対に忘れないようにと、目につく場所に上履きを置いといたのがアカンかったんや。
実家の自室でお母さんにバレないように隠してる、オッパイがポンポン出てくる少年誌のエッチ系マンガ本と同じように。
念の為にベットの下とかに隠しておけばバレなかったかもしれないのに……。
今日あれだけ皆に心配をかけただけじゃなく。
さらには亥埜さんは、いの一番に犯人の容疑をかけられる、なんて不名誉な扱いだって受けているんだもん。
怒り心頭で私をなじってくるに違いない……。
きっと私みたいな自己中の人騒がせ女のことなんて嫌いになっちゃうんだぁ……イヤだよぉ。
「あっ、あ、あの。それは、アレで……」
「ジュースこぼしちゃったのよね? だから洗うために昨日の放課後、下駄箱でカバンに入れてたわけだし」
「えっ? あ、はい……」
……あれ?
私は昨日、誰とも一緒に帰っていない。
天文部もなかったし、友だちはみんな部活とか委員会で忙しそうだったし。
私も早く上履きを持って帰って、自分の部屋で洗ってしまいたかったし。
誰もそのことを知っているはずないって、そう思っていたのに?
「な、なんでそこまで知ってるの……?」
「そりゃ知ってるわよ。だって神さんのことだもん」
「……な、なるほど」
亥埜さんの口にした理由は正直納得できるものではなかったけれど、私は深くを考えるのはやめといた。
たぶんどれだけ考えても理解できないだろうし……。
「今日ずっと黙っていたのも、たぶんあれだけの騒ぎになっちゃって、神さんも本当のことを言い出しづらかったんでしょ?」
「う、うん……」
ニコニコと笑いながらそう言った亥埜さんは、一見して怒っているようには見えなくて。
上履きの在処とか事情を知っていたから、私のことを責めにきたわけではないのかもって。
大切な友だちから嫌われてはなさそうな可能性に、私はホッと胸を撫で下ろせたのだった。
◇◇◇
怒ってないし、たぶん嫌われてもなさそう。
よかったぁ……ちょっと変な言動はあるけれど、亥埜さんは大切な友だちだもん。
嫌われてないなら本当に良かった。
亥埜さんが私の部屋を訪れたのも、ただ単に好奇心から上履きのことを確認しに来ただけだと。
私は勝手にそう解釈して、もうピンチも去ったものだと安心していたんだけども。
「はぁ……」
それまでニッコリ笑顔だった亥埜さんの表情は、急にガラリと豹変したように影が差し。
大きなため息をこぼすや、意気消沈したかのように暗い雰囲気を醸し出しながら俯いてしまった。
そんな突然すぎる様子の移ろいに、私がビクリと困惑していると……。
「でも神さんが早く言い出してくれてたら……私が犯人に疑われて、あんな酷い仕打ちを受けることもなかったのかぁ」
そう言うや、悲しそうに眉をひそめて私を見上げてきた亥埜さんの顔を見て。
私は自分勝手にも心の中で安心してしまったことを後悔した。
あぁ、やっぱり。
私のせいで亥埜さんを、大切にしなくちゃいけない友だちを傷付けちゃってたんだ……。
「それは! あの、ご、ごめんなさい! 本当に……ごめんなさぃ」
バッと頭を下げて、とにかく何度も謝った。
亥埜さんが不条理な扱いを受けたのは私がキッカケで、私が意気地なしじゃなかったら防げたことだったのに。
頭を下げた先でユラリと亥埜さんが立ち上がる気配がしたけれど。
私は亥埜さんが何か言うまで、ずっと頭を下げ続けた。
「悪いと……そう思ってくれてるんだ?」
伏せた頭越しに聞こえるその声は、頭頂部の先から私の横を通って、背後に移っていき……。
私を避けて再びドアの前まで歩いた亥埜さんが、私の背後でガチャリと鍵を閉めた音が聞こえた。
「は、はい! 本当にごめんなさい!」
「そっかそっか……ねぇ神さん、頭をあげて?」
言われるがまま、謝るために下げていた頭を上げて、亥埜さんの方を振り返ろうとした瞬間。
ギュッと後ろから、亥埜さんが私のことを抱きしめてきて。
「も、もし神さんが、ほんの少しでも悪いと思ってくれてるんならさ?」
背中に亥埜さんの身体がピッタリとくっついて。
亥埜さんのとても早く感じる心臓の鼓動が、ドクンドクンと伝わってくるくらいには。
距離というものが存在しないほどに、私に抱きついたまま……。
「一緒に出かけるくらいのこと、してくれてもいいんじゃないかって……そう思うんだけど?」
私のすぐ耳元で、亥埜さんがそう囁いた。
あまりにも近すぎる距離と、ゾクリと身体を震わせるような耳をくすぐる吐息のせいで。
私の顔に集まった熱は、きっと風邪を引いたとき以上の熱さを孕んでいただろう。
そんなフラフラの頭では、亥埜さんの口にした言葉の意味がぜんぜん理解できなくて。
「ひ、ひぅ。それは、どういう……」
何も考えることができず、ただ亥埜さんのことが気になって首だけを振り向かせると。
私が視線を流したほんの数センチ先に、亥埜さんの綺麗で潤んだ瞳があった。
私たちの瞳が絡まり合って。
唇の距離さえ、もう少し近づけば触れ合ってしまうくらいに近すぎて、重なってしまいそうな熱さに包まれたまま。
まるでお互いの身体が固まってしまったように、数秒見つめ合って……。
私が無意識に瞼を閉じそうになる直前に……亥埜さんがバッと思いっきり顔を逸らした。
緊張していたせいで、ずっと息を止めてしまっていたからかな。
自分でさえも熱いと感じるような吐息が、私の口から久方ぶりに外に漏れ出して。
それまで私のことを見つめていた瞳があった場所に、取って代わるように場所を移した亥埜さんの真っ赤な耳を、私の吐息が撫でると……。
「んっ」
亥埜さんの身体がビクッと跳ねた。
あまりにもその姿が扇状的だったからかな。
熱に浮かされたままの私の唇が、髪の毛の隙間から見える亥埜さんの首筋を目掛けて。
もう一度、熱い吐息を吹きかけようとしたところで……。
「ごめん! この距離はまだ無理!」
見てもいないのに勘か何かが働いたのか。
私の悪戯を察知したように亥埜さんはそう叫びながら、抱きしめていた私の身体を放してしまった。
はぁ……ざんねん。
もうちょっとで、あの綺麗なうなじを舐めるくらいのことは出来そうだったのに……っていやいや!
なにを! なにをハレンチなことを考えてるんだ私は!
寝起きに恥ずかしい夢を思い出して悶えるのと全く同じ気持ちで、私はつい数秒前までの欲情していた自分を振り返り、さっき以上に顔が熱くなってきた。
そのままお互いに顔を逸らしたままで、むず痒くなるような沈黙の時間が、ちょっとのあいだ流れた。
昂っていた気持ちも少しづつ落ち着いてきたから、チラと亥埜さんの様子を確認すると。
「ゼヒュー、ゼヒュー……」
こちらに背中を向けた亥埜さんが、大きく肩で息をしながらドアの前で丸くなっちゃている。
あっ……やば。
亥埜さんとの至近距離に興奮しすぎて我を忘れてしてしまったキモムーブのせいで、亥埜さんが過呼吸になってしまっている……。
「あ、あの……さっき亥埜さんが言っていた、『一緒に何とか』って?」
さっきまでの恥ずかしすぎる発情っぷりを煙にまくために。
コケティッシュな雰囲気を払拭すべく、私は話を本筋に戻そうと、亥埜さんの丸まった背中に向けて声をかけたんだけど。
途端に大きく上下していた亥埜さんの背中がピタリと止まり、今度は何故かフルフルと震え出して……。
「……だっ、だからぁ!」
勢いよく立ち上がった亥埜さんが、顔を真っ赤に染めながら。
「デ、デートしませんかって、そう言ってるのっ!」
私のことを涙目で見つめて、声を荒げながらそう言い放ったのだった。
「……でーと? えっ、うえぇ!?」
私の上履きにまつわる騒動は。
亥埜さん曰く『ちゃんと準備ができてから!』とのことなので、いつの日かはまだ未定ではあるんだけれど。
この先の未来の予定をひとつ、私の元に残した上で。
なんとかかんとか一段落といったかたちで、その顛末を迎えることとなったのだった。
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