第一二二話 戌と灯台もとくらし
◆◆◆
神さんの上履きが盗まれました!
まさかこんな平和で穏やかな晴れの日に、とんでもない大事件が発生するなんて!
隣にいる神さんもひどくショックを受けているのか、ずっと落ち着かない様子でモジモジしてますし。
うぅ……かわいそうに。
でも大丈夫! きっと犯人もすぐに見つかるはずです!
だってクラスメイトだけじゃなく、他のクラスの子をはじめとして、たくさんの人たちが噂にしてくれているみたいですからね!
だから卑劣で許しがたい犯人も、神さんの大切な上履きも。
きっとすぐに見つかるはずですので、安心して下さい!
とっても落ち込んでいるせいか、カタカタと震えている神さんの小さな手を、元気づけるためにもキュッと握りつつ。
状況を今いちど整理するべく、私はことの発端となる今朝の記憶を呼び起こしたのだった。
◇◇◇
学年交流会という学校行事が終わって、数日が経ったある日のこと。
今日は部活の朝練がお休みなので、神さんと一緒に登校することができました!
このまえ正式にお友だちになってから……いえ、そのずっとずっと前から。
私は神さんのことが控えめに言っても大好き……はちょっと恥ずかしいですけれど。
とにかくとても大切な人であることは事実ですし、一緒に学校に来ることができるだけでも、すごくうれしいです!
ニコニコと思わず笑顔になりながら、幸せな時間を過ごしているなかで……その事件は発生しました。
昇降口から学校に入り、下駄箱で靴を履き替えたあと。
タタタと神さんに近寄ると、神さんはなにやら下駄箱の中を見つめながら、困ったような顔をしていまして。
何かあったのか、まさか少女漫画みたいに手紙の一つでも入っていたのかな、なんて。
興味半分、心配半分な気持ちで、神さんの後ろから私も下駄箱の中を覗き込んだのですが。
そこには何も入っていませんでした。
「どうしよう……」
ホッと胸を撫で下ろしている私の耳に、神さんのこぼした一言がスルリと届きました。
困っているような神さんの表情と、その手には外履きの革靴。
下駄箱の中にも地面や周りにも、神さんの上履きの姿は見つけられず。
そして弱々しく眉をひそめていても可愛すぎるくらい、みんなから大人気の神さんのご尊顔。
これは……つまり!
「部屋に忘れちゃ……」
「上履き盗まれちゃったんですか!?」
「……えっ?」
とうとう起きてしまったというわけですか!
もしかしたらいつの日か、こんな由々しき事態が発生するんじゃないかと心配していましたけれど。
そりゃ神さんは可愛いですし、神さんが普段つかっているモノが欲しくなっちゃう気持ちもわからんではないですが……。
「いや、戌丸さん。ちがくて……」
「神さんの上履きが盗まれたの!?」
私が憤りと、ほんの少しだけですが羨ましさを感じていたところで。
たまたま登校時間が被ったのか、私たちの後から昇降口に入ってきた委員長の辰峯さんも、事態を察知したみたいで。
スタタっと私たちの元に駆け寄ってきました。
「あ、神さん戌丸さんおはよう。それで!? とうとう誰かやったの!?」
「辰峯さん、おはよ……じゃなくて、あの、ごかいで……」
「おはようございます! そのようですね! 窃盗事件発生です!」
委員長のお力を借りられれば百人力と、私は簡潔にそう答えました!
頭も良くて人望もあって優しい委員長ですし。
クラスメイトが悲しむ事態となれば、きっとご協力くださるでしょう。
「なんてこと……私も探すのに協力するから、だから神さんもそんな落ち込まないで?」
ありがたいことに委員長もそう言ってくれて。
優しい言葉をかけながら、神さんを慰めてくれています。
それでもあまりにもショックが大きいのか。
神さんは私と委員長の顔をフルフルと交互に見ながら、震える口を開いて何かモゴモゴと声を漏らしていました。
「ひぃぃ……はなし聞いてぇ……」
そんな微かに漏れた、神さんのその声に重なるように……。
「はなしは聞かせてもらったで!」
おそらく委員長と一緒に登校してきていたであろう巳継さんも、ババンとカッコよく登場しました!
ご自身の下駄箱で上履きに履き替えたあと。
巳継さんも不敵に笑いながら、私たちの輪に加わりまして。
「神さんのピンチとなれば、うちも全力で手を貸したるわ!」
「ありがとうございます! 頼もしいです!」
続々と頼れる協力者が増えてきました!
私のクラスメイトはみんな頼り甲斐があって、友だちを大切にできる良い人たちばかりですし。
きっと事情を説明すれば、ご協力を仰げる人もドンドン増えていくことでしょう!
「ほら、神さん。スリッパ持ってきたから、とりあえずこれ履いてね?」
「す、すいません。ありがとうございます……あの、あの……」
巳継さんが仲間に加わっているあいだに、神さんのために抜かりなく、委員長が貸出用のスリッパを持ってきてくれたみたいです。
さすが委員長ですね!
「よっしゃ! まずは亥埜を探すで!」
「そうですね! まずは亥埜さんをとっ捕まえましょう!」
神さんのお足元の準備もできたようですし!
私たちは不埒者を捕まえたろうと意気込みながら。
「はわわ……どうしよぅ。うぇぇ」
なにか神さんの鳴き声みたいな声が聞こえてきた気もしますが。
その悲しみの元を取り除いてあげるためにも、急いで教室に向かったのでした。
◆◆◆
ふぅ、ふぅ……や、やっと着いた。
慣れないスリッパのせいで、教室に向かうみんなに遅れながらも。
その背中を追って、なんとか私も教室までたどり着くことができた。
というか……なんでこんなことになってしまったん?
昨日ちょっとオレンジジュースをこぼして、たまたま上履きが汚れちゃったから。
持って帰って洗ったまま、学校に持ってくるのを忘れちゃっただけなのにぃ。
もしもこれ以上に騒ぎが大きくなろうものならと、そう恐れおののきながら。
急いで教室に飛び込んだ私の目に……。
「ちょっと! 一体なんなのよっ!?」
「どうせお前やろ! ネタは上がってるんや!」
「観念してください!」
おぉぅ……。
後ろから羽交い締めにされて、ウガウガともがいている亥埜さんが。
巳継さんや戌丸さんから、謂れのない糾弾を受けていらっしゃった……アワワ。
「ちなみにこの人、今度は何したの?」
亥埜さんを後ろから拘束している今丑さんは。
暴れる亥埜さんを軽く揺さぶりながらも、戌丸さんたちにそう尋ねていた。
「だから何もしてないっての! てかアンタもわかってないのに協力してんじゃないわよ!」
た、たしかに……。
事情も知らないままで、とりあえず亥埜さんを羽交い締めにしてたの?
なんでそんなに亥埜さん信用ないんだろ……かわいそう。
「あとそのデカい胸が当たってて苦しいんだけど! 引っ込めろ!」
あ、やっぱ羨ましい……オッパイいいな。
いやそんなこと考えてる場合じゃなくて!
冤罪で亥埜さんがこれ以上かわいそうな目にあうことがないように、私は教室での騒ぎの元に急いで駆け寄った。
「あのっ、ま、待ってください。亥埜さんは悪くないんです。だから離してあげて……」
今丑さんの制服を摘んでクイクイっと注意を引いたあとで。
亥埜さんをかばうべく、私は必死にそう訴えたんだけど……。
「神さん、私のことをかばって……うぅ、嬉しい。上履きの汚れくらいなら、舐めて綺麗にしてあげたいくらい嬉しいよ……」
あれ……犯人マジで亥埜さんじゃね?
あっ、いやいや。
上履きはたぶん私の部屋にあるはずだから。亥埜さんはおそらく冤罪だから。
なんでそんなピンポイントに自分の疑いを深めるような変態発言が出来るのかと、ちょっと引いてしまったせいで。
少しばかり、亥埜さんを助けようとしていた意欲が薄れてしまった。
「やっぱり神さんの上履きを盗んだの亥埜さんなのね?」
「そんな変態的に神さんの上履きに執着しているのなら、きっと間違いなさそうですね!」
あぁ、亥埜さんがアホみたいな墓穴掘っちゃったせいで、疑いが深まっちゃったよぉ……。
辰峯さんと戌丸さんの口からは、亥埜さんの犯行を確信しているような言葉が飛び出してしまっていて。
とっとと亥埜さんの冤罪を証明して、私が自白して騒ぎの沈静化につとめないといけなかったんだろうけど。
突然ぶちかました亥埜さんのキモい発言が、私の脳ミソの動きを少しばかり止めてしまい。
そのせいで……。
「神さんの上履きが……」
「上履き……」
「神さんの……」
それまで困惑しながら騒ぎを見守っていたクラスメイトたちの間にも。
誤解でしかない騒ぎの波が、ザワザワと広がってしまったのだった。
◇◇◇




