第一〇五話 亥は追う
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担任の先生を問いただして聞いたところ。
放課後に神さんと話すことができたあの日の帰り道で、神さんは警察のお世話になる事件に巻き込まれた。
誘拐未遂、だったらしい。
ひとけのない通学路で、横付けしてきた車に連れ込まれそうになって。
だけど神さんが持ってた沢山の防犯グッズとか、たまたま近くのマンションのベランダで見ていた人がいて、神さんの後を尾けていた車を不審に思ってあらかじめ通報していたおかげで。
幸いにも未遂に終わったとのことだった。
その話を聞いた時、まさに心臓が止まったような錯覚に襲われて、本気で死ぬかとおもった。
あの放課後の会話なんてたった数分もなかったし、私が話しかけなかったとしても、さほど関係はないのかもしれないけれど……やっぱりちょっとは心に負うものがあった。
だけどそれ以上に、事件に巻き込まれた神さんが無事でなによりも安心した。
それ以降、ニュースで見た犯人は頭の中でも夢の中でも何度も無惨な目に合わせたけれど、それはどうでもいい話で。
神さんが一切まったく学校に登校しなくなり、私が神さんと仲を深める機会の一切が失われてしまった。
もしかしたらを期待して、朝の登校時間と、学校が終わってからウチの門限までのギリギリの時間、神さんの自宅のマンション付近で見張っていたのだけど。
残念ながら神さんの姿を一度もこの目に映すことはできなかった。
ちなみにその時に、神さんのストーカーと思われる輩がマンション付近をウロチョロしていたから、発見し次第警察に通報して消えてもらった。
数ヶ月ものあいだ、そんなことを続けて。
神さんのド腐れストーカー共も一掃仕切った頃、私は神さんを失ったままで小学校を卒業した。
卒業式の日にも、神さんが登校してくることはなかった。
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神さんの居住学区的に、私と同じ中学校に進むことは予想できてはいた。
それでも少なからず不安を感じながら、中学校への入学を果たすと。
果たして入学生の名簿の中に、神さんの名前を発見することができた。
これでひとまず神さんとの薄い繋がりは確保できたわけである。
だけど入学式を含めても、神さんが中学校に登校することは一度としてなかった。
神さんの家の周りのパトロールも、中学入学後の一年間くらいは続けていたのだけど、流石に見切りをつけて止めることにした。
これは自慢ではないけれど、神さんのためのそんな健気な活動も、神さん本人はもちろん、おそらく神さんのお母さんにもバレずに全うすることができたと思う。
変な気遣いとか迷惑をかけたいわけではなかったし、秘めた活動としておくべきだと思ったからこれでいい。
ひとまずは中学生として部活に楽しみ、勉強に励むこととした。
小学生の頃からの友だちとも遊んだし、新しく何人も友だちを作ることもできた。
男子から何度も呼び出されたり手紙をもらったこともあったけど、それに関しては全部いらなかったからよく覚えていない。
私の頭の中にはいつでもニコニコ笑った可愛すぎる神さんがいるのに、そんな神さんとどうでもいい男子共を頭に同居させたくなかったし。
そんなこんなで中学三年生になり、高校受験への意識が本格化してきた頃。
一応は神さんのクラス担任となっている先生に詰め寄って、他にも様々な方法にて、私は神さんの受験先の情報をどうにかこうにか手に入れることができた。
その学校こそが、いま私の立つこの場所。
全寮制の女子校となる『百合花女学園』なのである。
◇◇◇
入学式の数日前、久しぶりに生の神さんを目にすることができた。
寮舎の影に隠れて神さんを見ながら、私は意図せず泣いていた。
門から歩いてくる神さんの、まさしくその名を冠した神々しさに目が眩み。
成長しても衰えるどころか、何億倍も増したその可憐さに脳が焼かれ。
可愛さの具現化たるその身姿に、心臓が弾け飛んだ。
入寮、そして入学を経て。
ついでにクラス配置などのイベントが、続々と私たちの時間を通り過ぎて行ったけれど。
そのどの瞬間においても、小学生の頃から変わらずに神さんは狷介孤高を体現していた。
誰にも媚びず、誰とも群れず。
自らの魅力だけで周りからの注目を集め続けた。
そんな神さんに……私はいつかの頃と同じように、話しかけることができなかった。
念願の本物の神さんにたいして、抱えていたいろんな想いが邪魔をしてビビり散らかしていた。
何が万能感だ。小学生のときの自分が恥ずかしいことこの上ない。
神さんとちょっとお話しすることができた、それだけで私は無敵だとか舞い上がってしまっていたくせに。
実際には躊躇して、ずっと神さんを影から見守ることしかできていない。
そりゃあね?
あの放課後の愛しい時間に会話を交わすことが出来た後、あんな悲しい事件が起きてしまったことだって。
少なからずはこの足踏みしている状況にも、影響しているだろうと思うけれど。
それでも私は単純にヘタレ続け、ひたすらに神さんの生活を見ていることしかできなかった。
学校での最初の掃除の時間に、子日さんと一緒に教室に戻ってきた神さんを。
お昼休みの中庭で、今丑に膝枕している神さんを。
虎前と揉めて、怯えている神さんを。
卯月を部屋に招き入れている神さんを。
何度も辰峯と授業のペアを組んでいる神さんを。
体育の柔軟で巳継と楽しそうに話している神さんを。
二人きりの体力測定で、馬澄の走る姿に目を輝かせている神さんを。
同じ部活になったせいで、未口さんとよく一緒に下校している神さんを。
申輪とコンビニで二人で買い食いをしながら、楽しそうにしている神さんを。
図書館で酉本さんに勉強を教わっている神さんを。
そして、あろうことか……。
私のルームメイトの戌丸と、ひたすらに仲を深めている神さんを。
私はただひたすらに、指を咥えて眺め続けていることしかできなかった。
いつからなのかはわからない。
どこかにキッカケがあったのか、もしくはそのすべての光景のせいなのかもわからないけれど。
神さんが誰かと並んでいるところを見るたびに。
私ではない誰かに、神さんが笑顔を向けているのを見るたびに。
私の心の中で種が芽吹き、茎を太らせ、花を咲かせていった。
その花は、学園の名を冠するような綺麗な百合の花などでは決してなくて。
きっと歪んでいて、ドス黒い色をしていて。
そして茎には無数のトゲが生えているような、薔薇の花によく似たかたちをしているのだろう。
私の中で生まれた嫉妬を糧に、その禍々しさを孕んだ花がどんどんと成長していくたび。
その茎は私の心臓を締め付けて、いくつものトゲを食い込ませていった。
チクチクと痛む心が妬みに染まった血を流して。
さらにその花弁は汚く、醜く、彩られていった。
四六時中そんな苦しみに悶えているにも関わらず、私の中の醜い花弁も、その原因たる神さんからも、その一切から目を逸らすことが出来なくて。
私はいつしか、ただただ願ってしまっていた。
幸運にも二人きりで話すことができた、あの放課後のような偶然。
そんな奇跡が、また私の手のひらに舞い降りるかもしれない。
浅ましくもそんな期待を……ひたすらに抱いてしまったのだった。
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