化蛸怪猫、対策本部、御田(おでん)屋敷。
『ナナダモン対策本部』
ウチの軒先に、そんな看板が立てられてから、早一年。
僕と妹と小唄さんの三人は、庭にある資材用コンテナをプレイルーム代わりにして、遊んでる。
さすがに高校受験の秋冬はソレどころじゃなかったけど、偏差値が僕より10高い小唄さんに勉強見て貰った結果――
僕は晴れて、川向こうの公立高校に入学できた。
妹と小唄さん(ガチ人魚で有名になった彼女を名前で呼ぶのが気恥ずかしくて、最近はこう呼んでいる)も、それぞれ中3と高1に進級した。
そして僕たちが勉強中、ゲームプレイが出来ないとボヤいていたネコ耳さんは、ほとんど寝て過ごしていた。
ネコ耳さんっていうのは、僕たちゲームパーティーに新規加入した女の人。
説明すると長くなるから簡単に言うと、海底に沈んで冬眠してた昔の人で、見た目は僕たちの少し年上くらいにしか見えない。
§
「なー、曽揃んちって、あのナナダモンの巣だって本当?」
ナナダモンというのは、魚灘丘沿岸で目撃情報があるUMAのコトだ。
「えーと、間違ってはいない。うぉらっ!」
フェイント混じりに低空ダッシュしてきたネコ耳美少女を、僕こと筋肉大角が、ガシリとキャッチした。
――2P WIN!
「やっりぃ♪ ジュース奢れよな」
「西階段下の一番やっすいコーヒーだからな」
バタバタと部室を出て行く、坊山君。
「オマエら、楽しそうでイイな」
声を掛けるのは、小型ラップトップにかじり付く成人男性。
「どうしたんですか先生?」
「夏休みの間に実績作れって、言われたんだよ……学年主任に」
「実績? ゲーム大会で優勝とかですか?」
僕は、業務用ゲーム筐体まで揃った部室を見回す。
なんかの大会で取ったっぽい、ちっさなトロフィーが飾ってある。
「出来るならソレでもイイけど――オマエら、超絶弱ぇーじゃんか」
カシッ♪
グビグビリ……ずずずー♪
缶コーヒーを一気にすすったゲーム部顧問が、ため息をついた。
彼は僕たちゲーム部の顧問、八鳥偵祠先生。
お金無いってぼやくけど、この缶コーヒーだけはいつも飲んでる。
さっき坊山君が買いに行ったのは、西階段下の自販機70円。
先生のは、職員室横の自販機。なんと220円もするプレミア。
一回、飲んだけど、ただ苦くて大人の味だった。
「強くはないけど――弱くもないですよ?」
僕はアケコンを、先生の前に置いた。
1P WIN――PERFECT!
瞬殺された。
伊達に顧問をやってないのだ。先生はガチゲーマーだ。
§
「ちょっと、お父さん。お夕飯の支度が出来ないでしょ!?」
「ごっめーん。すぐ片付けまーす♪」
ウチの両親は仲が良いと思う。
けど最近は、父さんがコーヒーに凝り出して、道具置き場で母さんともめてる。
庭先のテーブル一体型チェストには、カップが所せましと並んでた。
ソレは、コーヒーの出番が増えたってことで――
がやがやがや。
今日もウチの庭は満員御礼だった。
「ご当主様、晩のおかずは何にいたしましょう?」
たずねるのは、僕たちをいつも水陸両用車に乗せてくれるコンビニ店員八角さん。
小唄さんの家で働いている女の人で、僕と妹も、いつもお世話になっている。
「そうですねえ。エカテリーナは何が食べたいですか?」
答えるのは、小唄さんのおばあさん。
『⛩ナナダモン対策本部
代表 弐颪 細』
名札には、鳥居みたいなマーク。
白衣の下は巫女装束だし、開運とか厄除けとか構造解析とかを仕事にしてるのかもしれない。
「エカテリーナ? アタシャ、玄海ん海で育った筑紫人やけん、エカテリーナなんてガラやなかばい?」
胡座をかき、スルメをかじる姿は、たしかに〝エカテリーナ〟の語感にはない。
名付け親は、〝カチューシャ〟から連想したそうで――
寝てる様子は、神々しいまでのたたずまいで〝エカテリーナ〟一択だけど――銀髪だし。
「ふーん。そうかい? では玄子に致しましょうかねえ?」
巫女が書類を取り出した。
そう、ネコ耳さんの住民(再)登録申請にあたり、決めなくてはならない事があるのだ。
約一年ものあいだ、書類申請が進まなかったのは、法律上の細かな手続きのため。
本人が、またすぐ海の底に寝に戻るけん、どげんでん良か。
と真剣に取り合わなかったせいもある。
「エカテリーナ好いとー! ばり好いとー!」
記憶が曖昧な彼女の名前は、エカテリーナになりつつある。抵抗してるけど。
少なくとも、かすかに残る記憶とは裏腹に、彼女はどこから見ても、純粋な日本人には見えない。
遺伝学的には、北欧と日本のクォーターらしい。
僕たちは、最初に妹が付けた〝タマ〟か、エカテリーナをもじった〝エテ子〟なんて呼んでる。
◉
前回上陸して、関係役所に船舶登録なんかの更新を届け出たのは、約30年前。
まだ水路が整備されて無かった昔、水着女性が川から上がってきて、書類手続きをすませ、また川に帰っていったという記録が残ってる。
夢遊病みたいな足取りで半分寝てたそうだ。
書類の名義は、小里原海洋蓄電技術研究所になっており、個人名の記載は無し。
「とつぜん、人工冬眠装置一号の真空管テレビに映し出しゃれたんは、お役所ん場所やった。やけん、出てきた包みば必死に届けたとよ」
自慢げなネコ耳。ピコピコと景気よく動いている。
あれは、脳波計の作動確認のための機能なのかもしれないけど、ウチの妹がとてもよく釣れる。
「タマ子ちゃんは、大事にされていたのね」
コンテナの上。隣に座る小唄さんが、そんなことを言った。
「そう? 海の底に一人ぼっちは、さみしい気もするけど?」
「でも少なくとも、研究所が解体されたあとも安心して冬眠できるように、尽くせる限りの手を尽くされてるじゃない」
ナナダモンの内部構造から、彼女はかなり大切にされていたコトがわかってきている。
動くネコ耳を、そっと触る妹。
やっぱり、ネコ扱いしてる。
「そういや今日、学校で僕んちは〝ナナダモンの巣〟なのかって聞かれたよ」
コンテナの上で、隣に座る小唄さんに話しかける。
「ぷわっはっ♪ 何ソレ――あながち間違って……ない?」
「うん、僕も、そう言って置いた」
ウケてる。よし、明日は僕が坊山に、おごってやろう。
§
「□○⊿。よくもまあ、こんなに集まったわね……オデンみたい」
手で作った三角の向こうから、僕を見つめる美少女。
彼女は水球部のスター選手で、ガチ人魚なんて呼ばれてた。
そして、その言葉には見た目も含まれている。
「オデン? ……なるほど」
四角いのが僕たちが座ってる、建築資材用コンテナってコトか。
そして、ぼくらの視線は目の前の、石畳を挟んだ向い側に向けられる。
そこに有るのは丸いの、つまり人工冬眠装置一号。
去年発見された、ナナダモンの正体だ。
そして振り返れば、ナナダモン対策本部の建物が、三角形をしていた。
立ち並ぶオブジェで手狭だった庭は、小唄ちゃんのおばあさん(見た目はネコの人と同年代にしか見えない)のはからいで、ずいぶん広くなった。
ウチの隣にあった空き家が半日で解体され、三日で『ナナダモン対策本部』の建物が完成した時は驚いた。
芝生が植えられた斜め屋根の形もだけど、周囲に設置されたコイル状の装置は、日本家屋にはなじみが無かったからだ。
電波暗室のようなもので擬似的な海底条件を作り出すと、ナナダモンの自己修復が早まる――のだそうで、その為の装置らしい。
おばあさんが所属する組織は非公開だけど、資金力や技術力が凄いのだけはわかった。
◉
「そういや、食うてものうならんお肉ば焼いて。むしってものうならん葉っぱで巻いて、食うとったい」
そんなことを言い出したエテ子が、ナナダモンの横っ腹を蹴飛ばした。
バクン、ウュィィン――チチ♪
継ぎ目のない表面にハッチが開いた。
周りで計測機器を操作していた白衣軍団が、一斉に群がる。
「――菌糸培地に、培養椎茸の痕跡」
「――促成栽培プラントに、レタスの生種が大量にストックされていました」
おばあさんに次々と報告が上がってくる。
搭乗者登録されたエテ子にしか、各種ハッチを開くことは出来ず、しかも鍵となるのが彼女の脳波。
関連事項を明確にイメージした状態で無いと開かず、無理をすればその機能が永久に失われかねない。
「これは、何ね?」
ハッチの奥から――ゴトリ。
ボタンの付いた装置が、あらたに発見された。
何本ものケーブルが接続されてて、背面に立ち並ぶ真空管が数字の羅列を表示してる。
「最初期の計数管です。所々破損していますが、演算素子としては機能していないようなので、ソチラのモニタに出力すれば解読可能です」
白衣軍団の一人が、説明してくれる。
『過経日陸拾七百伍千陸萬参行潜』
表示されたのは漢数字だった。
人工冬眠装置一号には未来技術と、古い技術が混ざってて、操作盤なんかに使われてる文字は、古い漢字と仮名遣い。僕には読めないモノも多かった。
おばあさんが、手元のキーボードを叩くと――
『潜行/三万六千五百七十六日 経過』
なんとなく読めるようになった。
「おおよそ……100年前ですかねえ」
「でも、ご当主様。ナナダモンの船舶登録初年度は、約90年前でしたよ?」
どこかから野菜を運んできた、コンビニ店員姿の部下の人が口をはさむ。
「おばあちゃん! コレ、押してもイイの!?」
立ち並ぶボタン。
駆け寄る小唄さんと、ウチの妹。
慌てる大人たち。
ポチリ――カス!
一切の躊躇無く、小唄さんが謎ボタンを押した。
ポチポチポチリ――カスカスカスッ!
妹も一緒になって、連打。
けど、何も起こらない。
胸をなで下ろす大人たち。
「なにもおこらんばい。ちかっぱしけとーやなあ」
ネコ耳も、ポチポチボチリ――
――カスカス、キュキュン♪
ボタンの一つが作動し、真上を向いたナナダモンの目からビームが。
すると、設置されたコイル状の装置がうなりを上げ、ジジジッ――――ボゴゥン、ボゴゥン、ボゴゴゴゥン♪
次々に爆発した。
けが人こそ出なかったけど、住宅街でコレは大惨事だ。
巫女装束が、僕たちを背にして取り囲む。
そして、邪魔が無くなった怪光線は――僕んちの真上の雲を、吹飛ばした。
サイレンが、遠くから近づいて来た頃。
――ヴヴッ♪
コンビニ店員さんが、ゴツいスマホを取り出した。
「室長より緊急入電! 海中を200ノットで進む、未確認水中航走体を発見。最新型の魚雷と推測されます。軌道をモニタに出します」
ソレは一直線に、魚灘丘海岸を目指していた。
★
「食ってもなならん胴の長い魚と、むしってもなならん豆草を食って生きながりゃーたがね」
ウチの庭。まだ何も置かれて無くて、母さんが家庭菜園でもしたいと目を付けてた辺り。
そこに小さなクレーターが出来た。
ミサイルよろしく、海岸から飛び出したのは、新たなナナダモン。
けどサイズは、僕の勉強机程度。本家よりかなり小さかった。
「どうやら、アレは〝副系統システム召喚ボタン〟だったようですねえ」
みんなが好き勝手に押した謎の装置を、睨み付けるおばあさん。
「あの潜行経過日数によるなら、単にナナダモンの〝試作機〟と言うことも考えられます!」
コンビニ店員さんが、僕たちをかばうように立ち塞がる。
パクン――
小さなナナダモンから出てきたのは、モサモサ毛並みの黒猫だった。
少し怪しい名古屋弁を発する以外は、いたって普通のネコ。
「いや、普通じゃないか」
「普通じゃ無いわよね」
「普通ではありませんねえ」
猫好きの妹が、無言でにじり寄っていく。
「おーい。曽揃要石ー」
振り返ると、警察消防が立てたポールの向こうから、長身が手を振っていた。
「あれ? 先生、どうしたんですか?」
「バスに乗ってたら、海からなんか飛び出してきたもんでな――まあ、野次馬だ」
カバンから取り出した珈琲を――カシリッ♪
フッ――
ネコの姿がかき消え――――ゾッヴォォッ♪
不気味な風音で周囲が埋め尽くされた。
「あやかしの術かっ!」
柏手を打つ白衣巫女。
音が一カ所に集まり、黒猫の形になった。
約百年を生き延びると……怪猫になるんだっけ?
それは付喪神か……えっとなんだっけ?
先生の高級缶珈琲を強奪した黒ネコのシッポは、根元から二つに分かれていた。
一本が缶コーヒーをしっかりつかんでいて、もう一本は威嚇するように高々と振りかざされている。
二股に分かれたシッポ……あ、〝猫又〟だ!
「「「「「「おのれ、面妖なっ!」」」」」」
巫女装束に囲まれる――黒猫又。
黒猫又は――――寝転がり、ウニャァン♪
「「あれ? 酔っ払ってる?」」
僕と小唄さんの足下に転がる珈琲缶。
「つかまえた♪」
黒猫又はウチの妹に、たやすく捕らえられ――
「本来、私どもはコチラが専門。コレで逃げられませんえ」
――コイル付き首輪を付けられた。
§
「こんなシロいのは知らんみゃ。見たこともあらせん」
スルメをつまみに珈琲をたしなむ……黒猫又。
「コッチかて、きしゃまみたいな、まっクロなんて見たことがなかとですばい!」
吠える、ネコ耳。
「ネコって、イカもカフェインもダメじゃ無かったっけ?」
ヴォジャノイ(仮)が怪猫化し獲得した能力は、胃腸強化と薬物耐性。
そして封じられた、隠蔽能力の三つ。
名古屋弁は本猫曰く。元からだそうだ。
「ヴォジャ……じゃなくてクロさん、今日の出来はいかがでしょうか?」
ブレンドの研究に余念が無い父さんが、ネコにおうかがいを立てる。
〝ヴォジャノイ(仮)〟っていうのは、例によって細さんによるネーミング。
元ネタが分からないけど、名古屋猫にはウケが悪くて、日夜花の安易な命名が定着しつつある。
「なかなかだみゃ。もう少し苦うて冷てゃーと、もっとうみゃーよ」
黒猫又は珈琲の味に、みゃーみゃーうるさかった。