海岸沿いの街ラグーン1
「ソフィア、支度はできたか?」
「ええ。できたわ。」
フィロスが正装した姿で入ってくる。私もイブニングドレス姿だ。
2人とも、ランドールの衣装。
フィロスは全身、黒のスーツに身を固め、胸元からは白いレースのクラバットがのぞき、中央に濃い蒼色のサファイアが光っている。
私は白地に金色で刺繍がされたドレスに、肩まで白いレースの手袋。暑い国なので、肩や腕をむき出しにしても良いのだけれど、フィロスが私の肌を他人に見せるのを嫌がるので、仕方がない。ドレスも、手袋も、裏地にばっちり氷の魔術陣を描いてある。
ネックレスとイヤリングはルビー。外せないピアスに合わせたデザインだ。
私達は、ラグーンの領主の館の夜会に招待されて、今から向かうところ。
社交が大嫌いなフィロスがこの招待を受けたのには、理由がある。
ラグーンの領主夫人が、我がランドールから嫁いだ貴族だったからだ。彼女なら、この国でランドールの魔術師がどう見られているか、情報を持っているかもしれない。
ラグーン領主の館は、たくさんの篝火が焚かれて、夜だというのにその火で驚くほど明るい。
夜会の会場に入れば、思ったよりもたくさんの人が談笑したり、ダンスを踊っていたりして賑やかだった。
「ようこそ、いらしてくださって、うれしいですよ。スナイドレー公爵、公爵夫人。」
にこにこと笑いながら、中年の太鼓腹をした男性が、ほっそりした女性をエスコートしながらこちらに歩み寄ってくる。
女性の肌は白く、金髪に青い目。あきらかに、ランドールの貴族だ。
「ご招待いただき、ありがとうございます。ラグーン領主、領主夫人。」
フィロスが領主と握手を交わし、私は2人にカーテシーをする。
領主夫人が私に、にっこりと微笑みかけてくる。
「よろしければ、ランドールのお話を伺いたいわ?スナイドレー公爵、奥様をお借りしても?」
フィロスがうなずき、エスコートしている私の手をそっと放す。
「公爵は、どうぞ、こちらへ。サハリのお酒もランドールに負けないと思っておるので、ぜひ、飲んでいただきたく。」
フィロスは、領主と一緒に、夜会の会場の奥に歩み去っていく。
私は領主夫人に案内されて、バルコニーの方に移動した。
「こちらは、暑いでしょう?公爵夫人?バルコニーでしたら、少し、潮風が涼しいので。」
「お気遣い、ありがとうございます。ソフィアと申します。名前で呼んでいただいても、よろしいでしょうか?まだ、公爵夫人と呼ばれるのに慣れていなくて。」
「ほほほ。承知しました。ソフィア様。では、わたくしのことも、マドレーヌと、呼んでいただけますか?…それにしても、新婚旅行の最中に、招待を受けてご迷惑でしたでしょ。ごめんなさいね。」
「いいえ、マドレーヌ様。こちらの国は知らない人ばかりでしたので、お声がけいただき、うれしかったですわ。」
「そう言っていただければ、安心なのですけれど。…わたくしが、ランドールからこちらに嫁いで、もう20年は経ちました。里帰りできればいいのですが、なんだか、機会が無くって。よろしかったら、ランドールの話を聞かせていただけませんか?」
「何をお話すればよいでしょうか。わたくしに答えられることができれば、良いのですけれど。」
領主夫人のマドレーヌは魔力を持っていない。だから、サピエンツイアの話はできないし、私は私でランドールの貴族社会には疎い。
何しろ、魔術学院6年生の夏休みに社交界デビューしてから1年と経っていない。
それでも、エリザベスやライザ・サレーからいろいろな話を聞いていたのが幸いして、マドレーヌに聞かれたことのほとんどを答えることができ、マドレーヌは故郷を懐かしがっていた。
「ランドールにもう一度、帰れるといいのですけれど。」
「もし、いらした時は、ぜひ、わたくしの所にも、お立ち寄りくださいませ。」
「まあ、うれしい。スナイドレー公爵家は、なかなか敷居が高かったので、わたくし、足を踏み入れたことが、ございませんの。楽しみですわあ。」
ほう、っと、マドレーヌがため息をつく。
「ところで、マドレーヌ様?少し、教えていただきたいことがあるのですけれど?」
「あら?何かしら?わたくしに答えられることでしたら。」
「ありがとうございます。不躾に申し訳ございませんが、この国サハラは、ランドールの魔術師をどうお考えになられていますでしょうか?」
マドレーヌが不思議そうな顔をする。
「何か、ございましたか?」
詳しい話は省き、ただ、少女が怪我をしたので治癒魔法をかけたら逃げて行ったので、どうしてか不思議に思ったの、とぼかして話しをしてみた。
「そんなことが、ございましたか。」
マドレーヌが困ったように眉を下げる。そして、扇子で口元を隠し、そっと私の近くまで寄って小さな声で答えてくれる。
「ここだけの話、としてくださいませね?サハラはランドールを嫌っています。その理由は、魔力という得体のしれない物を持つ国だから、です。サハラの人は、魔術師を、『悪魔の使い』と呼んでいます…。わたくしは魔力を持っていないので、それほど忌避されていませんが、ランドールから嫁を貰った、ということで、夫は、その、少し、つまはじきされているところが、ございますのよ。」
「悪魔、ですか、それは何でしょう?」
「悪魔…。そうですわね、ランドールには無い言葉、ですわね。何といいましょうか。神が人間を助ける存在だとしたら、悪魔は人間を害する存在です。サハラでは、魔術師は、悪魔の使いなので、この世界を滅ぼす者と、されているようです。」
「そんな…。」
マドレーヌが気遣って、優しい声をかけてくれる。
「無知な平民が言っているだけです。」
「あの…。サハラの貴族や国王たちも同じように思われているのでしょうか?」
マドレーヌの顔が微かに、こわばる。
「それは…。」
ため息をついた。
マドレーヌ自身が言っていたではないか。夫が、つまはじきされている、と。
「魔術師を悪魔、と思う貴族も、いらっしゃるのですね。」
マドレーヌが肩を落とす。
「この国に嫁いで、わたくしも知ったのです。…夫とは、ランドールの王宮で知り合いました。外交で来ていたのです。今は、あの通り、太ってしまいましたが、若いころは、とても美しい容姿をしていたのですよ。そして、優しい人でした。今も大事にしてくれていますけれど。
わたくしは、あの人が好きになったので、外国へ嫁ぐことに反対していた両親を押し切って、こちらに来ました。
…こちらに来た当初は、屋敷の召使たちでさえ、わたくしを恐れて、近づいてきませんでした。なぜ、旦那様は悪魔の国から嫁をもらったんだという陰口も何度も聞きました。
…結局、わたくしは魔力が無かったので、夫からのとりなしもあって、ようやく、こちらになじめて、今では普通に生活ができています。でも、ランドールの話は人前ではできません。帰りたい、ということも、実は難しい、です。」
「そう、でしたか…。」
「ソフィア様。プケバロスとの戦、圧倒的な大勝利だったそうですわね?そして、プケバロスの兵士達が10万人以上、殺害された、とも聞きました。それなのに、ランドールの兵士の死傷者は大変少なかった、と。」
「はい、その通りです。」
「それを聞く、他国の民の気持ちを、考えたことが、ございますか?」
「いいえ…。」
「魔術師を持たない他国は、魔術師がプケバロスを破った、と信じています。魔術師が1人いれば1万人くらい、平気で殺せるのだ。と。それが何を意味するか、わかりますか?」
「…悪魔の使い…。」
「そうです。ランドールは特殊な国です。唯一、この世界で魔力を持つ国。でも、他の国には魔力がありません。そして、魔力を持とうとしても、持てません。だから、他国は、どうやったら、魔術師に対抗できるのか、必死で考えています。この国、サハラも、です。…表立っては決して、敵意を向けないでしょう。今は、戦に持ち込んでも、勝てませんから。でも、彼らはいつかは見つけるはずです。ランドールに対抗できる、何かを。彼らのランドールに対する恐怖や、嫌悪を、決して侮っては、なりません。」