火の薬4
クピドゥス・プラエフクトウスは、魔術師師団の地下牢の一つで、ハッカレー学院長と、対峙していた。
彼のいる牢は、牢とは思えないほど贅沢な部屋だ。貴族の居室と言っても良い。ただ、格子がはまっていて、自由に部屋から出られないだけで。
提供される食事もおいしく、量もたっぷりあった。
彼は捕らわれの身とは思えぬほど、悠々とこの部屋で寝起きし、食事もしっかりと取っている。
「教皇閣下。火の薬についてだけでなく、いろいろ、わしと話をしてくださらんか?」
「話すことなぞ、ないわ。…それよりも。ソフィアを、見せてくれんかね?」
「ソフィア?」
「アクシアスの、娘だ。」
「ああ、なるほど。会いたい、ということかの?」
「いや、会いたくは、無い。」
「うん?」
「遠くから、見てみたい、のだ。」
クピドゥス・プラエフクトウスの目が遠い世界を見るように細められる。
「まあ、よかろう。しかし、この建物から貴公を出すわけにはいかん。窓から見る、で、よろしいかな?」
「ああ、それで、構わん。」
ハッカレーは部下を呼び、ソフィアに「フィロスが戻ってきているが、まだ帰れないので顔を見に来るついでに、何か差し入れするように」と、伝言を頼む。
ソフィアは喜んで、飛んでくるだろう。
フィロスには内緒だな。
ソフィアをクピドゥス・プラエフクトウスに見せるなど伝えたら、怒り狂うのがわかりきっている。
ハッカレーは、クピドゥス・プラエフクトウスをいざない、地下から2階の一室に移動する。
この部屋からだと、建物の内庭が良く見える。
しばらく待っていれば、正面の門の前に黒い小型の馬車が止まり、ふわりと降り立つ娘。
ハッカレーは隣に座っているクピドゥスが窓に身を乗り出すのを、ちらりと横目で見る。
魔術師師団のこの建物は入構が厳しい。
門を護る騎士に、ソフィアが何か言っている。
ようやく騎士がうなずき、彼女を門の中に通す。
視線を手前に移せば、フィロスが速足で建物から出ようとしていた。門からの伝言が届いたのだろう。
ソフィアが、フィロスに駆けて行く。
…結婚しても、相変わらず、少女時代と変わらんのう。
ハッカレーは苦笑いして、彼女の姿を追う。
藍色の髪をたなびかせ、金の瞳をかがやかせた、まだ少女といってよい、きゃしゃな娘がこちらに向かって、駆けてくる。
「おじいさまー!」
礼拝室から自室へと戻る途中の長い廊下で、彼方先から自分に向けて駆けてくる、アクシアス。
「勝ちましたよ!おじいさま!初めて1本取りました!剣の先生に!」
肩より少し長く伸ばした藍色の髪が、ひるがえり。
誇りと喜びに満ちて、きらきら輝く金の瞳の少年が、わしに向かって駆けてくる。
あの、遠い日、わしはとびついてきたアクシアスを、この両手で受け止めた。
無意識に、窓に向かって、ソフィアに向かって、両手が差し伸べられる。
その腕が誰かを抱き留めることはなく。
黒髪の青年に向かって、藍色の髪の少女がとびつき、抱きしめられている。
青年が彼女の肩を抱き、建物に向かって歩き出した時、彼女が突然、こちらを見上げて、微笑む。
その笑顔がアクシアスと重なり、涙で、にじむ。
にじんだ姿も、建物にすぐ入ってしまって、もう見えない。
「…もう、良いかの?」
クピドゥス・プラエフクトウスは、はっと我に返ったかのように、軽く首を振る。
「ああ。」
*****
「ソフィア、急に来て、どうした?何かあったのか?」
「ハッカレー学院長が、フィロスが戻ってきたけれど、まだ帰宅できないから顔を見せにおいでって、言ってくださったのよ。さっき、見上げたら、2階にハッカレー学院長がいらしたので、会釈したけれど、気付いたかしら?」
「ハッカレー…。何か、たくらんでいるのか?」
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。…こっちに来なさい。お茶を飲む時間くらいは、あるから。」
「良かった!今朝、たまたま焼いたガレットを持ってきたの。」
フィロスに抱き寄せられながら廊下を歩いていて、ふと、思いだす。
そういえば、ハッカレー学院長の隣に居たお年寄りは、誰だろう?
白髪で、目が金色だった、気がする。
…まさかね、
魔術師師団の本部は魔力が無い人間は入れない。
フォルティス人がいるわけはない。光の加減で、そう見えただけだろう。




