市場の騒動
ゆっくり休めたので、翌朝にはすっかり元気を回復し、また、市場を見て回っていた。
ベールの裏地に書いた氷の魔術陣のおかげで、今日は暑くない。頭からかぶっているから、頭もすっきり冷えて良い感じだ。
「あ、フィロス、あの茶色っぽいドライフルーツ、デーツ?」
「ああ、そうみたいだな。」
「栄養価がすごく高いって聞いたので、買って帰りたいんだけれど?栄養補完のポーションの材料に試してみたいわ。」
「…買って帰るのは構わないが、新婚旅行の最中も、ポーションか?」
呆れたように、フィロスがため息をつく。
「うっ。ごめんなさい…。」
「いや、怒っているわけじゃない。君が欲しいものは、なんでも、買おう。でも、製薬関係だけじゃなく、君自身の物も見てほしいな、…ほら、あちらに見える、アクセサリーの店とか。この国のアクセサリーのデザインはエキゾチックで、我が国とはまた違う。」
「まあ、本当?」
フィロスが教えてくれた店にも駆け寄って覗き込み、異国的なデザインに、うっとりと、ため息をつく。
我が国と違って、どれも、大ぶりだが、細い金属を編み上げて作られ、見た目に反して、とても軽い。暑い国だからだろうか、編み目が細かく、肌に密着しないように作られていて、装着していても蒸れたりしなさそうだ。
意匠が異なるアクセサリーには小さな宝石がちりばめられて、日の光を反射して、きらきらと、輝き、まぶしい。
「きれい…。リズとジェニへ、お土産に買っていきたいわ。マーシアとグレイスにも。みんな、どれが似合うかしら?」
隣で、盛大なため息が聞こえる。
「君が欲しいものは、ないのか?」と。
エリザベスとジェニファーと私でお揃いのブレスレットを選ぶ。宝石の色だけ変えて。エリザベスには、サファイアを。ジェニファーには、エメラルド。私は、ルビーを選んだ。
マーシアとグレースには、髪留め。普段使えるように、宝石はついていないけど、細かな細工が繊細で、ランドールでは見られない、エキゾチックなデザインが、気に入った。
アクセサリーのお店を出てからも、製薬に使えそうな材料やら、他のお土産やらをたくさん買いこんでいたら、両手がいっぱいになってしまった。
「それでは、歩けないだろう?ホテルまで配送を頼もう。」
苦笑したフィロスが、それらの品をホテルに届けてもらうよう、広場の入り口にいる使い走りに頼みに行ってくれた。
その間、私は広場の真ん中にある大きな噴水を見ていた。
この国の人たちは暑さに慣れているだろうけれど、それでも、噴水の周りに涼を求めてだろうか、多くの人が集まっている。
ふと、かわいい女の子が走ってくるのが、見えた。
子供はベールをかぶっていない。スカートも膝がやや見えるくらいの長さだ。茶色の目、肩のあたりで切りそろえられた黒髪、すらりとした褐色の手足が、まばゆい日差しを浴びて、きらきら光っていて、思わず、微笑みながら、見守る。
と、突然、その子が転んだ。それも、石につまずいて、空中をダイブするかのように、派手に。
「わあああああああん!」
少女が倒れたまま、泣き出す。
母親がどこかから飛んでくると思ったけれど、誰も近づかないようだ。遠巻きにして、困ったように見ている人ばかり。
この国の人は子供が転んで泣いていても、手を貸さないのだろうか?
がまんできず、その少女に駆け寄る。
「大丈夫?」
地面にはいつくばって泣きわめいている少女を起こして、座らせる。
膝頭が派手に切れて、かなり出血している。
座った少女は痛いのもあるだろうが、膝頭の血を見て、ショックを受けたのか、わあわあ、一層、大きな声で泣きだしてしまった。
「癒しを!」
少女がかわいそうになって思わず跪き、その膝に手を当て治癒魔術を使っていた。
少女の膝が白い光で覆われ、光が消えれば、傷はすっかりきれいに治り、褐色のすべすべの肌が見える。
「良かった。傷、ふさがったみたい、どう?痛みは取れた?」
少女にやさしくほほえみかけたけれど、どうも、様子がおかしい。
ぴたっと泣き止んだのは良かったけれど、少女のその目には、明らかに恐怖が浮かんでいる。
と、いきなり、ドン!と少女に突き飛ばされた。
「いやああ!母さーん!!!」
ものすごい勢いで、私から逃げていく少女を、呆気に取られて見送る。
「ソフィア」
フィロスが急ぎ足で私のところに来て、助け起こしてくれた。
「ありがとう、フィロス。」
立ち上がりながら、周囲がなんとなしに目に入って、背中がぞくっとする。
私を見る周囲の人たちの目が、さっきの少女と同じような目だったからだ。
突き刺さる視線は、恐怖、嫌悪の光が浮かんでいる。
さっきまで賑やかだった広場が不気味なほど、静まり返っている。
誰も身動きしないで、ただ、私から目を離さないで、見ている。
いきなり、フィロスが私をさっと右手で自分の胸にひきよせ、動いた。
フィロスの顔を反射的に見上げれば、振り下ろされたらしいこん棒を、左の前腕の裏で受けている。そのまま、腕を後ろに振り抜けば、悲鳴が上がって、こん棒を持っていた男性が、ふっとんだ。
広場で露店を開いている男性の中には、包丁や長い金属製の串を手に握って、こちらに殺気を向けている人さえ、いる。杖を振り上げて、じりっと、こちらに近づこうとしている男も。
「ソフィア、飛ぶぞ?」
フィロスが私をさっと横抱きにし、身体強化をかけて、周囲の人の頭上高く飛び上がり、露店のテントなどを足掛かりに、空中を滑走し、ホテルまで振り返らず走り抜ける。
その後方に、一瞬の静寂が嘘のように、怒号と悲鳴が巻き起こっている。
ホテルまでくれば、追ってきた者はおらず、部屋に入ればさっきの喧騒が嘘のように、静かだ。
何が起こったかわからなくて、ソファに座ったまま、動けないでいた。
「飲みなさい。」
フィロスが、手ずから入れた鎮静効果のあるハーブティを差し出す。
震える手でカップを受け取ろうとして、手に力が入らず、カップを落としてしまう。
石の床に散らばる破片。こぼれたお茶。
「ごめんなさい!」
「触るな!怪我をする。…私がやるから、そのまま、座っていなさい。」
フィロスが、カップの破片やこぼれたお茶をかたずけ、新しいハーブティを持ってきてくれたが、今度は、カップを私に渡さず隣に座る。
「飲みなさい。」
フィロスが、カップを私の唇にあててくれる。少しずつ、少しずつ、すするように飲んでいけば、あの暑い市場にいたはずなのに、お腹の中がすっかり冷えていたようで、温かいお茶がこわばった身体を溶かしてくれているのがわかる。
ぎゅっと隣のフィロスにしがみつけば、抱きしめてくれた。
フィロスの胸に顔をうずめていたら、安心したのか、涙が出てきた。
「フィロス?さっき、何が起こったの?」
微かな、ため息が聞こえた。
「私にも、正直、わからない。」
「わたくしは、あの転んだ少女が怪我して泣いていたから、その傷を癒しただけよね?」
「ああ。」
「でも、あの子、傷が治ったとわかった瞬間、その目に浮かんだのは、恐怖だったわ。」
「正直に言えば、サハラは何度も来ているが、人前では魔術を使ったことがない。」
「サハラの人は、魔術を見たことが無い、ということ?」
「おそらく。王宮の人間か軍部の上層部は魔術師がどのような魔術を使うか知っているだろうが、一般の国民は、もしかしたら、知らないかもしれない。」
「じゃ、あの子や広場の人がわたくしを怖がったのは、得体が知れない力を使ったから?」
「たぶん、そうではないかと、思う。だけれど、何人かは殺気を持っていた。その理由がわからない。」
フィロスは、私達は白い肌をしていてあの広場で目立っただろうから、何か起こっては困ると言って、ホテルを早々に引き上げ、首都トルクから別の街に移動することを決めて、即時、実行に起こした。
その日のうちに馬車に乗って首都を出て、隣の海がある街、ラグーンに移動することになったのだ。
。
途中の宿場で馬を変え、休みなく1日走れば、ラグーンに着く。
ラグーンのホテルに入ってから、ようやく、ほっと緊張を解く。
初めて嗅ぐ潮風に、不思議な気分になりながら。