プラエフクトウス教皇
「教皇閣下!ようやく、火の薬が完成しました!」
窓から入ってくるひんやりとした風を愉しみつつ、物思いにふけっていたフォルティス国の国教教会の頂点に君臨するクピドゥス・プラエフクトウスは、はっとしたように立ち上がる。
「おお、できたのか。」
「はい!地下の研究所に、おいでください。お見せできると。」
「すぐ、行こう。」
地下の研究所の一角、何もない、ただっぴろいホールに、ずらりと火の薬に携わっていた神官研究者が並んでいる。
クピドゥス・プラエフクトウス教皇がそのホールに姿を見せると、全員、一斉に両手を額に当てて、頭を下げる。
「できあがったそうじゃな。見せてみよ。」
その言葉を待っていた神官研究者が、ホールの真ん中にうず高く積まれた岩石の上に、黒い丸薬のような塊を置く。
塊には、麻紐がくくりつけられ、神官研究者の足元まで延びている。
その紐に、神官研究者が火をつけ、駆け足で、鉱石から離れていく。その間に、麻紐がどんどん燃えていき、黒い丸薬に達したと見えた瞬間、すさまじい爆発が起き、積まれた鉱石が粉々に砕けて、見学している神官たちのところまで、かけらが飛んでくる。
もうもうとした土埃と煙が収まってみれば、鉱石の山は無く、鉱石があったホールの床もえぐられている。
「…いかがでございましょうか。」
「素晴らしい。これなら、魔術師どもに対抗できるな。」
「はい。」
「量産のめどは立ったのか?」
「なかなかに難しゅうございます。臭いがきついので、長時間の作業ができぬのです。また、ちょっとした火花でも爆発を起こすため、注意が必要です。当然、この首都では作れません。どこか人里離れた教会で作らせましょう。…ですが、この火の薬一つで、数百人は殺傷できますし、魔術師にも十分対抗できるので、それほど多くを必要としないかと。」
「確かに、そうだな。100個ほど作ったら、ランドール国に宣戦布告してやろう。…それから、わかっておろうな?この製法、また作っている場所、人間、すべて、絶対に知られるな。国王や貴族どもにも、だ。」
「御意。」
クピドゥス・プラエフクトウスは、魔術師が大嫌いだ。
彼の先祖はドラコ王の子孫と伝わる。知っているのは、プラエフクトウス家の一族のみだが。
かつて2000年前に彼の先祖は当時のランドール国王と敵対し負けて、フォルティス国に逃げてきた。
しかし、執拗な追跡から逃れるため、身分を隠さねばならなかった。
住むところもなく、飢えに苦しんでいたときに偶然、フォルティス国教会の司教が魔獣に襲われ、死にかけているのに出会う。彼の先祖は治癒魔術が使えたので、司教の命を助けた。
その司教がのちの教皇となり、自分の教会の中に先祖の居場所を作ってくれた。
その時、もらった名前がプラエフクトウス、だ。
代々のプラエフクトウス家は、数代おきに強い魔術師が生まれる。
結婚相手はフォルティス人で魔力を全く持たない民なのに。
そのため、いつからか、プラエフクトウス家は特別視され、フォルティス国の国教会で教皇を世襲することになり、国王からも貴族に列席せよと命令が下り、聖職貴族と称されるようになる。
クピドゥスは魔力を持っていない。祖父も父も、そして息子も。だ。
だから、もうプラエフクトウス家から魔術師の血は絶えたと思っていた。
だが、彼の孫アクシアスが魔力を持って生まれてきた。
実は、プラエフクトウス家では魔力を持つ子が生まれると、生まれた日の翌朝、その子の首にクリスタルネックレスが現れる。
だから、魔力持ちが生まれたことがすぐにわかる。
そして、孫のアクシアスは賢いだけでなく、武芸も芸術も、そして容姿も美しい、すばらしい孫だった。
クピドゥスはアクシアスを溺愛した。
自分の息子アクシアスの父を押しのけて、孫を自分の後継者に指名するほどに。
それが自分の息子の逆鱗に触れ、なんと我が子であるアクシアスを実の父が殺そうとした。自分が教皇になるために。
アクシアスが14歳の時だ。
わしは孫を護るため、息子を粛正しなければならなくなった。それは非常に厄介だった。
なぜなら、息子の味方が思ったよりも多かったからだ。息子の妻が王の従兄弟にあたる公爵家から来ていたこともあって。
わしはその混乱期、アクシアスの命を守るため、嫌だったが、隣国ランドール国へ留学の名目で避難させた。
アクシアスに魔力があることを知っている者は多かったので、魔術学院でその力の制御を学ぶためと言えば、すんなりと実現した。
アクシアスが卒業するまで4年。4年あれば、教会内での闘争は終わり落ち着くと、わしは踏んでいた。
ところが、愛する夫を殺されたアクシアスの母がわしへの復讐を誓い、わしと対立する神官や貴族を取りまとめ、自分の実家を後ろ盾に、わしの排斥に動きおった。
わしは保身のために、アクシアスに教皇を譲るために、再び、戦わねばならなかった。
その戦いの最中に、アクシアスからランドールの魔術師を妻に迎えたいと連絡が来て、どれほど驚いただろう!
かわいい孫の頼みだ。聞き入れたかったが、相手は許婚がいる貴族令嬢だという。
教皇位をかけて争っている時期に、不貞を働くような事態は許されない。
彼女が婚約破棄をしたら話を聞こう、と言っているうちに、今度はなんと婚姻前に妊娠させた、という。
フォルティス国の教会は戒律が厳しい。婚姻前の性交渉など、たとえ、婚約者同士であっても許されない。
わしの立場はその時、人生最大の危機を迎えておった。だから、足をひっぱるスキャンダルはどうしても切り捨てなければ、ならなかった。
わしは、アクシアスを勘当しなければならなくなった。
そして、アクシアスには命の危険があるから、フォルティスに戻ってくるなと言わなければならなくなった。
対外的には勘当したが、わしはアクシアスがあいかわらずかわいかった。
ランドール国で苦労しないように、まとまった金も送った。
この教会の抗争が終わったら、アクシアスの命の危険が去ったら、アクシアスとその妻子をわしの手元に呼び寄せるつもりで。
アクシアスが教皇になる芽は摘まれたが、わしの元で、ひっそりと暮らさせるつもりだった。
それなのに。
ランドール国の魔術師がアクシアスを殺した。しかも、その妻も、だ。
教会内が落ち着いてから、やっと真相を探らせてみれば、犯人はアクシアスの母。
アクシアスの母が魔術師を雇って、アクシアスを殺させた。
そこで、ランドール国にその犯人の魔術師を捜して、こちらへ引き渡してほしいと頼んだのに他国民だという理由で、動いてくれなかった。
しかも、それを頼んでまもなく、アクシアスの妻も殺されたと聞いた。
夫を殺した魔術師を探っていたらしい。知っていたら、わしは彼女と手を組んだものを。
ランドール国が動いてくれないのなら、と市井の魔術師達から何か聞き出せないか、探りを入れさせたが、魔術師同士の結束は意外と固く、フォルティシア人であるわしらにには警戒して、結局、何も情報を得ることができなかった。
暗殺を命令した当人であるアクシアスの母から聞き出そうにも、アクシアス亡き後、自害して鬼籍に入っている。
わしは振り上げたこぶしをどこにも下ろすことができなかった。
アクシアスに魔力が無かったのなら。
魔力が無ければ、ランドール国に行くことは無かった。当然、勘当の原因となった女性とも巡り合わずに済んだろう。
わしは、憎い。
アクシアスを奪った、ランドール国が。
わしの先祖を、この国に追いやった、ランドール国が。
魔術師なぞ、大嫌いだ。一人残らず、灰燼に帰してやる。
火の薬があれば。
魔術師なぞ、恐れるに足らぬのだ。




