第三話:高橋美咲は恋人です
「……どう思う?」
「うーん、大人っぽいと言うより、ダサい?」
「マジか。それはちょっとなあ」
「ジャケットにシャツより、セットアップにしたら? いまっぽいし歳より上に見られると思うよー」
「ちょっと着てみる」
数IIに泣きそうになりながら期末テストを乗り越えた週末。
俺は、埼玉からはるばる電車を乗り継いで都内のショッピングモールに来ていた。
お願いして、打林——陽菜と一緒に。
「これでどうだ!」
「おー! うん、いいと思う! 大人っぽい!」
「っしゃ! じゃあお会計してくる!」
「待って優斗、脱がないの?」
「タグ切ってもらってこのまま行くわ!」
「えっ、気合い入りすぎじゃない!?」
別にこのお店に来たかったからわざわざ都内の海近くまで来たわけじゃない。
なにしろチェーン店で、大宮にもこの店あるし。
途中のターミナル駅で降りればこの店も、ほかの店もたくさんあったし。
あえて「家から行きづらい」ここに来たのは、学校のヤツらやその親たち、要するに俺たちのことを知ってる人に見られたくなかったからだ。
「付き合ってくれてありがとう、陽菜! 約束通りなんでもおごるぞー!」
「テンション高いな! 『なんでも』……じゃあそこのアクセサリーでも?」
「待て待て待てあれはガチすぎる。店員さんスーツじゃん。結婚指輪?とか買うとこじゃん」
「ちっ。いま『なんでも』って言ったのに」
「すみません勘弁してください予算1万円以内でお願いします」
「はいはい。じゃあお昼おごってね。デザート付きで!」
「うーっす、助かりまーす!」
もちろん、陽菜と一緒にいるところを見られたくなかったからじゃない。
仲良いヤツらは俺と陽菜が幼なじみだってことを知ってるし、なんなら俺たちが付き合ってるって勘違いしてるヤツらもいる。
二人で電車に乗ってるとこも、買い物してるとこも、見られたところでいまさらだ。
「今日はほんとありがとう、陽菜」
「えっなに急に、こわっ」
けっきょく、フードコートでランチして、同じフードコートのフルーツパーラーでクレープ食べて。
ひと息ついたところで、俺はあらためて陽菜に頭を下げた。
「俺ひとりじゃこの服も選べなかったし、今日付き合ってもらえなかったら、こうしてデートもできなかったと思う」
「いちいち言わなくていいよ。これでも、二人のことは応援してるんだ」
「ありがとう」
「あー! もうそういうのいいから! ほら行くよ!」
照れ隠しなのか、ふいっと顔をそむけた陽菜が立ち上がる。
バッグを持ってスタスタ歩き出した、ので慌てて追う。
「いまは『負けヒロイン』でも……大学に行ったら、働き出したら。優斗よりいい男と恋するんだから」
「陽菜? いまなんて?」
「なんでもない。ほら、ゆっくりするなら早く行かないとだよー」
前を行く陽菜がなんか言ったっぽいけど聞こえなかった。
聞き直しても教えてくれない。
諦めて大人しく歩いて——たどり着いたのは、映画館だ。
「ここは俺が出すぞー」
「はいはい。ポップコーンとドリンクもお願いねー」
「もちろん!」
観ようと話していた映画のチケットを買って、ポップコーンと二人分のドリンクがついたセットも買う。
と、ちょうど入場案内がはじまった。
「あっ。私ちょっとトイレ行ってくる」
「了解、俺は先入ってる。チケット渡しておくわ」
「はいはーい」
陽菜にチケットを渡す。
ポップコーンとドリンクが載ったトレーを片手に持って、一人分のチケットを見せてスクリーンに向かう。
廊下にいくつも並ぶ映画のポスター、楽しそうに話すカップルや家族連れ。
扉を抜けて一番大きな10番スクリーンに入る。
「02番……一番うしろか」
階段をあがって、席を見つけた。
緊張が止まらない。
トレーを置いて、リュックを座面の下に突っ込んで、イスに座る。
左側は空いている。
間にひじ置きはない。
あるけど、上にあげられてる。
「これが、『プレミアペアシート』……」
ふたつの席の間を遮るものは何もない。
ごくっと唾を飲み込んで、俺は背もたれに思いっきり背中を預けた。
緊張する。
ドキドキと、自分の心臓の鼓動が聞こえる気がする。
何も考えないフリをしてスクリーンを見つめる。
ありがたいことに、予告編の前にもいろんな映像を流してくれていた。
ほうほう、会員になるとお得なのね。
へえ、毎月一日は安いんだ。シニア手前でも50歳以上の夫婦だと割引もあると。
あー、ペアシートが学生料金きけばなあ。あ、今日はどっちにしろ無理だったか。
「お待たせ」
まだ上映前なのに、まわりに気遣った小さな声が聞こえてきて、どうでもいい情報を流すスクリーンから目を離す。
前屈みになって流れた髪をかきあげて、耳にかける仕草になんだかドキッとする。
外でいつもかけてる銀縁メガネはなくて、髪もまとめてなくて、もちろんパンツスーツでもなくて。
でも家にいる時とは違って、ワンピースにちょっと羽織った感じは、なんだかオシャレに見えてすごく大人っぽい。
今日買った服はちゃんと釣り合ってるかな。
並んだ時に「カップル」に見えるかな。
だんだん不安になってくる。
「席、すぐわかった?」
「うん。今日はありがとう」
微笑まれると、顔が熱くなった気がする。
隣に座った美咲さんは、なんだかいい匂いがした。
「これなら大丈夫そうだね」
美咲さんがチラチラとまわりを見る。
予告編がはじまって、映画館は薄暗くなった。
しかも、「プレミアペアシート」は、隣の席の視線をさえぎるちょっとした目隠しがある。
ここに座ってるのが美咲さん——高橋先生で、ペアシートの隣にいるのが俺——高橋先生の教え子だって、見つかることはないだろう。
俺と美咲さんがこういう関係だってことは知られちゃいけない。
先生と生徒が付き合ってるのだって、卒業前にバレたらどっちも大変なことになる。
しかも、俺たちは血がつながってないとはいえ親子で。
12歳って歳の差は、俺が高校を卒業すれば、あってもおかしくない年齢差になるはずだ。
だから、いまは、知られちゃいけない。
まあ陽菜には知られてる。
というか陽菜に背中を押されて告白して、何度も告白して話し合って本気だとわかってもらって、それでようやく美咲さんが考えてくれて、やっとこうなった。
もし陽菜がいなかったら、俺たちが付き合うことはなかったかもしれない。
少なくとも、こうして「秘密のデート」はできなかったはずだ。
「陽菜に感謝しないとなあ。ランチとクレープじゃぜったい足りない」
「そう、だね」
美咲さんがスカートの上でぎゅっと手を組む。
「ごめんね、優斗くん。本当は、キラキラした青春を送れるはずなのに、私が『母親』でいられなかったから——」
「しっ。映画はじまりますよ」
最後まで言わせない。
俺が告って以来、美咲さんは本当に悩んでいた。
いまもたびたび申し訳なさを口にする。
先生なのに、義母なのに、私が年上でしっかりしなきゃいけなかったのに、って。
だから俺は。
手を伸ばして、固く組んだ美咲さんの両手の間に潜り込ませた。
つないだ手に力を込める。
俺は後悔なんてしてない。
美咲さんに後悔なんてしてほしくない。
流れ出したオープニングを無視して美咲さんの横顔を見つめる。
「好きです」
隣の席に聞こえないように、小さな声でささやくと。
「……私も、好きです」
美咲さんは少しうつむいて言ってくれた。
スクリーンに写る映画とペアシートの目隠しのおかげで、二人のキスは誰にも見られなかったはずだ。
高橋美咲さんは、2-6の担任で、数学教師で、俺の義母で、俺の恋人です。